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迅雷の逆襲譚〈ヴァンジャンス〉  作者: らーゆ
第2章 疾風と迅雷の友情譚
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 第六話 未来への約束を胸に 追憶/後編

 気がつくと、ジンヤとハヤテは倒れていた。

 息は荒く、胸は大きく上下を繰り返す。鼓動が速まっている。

 体はボロボロだ。

 でも。

「……勝ったなぁ」

「……そうだね」

 にっ、無邪気に笑うハヤテが拳を差し出す。ジンヤはそれをぽかんと見つめる。

 しばらくしてやっと意図を察し、自らも拳を差し出し、ぶつける。

「風狩ハヤテだ、よろしくな」

「刃堂ジンヤ。よろしくね」

 そう言えば名前も知らない相手に背中を預けていたのかと、遅まきながら気づく。

 突然現れた彼――ハヤテは頼もしかった。ジンヤも普段から鍛えている以上は徒手であろうと素人に負けるつもりはない。彼もまた、何かやっている動きだった。

 息を整えてから、よろよろと立ち上がる。

 ジンヤ達は囲んでいたガラの悪い男達は倒した。

 だが、まだやることがある。

 アンナを戒める縄をほどいて、彼女を解放する。

「……じんやっ!」

 顔を見るなり、アンナはジンヤに抱きついてくる。

「こわかった……こわかったよぉぉ……じんやぁぁ……」

「ごめん……ごめんね、アンナちゃん……僕がいながら……」

「んーん……いいよ、たすけてくれたし」

 震える華奢な体を抱きしめて、頭を優しく撫でてやる。

「一件落着って感じだなー、いやーよかったよかった!」

 ハヤテが笑う。

 アンナは見られているのが恥ずかしくなったのか、ジンヤの背後に隠れて、そこからハヤテの様子を伺う。

「……あれ、オレも助けるのに協力した感じなんだけど。恩を着せるような言い方はしたくねーけど、ほら見て……ボロボロだよ……オレ……」

 アンナはジンヤに耳打ちする。

「……えーと、『たすけてくれてありがとうございます。屍蝋アンナです、すごくひとみしりなのでしらないひととはお話するのはちょっとむりです』だって」

 ジンヤはそのままアンナの口にしたことをハヤテに伝える。

 アンナはひょこりとジンヤの背後から出てきて、無言でお辞儀をすると、再び隠れてしまう。

「……な、なるほど~? じゃあオレのこと知ってよアンナちゃん! オレ、風狩ハヤテな! 

 仲良くしようね、な、なっ?」

 にじり寄ってしゃがみ込むとアンナと同じ目線になってそう語りかけるハヤテ。しかしアンナはジンヤの背後に隠れたまま、

「やっ!」

 と一蹴。

「そ、そんな……」

「……ハヤテくん、もしかしてそういう趣味が……?」

「アアッ!? いやいや、オレがロリコンだってのか!? 別にそういうわけじゃねーよ? おっぱいでけーほうが好みだしな!」

「じゃあどうしてそこまで」

「小さい女の子だろうが、女は女だろ? オレは女には優しいっつー主義があるわけよ。ゆりかごから墓場まで、ロリからばーちゃんまで、区別なくな。あと、なんか小さい女の子に嫌われると悲しいだろ……」

「確かに……」

 ハヤテの必死さに若干引きつつも、彼の気持ちは察せられた。

「ま、まあ時間かけて仲良くなってやるさ……オレに落とせない女なんかいねえからな」

「やっ!」

 再び背後から拒絶の声が響くと、ハヤテはがっくりと肩を落とした。

「そんな……助けたのに……」

「それはありがとう!」

 ぺこりと頭を下げるアンナ。

 ハヤテの顔がぱぁぁぁと一気に明るいなる。

「見た? 見た? 聞いた? ありがとうだって、な? な?」

 ジンヤの肩を掴んだ激しく揺さぶってくる。

「よ、よかったね……」

 ジンヤは引きつった笑みを浮かべる。

「……女の子に好かれたくて助けてくれたの?」

 思わずそう聞いてしまうと、

「あったりまえじゃねーか、誰が好き好んで男なんか助けるかよ」

 と、そう言ってハヤテは笑う。

 ジンヤはそれを聞いて、彼は少し調子がいい所はあるが、とてもいい人なのだろうと思った。

 だって、彼は嘘をついている。

 アンナが縛られているのを見た時、彼は驚いていたのだ。

 アンナのために助けに来たのなら、あの反応はあり得ない。

 彼なりの冗談や照れ隠しなのだろう。

 ハヤテがなんの見返りもなく、誰かを助けられる人間であることが、ジンヤにはわかった。

 少し、ライカと出会った時のことを思い出す。

 なんとなくあの出会いと符号するからだろうか。なぜだかこの出会いは、きっと大切なものになる――そんな予感がした。


 □ □ □


 その後、急ぎの用事があると言って、ハヤテは先に帰ってしまった。

 彼は同じ学校、それも同学年のようなので、きっとまた学校で会えるだろう。

 風狩ハヤテ。彼の存在は心強かった。

 アンナを取り巻く問題は、蓋を開けてみれば酷くありがちな――しかし、だからといって軽視できないものだった。

 ジンヤは主犯格と思しき男から事情を聞いていた。

 アンナを連れ去った男は、誰かに命じられて事に及んだらしい。

 命じた者は、アンナのかつての同級生である女子。

 その女子生徒が好いている相手が、アンナのことを好きだったのだ。

 本当に酷い話だと思う。なぜならアンナは何も悪くないのだから。

 かつてアンナをいじめていた生徒達は、中学に上がってバラバラになっているはずというのが一つ。

 そして、ジンヤと一緒ならば安心できるというのが一つ。

 それが不登校だったアンナが、もう一度学校に行ってもいいと思った理由らしい。後者の理由のほうが大きい、と帰り道に話してくれた。

 だとすれば今回の失態は悔しい。彼女の期待を裏切ってしまったような形なのだから。

 だが、アンナは言う。

「がっこー、いくよ? 家にいてもおろちしかいないからひまだし……それに、がっこーにはじんやがいるもん。アンナががっこーにいかなかったのはね、がっこーに好きな人がいないから。でも今は、じんやいるし。嫌いな人しかいないところにいっても、たのしくないでしょ?」

 そう語られて、ジンヤは引っかかりを覚える。

「…………好きな人・・・・?」

「うん。じんや。アンナ、じんや好きだよ?」

「……ええっ!?」

 声が上擦る。

 ジンヤは恋愛経験に乏しい。好きな人はいる。しかし告白をしたこともなければ、男女のそれらしい関係になったこともあまりない。歯がゆいことではあるが、男女の仲というよりは同性同士のような関係だったからだ。

 異性からこうも直接的に好意をぶつけられた経験は皆無。

「なんでびっくりするの?」

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。アンナはどことなく幼い。これも兄弟や友人に向けるような好意だろう。

「……べ、別になんでもないよ、うん。僕もアンナちゃんのこと好きだよ」

「やったぁ! じゃあ結婚しよう!」

「……………………ええっ!?」

「なんでびっくりするの」

「いやあ、結婚っていうのは……」

「ママはね、好きな男の子ができたら結婚するってゆってた。ママにとってのね、パパみたいな、かっこいい男の子に、いつか出会えるといいねって……会えた!」

 ぴっ、とジンヤを指差して笑うアンナ。

 慣れない状況だ。

 なんて言えばいいのか見当もつかない。

 この幼い無邪気な好意の扱いを間違えば、彼女を酷く傷つけてしまう気がした。

 『好きな男の子が出来たら結婚』というのはいくらなんでもいろいろと簡略化しすぎではないだろうか……とジンヤはアンナの母親に内心で抗議したくなった。

「え、えっと……そ、その結婚っていうのは、もう少し大きくなってから考えることでね……」

「ええ、そうなの……?」

「そうなんだ」

「今したいのに?」

「今……」

「いますぐしたい!」

 傍から見たら大変なことになっているだろうという焦燥感がジンヤを襲う。

「そうやって簡単に決められることでもないんだ、もっとゆっくり時間をかけて、真剣に考えることでね……」

 自分だってそんなことについて考えたことのない中学生に成り立ての子供の分際で何を言っているのだろう、と恥ずかしくなってきた。

「そうなの……?」

「そうなんだ……?」

「じゃあ、いつになったら結婚していいの?」

「大きくなったかなあ……」

「そっかあ……はやく大きくなりたいな……」

 しゅん、と俯いてしまうアンナ。

 ひとまずこの場は切り抜けられただろうか。

 幼い好意を受け流し、誤魔化してしまったことに罪悪感を覚える。

 けれどしかたがない。

 だってジンヤには、心に決めたあの約束の少女がいるのだから。


 □ □ □


 屋敷へ帰ってきてすぐに、ジンヤは驚愕することになった。

「「あっ!」」

 驚愕する原因となった相手も同じく、ジンヤを目にして驚いていた。

「……ハヤテくん、どうしてここに?」

「ジンヤ……お前こそ、なんで?」

 そこでジンヤは、以前交わしたオロチとの会話を思い出す。

 

『……これ以上、実はまだ住人がいました、なんてないですよね?』

『ねえよ、今んとこ。たぶん増える』

『……よかった、今教えてもらって』


(あれはハヤテくんのことだったのか……!)

 

 驚きと共に、どういうわけか喜びがこみ上げてくる。

 再会が思ったよりも早まったこと。

 そして、これから彼と共に過ごすかもしれないということが、楽しみでしかたない。

 

「あん? なんだ、お前ら知り合いだったのか?」

「ついさっき会ったんですよ。マジか……っつーことは、ジンヤも騎士なのか?」

「う、うん……ってことは、ハヤテくんも?」

「おう、まーな!」

「自己紹介は必要なさそうだな。少年、今日からこいつも一緒に修行することになるよ。きっとお互いにとって、お互いの存在は有意義になると思うぜ?」

 そう言って楽しげに笑うオロチ。

「なんにせよ、改めてよろしくな、ジンヤ! それに、アンナちゃんもな!」

「うん、よろしくね、ハヤテくん!」

 と快活な声で返すジンヤ。

 だがアンナは、

「やっ!」

 とジンヤの陰に隠れてしまう。

「なんで!?」

「ハヤテ、お前のチャラさ、アンナは見抜いてるのかもな」

 そう言ってけらけらと笑うオロチ。

 これから賑やかになりそうなこの家での暮らしに、ジンヤの胸は高鳴っていた。

 ジンヤはずっと兄弟もなく、父を早くに亡くしていて、こういった賑やかさとは縁がなかった。だからずっと憧れていたのだ……こんなふうに、誰かと騒がしく過ごす日々に。


 □ □ □


 ジンヤとハヤテは、互いに魔装具である刀を構えて向かい合っていた。

 場所は屋敷内の道場。オロチとジンヤが稽古をしている場所でもある。オロチは二人の近くで彼らを見守っていた。

 戦うことを提案したのはオロチだ。

 騎士が互いを知るには、百の言葉よりも一合の剣戟のほうがずっと雄弁であることを、オロチは知っていた。

「さて、お手並み拝見と行くぜ」

 ハヤテは両手に刀を持っている。二刀の使い手のようだ。

「……」

 ジンヤは唾を飲み込んだ。 

 オロチ程ではないにせよ、ハヤテも相対した時のプレッシャーが凄まじい。それだけで彼の力量が窺える。あの自信に満ちた態度の通り、かなり出来るのだろう。

 刹那――ハヤテの姿が霞み、次の瞬間には右の刀による上段からの斬撃が繰り出されていた。

 速い。

 恐らく龍上ミヅキに匹敵する程に。

 さすがに彼程のパワーはないにせよ、片手の斬撃にもかかわらず並みの騎士の両手を凌ぐ重みを持った一刀だ。

 ジンヤは刀を掲げ防ぐも――既にハヤテは、左から横薙ぎの一閃を滑らかに繋げていた。

 たまらず後方へ下がるジンヤ。

 二刀の利点である高速連撃。

 ハヤテの紡ぐ連撃は、精度速度共に洗練されている。


(……彼は、強いッ!)

 

 ジンヤがこれまで戦ってきた相手の中で最強と断言できるのは龍上ミヅキだ。だが、ハヤテの実力は恐らく彼に匹敵する。

 正確にはオロチも、ミヅキと同等かそれ以上の力は持っていると推測できるが、彼女はジンヤに対してまったく本気を出していないので、実力の底が少しも見えないのだ。

「ほー、そこそこ打ち合えるみてえだな……そんじゃ、ちょっとばかし上げるか」

 これまで少しも本気ではなかったような口ぶりだった。

 そして事実、ハヤテの実力はこんなものではなかった。

 風が逆巻く。

 ハヤテを中心に、彼の周囲の風が乱れていく。

 次の瞬間。

 刀の届く間合いから大きく離れているにも関わらず、ハヤテはその場で二刀を振る。

 あたかも目の前に敵がいるかのように、虚空へ斬撃を叩き込む。

 マズい――とジンヤが大きく飛び退こうとした時には、既に手遅れだった。

 不可視の風刃が大量に叩き込まれ、彼を木の葉の如く吹き飛ばした。

 宙を舞い、壁に叩きつけられる。

 実力差は、歴然だった。

 ハヤテにしてみれば、小手調べに能力を少し使った程度の攻撃だったが――今のジンヤには、たったそれだけで勝敗を決する一撃となってしまう。

「……なーんだ……期待したほどじゃあ、ねえかもな」

 仮想戦闘術式で軽減されてるとはいえ、少なくないダメージを受け、立ち上がることもままならないジンヤの耳に、ハヤテの落胆の滲んだ声が届く。

 ジンヤにとって、それがなによりも胸を突き刺す。

 自分は彼を失望させてしまうほどに弱い。

 自分の弱さを許せないと思ったことは何度もある。

 弱さのせいで辛い思いを、痛みを感じたことは何度もある。

 原因は同じ――自分が弱いせい。しかし今の痛みは、今までのどんなものとも異なっていた。

 

 □ □ □


 翌朝。

 ジンヤが目を覚ますと、右腕に違和感があった。

 何かが腕に絡みついている。

 ぎょっとして反射的に右腕に視線をやると――そこには、眠っているアンナがいた。

 アンナが右腕に抱きついたまま眠っている。

「……んん~……ママ……パパ……じんやぁ……」

 どんな夢を見ているのだろうか。

 というか、なぜこんなところで寝ているのだろうか。

 怪訝に思いつつ、ジンヤは彼女の体を揺する。

「アンナちゃん、起きて……起きてもらえると助かるんだけど……」

「じんやぁ……けっこん……」

「……」

 どんな寝言だ、とジンヤは頭を抱えたくなる。

「……結婚してくれなきゃ、起きません……」

「…………アンナちゃん、起きてるでしょ」

「…………ばれちゃった?」

 ぱちり、とアンナの目が開くと、ぺろっと舌を出して笑う。

「もう……なにしてるの、こんなところで」

「じんやを起こそうと思ってはやおきしたんだけど……じんやのねがお、近くで見てたら、そのままねちゃった! えへへ……」

「えへへって……」

 可愛いからいいかな……とジンヤは全てを許してしまいそうになる。

「じんやの腕、ぎゅーっとしてたら、ぽかぽかしたの! あとね、じんやを起こそうとしてはやおきしたから、眠くて……だから寝ちゃった! もぉ~、じんやが起きるのはやいからだよ?」

 全てを許した。

 可愛いので。

「そっか……じゃあ起きようか」

「うん!」

 とててて、とアンナが駆けていく後を追う。

 食卓には既にオロチとハヤテが。

「はよーっす、ジンヤ……ふぁぁ」

 寝癖で頭が大爆発しているハヤテが眠そうな顔で声をかけてくる。

「おはよう、少年」

 二人に挨拶すると、先に席についていたアンナが、隣に敷いてある座布団をぽんぽんと叩く。

 隣に座れということだろう。

 四人で囲む食卓。大勢での食事というのも、ジンヤにとってはあまりない経験だ。

 ジンヤがこの屋敷へ来たのは、ただ強くなるためだ。

 約束のため。あの男に勝つため。ただそれだけのためだったはずだったのに、この屋敷での生活は、それ以外のことも、たくさん教えてくれるようだった。


 □ □ □


「……本当に行くのか? 大丈夫か? アタシ、学校行ってガツンと言ったほうがよくねえか?」

 制服に身を包んだジンヤ達三人。オロチはアンナの前で慌てふためいていた。

 昨日の顛末は話してある。だからアンナのことが心配でしょうがないのだろう。

「安心しろってオロチ。なんかあったらオレがアンナちゃんのことは守るからよ」

「むしろお前が心配だよアタシは、あと師匠な、師匠」

 ハヤテの額を小突きながら笑うオロチ。

 ハヤテとオロチは、昔からの知り合いのようだ。ハヤテのあの強さは、幼少期からオロチの教えを受けたというのもそれを支える一因らしい。

「……で、本当にいいのか、アンナ」

「へーき。じんやがいるから」

 オロチの問いに、ジンヤの手を引きながら答えるアンナ。

「オレは!?」

「…………はやてはおまけ」

「おまけ!?」

 項垂れるハヤテをジンヤが慰めながら、三人は出発した。


 □ □ □


 それからの日々はとても穏やかなもの――では、まったくなかった。

 オロチの修行が本格化してからは、正真正銘の地獄だった。

 オロチはとにかく厳しい。

 ジンヤとハヤテは、ひたすら屋敷の裏山を走らされる。転んで膝を擦りむこうが、ゲロを吐こうが、意識が飛ぼうが、関係ない。

 血と汗とゲロまみれになるまで走らされた後は、すぐに木刀を握らされ実戦形式の稽古に移る。

 意識が朦朧としたまま、何度もオロチと戦わされ、滅多打ちにされる。

「オラ、どうしたァ!? もうへばったか? それでもタマついてんのか?」

 修行の最中のオロチは普段のいい加減な態度からは一転、鬼のように厳しい。

 ふらつきながらも立ち上がるジンヤ。

「少年、ハッキリいってお前は弱い! 弱すぎる! 今の状態でAランク騎士に勝つなんてのは、そこらの棒きれもったガキが《剣聖》に勝とうってのと大差ない無謀さだ! 絵空事だ!

 そいつを現実にしたいなら、死んだほうがましってくらいの地獄を何度見ても足りないくらいだ! でもなあ……少年の持ってる願いはそういうもんだ、地獄を見てでも掴みてえものがあるんだ――この程度でへばってたら、龍上ミヅキに勝つどころか、一生並みの騎士にもなれねえぞ!」

 オロチの言葉を聞いた途端――ジンヤのふらついていた足がダンッ! 道場の床を強く踏みしめる。

 わかっていた。

 自分が弱いことくらい、誰より自分が知っていた。

 ミヅキにも、ハヤテにも、今の自分は到底及ばない。

 だからこそ、倒れてる暇なんて微塵もない。

 どれだけ辛くても、あの悔しさには敵わない。

 どんな地獄よりも、弱いままでいることのほうが、ジンヤにとっては何より地獄だった。

 

 □ □ □


「……あの女、オレ達のこと殺す気じゃねーか……?」

「大いに有り得る……」

 屋敷の縁側で、ハヤテとジンヤが死体のように倒れていた。

「クソッ……昔っからスパルタではあったが、最近はマジで殺しに来てるぜ……マジで怖ぇーよ……あの巨乳でも揉まねえと割に合わねえ」

「……ハヤテくん、師匠のことそういう目で見てるんだ……」

「おい、なんだよその台詞! 女子か! いいだろ別に! 確かにガサツ鬼畜ゴリラではあるが、おっぱいはおっぱいだろ! あんな女のおっぱいでも超柔らかいんだぞ!」

「なんで知ってるの……」

「昔めっちゃ揉んだからな!」

「え、ええ……!?」

「そのあと、めっちゃくちゃボコられた!」

「そうなんだ……」

 酔っていたとはいえ、ジンヤには自分から揉ませようとしてきていたが、ハヤテでは対応が違うらしい。

「……まっ、別にいいけどな……しんどいっちゃしんどいが、オロチの教えで強くなれねえわけがねえからな」

 彼女の教えを受け、実際に強くなっているハヤテの言葉には説得力があった。

「ここまでオロチが厳しくすんのも、オレとジンヤを絶対に強くするっつーことなんだろうな……そういやジンヤ、お前なんでオロチのとこ来たんだ?」

「それは……」

「言いたかねーが……お前、Gランクだろ? たぶん散々同じこと言われてんだろうし、お前のことをそうやってランクがどうとかで決めつけたくもねえけどさ……それでも、あるんじゃねえか、身の程ってやつはさ……」

 ハヤテはBランク。剣技の腕も確かだが、騎士としての才能も申し分ない。きっと能力だけでもかなりの騎士になっていただろう。

「……僕は、それを言い訳にはできないんだ」

 ジンヤは語った。

 オロチに語ったように。

 両親とのことを、約束の少女とのことを、あの因縁の男とのことを。

 全てを聞き終えると、ハヤテは――

「……そっか、お前にも、あるんだな……」

 泣いていた。

「……どういうこと? ハヤテくんにも、似たような事情が……?」

「ああ、そっくりだな……まあ、お前になら話してもいいか。なんか親近感湧いちまったしな」

 そう言って彼は語りだした。

 彼の抱える、戦う理由を。


 □ □ □


 女は大切にしろ、というのがハヤテの父の口癖だった。

 ハヤテの両親はとても仲がよく、ハヤテはそんな両親が大好きだった。

 父は一流の騎士だ。ハヤテはいつか父のような騎士になりたいと自然に思っていた。

 ハヤテの母は、病弱だった。

 よく倒れていたし、入退院を繰り返すことも頻繁にあった。

 ハヤテ自身も、幼少期の頃は体が弱かったが、騎士を目指し体を鍛える過程で、嘘のように丈夫になっていた。

 ――程なくして、母が亡くなった。

 それからだ。

 ハヤテが全ての女性を大切にしようという信念を抱いたのは。

 だから最初は、ただ信念に従っただけのことだった。

 

 ある病院での一幕だ。修行の最中に負った怪我の経過を診てもらった帰り。怪我は完治しているという話を医者から聞いて、また修行に励めるようになったと胸を高鳴らせていた時だ。

 小さな女の子が、泣いていた。

 風船が木に引っかかっている。

 またベタな、と思いつつもハヤテは風船を取ってあげることにした。

 彼は泣いている女の子を見過ごすことは、絶対にできないのだ。

 木に登り、風船を取ってやった瞬間――病院の二階、窓際のベッドに座っている少女と目が合った。

 一目惚れだったと思う。

 あやうく、木から落ちかけた。

 翡翠色の長髪。憂いを帯びた表情。華奢な体。……吹けば消えてしまうのではないかと心配になるほどに、その少女の雰囲気は儚げだった。

 少女はハヤテに向かって、にっこりと微笑んでくれた。

 慌てて木から降りてしまうハヤテ。

 ハヤテは女の子に風船を返してやり、頭を撫でてやる。女の子はお礼を言うと、母親と思しき女性のもとへ駆けていく。

 それを見届けてから、深呼吸をした後、すぐさま木に登る。

 今度は少女が目を丸くしていた。何をしに戻ってきただろうと思っているのだろう。

 ハヤテは手を開閉するジェスチャーの後に、首を傾げた。「少し話をしないか?」という意図を汲んでくれた少女が窓を開けた。

「どうしたの?」

 か細くが、綺麗な声だった。

「キミに会いたかった」

 いつもの調子でぺらぺらと口が回ると思ったが、どういうわけか上手く言葉が出てこない。

「……優しいんだね」

 少女が笑う。

 風船を取ってあげた一幕のことを指しているのだろう。

「まあな。オレは全ての女の子に優しい、当然キミにも」

「へ~……そうなんだ?」

「本当だって。あ、オレ風狩ハヤテね。キミは?」

「ハヤテ、っていうんだ……素敵な名前。私はね――」


 少女の名前は、翠竜寺ナギ。

 ハヤテが一生守ると誓った、最愛の少女との出会いだった。


 それから病室の窓際に佇む少女と、木の上の少年との逢瀬が始まった。

 ナギは幼いころからずっと病院しか知らないらしく、ハヤテが話すことをなんでも楽しそうに聞いてくれた。

 騎士になりたいという夢を話すと、

「……私がハヤテくんの魂装者アルムになれたらいいのにな」

 と彼女は言う。

 彼女は魂装者アルムではあるらしいのだが、武装化したことはほとんどないらしい。

 魂装者アルムになれば体に負担がかかる。病弱な彼女では、とても耐えられることではなかった。

「……病気、治らないかなあ……そうしたらハヤテくんと一緒に、どこかに出かけたりできるのに」

「治るよ。治ったら一緒にどこでも行ってやるって。どこ行きたい?」

「ん~……動物園!」

「動物、好きなのか?」

「うん。ハヤテくんは好きな動物いる?」

「そうだなあ~……ライオン?」

「どうして?」

「強そう?」

「あはは……男の子だね~。私はね……孔雀が好きなの」

「孔雀? あの羽ばっさぁ~ってなるやつか」

「……あはは、そうそう。本当に、すっごく綺麗だよね」

「じゃあさ、見に行こうぜ。退院したら、いくらでも連れてくからさ!」

「本当?」

「本当だって。オレは女の子には嘘つかねーの」

「男の子には?」

「そりゃ~まあつくんじゃね?」

「男の子にもついちゃダメだよ?」

「頑張ってみるわ」

「あはは、なにそれ」


 ある時、ナギは大きな手術があると言った。

 成功すれば、この長い入院生活が終わるかもしれない。

 失敗すれば、二度と魂装者アルムではいられないかもしれない。

 そんな手術だ。

 彼女の病気は、魔力の異常により引き起こされるものだった。彼女は常人よりも多くの魔力を持っているが、それを制御する能力が備わっていない。制御できない膨大な魔力は、彼女の体を蝕んでいる。それにより、彼女はずっと病弱で、入院を余儀なくされている。

 ナギは、手術を恐れていた。

 退院はしたい。

 元気になりたい。

 動物園にいきたい。

 だが――失敗すれば、ハヤテの魂装者アルムになるという夢は潰えてしまう。

 震える彼女を見たハヤテは、靴を脱いだかと思うと、木の上に立った。

「……えっ、ハヤテくん、なにするつもり!?」

「下がってな、ナギ」

 ハヤテは木の上を駆けたかと思えば、病室の窓目掛け跳躍――そのままベッドに着地。

「……あ、危ないよ! もう、なに考えて――」

 ナギの言葉は遮られた。

 ハヤテが彼女を抱きしめたからだ。

「……窓越しに見てるキミを、ずっとこうしたかった」

 木の上と、ベッドの上。今までの立ち位置では、こうすることはできなかった。

 ハヤテはずっと、ベッドの上で震えるナギを見て、もどかしいと思っていた。

「大丈夫だよ、ナギ……別にキミが魂装者アルムじゃなくたって、そんなの関係ない。キミがなんだって、オレはキミが好きだ……だから、大丈夫」

「……本当? 本当に、私のこと、好き……? 私、なんにもないよ……ずっとここにいたから、外のことも知らない、つまんない女の子だよ……なのに好きなの?」

「ああ、本当だ。オレは女には嘘つかねえんだよ」

「……あの胸のおっきな看護師さんよりも、私のこと好き?」

「…………うっ、なにいきなり」

「私、ハヤテくんがあの人の胸見てたの知ってるんだからね?」

「み、見てないよ」

「女の子には嘘つかないんでしょ!?」

「見てたよ! おっぱい好きだよ! でも……ナギのが好きだ!」

「……私、こんなだよ?」

 ナギは自らの薄い胸元を指差す。

「そんながいいんだ、そんなだから、ナギだからいいんだよ」

「……ばか、えっち……………………私も、だいすき」

 

 こうして結ばれたハヤテとナギ。

 そして、手術は成功した。


 しかし――二人の物語は、ここでハッピーエンドというわけにはいかなかった。


 


 《七大魂装家》というものがある。

 優秀な騎士や魂装者アルムを排出する、七つの家系だ。

 そこには翠竜寺も含まれる。

 ハヤテとナギが結ばれることを、翠竜寺の家は認めなかった。

 その原因は、ハヤテとナギの相性にあった。

 ハヤテは膨大な魔力を持っているが、魔力の制御は苦手だった。

 そうなると、魂装者アルムに掛かる負荷は重いものになる。

 手術によりナギは見違えるように元気になったが、それでも彼女がハヤテの魂装者アルムであることに耐えられるのか――それをナギの父は疑問視したのだ。

 ナギがいくら耐えてみせると訴えても、父は認めなかった。

 そして、ナギの騎士は、彼女の兄にすると決定してしまった。

 ナギの兄もまた優秀な騎士であり、ハヤテと同程度の才能を持つ上に――魔力の制御には長けていた。

 ナギの魂装者アルムとしての才能は破格のものだ。『七家』は、どの家も共通して優秀な騎士と魂装者アルムを輩出することを目的としている。

 翠竜寺の家としては、優秀な魂装者アルムを見知らぬ誰かにやってボロボロにされることなど容認できなかった。

 こうして、ハヤテとナギは引き裂かれる。

 だが、これで終わりではなかった。

 ナギとハヤテの懇願により、ある条件がつけられたのだ。

 ハヤテがナギの兄に勝つことが出来れば、二人が組むことを認めるというものだ。


 これが、ハヤテがオロチのもとへやって来た理由。

 彼が強くならなければならない事情だった。


 □ □ □


 話を聞き終えたジンヤの瞳から、一筋の涙が溢れた。

「……お前も泣いてくれるか……やっぱお前、いいやつだな……」

 そう言ってハヤテは笑う。

 ジンヤは思った。

 自分と彼の事情は似ている。

 二人とも、自分の大切な少女のために、強くならなければならない、倒さなければいけない相手がいる。

「なあ、ジンヤ……絶対、強くなろうぜ」

「……ああ……なろう、絶対にッ!」

 月夜の下で、二人の少年は誓いを胸に拳をぶつけた。


 □ □ □


 それから二年の月日が経とうとしていた。

 出会った頃は中学一年だったジンヤとハヤテも、もうすぐ中学三年になろうとしていた。

 二人は道場で向かい合っている。

 いつもの木刀ではなく、魔装具の刀を持ってだ。

 この修行の日々でハヤテと向かい合う最後の一戦だった。

 ハヤテはもうすぐ、ここを去ってしまう。

 ジンヤは高校に上がる直前までここで修行するが、ハヤテは中学三年に上がる頃には、修行を終えねばならないのだ。

 翠竜寺の家から告げられている期限――それが目前なのだ。それまでにハヤテは強くならなければならなかった。

 そして、修行の成果は確かなものだと、ハヤテは信じていた。

 それはジンヤも同じ。

 離れ離れになる親友との最後の一戦――そう、親友だ。

 この二年は、ジンヤとハヤテの絆を確かなものにした。

 よく似た事情を抱えている。

 共に地獄を耐え抜いてきた。

 他にも様々なことがあった。

 二人でいれば、どんな辛いことも耐えられた。

 二人でいるから、いつも笑っていることができた。

 

「ハヤテ……僕はキミがいたから、ここまで強くなれた」

「それはオレも同じだぜジンヤ……だがな、まだまだオレのが全然強ぇぞ!」


 最後の一戦は熾烈を極めた。

 ジンヤはこれまで、何度も何度も、何千回と、ハヤテに負けている。

 ただの一度も勝ったことはない。

 初めてのあの一戦のように、圧倒的な実力差で完封されることはなくなった。

 もう少しというところまで追い詰めたことはある。

 それでも、勝ったことはなかった。

 

 しかし。


「――迅雷一閃エクレールッ!」


 何千回と戦った中で、ジンヤは初めてその技をハヤテの前で使った。

 そして、ハヤテに勝利した。


「……驚いた。なんだよ、そいつは」

「まだ未完成だけどね……この二年で、少しは形になった」


 龍上ミヅキを倒す答えを求め続け、それに指の先をかけたという実感がある。

 奇襲まがいの、一度切りのものとは言え、ハヤテに勝つことが出来た。


「あーちくしょうッ! なんだよ、オレが出て行くんだからそこはオレに花持たせろよ! ジンヤそういうとこあるよな、お前!」

「あっはは、嫌だよ、負けっぱなしは悔しいからね」

「じゃあもっかい! オレが勝って出ていく!」

「やだ。僕が勝ったまま出て行け」

「あァ!? てめー……マジで負けず嫌いだな」

「キミもね」

「……っはは、オッケー、じゃあ勝負は預けてやるよ、次会った時はガチの勝負といこうぜ、お互いにちゃんと魂装者アルム持っての、全力だ」

「うん……約束だ」

「ああ……約束な。……しっかしよぉ……」

 そこで言葉を区切って、ハヤテはこれまでのことを思い出すように目をつぶる。

 そして。

「……ジンヤ、本当に強くなったな。……悪かったな、初めて戦った時に、あんなこと言ってよ……」

「ハヤテ……そんなこと、覚えて……!」

 

『……なーんだ……期待したほどじゃあ、ねえかもな』 

 

 ジンヤはその言葉がずっと小さな棘のように胸に突き刺さっていた。

 己の弱さが、彼を失望させた。

 それがなにより、悔しかった。

 初めて出来た友に認められないことが、悔しかった。

 認めて欲しかった。

 ハヤテは自分よりもずっと強い。

 ジンヤとは、何もかも正反対だ。ジンヤはずっと弱くて、情けなくて、友達もいなかった。

 ハヤテは違う。誰とでも仲良くできる。明るくて、いつも周りには大勢の人がいた。

 彼とは同じ中学に二年通っていたのだ。普段の彼のことはよく見ている。

 いつも劣等感に苛まれていた。彼に憧れていた。

 友人というものに、憧れていた。

 初めて出来た友人に、ふさわしくあれない自分が、悔しかった。

 その彼に。

 今日、こうして認められたのだ。

 それがなにより、嬉しかった。

 この二年間が、少しだけ報われた。

「……なに泣いてんだよ、そんなにオレがいなくなるのが寂しいかよ?」

「別に……ハヤテなんかいても、うるさいだけだし……」

「っはは……そーかよ、せいせいするだろ?」

「…………」

「なあ、ジンヤ……いつかオレ達が成し遂げなきゃいけねーことを成し遂げたらよ、必ずまた戦おうぜ……そん時まで、お互いのことはとりあえずお預けだ。オレらには、絶対に倒さねえといけない相手がいるだろ?」

 そして、二人は約束した。

 次に再会するまで、お互いのことは忘れて、互いの因縁の相手を倒すことだけ考えること。

 再会したら、互いに自分の最愛の少女のことを紹介すること。

 二組でダブルデートにいくこと。

 笑いながら未来を語った後――二人はその未来を想起することを、禁じた。

 互いに倒さねばならない敵がいる。

 成さねばならぬことがある。

 それが出来なければ、二人に未来はないのだから。

 こうしてジンヤは、大切な親友との思い出と約束を、胸の奥に仕舞い込んで、再び因縁の相手を超えるための修行に励みだした。


 ――この一年後、ジンヤは龍上ミヅキに勝利し、ハヤテとの再会を果たすのだった。

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