第25話 今がその〝もしも〟で
――――「オレは並行世界において、雪白フユヒメを殺している」
――――「そしてこのままだと、雪白フユヒメはこの世界でも死ぬことになる」
□
突然告げられた衝撃的な事実。
それに対し、フユヒメは得体の知れない感覚を抱いた。
彼女には『このままだと死ぬ』などと告げられた経験などない以上、通常通りでいられるはずもないが――そうではない。
フユヒメがおかしいと思った点――それは、自分がその衝撃的である事実に対し、大きな動揺をしていないということだ。
レヒトという人物についてはトキヤから聞かされていたし、《主人公》や《英雄係数》、《並行世界》といったものについても同様だ。
だが、たった今告げられたことについては初耳だった。
異常な感覚。自分が死ぬ――そんなこと、容易く受け入れられる訳がないのに。
初対面であるはずの相手も。自分が死ぬという事実も。ずっと前から知っているような、そんな感覚――
「なに、これ……?」
「……フユヒメ、それ以上考えるな」
「彼の言う通りだ。現段階では不必要な重荷を抱えることになる」
涼しげな顔で言うレヒトを、トキヤは睨みつけた。
「……テメェがふざけたこと抜かすせいだろうが。これも《主人公》とやらの力のせいか?」
「ああ、《共鳴》の兆候だろうな。《並行世界》のものとはいえ、自身の死を見るというのは気分がいいものではない」
「だったらなんでこんなこと言い出したんだよテメェは!?」
「その死が、今この世界で現実になることはお前だって避けたいだろう?」
「……どういうことだ?」
「安心しろ、急かさずとも説明してやる。徒に他者を苦しめる趣味など俺にはない」
フユヒメに、《並行世界》での自身の死を見せるのが目的という訳ではないのだろう。
いくらレヒトの態度が気に食わないとはいえ、彼は以前こらちに有益になる助言をしてきた。
トキヤは相手を睨んだまま、話を進めることを促す。
「《並行世界》において起きた事象が、別の並行世界でも再現されやすいということは理解しているな?」
「……オレがテメェにやたらムカつくのも、《並行世界》で出来た《因果》ってやつが関係あんだろ?」
「だろうな。そして《並行世界》からの影響を受けるのは人と人の関係性のみではない。その者の人生において重要な事象――例えば『死』というものは、異なる世界であっても、魂が同一ならば似たものになりやすい……言うならば、魂に刻まれた死因。それはある種、その者の在り方を示すものでもある」
「……ねえ、ヴェルナーさん」
そこでフユヒメが口を開いた。
レヒトが僅かに目を見開く。彼女からそんな呼ばれ方をするのは奇妙な感覚だった。
彼女が己を呼ぶ際には、もっと敵意と憎悪が滲んでいるのが相応なはずという感覚が、彼にはある。
「アナタは私を殺したと言うけれど、それって何があったのかしら……いえ、そうじゃないわね。……そうね――《並行世界》で、私はどうやって死んだのかしら?」
問うべきことを吟味しつつ、彼女はレヒトへそう問いかけた。
「……それは……、」
ここまで常に淀みなく言葉を紡いできたレヒトに躊躇いが見えた。
トキヤはその様子に驚く。
いきなり『お前は死ぬ』などと告げてくるやつだ。
相当な無神経か、命をなんとも思わないような冷酷なやつか。未だ彼の人となりなどよくわかっていないが、とにかく大抵のことでは微塵も動じないと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「……それは俺が告げることではないな。いいや、必要がない。なぜならお前は、誰に告げられずとも、その時が来れば必ず同じことをするからだ。……だからこそ、先に忠告が必要になる。お前に早々に死なれては困るのでな」
「また意味深なことを。死なれて困る? なんでお前が困るんだ? 《並行世界》で殺したとか言っといてよ……、本当にわけわかんねえ野郎だな」
トキヤが悪態をつくと、レヒトの横の女性――ルピアーネが殺意に満ちた視線を向けてくる。
「……このガキ、黙って聞いていればレヒト様になんて口を……っ!」
「構わん。黒宮が訝しむのも当然だろう。今の込み入った事情を考えれば仕方のないことだ」
「……っ」
レヒトに窘められ殺意を抑え込むルピアーネ。
「全てを事細かに説明できないのはこちらもすまないとは思っている。そうできない事情や、俺の個人的な信条の問題があってな……だが、お前が信じるかは別として、俺にお前を害する意図はない。……それを信用してもらうために、必要な手順は踏んでいるつもりだ」
信用のために必要な手順。
レヒトの言いたいことは、トキヤにもわかっていた。
確かに彼は、以前の忠告において、トキヤ達に有利になる情報を与えていた。
《主人公》や《因果》といった、《ガーディアンズ》で機密とされている情報を、悪ふざけで教えることはないだろう。
「……なら今回のことにも意味があるんだよな?」
「繰り返すが、全てを話すことはできない……それでもお前に必要なことは出来る限り話す。……まず、雪白が死ぬことになると言ったが、当然この世界において俺は雪白を殺害するつもりはない。以前の《並行世界》とは大きく事情が違うのでな」
「じゃあ誰がそんなことするんだよ?」
「この場合、『誰か』というのは必ずしも重要ではない。どういう過程を辿ろうが、同じ結果に行き着く。だが、それを回避する方法がある――それがお前だ、黒宮」
「……ああ?」
「この先、確実にお前達を死に追いやるような災厄が降りかかる。それに備えて強くなれ。具体的には、この大会で優勝できる程にな。結局のところ、言いたいことは以前と変わらん。勝ち上がって、俺と戦え」
「……ハッ、ンだよ、同じこと言いに来たのか? ホントにわけわかんねーな。まあよくわかんねーが、お前はとにかくオレにやる気を出してもらわねえと困るわけだ? なら心配いらねーよ」
心底うんざりしたように言った後、トキヤの表情が切り替わる。
真剣な面持ちで、レヒトに向かって言い放つ。
「ごちゃごちゃ言われねえでもオレは最初から優勝するつもりだ。フユヒメを守るだとかな、そんなことは当たり前なんだよ。大昔から決めてたことだ」
すると横にいたフユヒメの頬が赤く染まった。
エコがそれを見てなにやらニヤニヤしている。
トキヤは肘でフユヒメをつつきながら、
「なに照れてんだよ、真面目な話してんだよ」
「……う、うっさいわね、アンタこそなにいきなり変なこと言い出すのよ」
フユヒメも仕返しとばかりにトキヤを肘でつつく。
いきなり『お前は死ぬ』などと言われて混乱でぐちゃぐちゃなところに不意打ちだった。
普段トキヤがフユヒメに言うことは『暴力女』だの『洗濯板』だと、およろろくなことではないというのに、こういう時に平然と恥ずかしいことを言ってのけるのが。そういうところに、フユヒメはとても腹が立つ。
「痛っ、なんで鳩尾なんだよてめえこの……」
トキヤもさらに仕返しをしようとしたところで、ルピアーネが大きな咳払いをし、ビキビキと音がしてきそうな顔でこちらを睨んでいた。
言葉がなくとも言いたいことは伝わってきた。
『なにレヒト様の話の最中にイチャついてんのよ死にたいのかこのクソガキども』だ。
「……っつーか、厳密にはタメだから『ガキ』とか言われる筋合いねえんだよな……」
「……アァ?」
ルピアーネから、本当に彼女から発せられているのか信じられないような声が飛んできた。
「……そろそろ話は終わるが、続けていいか?」
「……ああ」
レヒトの言葉に頷くトキヤ。
「……とにかく、今回はお前から自信に満ちた言葉が聞ければ充分だ。……面倒をかけてすまないな。今は厄介なヤツが出てきて少し状況が変わった。保険をかけなければいけなくなったのだ」
「……厄介なヤツ?」
「――罪桐キル。お前も兄のことなら知っているだろう。ヤツは何をしでかすかわからないからな、警戒だけはしておけ」
罪桐の名は、トキヤにも多少因縁がある。罪桐ユウ。トキヤは以前、その少年に敗北している。その妹が何か仕掛けてくるとなれば、レヒトが何かを警戒しているのも納得がいった。
「わかったよ。っつーかテメェ、散々人にごちゃごちゃ言っといて負けんじゃねえぞ? ここまで楽勝だったみてえだが、ユウヒ相手じゃそうはいかねえだろ」
「……ああ。お前もな。わかっていると思うが、刃堂ジンヤを見くびらない方がいい」
「……? お前、刃堂のことなんか知ってるのか?」
「少しな。これも今は告げるつもりはない」
「またそれか。ま、とりあえずは感謝しておく。ムカつくし意味わかんねーが敵じゃないってのはわかるからな。……んじゃ、次こそは――また、決勝でな」
「――ああ、決勝で」
そう言って、トキヤ達は呼び出された喫茶店を後にした。
□
「……レヒト様、少し彼らに甘くはありませんか?」
「……そうか? 確かに以前の俺と比べれば、今の俺は大きく異なるかもしれんが……、まずいだろうか?」
「……い、いえ、決してそんなことは……!」
大真面目な顔でそんなことを問われれば、ルピアーネも困ってしまう。
ルピアーネの記憶の中にある、《並行世界》のレヒト。置かれている世界の状況のせいもあるが、そちらのレヒトは今よりもずっと冷たく鋭い、常に刃のごとき剣呑さを纏っている男だった。
今のレヒトもほとんどの場合はそのような冷たい印象ではあるものの、時折以前の彼にはない表情を見せる時がある。
ルピアーネが仕えると決めているのは、当然今のレヒトだ。無論、それは《並行世界》での縁も動機に含まれるが、それがなくともこの忠誠は微塵も揺るがない。
『今の少しだけ隙があるところも素敵です』だとか、思ったことをそのまま口にするのは、彼女の忠誠からすればあり得ないことなのだ。
□
その後、ルピアーネを先に帰るよう促し、一人残ったレヒト。
彼はずっと考えていた。
これでよかったのだろうか、と。
キルが何を仕掛けてくるのかは、完全には読めない。打てる対策はしたが、これで十全だろうか。そもそも対策自体は間違っていないだろうか。
そして、そもそもの今の状況。
彼はもはや一学生程度が持つ実力はとうに超えている。だがそれ以上に、彼の立場はあまりにも異常だった。
――世界。
そんなあまりに大きなものが、個人の双肩にかかる異常。それをいずれトキヤにも背負わせる時が来てしまう。
それに、フユヒメのこともある。
確かに《並行世界》の彼は、フユヒメを殺した。そしてそのことに後悔を挟まず、誇りとしていた。それは理解できる。別世界のものであろうと、自身の誇りを汚すつもりはない。
――だが、今のレヒトは同時に知っていた。
どれだけ後悔しないと誓っていようが、かつてのレヒトはずっとその胸に彼女のことが突き刺さっていた。
かつてのトキヤのことを、ずっと見てきたからだ。何度もぶつかり合い、何度も共に戦った。
奇妙な絆すら感じていた。
出会った時こそ敵だったが、最後には共に世界を救った間柄だ。だが、かつてのトキヤとレヒトは、とうとう最後まで一切馴れ合うことはなかった。
二人とも、それでいいと思っていた。
それが当然の関係だった。
だが、一度もこう思わなかったとは、断言できない。
――もしも、出会い方が、少しでも違えば。
そんなくだらない夢想に、彼らは浸っていなかったかもしれないが。
それでも。
今のレヒトには、理解できてしまうのだ。
――その少しでも違ったもしもの出会い方が、今なのだと。
だからと言って、必要以上に馴れ合うつもりはない。だが、彼らと敵対以外の関係を結ぶことに対して、奇妙な感慨があるのも事実だ。
同時に、どこかおぞましいものも感じてしまう。
彼女を――雪白フユヒメを見る度、鮮血の記憶が明瞭に蘇る。トキヤの慟哭が、憎悪が、互いに殺意をぶつけた感覚が。
そういった《並行世界》の記憶を持つ者特有の苦しみを味わいながらも、部下やトキヤ達の前では平静を演じきって見せた。
――あと少しだ……あと少しで、俺はもう一度、ヤツと……。
三回戦。そして準決勝。あと二つ勝てば、求め続けた戦いに手が届く。
彼と殺意以外で刃を交える。
その時を思う度に、レヒトの中では世界を超えた奇妙な闘志が燃え上がる。
□
その夜。
トキヤは最後の調整のため、ホテルの自室を出て、武装形態の魂装者を振るっていた。
そこへ人影が一つ。
「こーんばーんはー、黒宮せーんぱいっ!」
真っ黒い長い髪、綺麗に切りそろえられた前髪、不気味に光る赤い瞳。
名乗られずとも、トキヤにはわかった。
「……テメェか、あいつの妹ってのは」
「あーれー? え~? 誰ですかあいつって?」
「とぼけんなよ。テメェが罪桐キルだろ?」
「やーだーこわーい、正解でーす。でもなんで~~~~?」
「そのドブみたいな目とウゼェ喋り方すぐわかるよ。レヒトに言われねえでもわかっただろうな」
「きひひ、そーですか、じゃあ自己紹介はいらないですね……さっそく本題いっちゃいますけどー、黒宮センパイ、レヒト・ヴェルナーのめんどくさ~~~い回りくど~~~い話の答え、聞きたくないですか?」
「あぁ?」
「あいつがぼかしてたことがなんなのか、教えてあげるって言ってるんですよ?」
「……どういうつもりだ?」
「別にぃ~? ただの親切ですよぉ~? だってあいつ、どうせなんかめんどくさーい話し方してたんでしょう? だから《係数》の変化もすごい半端だし~?」
――――あいつが繊細に組み上げてる積み木細工を蹴っ飛ばしてやろうかなあって……。
トキヤには聞こえない声で小さくそう漏らしたキル。
「まずどうしてあいつが黒宮センパイに拘るのか。超簡単なんですけど、センパイって別の世界で、その世界救ってるんですよね、すごーい、超主人公~やばすぎー。
で、その世界ってもう滅ぼされちゃったんですけどー」
「…………は?」
唐突に告げられた言葉に、頭が追いつかない。
世界を救った? その世界は滅んだ?
「《終末赫世騎士団》については? あのカス――罪桐ユウみたいなのがいっぱいいるって言えばわかりますよね?
その中で一番強い、ちょー強いアーダルベルトって人が、ちょっと世界滅ぼすのダイスキ! ってやべーやつで、どんどこ世界を滅ぼしちゃってるんですね。
で、その中に黒宮センパイの世界も含まれてるってワケでーす。
レヒト・ヴェルナーは、その滅んだ世界を救うために、黒宮センパイを強くしなきゃいけないってワケ。
っあ~~~~~、人が必死に慎重に秘密にしてたことぶちまけるのって、ネタバレって気持ちいいぃ~~~~!」
「…………、」
トキヤが呆気にとられていると、キルが端末を操作してホロウィンドウを開いた。
そこには今話したことが妙なドット絵で図解されている。
『あーだるべると ちょーつよい 世界滅ぼすのがだいすき!』
『トキヤとレヒトの《並行世界》 滅んだ(笑)』
『レヒトは世界を救おうとしている』
腹立たしいが、妙に頭に入ってくる。レヒトと出会った時と同じだ。自分はそれらのことについて、ある程度知っていたかのような感覚。
「たぶんあいつ、信条だとかなんとか言ってたと思うんですけどぉー、無理やり《係数》を引き上げたら、黒宮センパイの精神がヤバいかもー? とか、刃堂ジンヤに対して不公平すぎで卑怯じゃないー? とか、ごちゃごちゃ考えてたと思うんですよね、まあそういうの今全部無駄になったんだけど笑」
きひひ、と笑いながら、キルは語り続ける。
まるで脳髄に直接衝撃を叩き込むかのような言葉が、次々と羅列されていく。
「あーとーはぁ~~~、黒宮エコの正体とか、雪白フユヒメの親を殺したヤツの正体とかあ、センパイの親を殺したヤツの正体とか~~、いろいろありますけど、どれから聞きます~?」
「ライトアウ――」
「トー? おっとぉー、ここで《開幕》はヤバくないですか? 明日試合ですよね? そりゃしっかり寝れば魔力回復するとは思いますけど、ちゃんと万全になります? 少しでも消耗した状態でジンヤくんに勝てるんですかぁ~~~??」
さすがの狡猾さだった。
ずっとこのタイミングを――、反撃することなどできない時を見計らっていたのだろう。
「それじゃ、そんな感じでーす! センパイ、頑張ってくださいね! 世界を救うために! 世界とか背負ってないモブをサクッと潰しちゃってくださいね、応援してまーす! きひ、きひひひ、きひゃひゃ、斬夜破破破破破破破ッ!」
不愉快な笑い声を夜の闇へ響かせながら、少女は姿を消した。
「……クソ野郎がッ!」
苛立ちのまま付近の木を殴りつける。
それにより木の葉が舞い落ちる間に、苦い顔で突然の事態を咀嚼していた。
キルの目的。
全て推し量ることはできないが、一つはレヒトへの嫌がらせなのだろう。
レヒトがこちらのことを考えて小出しにしていた情報を一気に叩きつけてくる。
それでこちらを動揺させたかったのだろうか?
だとすれば失敗だ。
トキヤとしては、今更どれだけ衝撃的な事実を告げられようが知ったことではないのだ。
世界を救う? 世界が滅んだ? そんなことは今更だ。フユヒメと共に戦い、エコを守ると誓った時から、それくらいのことは覚悟している。
トキヤが許せない部分はそこではない。
彼が何に対して怒りを抱いたか。
それは――
――『刃堂ジンヤに対して不公平すぎで卑怯じゃないー?』
トキヤへ重要な事柄を伝え、《係数》とやらを引き上げる。
「……オレの勝負を、汚してんじゃねえぞ……」
もしも、だ。
もしもトキヤが勝ったとして、それが《係数》のおかげ――つまりは、あの忌々しい女が好き勝手に話したことが決め手なのだとしたら、そんな勝利はトキヤは誇ることができない。
「……関係ねえよ、テメェがやったことなんかなんの意味もねえ」
トキヤは誓う。
――圧倒的に勝つ。
キルのしたことなど、一切勝敗に関係ないと明瞭に示すために。そんなことをせずとも、最初から自分は勝ち上がるはずだったと確信できる勝ち方で、刃堂ジンヤを倒す。
そうしなければ、レヒトのこれまでの努力が無駄になる。そして、胸を張ってレヒトに向き合えない。
自身の戦いを、あんな下らない女に汚されることなど、断じて許してはならない。
トキヤの胸に灯る決意の炎。
そして夜が更けていき――決戦の日が訪れた。




