第27話 憐憫などではなく
ジンヤについた胸元と脇腹の傷。
浅手ではあるものの、二度の被弾はそのダメージそのものより、体術での競い合いで押されているという事実によるプレッシャーの方が、今のジンヤを苦しめていた。
焦燥が心を満たしていく。
だが、それでも。
絶対的な逆境を前に。
いいや、だからこそ。
――ジンヤは、笑った。
「やられすぎておかしくなった――ってわけじゃねえんだろ?」
トキヤはジンヤの笑みの意味を察しつつもあえて確認するように問う。
「……はい。すみません、ちょっと……嬉しくて」
「そんなに斬り合いが好きか?」
「……ええ、やっぱり斬り合いで追い詰められると、どうにも顔が緩みますね」
「……ハッ! いい具合にイカれてんな」
戦っている時と普段で随分と印象が違う。
以前から彼とはランスロットが仕掛けたカオスな合コンや、ビーチでのナンパ大会などで顔を合わせていたが、正直その時の印象は薄い。風狩ハヤテの後ろにいるおとなしいやつ、くらいの印象だ。
それでもハヤテやアンナとの戦いは見ているので、どうにも戦いの時の彼と、そうでない時の彼の印象が上手く噛み合わなかった――本当に同一人物か疑わしかったくらいだ。
「普段はもうちょいおとなしいクセに戦い始めるとネジがとんじまうのか? ――面白ェヤツだな……ッ!」
トキヤも歯を剥いて笑いながら、突きを繰り出す。
トキヤもずっとフユヒメと戦い続けてきた人生を送っている。
強敵との戦い、その愉悦はよく理解しているし――なによりも今がその時だ。
ジンヤは後方へ下がりつつ突きを弾いた。
受けに専念すれば決して防げない攻撃ではない。だがそれでは勝利に近づけない。
勝つためには、前に。
わかっていても容易く踏み出せない。
一度攻撃を食らっているが故の警戒や恐怖によって慎重にならざるを得ないからだ。
(相応の警戒はともかく――恐怖はねじ伏せろ! 怯えたままで勝てる相手じゃない……ッ!)
試合前の得体の知れない震えとはまた別種の恐怖。
だが、原因が明確ならば対処はその分楽ではある。
――槍。長大な間合いによって、こちらの斬撃が届かない位置から一方的に攻撃を加えてくる恐るべき武器だ。
しかし、そんなことはジンヤにとって今更だ。
アンナの大鎌。赫世アグニも槍を扱っていた。龍上ミヅキの野太刀とも渡り合った。
トキヤの厄介な点、それは穂先の形状を細かく切り替えてくること。
鎌槍だったかと思えば、通常の枝刃のない状態――直槍へと形状を戻してくる。
常に鎌槍であれば、横へ突き出た枝刃を狙って、刀で受けることも出来る。
あれは攻撃範囲を広げる代わりに『点』であることによる受けづらさを減じさせてはいるのだ。常に形状を変化させていくことで、攻撃に目が慣れることを防ぎ、さらに防ぎ方を絞らせないことで、直前まで形状変化を読まなければならず、心理的負荷がかかり、視線も穂先へ集中させなければならない。
いつものことだが、こうして戦況が膠着すればスタミナ面で不利なジンヤが負ける。
こういった場合も、ジンヤは先んじて打開策を講じなければならない。
では、その打開策とは何か?
《迅雷一閃》で槍を大きく弾き飛ばす?
――却下。
成功すれば肉薄する隙を作れるが、リスクはある。外した場合、こちらの隙が大きすぎる。それに仮に弾いたとしても、そのまま槍を手放して拳で迎撃されるかもしれない。
《迅雷/逆襲一閃》で技発動後の隙を潰せるが、あれはこちらから仕掛ける時でなければいけない。相手がいつ突いてくるかわからないのでは、撃発し、空薬莢を配置するタイミングが掴めない。
《疑似思考加速》により槍の軌道を見切る?
――却下。
それを使えば確実に槍の軌道は容易く見切れる。
が、今回に限れば相手はその技の本元だ。
同じように《ブレインアクセル》を発動された場合、こちらが軌道を見切って対処しても、その対処を見切られさらに変化を加えられてしまう。
ならば――。
ジンヤの中に、打開策が浮かんだ。
それはこの試合に向けて仕込んだ工夫の一つを使うもの。
今回、ジンヤは既にこれまでの試合と少しばかり変化した点を見せている。
それを、利用する。
「仕掛けてくるってツラだな」
「……さて、どうでしょう」
『自棄になって無策で突っ込んだ』、という演技でもした方がよかっただろうか。
いいや、どうせそんなことをしても見抜かれる。
多少何かあると読まれても、その上で通せる策でなければ。
果たしてこの思いつきがそのレベルに達しているかは定かではないが、それでもやるしかない。時間をかけていい程の魔力量など持ち合わせてはいない。
ジンヤは正眼に構え、前を踏みだした。
□
(……来るか)
近づいてくるジンヤに対し、トキヤは槍を構える。
形状はどうするか、どこを突くか。
相手の構えは中段――正眼か。刀を体の中心に、切っ先はこちらの喉元に向けられている。
他の構えに移行しやすく攻防隙のない基本の構えだ。
避けるのではなく、槍を弾くつもりだろう。
ならば防げる範囲が広くなる鎌槍ではなく、ここは直槍か。
ジンヤは直槍を対処する際、回避を選ぶのを忌避しているだろう。直槍の『点』の攻撃を回避しても、即座に鎌槍へ切り替えればいいからだ。
ならば最初から、形状関係なく弾くつもりでいけばいい、という判断だろう。
間違ってはいない。その場合、『どう弾くか』が重要になる。すぐに次撃が来るのを嫌って強く弾けば、勢いを利用して逆側の穂先で追撃する。
突きという『点』を見切り、なおかつ過度な力を込めず柔らかく弾く――そんな難題に応じることができるのか。
(――勝負……ッ!)
トキヤが突きを放つ直前――、ジンヤの構えが、変わった。
刀を振り上げ、中段から上段へ。どういうつもりだろうか。これで中段の時より狙える範囲が増えた。
もう少し削ってから勝負を決めようと思っていたが、ここで終わりに出来るかもしれない。
――心臓がガラ空きだ。
仮想戦闘術式下でも胸を突けば、心停止とはいかずとも、全身への魔力供給を止められる。心臓は魔術的に見ても、全身へ広がる魔力神経の始点となる重要な急所だ。
もしくは首か。仮想戦闘で首を切っても、意識を刈り取ることができる。
(ここは心臓か)
首よりも低い位置を狙う。首の場合、上段からでもセイバがやっていたように、柄頭による防御を使えば間に合うかもしれない。だが心臓ならば、その可能性も低いだろう。
(――終わりだ)
トキヤが正確無比な鋭い突きを放つ。
対しジンヤは、トキヤから見て左方向へステップしつつ、左肩を引いて回避を試みた。
中段から上段への構えの変化の意図は? 正眼によって『弾く』ことを意識させ、直槍を引き出すつもりだったのだろうか。
だとすれば甘い。
このタイミングからでも、鎌槍への変化は間に合う――!
直槍ならば回避できていた位置にあるジンヤの体を、鎌槍の刃が引き裂く――はずだったが、
――ぎッ、と金属を引っ掻いたような、ありえない異音がした。
そして、肉を裂いた感触がない。
心臓が取れないとわかった段階で仮想術式は外していた。ここは相手の肉を裂いてなければおかしいはずだが。
そのままくるりとジンヤの体が回転。
回転の勢いそのまま繰り出される刺突。どうにか身を捩るも回避しきれず、左肩を引き裂かれた。
「――《竜巻》!」
ハヤテが叫ぶ。
ジンヤが放った《翠竜寺流・攻勢/五式〝竜巻〟》が、トキヤを捉えた。
この試合初となるジンヤの攻撃が決まった瞬間だ。
「ぐ、ァ……ッ!」
痛みに呻きつつ、たまらずトキヤが後方へ跳ぶ。
(なんだ? なんだ今の感触……?)
今の手応えは――金属。
ジンヤが肉体を硬化させるような異能を持っているはずがない。
ならばどうして。
トキヤがジンヤの胸元へ視線をやると、その答えが顔を覗かせていた。
□
「……まだ仕込んでやがったか」
「ええ……これで使い物にならなくなりましたが」
ジンヤがブレザーの内に仕込んでいた三本の棒手裏剣を足元へ投げ捨てた。棒手裏剣は中程から折れてしまっている。
ジンヤはこれまで棒手裏剣を一度の試合に二本のみ持ち込んでいた。あまり多く持っていても使う機会はなく、それなのに動きを阻害してしまうので二本で充分だったのだが、今回に限りある狙いのために、いつもより多く必要だった。
――それが意外な形で役に立った。
□
(最初に一本、次に二本外して、その次に二本。今捨てたのが……折れててわかりにくいが、三本か。合計八本。最初の状態なら結構な重量だったんじゃねえのか……?)
そう考えると、残弾は少ないはずだが。
ジンヤはなにやら手元を隠してブレザーの内側になにかを仕込む動作をしている。
ブラフだろうか。だが、そうでなかった場合、また胸元を狙うと棒手裏剣に阻まれる恐れがある。
「上手いこと狙いを誘導されたか……やるな」
「こういう小賢しさがなくちゃ戦えないもので」
最初の中段、そして上段への変化。あれら全ては、棒手裏剣で守った胸元への攻撃誘導。そして胸元を突いた時、棒手裏剣に阻まれつつ、突きのエネルギーを利用して回転し次撃へと繋げた。
一つ一つは小さな工夫だが、その積み重ねが今自身につけられた傷となっている。
わかっていたことだが――やはり刃堂ジンヤは強い。
温存できていた『槍』という手札で、彼相手に体術で有利に進めることが出来ていたが、さすがの対応力だ。
が、棒手裏剣での防御にも残弾の限度があるだろう。
もう少しこのまま攻めてみるか、それともここで別の手札を出すか。
槍を攻略され、ダメージを負ったにも関わらずトキヤは未だ冷静だった。余裕があると言っていい――なぜなら彼には《リワインド》があるからだ。あれがある限り、ダメージは一度だけ全てリセットできる。
そして、《リワインド》の前にできる限り戦いを引き伸ばして、ジンヤの動きを見ておけばそれだけ有利になっていく。
彼の手札を見るために使ったこちらの手札――それらの記憶は、全て一度リセットされ、こちらは記憶を保持し、ジンヤだけが初見の状態で戦わなければならなくなる。
夜天セイバには通じなかったが、ジンヤに『巻き戻し』を防ぐ術など絶対にない。
発動さえできれば、圧倒的にこちらが有利。
肝に銘じておかねばならないのは、《リワインド》があるからと言って油断してはならないということ。
ジンヤの手札を多く見るために戦いを続けていく中で、《リワインド》の前に倒されてしまっては目も当てられない。
今受けている左肩のダメージにも注意しておかねばならない。これ一つでは致命にならずとも、このダメージによって動きが鈍り、致命の一撃へ繋げられるかもしれない。
ダメージリセットの手段があるとは言え、引き際は重要だ。
この時点で『槍は初見なら有効』という情報は得ているし、左肩のダメージを回復できるというメリットもある――ここで《開幕》をして《リワインド》に繋げるのも有りだが、その場合はジンヤへ与えた二箇所のダメージも回復してしまう。
それを考えると、《開幕》の発動は、もう一度くらいダメージを受けてでも何か使える情報を得てからにしておきたい。
展開次第では、《開幕》を使いつつ、《リワインド》せずに攻めるという手もあり得る。
この場合は、ジンヤのダメージもリセットしてしまうのを防ぎ、《開幕》で引き上げた攻撃力で一気に決着をつけるというわけだ。
次の攻めでジンヤにさらなるダメージを与えられたのなら、そちらを選ぶかもしれない。
――いずれにせよ、《開幕》前に有利を取れた時点で、この勝負はトキヤにかなり有利と言えるだろう。
トキヤとしては、序盤の剣戟ではジンヤに一方的にやられ、逃げるように《開幕》というパターンも想定していた。《開幕》に持ち込みさえすれば、まず間違いなくこちらが有利。
しかしその場合、《リワインド》後に有用な情報が得られない。
《リワインド》抜きの《開幕》後の能力だけでも倒せる自信はあるが、それでも相手はあの刃堂ジンヤだ。
《開幕》を使った屍蝋アンナの猛攻にすら耐えたのを、トキヤは見ている。
彼はいつだって、誰もが諦めるような逆境を斬り裂いてここに立っている。
そんな相手に対し、希望的観測を差し挟むことはあり得ない。
夜天セイバを相手にする時と同じだ。
徹底的に相手のことを考え抜き。
これ以上はないだろうというところまで想定し。
それでも一歩先を行かれる可能性を捨てずに臨む。
ここまで考えて、トキヤはジンヤに奇妙な想いを抱いた。
彼は《開幕》を使えない――はずだ。
あの忌々しい女――罪桐キルの言うことを信じるのは癪だが、実際にジンヤはアンナの《開幕》に対して、《開幕》で対応していなかった。
二回戦でのトキヤ対セイバ、ゼキ対セイハを見れば分かる通り、相手の《開幕》に《開幕》で対応するのは、その領域にいる者達にとっては常識となる、当たり前の戦法だ。
そんな当たり前すら、彼には許されていないのだろうか。
だとすれば、それはあまりにも残酷で――。
だが、トキヤは僅かに滲む憐憫を握りつぶして、別種の想いを抱く。
――――憐憫ではなく、尊敬を。
トキヤも自分が恵まれた方だとは思っていない。
フユヒメの方が、ゼキの方が、セイハの方が。そうやって周囲を羨んだことは数え切れない程ある。
自分は《時間》という強力な異能を使いこなせているとは言えない。
そんな不完全な自分よりもなお圧倒的に非才でありながら、それでもここまで来たジンヤが、一体どれ程の辛酸を嘗めてきたか。
そんな彼を馬鹿にしたあの女――罪桐キルは、本当に許しがたい。
自分が世界を救うだとか、ジンヤが世界を救えないだとか、そんなことは心底どうでもいい。
――――今はただ、あの尊敬すべき騎士に勝ちたい。
負けられない理由は多々あるが、なによりもその想いを以て剣を握りたい。
この勝負は、汚させない。
今のところ、《係数》とやらがなにか作用しているのかどうかはわからないが、このままキルの邪魔が入る前に決着をつける。
『圧倒的に勝つ』、などと思ったのはつくづく彼に失礼だった。彼と己の間に、そのような隔絶した差はない。
それでも、このまま邪魔が入ってくれるなと願いつつ――
「――さて、こいつならどうだ」
――トキヤが次の攻撃を仕掛けた。
□
『おや? ここで黒宮選手が構えを変えた! 槍をだらりと下げたまま刃堂選手へ近づいていく! 一見隙だらけに見えますが、どのような意図があるのでしょうか!』
桃瀬の声音に疑問の色が。
「なにあれ……ハヤテの無構えの仲間?」
無構え――《凪の構え》の際のだらりと刀を下げてしまう構えのことだ。
「どうだろうな……オレのやつは相手がどういう出方でも対応できるようにあえて構えないんだが、少し違う気がするな」
アンナの疑問に、ハヤテが答える。
トキヤは接近するにつれて、槍を腰の辺りまで掲げた。
これで完全な無構えではなくなった。
構えもそうだが、そもそもトキヤの方から近づいているのも奇妙だ。
槍の長大なリーチを活かし、そこへ踏み込んできたものに容赦なく刺突を浴びせる。
トキヤはここまで『待ち』主体の戦い方だったように思える。実際、今の戦況ではそれで構わなかったのだ。
ダメージが多いのはジンヤ。
スタミナがないのもジンヤ。
戦いが長引き不利になるのがジンヤである以上、常に仕掛けていたのはジンヤからだ。
ハヤテは思考する。
(トキヤ先輩の方から攻める理由。隙だらけに見えるが……あの構えにも意図があるとすれば……)
ジンヤならば自分よりも早く、確実に答えにたどり着いているはずだ。
ならば既に応手も決まっているはず。
「アンナちゃん。あの構えの隙はどこだと思うよ?」
「上のほう……じょーだん?」
「そう、上段。頭上がガラ空きだな。つまりは?」
親友ならどう説明するかを考えながら、ハヤテは答えを促す。アンナならばすぐに気づくだろう。
「そっか。腰のあたりに槍を下げてるのは『釣り』だね……って、ああっ!」
アンナが不安気な声を漏らした。
なぜならジンヤが今まさに、その『釣り』である上段に打ち込んだからだ。
□
(かかってくれたか)
上段へ打ち込んできたジンヤ。
ハヤテが読んでいた通り、上段に作った隙はそこへ攻撃を誘い込むためのもの。
ここからの受け、そして反撃の流れは完璧に決まっている――だが、
「げ、はァ……ッッ!」
突如トキヤの腹部に激痛。
苦悶の声を発しながら後方へ弾き飛ばされ、背中からリングへ叩きつけられる。
『強烈な蹴りが入ったァ! 刃堂選手、上段からの振り下ろしに対し、黒宮選手が即座に対応して槍を掲げた瞬間、空いた腹部を容赦なく蹴り飛ばした!』
「柳生新陰流九箇の太刀『捷径』……いや、十兵衛杖『速死一本』の方ですよね」
「……チッ、そりゃまあ、その手のことはお前のが詳しいだろうな」
十兵衛杖。柳生十兵衛の考案した杖術だ。
あえて頭上を空けて隙を作ったまま近づく『誘い』――ジンヤの言った通り、この杖術の中には、柳生新陰流の剣術と同様の技法があるのだ。
トキヤは両剣を扱うため、剣術だけでなく槍術、棒術、棍術、杖術の動きも取り入れている。
だからこそ、その技を使ってくることが読めた。
トキヤとしては、ジンヤが技の詳細を知っていることは織り込み済み。あのまま頭部を打てば、すぐに下げていた槍を掲げて受け、即座に槍を回転させ太刀を落とすと、同時に突きを放つ。
技が決まればそれで良し。ジンヤが『誘い』を読んだ上で乗ってきた場合にもいくつか対応策があった。例えばあえて上段を打って、その後のこちらの突きに対しなんらかのアクションを起こしてくる場合。
技を知っている以上、最後にこちらが突いてくることはわかっているはず。そこで『突き』と見せかけて、槍を即座に両剣に変化させ切り払う、などがトキヤの狙いだったのだが。
『誘いに乗ると見せかける』までは読めたが、トキヤの仕掛けが作動するポイントより遥か前で、ジンヤは『蹴り』という変化を加えてきた。
「やっぱ近接でのやり取りじゃそっちが上手だな。ああいいぜ、そこは認める……だがな、剣戟に勝ったとしても、それで勝負が終わりじゃないのはお前もよくわかってるよな?」
蹴り飛ばされ距離が開いた状態。
ここが使い所だと、トキヤは切り札に手を伸ばす。
「――――《開幕》――――」
「――――《紅蓮繚乱・凍刻紅刃》――――」
□
「……ここからですね」
ユウヒが静かに呟いた。
ついにトキヤが《開幕》を発動させた。
ジンヤは《主人公》を打ち破ることができるのか?
その答えが、明らかになる。
□
「さーて、やっとだね……きひ、きひひひ……さあ、ジンヤくん、最高の絶望を見せてよ。
それから、その後はずっとアタシと――……」
いよいよ勝負は大詰め。
キルの仕掛けが作動する時が近づいていた。
□
「――ここからが勝負だな……」
一層気を引き締めるジンヤ。
この試合の前に行った修行の結果だが、結論から言えば――彼はとうとう、《開幕》を習得することができなかった。
ユウヒやオロチの協力を無駄にしてしまったことは申し訳ないとは思っている。
だが、ジンヤに《開幕》が使えないこと自体への文句はない。
――ないものねだりはしない。それが彼の決めた生き方だ。
どこまでいっても、刃堂ジンヤは《主人公》ではないのだろうか。
《英雄係数》。その謎多き法則は、ジンヤにとっては敵でしかないのだろうか。
その法則は、自然発生した世界の意志なのか。それとも、どこかの誰か――この場合、そんなことが出来る存在は神とでも言えばいいのだろうか。その者が作り出したのか。
その答えを知る由は、ジンヤには一切ない。
だが――世界の意志にせよ、神にせよ、何も与えてくれないというのならば文句はない。
そんなことはただの、何時も通り。
既に仕掛けた策もある。この時のために会得するために努力してきた、まだ披露していない新たな技だってある。
才能もなく、都合のいい補正もなく――それでもこの身には、積み重ねたモノが確かにある。




