第18話 ■■■■■■■
ベスト16。
それが爛漫院オウカの最終成績。
風祭マツリの現役時代の成績、ベスト8には――――届かなかった。
「……う、うう、ぐ……あ、ぐ……え、…………うう…………」
ぼろぼろと、大粒の涙が溢れてきた。
「ああああああ…………あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ………………っっっっっ!!」
止まらない。
ベッドの上で、オウカは泣き叫んだ。
「…………頑張ったね」
声――そこにいたのは。
「……う、ぐっ……、なんで、あなたが…………」
風祭マツリ。
誰よりにも憧れて、誰よりも憎んだ人だった。
「……ねえ、オウカちゃん。ちょっとお話しようか」
そう言って、彼女と向かったのは――……。
□
マツリが向かったのは、競技場から少し歩いたところにある公園。
「――……あ、」
そこはオウカにとって特別な場所だったが、それをマツリが知る由もない。
偶然だろう。
彼女には、この想いは知られたくない。
だからオウカは、この場所が自分にとって特別であることを隠そうと、動揺を押し殺した。
オウカの動揺は、さらに激しくなる。
マツリが向かう先。
そこは。
その場所は。
どうして、そのベンチに――。
「……座ろっか」
そうして、二人はそのベンチに腰掛けた。
心臓が高鳴る。
偶然、なのだろうか。
肩を並べて、ベンチに座る。
胸が高鳴るのは、『偶然』のせいだけではないかもしれない。
あの風祭マツリと、よりもよってあのベンチで並んで座っている。
それはオウカにとって、余人に及ばぬ複雑な想いを抱かせる。
憎い。憎い。嫌いなはずなのに。それでも、この人の近くにいることに、なにも感じないなどということはない。
「…………わたしね、ここで救われたことがあるんだ」
「……え?」
「もういろいろ嫌になっちゃったなー……って思った時にね、ここにいた女の子を見て、でも、まだまだ頑張らないとなあって、元気をもらったことがあるの」
――――まさか。
気づいて、いるのだろうか。
全てわかっている上で、そんな話をしているのだろうか。
いいや、待て、ちょっと待て。
――――救われた?
「……あの、先生?」
「……ねえ、オウカちゃん」
マツリは。
「……あの時、ライブ見に来てくれて、ありがとうね」
ぼろぼろと泣きながら、そんなことを、口にした。
「……あの時。夕暮れの公園で、わたしの歌を一生懸命歌ってくれてて、ありがとうね」
知っていたのだ、全部全部、彼女は気づいていた。
「…………アイドル、やめちゃって……ごめんね」
「…………そんな、の……」
その言葉で、オウカの中で、何かが決壊した。
「……そんなこと、今さら言われたって……しょうがないじゃないですか……」
気づいていたのか。
だったら、どうして黙っていたのだ。
いいや、そんなことはどうでもいい。
それよりも。
「なんでやめたんですかッ! なんで、なんで私の前からいなくなったんですか……ッ!?
今更遅いですよ! あなたがいなくなって……私は、悲しくて、悲しくて、どうしようもなくて、苦しくて……せっかく……せっかく、一生かけて追いかけようって思える人を見つけたのに! あなたがいなくなって! 私は、もうどうしたらいいかわからなくて……ッ!」
溢れ出る。
ずっと我慢していた言葉が。
予定とは違うが。
結局、バレていたのならいいだろう。
今ここで、抱えていた言葉を全てぶつける。
思い描いていた復讐とはかけ離れている。
結局自分は、無様に負けた。
未だにマツリを超えられていないのだから、納得のいく復讐にはならない。
ただの八つ当たり。
最悪だ。
それでも、言葉は止まらなかった。
「私にはあなたしかいなかったんですよ!! 私には、なんにもなかったから……! あなたは私の全部だったのに……なのに! なんで……ッ! どうしてあなたは、逃げたんですか! あんな中途半端に! なんで教師なんですか!? それはアイドルより大切なことだったんですか!?」
「…………うん。……いや、『より』ってことはないかな。でも、同じくらい大切だったよ」
「……どうして、ですか……」
「……全部話すよ。風祭マツリってアイドルが消えた理由を、オウカちゃんにも知っていて欲しいから」
□
――風祭マツリはアイドルが嫌いだった。
いいや、嫌いになってしまっていた。
勿論、最初は好きで始めたことだ。
だが、続けていれば嫌になることもある。
楽しいことばかりではない。人気が出れば、嫉妬で嫌なことを言ってくる相手もいる。ネットで嫌なことを書かれることもあれば、直接嫌味を言われることもある。変なファンもいる。事務所に自分の意志にそぐわない仕事をさせられることもある。
だが、結局はある程度の運と、適正だと思う。
自分は運も適正も、少し足りていないかもしれない。
そして、それよりも大きい理由がもう一つ。
マツリは、迷っていたのだ。
彼女は既にアイドルとして売れ始めていたが、一生そちらの道で食べていく決意はできていなかった。
なんとなく、どこかで満足して、別の道を選ぶこともあるかもしれないと、そんな漠然とした予感があった。
それに――別に進みたい道も、彼女の中では決まっていたのだ。
それが、教師という道。
マツリは昔から子供が好きだった。誰かに何かを教えることも好きだし、誰かを応援することも好きだ。
少しアイドルと共通する部分もある。
イベントで子供と触れ合うのは楽しかったし、ファンの人が自分の歌に背中を押されたと言ってくれることは本当に嬉しい。
なんとなく、先にアイドルになってしまったから。
このままずるずるとアイドルをやっていくのだろうか。
それともどこかでやめてしまって、教師を目指すのだろうか。
揺れている。
今は少し、教師に傾いているだろうか。
マツリは自分の悩みを誰にも相談できないでいた。
なぜなら彼女は今、人気が出始めているところなのだ。
やめたいです――なんて、言えるはずがない。
だが、そうして抱え込んでしまっていることに、気づいてくれる人がいた。
□
「……マツリくん、最近調子悪い?」
黒縁のメガネ。いつも優しそうな表情――実際、見た目通りいつも優しいスーツ姿の男性。
彼はマネージャーの蔓見。
マツリは彼のことを、とても信頼していた。
彼がいなければ、もっと早くさっさとアイドルをやめてしまっていたかもしれない。
彼になら、打ち明けてもいいだろうか。
少し遠回しに、探ってみようと思った。
「……蔓見さん、夢ってありますか?」
「アイドルのマネージャー以外で?」
「以外で。……あはは、夢、叶ってるんですね」
「もちろん。僕はこの仕事、大好きだからね。そうだなあ……でもしいて言えば、学校の先生にもなりたかったかな」
「……え、そうだったんですか?」
知らなかった。
嬉しい偶然かもしれない。
彼になら、相談できるかもしれない。
「うん。でも、マネージャーもちょっと似てるかな。君たちの成長を見守れるのって、先生みたいだよね」
「……確かに、そうかもしれないですね」
やっぱり、相談するのは少し後にしてもいいかもしれない。
似たようなことを考えていたから。
似ていると、確かにそう思ったから。
それならば――自分ももう少しアイドルをやっていてもいいかもしれない。
教師にしても、アイドルにしても。
誰かを応援するということに、代わりはないのだから。
□
――――そんな時、事件は起きた。
事務所からマツリと蔓見が出る時――刃物を持った男が、マツリへ襲いかかる。
いち早く気づいた蔓見が盾になり、凶刃が彼を突き刺した。
直後、騎士でもあるマツリに男は追い払われ、蔓見はすぐに病院へ。
幸い命に別状はなかった。
犯人もすぐに捕まった。
だが、それでなにもかもがめでたしとはいかなかった。
□
蔓見の体はもう完治していたが、彼が仕事に復帰することはなく、そのまま彼はやめてしまった。
別にアイドルを嫌いになった訳ではない。
それでも、不安や恐怖は消せないのだと言う。
マツリは悔やんだ。
犯人は『マツリのイベントでの対応が気に食わなかった』と供述していたが、同じようなことを他のアイドルにも言っており、マツリだけが悪いというよりは、ただ不運にも狙われてしまったという方が正しかった。
それでも、自分を責めることをやめられない。
もっとイベントでの対応をしっかりしていれば。
あの時、蔓見を守ることができれば。
意味のない後悔を繰り返している内に、マツリは少しずつ、歌うことが嫌になっているのに気づいた。
――――限界だと、自然にそう思った。
やっぱり自分は、運も適正も足りていなかった。
――――もう、やめよう。
そう決めた時に、自然と浮かぶ顔があった。
自分の大ファンである、小さな女の子。
まだ人気がない頃から応援してくれていて、いつもライブの時は楽しそうで。
自然とステージから、彼女のことを探してしまったりして。
彼女はどんな大人になるのだろう。
いつまで自分のことを好きでいてくれるだろうか。
もしかして、彼女もアイドルになったりするかもしれない。
いつか同じステージに立てれば、それはどんなに素敵だろう。
――辛い時、思い出す光景がある。
ライブで失敗した時、心ない言葉をもらった時、思い通りに歌えない時。
何度も何度も、『あの時』に支えられた。
夕暮れの中、一人でベンチの上で、自分を歌を精一杯歌い上げる彼女の姿。
偶然だった。
あの光景を見れたことは、風祭マツリの一生の宝物だ。
彼女を裏切るのだけは――いいや。
彼女を含めて、ファンのみんなを裏切ることは、心残りだけれど……。
それでももう、限界だった。
□
「まさかだったよ。オウカちゃん、なんでわたしのこと嫌いなのかな……って考えてたら、そりゃそうだよねって。正直、ぞっとした」
「……そ、んな……」
ぞっとしたのは、こっちの方だ。
そんなこと、知らなかった。
知っていたら、納得しただろうか。
わからない。わからないが、もう関係ない。
だってもう負けてしまったから。
これまでの自分の今までの歩みは、なんだったのだろうか。
全部、無駄だったのだろうか。
結局、まともに復讐を果たせず、ただ負けただけ。
「でもねオウカちゃん……どう接したらいいのかわからなかったけどど、でも、やることは一つだったよ」
「……え?」
「だって、もうファンとアイドルじゃなくて、生徒と教師だからね――オウカちゃん、本当によく頑張ったね……。本当に、強くなった。今日の試合、わたしが教えたこと以上のことが出来ていた。最高の試合だったよ」
「…………そんなのっ!」
もう、意味なんてないのに。
もう、目的もないのに。
この人のことは、嫌いな、はずなのに……。
それでも。
誰よりも憧れた人にそう言われて、嬉しくないはずがなかった。
「……私、もうやめようと思ってたんです……」
「……騎士を? アイドルを?」
「……全部、ですかね……。だってもう、意味ないじゃないですか……、あなたのためにやってたんです。あなたを超えて、ざまあみろって! あなたと違って、私は何一つ諦めないで、あなたよりすごくなったって、そう言おうと、思ってたのに……」
マツリがやめてしまった理由は、仕方がないことだと思う。
それでも、いきなり全てを許せる訳もない。
だが、事実としてオウカは今日負けた。
もうこれ以上頑張る理由がないのなら……。
「いいのかなあ……そんなこと言って」
「……なんですか」
「……オウカちゃん、もう私なんて超えてると思うんだけどなあ」
「……聞き捨てならないです。風祭マツリは、私なんかよりずっとずっとすごかったんです、そんなこと、あり得ませんから。撤回してください」
「……わたし本人なんだけどね……」
「…………そうですけど……」
奇妙な会話になってきた。
しかし、憧れの人本人にも、憧れの人を馬鹿されるのは許しがたい。
「――――今やめたら、わたしと同じだよ?」
「――――ッ……、それは……でも……」
「……ま、どうするかは全部オウカちゃんの自由だけどね。でも、もう決まってるんじゃない?」
――マツリの言う通りだった。
敗北と、マツリの真実を聞いたことで、考えがぐちゃぐちゃになっていたが、それでもやっぱり、やめるなんてあり得ない。
もう、復讐に意味はないけれど。
でも、復讐のためだけにやっている訳ではなかった。
ただ、好きだから。誰かのためになれることが。自分がそうやって救われたことが、なによりも素敵だと思ったから。
同じように、たくさんの人の力になれたら、それは何よりも最高なことだと思ったから。
「…………やりますよ! アイドルも、騎士も、なに一つ諦めません、あなたができなかったこと、全部全部やるって、決めてるんですから! あなたなんか、絶対に超えてやるんですからッ!」
「うん、それでこそオウカちゃんだね」
「……なにがわかるんですか……あなた、なんかに……」
「わかるよ。ずっと見てたから」
「……裏切ったくせに」
「……アイドルをやめたことは、ずっと心残りだけどね……でも、教師になったことは、なんにも後悔してないよ――だって、こんなに最高の生徒がいるんだもん」
「…………うるさいです」
アイドルと教師は似ている。
アイドルも騎士も似たようなものだという持論を持つオウカには、よく理解出来た。
誰かの力になれるのなら、それはどんな形だっていい。
マツリはもうアイドルではなかったけれど――――それでも、オウカの支えでありつづけていた。
憧れの残滓としてだけでなく、教師として、今もずっと。
彼女の教えがなくては、ここまで強くなれなかった。
「……ねえ、オウカちゃん」
「……なんですか?」
「歌おっか、一緒に」
「…………ッ……」
ずっと夢だった。
もう絶対に叶わないと思っていた。
幼い頃、何度もその光景を夢想した。
ここで、このベンチで、何度も何度もマツリの歌を練習していたのは。
いつか彼女と、同じステージに立ちたいと願っていたから。
「わたしね、オウカちゃんの歌ですっごい好きなやつがあるんだ、どれもいいけど、特に好きなのがね――」
――ユメドケ。
冬のように、静けさに満ちた始まり、少しずつ春に向かっていくような、そんな曲。
夢が叶わないとしても。雪のように溶けてしまったとしても、それでも残るものはある。
雪解けの季節。夢が叶わなかった後に咲く花もある。
ルピアーネにも聴かせた、あの歌だった。
マツリがハンカチを取り出すとベンチにしいて、靴を脱いで立ち上がってしまう。
そうそう、そうだった。
確かにそうやって、あの日の自分もベンチの上に立っていた。
この歳になって?
本当に?
――いいや、今はもう、そんなことはどうでもいいだろう。
□
寂れた公園の一画。
軋むベンチ。
世界で一人ぼっちになったみたいな静寂。
観客はいない。
手にはボロボロのおもちゃのマイクすらなくて。
限りなく遠い憧れの人が立つ場所に比べれば、ここにはなんの価値もないかもしれない。
――――それでも。
今、自分の横には誰よりも憧れた人がいて。
黄金の夕焼けに照らされて。
迫る夕闇は、境界線だった頃に見ていた夢。
奇しくも今は、あの時と同じ夕焼けで。
誰にも求められなくても。
いいや、今だけはそれは必要がない。
――憧れの人と、たった二人きり。
オウカは涙を流し続けながら、歌い続けた。
夢は叶わなかった。
オウカは敗北した。
優勝することは、できなかった。
アイドルとして、マツリと一緒にステージに立つこともないだろう。
それでも。
叶わない夢も、たくさんあったけれど。
それがどんな形であろうと、あの日の少女が抱いた夢は、確かに叶っていて。
――――このちっぽけの場所が、今の彼女にとっての最高のステージだった。
□
「…………いいんですか?」
「うん、いいんだ。邪魔しちゃ悪いし……それに、今も彼女は誰かの力になってるってわかったからね」
リンネは今だけはオウカとマツリと二人きりにしようと思って、彼女達の様子を遠くから見守っていた。
そこへやってきた男性。
彼は――。
リンネは彼について、彼の口からあらましを聞いていた。
「マツリくんに伝えておいてくれ――――いい教師になったねと、それから……いい騎士を育てているね、と」
彼の名前は蔓見。
かつてはアイドルのマネージャーを。
今は、教師をやっている。
第18話 ■■■■■■■
第18話 夢が解けた後に




