第09話 《主人公》ではないのだから
――ハンター・ストリンガーは、譲れぬ想いを胸に立ち上がった。
「ハッ、まだやるか……面白ェ」
ミヅキは自分が口にしている言葉が、自分でも信じられなかった。
諦めが悪い人間。それは以前、ミヅキが最も唾棄していた部類の者だ。
才能が全て。人は己の分を弁えて生きるべきだ。その考えを己に言い聞かせるように、他者を傷つけてきた。才能がない者に、諦めるということを突きつけてきた。
だが、そんなことは他者から決めつけられることではない。
意味がないのだ。
諦めない人間はいる。
そういう馬鹿が、この世界には存在している。
そしてその類は人間は強い。
嫌いだったはずなのに。
軽蔑していたはずなのに。
今ではどうにも、そういうタイプには真逆の想いを抱いてしまう。
「言ったはずデス――ミヅキクンはワタシに負けてダーリンになってもらうってネ」
「下らねえ、まだ言ってんのか……だが」
彼女から、軽薄な口調が消えた。
ボロボロになりながら、口端から血を流しながら。
それでもなお、凄絶な笑みを浮かべている。
彼女が己へ執着する理由は知らない。
どうだっていい、興味がない。
だが――。
「さっきよりずっと悪くねえツラだ」
この女に興味はないが、楽しませてくれるなら話は別だ。
《むぅ……みづき、あいつのこと、ちょっといいっておもってる》
「下らねえこと考えてんな、ブッ潰してやるんだろうが」
《……とうぜん、あいつはぶっつぶすっ!》
めるくの言葉を聞いてミヅキは笑って再び野太刀を構える。
「……いくぜ、これ以上何もねェならこれで終いだ」
――立ち上がって見せた以上、これで終わってくれるな。
そんな意味を言外に込めて呟き、疾走を開始する。
「――――《雷竜災牙》」
「――ッ……!」
さらにもう一本。
ハンターの鋼腕が、宙を舞った。
これで鋼腕は残り二本。
削られていけば、近接格闘においても遠距離攻撃においてもアドバンテージが消えてしまう。
そうなればもはやハンターに勝ち筋はない。
――しかし。
「こうも言ったはずデスヨ、ダーリン……ワタシはクモ、少しばかり狡猾な女なのデス♡」
ハンターが右手の指先を引いた。
それによって、斬り飛ばされた腕がミヅキへ迫る。
ミヅキは素早く野太刀を振って腕を弾く。そのモーションを終えた際に出来た隙、そこへ今度は残った三つの手で一気に岩槍を放つ。
「――ッ、」
野太刀で迎撃――却下、糸を付けられれば次の一手が打てなくなる。
ならば雷撃か――却下、岩槍を防ぎきれるかどうか、確実性に欠ける。
ミヅキは野太刀の形状を変化させ、金属で出来た半球の盾を作り出す――これだ。
これにより、岩槍を防ぎ切ることが出来る。盾に糸を付着させられるかもしれないが、盾の形状を維持したまま後方へ下がり、糸を除去。
そして再び接近、腕を切り落とす。
後はこれを繰り返せば、確実に勝てる。
現在苦戦させられているのは、やはりあの多腕の存在が大きい。常に防戦を強いられていれば、勝負を決めることはできないだろう。
――――だが、勝ち筋はもう見えている。
そう思った、瞬間だった。
「視界を遮ったこと……それから、一つ忘れ物があったのは失敗デスヨ?」
ハンターの冷たい声が響いた。
現在彼女に出来ることはないはずだ。
腕は二本切り落とした。そして残った四本は全て攻撃に費やしていた。
これ以上の攻撃はあり得ない――はずだった。
そして、彼女は足を引いた。
そこからは糸が伸びている――だが、何と繋げているというのだろうか。
リング上に残っている物――それは、ミヅキが最初に斬り飛ばした方の腕だ。
「ぐッ、がァァァ……ッ!」
やられた。
失念していた。意識外にある物の再利用、狡猾な手だ。二回戦のジンヤ対アンナで、ジンヤが初手に使った棒手裏剣を終盤で再び利用したのに近いか。
これくらい、思い至っているべきだった。
だがもう遅い――食らってしまったのなら、その後のことを考えなければ。
――そこでミヅキは驚くべき事態を目の当たりにした。
切断された腕は変形し、指先が鋭く尖ってミヅキの体へ突き刺さっている。
そして。
――体が熱い。
目眩がする。息が荒くなっていく。意識が薄れる。
「なにを……まさか……」
なにをされたか。答えは簡単だろう。
彼女は、何度も答えを口にしていた。
――ワタシはクモ。
蜘蛛ならば、毒を持っていてもおかしくないだろう。
「……もしここで使わなければ、輝竜ユウヒか……もしくは赫世アグニに使おうと思ってマシタ。当たりさえすれば、赫世アグニだって倒せマスヨ?」
ここで使ってしまった以上、次の試合からは警戒されてしまうため、当てることが困難になるだろう。
――だが、当たりさえすれば確実に勝利できる。
「ワタシの能力は『糸』を操るだけじゃないデス……概念属性・生物系統《蜘蛛》。それがワタシの能力。つまりは、蜘蛛が出来ることならワタシにも出来るんデスヨ?」
彼女は『後天的に能力を操作する』という実験の貴重な成功例だ。ならば糸を出すだけなどという単純な能力であるはずがない。
彼女のランクはB。だが、彼女は魔力量などが操作された訳ではない。実験で改造されたのは能力のみ。改造された部分はランクにおいて考慮されていない。
ならば彼女の実力が、先天的なランク以上になるのは当然だ。
しかしながら、それはつまり『彼女には改造実験を受けて強くなることができる才能』があったということ。
この手法では才能がない者――例えば刃堂ジンヤの能力を強化する、などということは不可能だ。
「クロドクシボグモという蜘蛛がイマス」
――クロドクシボグモ。
世界一の毒蜘蛛で、0.1mg以下の毒で人間は致死量となることがある。8mgの毒を持ち、単純計算で一匹あたり大人80人を殺せてしまうという猛毒を持つ。
この毒を受ければ、全身麻痺、呼吸困難といった症状が現れ、30分以内に死に至る。
「その恐ろしい毒蜘蛛よりも、ワタシの力は上デス。ミヅキクンが死ぬまで30分もかからないデショウ……というか、もう動くことすら出来ないはずデス」
こればかりは気合ではどうにもならない。
どれだけ強い想いがあろうが、人体の構造上不可能なことというのがある。
龍上ミヅキはもう動くことができない。
――そして。
「終わりデス……やはりワタシが見込んだ通りの男デス、ミヅキクン、アナタは強かった」
ここで使わずに突破できるのならば、輝竜ユウヒや赫世アグニを倒してやりたいという気持ちもあった。
しかしこれで満足だ。
これで龍上ミヅキが手に入る。
ハンター・ストリンガーの恋は、成就するのだ。
ハンターの拳が、動けないミヅキを捉え、彼の体を大きく後方へ弾き飛ばした。
彼はもう、立ち上がろうと動くことすらなかった。
「……みづきっ! みづき……! たってよ……! おわりなの……? こんなところで、もうおわりなの……っ!?」
武装解除しためるくが彼に駆け寄り、泣きじゃくりながら叫ぶ。
「それは酷デスヨ、めるくちゃん。事態はもう立てるかどうかじゃなくて、死ぬかどうかデスカラ……安心してくだサイ、解毒剤はありマスカラ、ミヅキクンを殺させはしませんカラ」
踵を返し、ミヅキに背を向けるハンター。
会場の誰しもが、毒という強力な一手に驚きつつ、確信した。
――勝負は、決まった。
□
「きひひ……あーあ、こういう波乱があるんだから《主人公》じゃないモブって可哀想」
戦いを見ていた罪桐キルはおかしそうに笑った。
毒での決着――それはあまりにも『つまらない』だろう。
もしもこれが輝竜ユウヒや赫世アグニならば?
彼らならば、『都合よく』毒を躱すか、そもそも毒を使わせる前に圧倒するか。
いいや、そもそも『毒』などという『つまらない』手段を使う相手と相対することすらないのだ。
龍上ミヅキが、このトーナメントでハンターに当たってしまったのは、そもそも彼の《係数》が低いから。
彼は《主人公》ではないのだから――当然、主人公補正などなく負けることだってあるのだ。
この世界の法則はとても残酷だ。
《係数》が低い者は、なんら劇的ではない、《主人公》らしさの欠片もない、こういったつまらない敗北をしてしまうのだ。
「でもま、少し残念かもね……彼が勝ち上がってたら面白いことになってたのに」




