第12話 二回戦第七試合 レヒト・ヴェルナーVS斎条サイカ
――「さあ、サイカちゃん……好きに自由に派手に暴れて、そして――――」
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レヒト・ヴェルナーと斎条サイカがリングの上で睨み合う――否、正確には互いに別種の視線を向けている。
二人の間に、特別な因縁はない。両者、本当に戦いたい相手は別にいる。
レヒトは黒宮トキヤと。
サイカは夜天セイバと。
はっきり言って、レヒトにとってサイカはただの通過点。サイカがどれ程の才能を有していようが、脅威にはなり得ない。
――本当に戦いたい相手ではない。
しかし、彼女に対し不快感があるのも事実。
本来ならばこの街の在り方とは相容れないながらも、好ましく思う今――真逆の在り方を持つ少女をこれ以上先に進める訳にはいかない。
それに彼女は罪桐キルと繋がりがある。
(キル……ああ、本当に邪魔な女だ)
抱えている厄介な事情がなければ斬っていた。
一応は同じ勢力なのだ。
ここで計画の進行を乱すような真似はできない。
自身の目的のためとはいえ、あのような存在を放置するのはどうにも癪だった。
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「……面倒な相手になるかもしれないわねぇ」
観客席のルピアーネは、レヒトと対峙するサイカを見つめながら不安げに呟いた。
「あん? なんで? あんなガキにレヒト様が手間取るわけないでしょ? 馬鹿か? ババアボケた?」
「馬鹿はアナタよ」
ライトニングの顔面を掴んだルピアーネは、そのまま彼の頭を大根でも擦り下ろすかのように床に擦り付ける。
「いででででぇっ、いでえよ、小顔になる! ただでさえ小顔なのにさらに! ババ――ルピアーネ! 離せって!」
「アナタって本当に学習しないわよね……」
ルピアーネは《出力・B》、ライトニングは《出力・C》。
魔力を扱える量に決定的な差がある以上、単純な肉体強化で力比べをすれば、ライトニングはルピアーネには絶対に勝てないのだ。
しかしルピアーネは《敏捷・D》、ライトニングは《敏捷・A》。
これはメインで扱うのが土属性と雷属性という要因が大きい差で、ライトニングがその気になればルピアーネから逃げおおせることなど容易い。
そういった能力差も、ライトニングの態度に出ているのかもしれない。
レヒトの試合がなければライトニングはさっさと逃げ出しているだろう。
本当に腹立たしいガキではあるが、それでもルピアーネは彼のことを弟のように思っていた。
血の繋がりなどない。それでも、血よりも濃い繋がりが、彼との間にはある。
同じ男に忠誠を尽くす者であること。
その一点で、彼がどれだけ人として尊敬に値しないクズでも、一定の信頼を置くことができる。
「私だって、ただ魔力を多く持った子供だったら心配なんてしないわ。でも、恐らく彼女は罪桐キルと関係しているでしょう?」
「あー、最初からそういえよ」
「言う前にふざけたことを抜かしたのは誰かしらね」
再び横に座る少年の前に手をかざすと、ビクッと硬直した。
「……そんで? キルがどーしたってんだよ。あいつに今更何ができんの? 試合前に襲うとかならまだしも……もう試合始まるじゃねーか。ま、んなことしてもレヒト様に返り討ちにされるだろーけどさ」
「もう少し利口にやるでしょう? ……というか、そうね……アナタは彼女とは関わりが薄いのよね、思い至らなくてもしょうがないかしら」
「はァ? もったいぶるなよ……どーゆーこと?」
「……雪白フユヒメ。レヒト様はね、かつてその少女を――」
ルピアーネの言葉を聞いて、ライトニングが目を見開く。
「……マジか……」
あれだけレヒトの勝利を確信していた少年の中に、一抹の不安が芽生えた。
それ程までに、ルピアーネの懸念する不安要素は厄介に思えた。
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ルピアーネ達の不安を他所に『Listed the soul!!』の音声は鳴り響き、開戦を告げた。
「ねえーねえー、銀色のひとー、あなたはどんなふうに死にたい!?」
直後、狂気に満ちた視線でレヒトを見つめながらサイカは叫ぶ。
同時に魔法陣を展開。
まずは緑色、次に赤色と黄色。
風の魔法陣を展開しつつ、そこに土と火。
「えーっとぉ……、でぃれーなんとか? なんだっけ?」
岩杭が出現――爆発が巻き起こり、一気に加速して射出される。
爆発の際、《遅延起動》によってさらに風を火と組み合わせ、酸素を供給、爆発の威力を高めた。
――さらに、レヒトの背後からは風の刃が。
最初の風の魔法陣を展開した際、爆発の威力を高めるためとは別に、攻撃用のモノを配置しておいたのだ。
目の前で行われた、これまでのサイカの扱う術式よりも高度なものは全てが陽動。本命は派手な陽動で目を引いたことによる不可視故に不可避の風刃。
サイカには同時に扱える属性は二つまでという限界がある。
だが、《遅延起動》によって条件付きではあるがその限界を超えた。
風+火+土の三属性により威力を高められた岩杭。さらにその派手な脅威に隠された風刃。
ただ四属性の内で最速だからという単純な理由で、風を単一で放っていた一回戦の時よりも遥かに高度な初手。
対ルミア戦で、工夫することを覚えた――そして、罪桐キルによる入れ知恵もある。
だが、教えられただけで容易くそれを実現してしまえるのはサイカのセンスだ。
彼女は希少かつ強大な能力、豊富な魔力量に加え、ランク内には表れない戦闘センスも優れていた。
「多少の成長は見られるが、翠竜寺ランザには劣るな」
対してレヒトは――ただその場に立っているだけだった。
それだけで、岩杭が、風刃が、全てが両断され、霧散していく。
消え去った風刃の僅かな余波で、彼の銀髪が揺れる。
翠竜寺ランザが放った《風天倶利伽羅・鳩摩羅迦楼羅》に対して見せたような、迎撃のために大剣を振るモーションを行うことすらない。
彼の足元には、幾重にも刀で斬り裂いたような痕が生じていた。
ただ彼が周囲へ魔力を放出するだけで、サイカの攻撃を全て防いでいるのだ。
――――これが《切断》。
かつてとある世界において最強の一角であった能力だ。
「……むぅー……あなた、やっぱりむかつくなあ……殺したい……」
まるでじゃれ合いを拒否されたことに憤るかのように、頬を膨らませるサイカ。
サイカはレヒトに対し特別な因縁はないが――しかし彼の存在は不愉快だった。
なぜならば、彼の能力は愛しい存在である夜天セイバによく似ているから。
相手の能力を問答無用で無効化してしまうという容赦のなさではほとんど同じ能力に見える。
しかし、サイカにとっては二つの能力は似て非なるものだった。
(セイバおにーちゃんと似てるのに……反対だから)
サイカの印象の問題ではあるが、セイバの能力はこちらの全てを受け止めるような優しさがあるのに対し、レヒトの能力には一切それがない。
ただ相手を拒絶し、否定、両断する。そんな冷徹さだけを感じる力。
なんとなく、彼の本質は自分と同じだと思った。
――人殺しの心象だ。
こいつは人を殺しても、なんとも思わない冷たいやつだろう。
そのはずだが、しかし今はどこか違和感がある。
「……あはは、キルおねーちゃんの言う通りかもね」
少女は無垢さの内に、暗く冷たいものを滲ませた独特の笑みを浮かべつつ、右手を振って風刃を相手へ叩きつけた。
「底は見えたな」
サイカの攻撃の直前、そう呟いていたレヒトは大剣を振り下ろし、《切断》の魔力を放っていた。
サイカが放った風刃を引き裂いてもなお進み、そして――。
――サイカの頬を僅かに掠め、彼女の後方へと抜けていった。
サイカの頬から血が滴る。
――――少女はそれを妖艶に舐め取り、真っ赤に染まった舌を見せつけ笑った。
レヒトの攻撃が、外れた。
その事実をゆっくりと咀嚼し、サイカは確信する。
「あははは、あはははははは! やっぱり! やっぱりキルおねーちゃんの言ったとおりなんだね!? 銀色のおにーさん! おにーさん、怖いんだ!? 女の子を斬っちゃうのが、怖いんだ!?」
――「……雪白フユヒメ。レヒト様はね、かつてその少女を――」
試合前のルピアーネの不安。
――サイカは知っている。
並行世界において、レヒトが雪白フユヒメを殺していることを。
そして恐らく、その記憶を持っている現在のレヒトは、少女を傷つけることに忌避感がある。
雪白フユヒメ。
レヒトが宿敵と定めている黒宮トキヤの幼馴染。
一回戦で赫世アグニに敗北したものの、組み合わせ次第では確実に上へ勝ち上がることの出来た実力を持つ騎士。
並行世界において、レヒトとトキヤの間であった戦い。
その際に、レヒトはフユヒメを殺した。
並行世界のレヒトがそのことをどう考えていたのかはさておき、現在の彼は《並行世界のレヒト》のように躊躇なく人を斬れるような精神性ではないはずだ。
それが彼に感じた違和感。
ちぐはぐなのだ。その気になればいくらでも人を殺せるのに、そうしたくない。そんな矛盾したことを考えているかのような印象は、当たっていた。
キルからはこう助言されている。
レヒトがフユヒメを殺したことに対し、なんらかのトラウマを抱いているのなら、そこを利用してやればいい。レヒトの攻撃をあえて避けずに、むしろ致命傷になるように動けば、後は相手が勝手に外してくれる。
純粋な実力で勝てないのは百も承知。
レヒトのようなタイプは、近接戦闘が不得手なサイカにとって最も相性が悪いタイプだ。だからこそ、こういった工夫が必要になる。
(すごい! やっぱりキルおねーちゃんはすごい! おねーちゃんの言う通りにすればみーんな殺せる! 殺そう、みんな殺そう! 殺して殺して殺しまくれば、セイバおにーちゃんもサイカのこと叱ってくれるよね?)
思い通り。思わず笑みが溢れてしまう。
「……あはは、さいっこー……それじゃ、おわりにしよっか。おにーさんがサイカを殺せないなら、あとはサイカがおにーさんを殺すだけだよね!?」
二本の剣を引き抜くサイカ。
遠距離から魔術をぶつけても、全て《切断》されてしまう。
彼を倒すなら、魂装者による攻撃しかないだろう。
《切断》と言えど、魂装者を無条件に破壊することはできない。
近接戦でも、彼への対処は同じ。わざと致命傷になるように動けば、彼の太刀筋は鈍るだろう。
サイカが風を纏って、一気にレヒトへ肉薄しようとした刹那――
「……何か勘違いをしているようだな」
目の前に、レヒトがいた。
「なっ……、くーかんせつだんの、ワープ……!?」
「それも誤りだな。今のはただ、魔力による肉体強化で駆けたに過ぎない。尤も、君にとっては差異のないことか」
要するに、全力で走っただけ。
サイカ程度の近接における対応力では、《空間切断》の移動も、ただ《出力》に物を言わせた疾走も、区別がつかないようだ。
「勘違いを正しておくが……オレが君を斬ることがないのは、その価値がないからだ」
レヒトは大剣を振るう。
その重量を感じさせぬ一閃。サイカが右手で握っていた剣が弾き飛ばされる。
「……彼女を侮辱するなよ。あれは互いの誇りを賭した戦いだった。そこに安い後悔を差し挟む余地などない」
レヒトがサイカを斬ることはない。
――彼女にはあったものが、サイカにはないのだから。
互いに誇りを賭した全力の戦い。
どちらかが命を落とそうが、その結果を貶めるような想いを抱くはずがない。
いくつかある並行世界によっては、戦いの果てにではなく、彼女が守るべき者の盾となるような最後もあったが、同じことだ。
どんな世界だろうと、彼女は誇り高い、敬意に値する最期を迎えていた。
――不快だった。
この少女は――、いいやこの少女に下らない入れ知恵をした罪桐キルは。
彼女を――雪白フユヒメを、侮辱した。
「所詮、君はただの傀儡。多少の無礼は多めに見よう……だがキルに伝えておくといい。
『次にオレの誇りを汚すなら、一切の事情を無視してでも貴様を殺す』……とな」
――そして幕引きとなる銀閃がサイカを捉えた。
「当然、殺しはしない。君には未だその価値がなく、そして、それはこの街の流儀に反するのだから」
《仮想戦闘術式》による一閃でサイカの意識を刈り取った直後、レヒトは彼女に背を向け、それきり一瞥すらくれずにリングを後にした。
終わってみれば、圧倒的な差を見せつけた結果。
一回戦同様、無傷での勝利。
二回戦第七試合、レヒト・ヴェルナー対斎条サイカ。
――――勝者、レヒト・ヴェルナー。
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「なーんだ、やっぱりババアの杞憂じゃん」
「……うるさいわね、アナタも不安がってたくせに。……でもそうね、こんな下らない心配、それこそ彼女にもレヒト様にも失礼だったわ」
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「きひひ……あーあ、やっぱそりゃダメか笑」
――「さあ、サイカちゃん……好きに自由に派手に暴れて、そして――――」
試合前にキルが呟いていた言葉。
あの言葉の続きは――。
――「さあ、サイカちゃん……好きに自由に派手に暴れて、そして――――ぱっと散っちゃってよ。負けたら負けたで、まだまだ利用価値があるんだからさあ笑」
「これでこっちのパターンに確定、と……ま、楽しみは後に取っておくってのもありだよねえ……」
この敗北によって、斎条サイカは何一つ己の願いを掴み取れずに終わった。
彼女がこの敗北をきっかけに、心を入れ替え、善良な人間になることなどありえない。
ただ、欲した因縁は手に入らず、フラストレーションを溜めたまま敗北する。
彼女の想いは、一体どこへ向かうのか。
「まーまーこっちは気長にやりますか……これで面倒くさいことになっちゃったねー……ねえ、夜天セイバ」
斎条サイカを模した人形は、たくさんの人形が並ぶ枠内から離れた場所へ配置。
そのサイカの視線の先には、夜天セイバが。
遅いか早いか、それだけの違いなのだ。
サイカが勝ち上がるパターンの場合、この大会の間にセイバとサイカの《因果》には一つの区切りがついていただろう。
だが、サイカはここで何の目的も果たせずに敗退し、大会から消えることになった。
――――果たされぬ未練は、より深い殺意を溜め込んで、いつかの未来に花開く。




