第33話 男の喧嘩
『な、なんということだ――――――!?
両選手、魂装者が壊れようがお構いなし!
戦うのをやめるつもりが一切ない――ッッッ!!』
『…………ハッ、そりゃあなあ……こっからだろうよ?』
驚愕する桃瀬や観客を他所に、ソウジは笑みを殺すのに必死だった。
ああ、羨ましい。今すぐここに赫世レンヤを引きずりだして殴り倒し、同じように楽しみたいものだ。
素晴らしい、こうではなくてはいけない、それでこそ、これこそが、これだけが――男の戦いだ。
異能力など、所詮は添え物。精々カレーに対する福神漬程度の価値しかないのだ。あれば嬉しいが、必須ではない。
大切なのは、魂だ。異能など、魂の表現方法の一つ。多くの騎士は、そこがわかっていない。見映えのいい派手な力を与えられ、舞い上がってしまうのはわかるが、そこで止まっていれば一生本当の戦いには辿り着けない。
能力は尽きて、魂装者が砕け、疲弊しきった体ではもはや磨き上げた武を発揮することすらできない。
彼らに出来るのは、己の魂を握った拳をぶつけるだけ。
――――ああ、それで正解だ。
我が弟子ながら、よくぞその歳で答えに辿り着いた。
「――ゼキ、勝てや」
ソウジは静かに胸の内で呟く。
もはや解説など必要がない。ソウジは解説を放り出して、弟子の晴れ舞台を見つめていた。
ソウジには、憧れている人物がいた。
赫世レンヤと、もう一人。
――――天導星河だ。
この世界へ放り出され、なにもかもわからなくなった自分を鍛え上げ、《ガーディアンズ》の一員にし、居場所を与えてくれた。
彼に勝てたことは、一度もない。
――いつかは必ず、彼を倒す。
だが、その前に。
ソウジの弟子と、星河の弟子。
弟子同士の対決。
「……師匠も星河さんをブッ飛ばすからよ、弟子がここで勝っとかねえと縁起が悪ィだろ?」
◇
「……そうだ、私はこれが見たかったんだ……」
不知火アザミは、客席で涙を流していた。
自分の世界での戦いと、この街での戦いは大きく異なる。
命を奪い合うのではなく、魂をぶつけ合う戦い。
ああ、なんと素晴らしいのだろう。なんと美しいのだろう。
これだ、これなのだ――千年後の世界で兄が見ていた、兄が羨んだ戦いは。
アザミはどうしても、これが見たかった。
自分が生きた時代にはない種類の魂の輝きを見てみたかった。
◇
「…………ハハッ……すげーな、マジかこれ……!」
ハヤテが驚きつつも、楽しそうに笑ってた。
「うん……すごい、すごいよ……これが、この街の頂点の戦い……ッ!」
ジンヤもまた、子供のように目を輝かせている。
この先戦うのはこのレベルの騎士だという事実など、今はどうでもよかった。
ただこの素晴らしい戦いの結末を見届けたい。
彼らにどうすれば勝てるのか――そんなことは、後で考えればいいことだ。
今はただ知りたい――この戦いの結末が、どうなるのかを。
◇
医務室でモニターをじっと見つめていた夜天セイバが、静かに呟く。
「――――勝てよ、セイハ」
もう剣祭で一度戦いたいと願った相手。
それはもう叶わないが、それでも彼の在り方には焦がれてしまう。
誰かを守る。
夜天セイバもまた、そのために戦う者だから。
◇
「あーあ……。ゼキ、テメェ本当にムカつくぜ……」
トキヤは悔しそうに笑う。
さっきまでは自分が主役だったというのに、あっという間に全てを持っていくのだから、どこまでも許せない相手だ。
「やっぱテメェが上がってこい、オレとも殴り合おうや」
◇
「ったく……見せつけてくれやがる……」
セッカにとっては、ゼキもセイハもライバルだ。
しかしゼキもセイハも、どこまでも先に行ってしまう。
まったく本当に――追いかけ甲斐のある背中達だ。
◇
「……ゼキさん……っ!」
祈るように両手を重ね合わせるヒメナ。
兄のことは好きだ。
兄はずっと、自分を守ってくれた。
両親が殺され、自分は泣くことしかできなかった。
その自分を救うために、心を守るために、心を凍結させてくれた。
零堂の家へ預け、蒼天院の使命から自分を遠ざけてくれた。
街は自分が守る。だからヒメナは、自分を守れ、と。いつか傷と向き合う時が来れるようにと。
どこまでも優しい人だ。どこまでも強い人だ。
自分だって、悲しいはずなのに、そんな素振りは少しも見せない。
零堂ヒメナは幸せ者だ。
兄に守られて。
ゼキに心を教えられた。
最高の二人のお陰で、今の自分があるのだ。
彼らがいたから、自分は笑える。
ゼキがいなければ、笑えなかった。
だが、そもそもセイハが心を守ってくれなかったとしても、きっと自分は笑えていない。
セイハは、最高の兄だ。
だが――その彼よりも、誰よりも、愛してしまった男がいるから。
「……ゼキさん、勝ってください…………ッ!」
◇
「――――セイハ、キミは勝たねばならない」
天導星河が、静かに呟く。
正義を背負っている。
この街の人々の願いを背負っている。
そんな英雄が、負けるはずがない。
「――この街にはキミがいる。今再び、それを示す時だ」
◇
歩く度に、リングに満ちた水が飛沫を上げ、水の音が響く――――やがて、二つの足音がぴたりと止まる。
真紅園ゼキと蒼天院セイハ、二人の男が今にも額を擦り合わせそうな距離で睨み合う。
身長はセイハの方がやや高い。セイハがゼキを見下ろす形。
――――静寂。
ここまで大勢の人間がいる空間では、あり得ない程の静けさ。
――――ぴちゃん、と水滴が落ちる音がした。
刹那――。
――――ッッッばきィィッッ!!! と互いの右拳が、互いの顔面に突き刺さっていた。
「オ、オ、オオオオォォォるッ、アァアアアアア――――――ッッッ!」
「セァァアアアアアア――――――――――――――ッッッっ!!!!」
二人の間に、拳の華が繚乱に咲いていく。
肉と肉が。
骨と骨が。
ぶつかり合い、軋み、弾け、血華を散らす。
セイハが両手で拳を叩き込む間に――ゼキは同じだけの数の打撃を、右手だけで叩き込んでいた。
凄まじい速度。
凄まじい威力。
左腕が折れた満身創痍の男が繰り出せる拳ではない。
やはり彼の打撃は群を抜いている。
拳の極みを求め続けた男だからこその境地。
――――だが、それでも。
蒼天院セイハの拳が、劣っているとは思わない。
ゼキが己の意地を握るように。他者に勝ちたい、相手を殴り飛ばしたい、拳を振るうのが快感だと、そういった気持ちを握っているように。
セイハの拳には、父や師への憧れが、正義を成さねばならぬという使命が、人々の願いが握られている。
――――意地と正義。
正反対のモノを握りしめた男と男の戦い。
「ぐ、があッ……!」
一際強烈な一撃が、セイハを大きく仰け反らせた。
負けるのか。
勝てないのか。
格闘技術では勝っている。能力でだって、勝っていたはずだ。
それでも、ここまでしても――彼の意地には、勝てないのか。
――――セイハにとって、このゼキという男は特別だった。
蒼天院セイハと相対する者は、誰しもが《頂点》として、《英雄》としての彼を見ている。
そこにセイハ個人を見る余地はない。
だというのに――彼だけは違う。
勿論、《頂点》も《英雄》もセイハの一部分だ、それを含めてセイハだ。
しかし、ゼキはきっと、そうでなくともセイハに対しての態度を変えないだろう。
――――気に食わない。
――――負けたくない。
そんな子供じみた闘争心を剥き出しにして挑んでくるゼキを、最初は愚かだと思った。取るに足らない三下の一人だと思った。
しかし、それがどんな想いだろうが、絶対に砕けずに貫き続けることができるのならば、その想いは輝く。
セイハもまた、想いを貫き続ける者だからこそ、その輝きを尊いと感じてしまう。
――――あの時。
《四天王》を突破し、セイハへ挑んできた時のことだ。
真紅園ゼキという存在が、取るに足らない三下から明確に敵に変わった時。
あの瞬間――――セイハの中に、ある気持ちが芽生えた。
――楽しい、と。
生まれて初めて、そう思った。
勿論、技を磨き、己の力を向上させることは好きだ。しかしそれは、誰かを守るため。憧れに近づくため。正義を成すため。
戦いそれ自体は目的ではない。力自体は手段に過ぎない。
だからセイハは、その気持ちを、ゼキという男と拳で語り合うことの心地よさを、忘れようとした。
それは不要なものだ。
そんなものはあってはならない。
そういった余分が、いつか正義を鈍らせる。
そう思っていた、はずなのに――。
「負けてしまえば、それこそ正義が鈍るというものだ……」
「……ッあァ……? なんだよ……?」
「気にするな、こちらの話だ……少し、貴様に習うとしよう」
「あァ……?」
あの時。
最初にゼキに負けた時――セイハは自身に芽生えた気持ちを不要と切り捨て、封じ込めて、忘れようとした。
だが、疼いていてしまう。
何度も何度も押さえつけても、それは再び暴れだしてしまう。
――俺も所詮は、まだまだガキだったという訳か……。
――だが、事ここに至ってこんなことを言うのも言い訳じみているが……。
――――これは、勝つための選択だ。
勝つために――――セイハは、全てを捨てる。
――――幼い頃に抱いた父への憧れを。
――――全てを失った日抱いた、悪への憎悪を。
――――最愛の彼女を守りたいという願いを。
――――正義を成し、英雄とならねばいけないという使命を。
――――最強の師から受けた教えを。
――――守り続けた人々がくれる応援を。
――――全てを、捨てる。
ああ、思えば随分とたくさんのモノを背負っていた。
身軽になったものだ。
少し前の自分ならば、こんな想いで戦う者は嫌悪するだろう、悪と断じて切り捨てるだろう。
――だが、どんな形でもいい。
勝たなければ、何も守れないのだから。
この男に、この拳鬼に勝つには――もうそれしかないのだから。
「――――すまない、ツバキ」
直後。
セイハの拳が、ゼキに突き刺さった。
「ぎィ、ぐッ……!」
踏み留まり、セイハへ視線をやる。
彼は――笑っていた。
「……ふふ、ははははっ…………ははははははははッッッ! ああ、そうか、そうだったか……ゼキ、貴様はずっと、こんな想いで戦っていたのか! 道理で強い訳だッ!」
「ハッ……ッハッハハッハハハハハ! なんだよ、やっと喧嘩する気になったか?」
「そうだ。もはや俺に一切の虚飾はないッ! 貴様だ、貴様が俺の本性を引きずり出したッ! 責任は取ってもらうぞォッ、ゼキィッ! 喧嘩とやらをやってやるッ!!」
「――おもしれェッ! ンなもんいくらでも取ってやらァアアアアアアアアアアッッッ!!」
「――――カッ、ははははははははははッッ!」
「――――クッ、ははははははははははッッ!」
信じられない光景だった。
あの蒼天院セイハが、戦いの最中にあんな笑い声を上げるなど。
狂ってしまったようにしか見えない。
だが――。
――――楽しそう。
誰かが呟いて、誰かが頷いた。
二人はどこまでも楽しそうだった。幼い頃、日が暮れるのも忘れて遊び続けてしまったような、そんな笑顔。
誰しもが経験し、誰もが忘れてしまう、純粋さ。
――――理解できるモノは、焦がれる。
ああなりたい、あの高みへ至りたい。男として生まれたからには誰もが一度は願う。
成長の過程で、己の限界を知り、その衝動を忘れていく。
――最強になりたい。
誰よりも強くなりたい。そんな馬鹿げた夢を抱いてしまう。
――――馬鹿な子供の夢を、忘れられなかった男が二人。
肉が弾け、血飛沫が舞う凄惨な殴り合いであるはずなのに――不思議とそれは、どこか美しかった。
◇
「――――なぜ、なのですか……?」
零堂ツバキは、目の前の光景が信じられなかった。
セイハはずっと、冷徹であろうとした。冷たい氷であろうとしてきた。
でなければ、全ての涙は凍らせることができない。
それを捨てるなどあり得ない。その信念は、なにより大切なはずなのに。
そう信じていたから、ツバキもまた、自身の感情を不要と凍結させ、道具に徹してきたのに。
セイハがその信念を捨ててしまったら、自分はどうすればいいのだ?
「馬鹿げてる……馬鹿げています、セイハ様……貴方はそのような御方ではないはず……こんなことに、一体なんの意味があるのですか……? 殴り合いが強くて、どうなるというのですか? それで世界が平和になりますか……?」
「――――ちっともなりませんわ」
いつの間にか、ツバキの背後には、クレナがやって来ていた。
「ほんっっっっっとぉ――――――――に馬鹿ですよね、男の人って」
「……ええ、そうです……。……なのにどうして、貴方はそんなに楽しそうなのですか?」
「……だってわたくしが愛した兄は、誰よりも馬鹿なのです。そんな馬鹿を、美しいと、そう思ってしまいました。そこらの女にはわからないでしょうけど、わたくしはそうじゃありませんわ」
「…………ッ!」
ツバキの胸が、ずきりと痛む。
自分は『そこらの女』だと、そう言われているのだろうか。セイハを理解できないのは、自分のせいなのだろうか。
自分がこれまでやってきたことは、なんだったのだろう。
ヒメナのことを否定しておいて。
感情というものを、否定しておいて。
――それらは全て、間違っていたのだろうか。
「きっと貴方が正しいとか間違っているとか、そんな話ではないと思いますわ。……それに、貴方は今、少し混乱しているだけなのではないですか?」
「……え?」
「……ヒメナさんからお話は聞いています。……ずっと心を封じていたから、だから……心がついていっていないだけでは?」
「……なにを、言っているのですか? 私の心は今だって凍っていて――……」
――心は不要。
――ただ、セイハ様のために。
――誰も泣かない世界のために。
――――あれ?
――――でも、本当にそれでいいのだろうか?
「――――ならどうして、貴方はそんなにも泣いているのですか?」
「……え?」
ツバキは目元を撫でてみる。指先が濡れていた。止まらない、熱い涙が止まらない。
あり得ない。
感情は、もういらないはずなのに。
術式が、解けてしまった?
これでは、ヒメナと同じ――。
「悲しいのですか? 蒼天院セイハが、自分の理想の姿でなくなってしまったから」
「…………いいえ」
――違う。そうではない。そこまで自分勝手ではない。そこまで下らない女ではないつもりだ。相手が思い通りではないから嫌だ? そうではない――ならば、どうして。
――――ああ、そうか。
「……私は、嬉しかったのですね。……当然ですね、愛した男が、あんなにも楽しそうなのですから」
あんなセイハは初めて見る。
それだけのことで、この心は凍結術式すら破る程に熱くなってしまうのか。
「……私も充分、馬鹿ですね」
「でも、わたくしは嫌いではありませんよ、そういうの」
「感謝します、クレナ様。……お陰で自分の想いに気づけました。それから……私には殴り合いなどという不合理なものに興味がありませんが――セイハ様の勝敗は別です。貴方には感謝していますが――勝つのはセイハ様ですよ?」
「そこは譲れませんわ――勝つのはわたくしの愛するお兄様に決まっています。……ああ、ですが、そこにわたくし達女が口を出すなど無粋、無駄ですわ」
クレナはそういったことを弁えているつもりだ。
雄々しい兄を愛したからこそ、男の流儀を弁えている。
男の戦いで、女がすることなど限られている。
応援? いいや違う、姦しい声などは不純物。
ただ祈り、ただ確信するだけでいい、愛した男の勝利を。
「もう戦いの最中にできることなどありませんわ。わたくし達は、ただ戦いが終わった彼らを優しく迎えるだけでいいのです」
「…………そうですね。では、見届けましょう。この戦いの結末を見逃す訳にはいきません」
◇
もはやどれだけの数の拳を叩き込んだのかすらわからなくなっていた。
二人の意識は今にも途切れる寸前。
四肢に力も入らない。ふらついて、今にも倒れそうだ。
そんな状態で、一発相手を殴ってはふらつく体をどうにか支えて――また殴る、その繰り返し。
肉を打つ音が響き――静寂――また響く……その繰り返しだった。
ゼキの拳が、セイハの腹で突き刺さる。
セイハはふらつきながらも、ゼキの顔面を掴んで、地面へ投げ捨てるように叩きつけた。
――ばしゃ、と水が跳ねて、ゼキがリングへ叩きつけられる。
そこにセイハが飛びかかった――ゼキが足を振り上げ、迎撃、今度はセイハの体がリングへ転がる。
ゼキが立ち上がろうとして――ふらついて、体勢が崩れた瞬間。
先に立ち上がったセイハが、ゼキを殴り飛ばした。
――――終わった。
誰もが、そう思った。
立っているのは、蒼天院セイハ。
――――だが、セイハだけは、終わったなどとは思っていなかった。
もはや底を尽きているはずの魔力――残り滓を絞り出して、最後の術式を発動させる。
セイハの属性は《氷》。ツバキを失った今、《水》は扱えないが自身の魔力を使うことはできる。
《天蓋》に遠く及ばないが、それでもボロボロの男一人倒すには充分な氷のガントレットを生み出した。
ここまで理屈抜きの男の勝負を繰り広げておいて、セイハは最後に勝ちに拘った。
負けられない。
「――この街には俺がいる。この街で、俺が無様を晒す訳にはいかん。……悪いなゼキ。本当に楽しかったよ……だが、勝つのは俺だ」
「……オレの、……し……は……、」
――――ゆらり、と。
幽鬼の如く、ゼキが立ち上がった。
「灯滅せんとして光を増す……か。いいだろう、やはりきっちりとトドメを刺してやる」
ふらついて今にも倒れそうなゼキへ、悠然と歩むセイハ。
そして、氷のガントレットを振り上げ――――
セイハが拳を放つ。
遅れて、ゼキもまた、拳を放っていた。
「――――――オレの拳は、砕けねえ」
ゼキの拳。
魔力など纏っていない、ただの裸拳。
セイハが放つ氷のガントレットで包まれた拳と、ゼキの裸拳が激突――
当然、セイハが打ち勝つ。
ゼキの右拳の骨は粉々に砕けた。
倒れゆくゼキ――、
――だが、
踏みとどまって――、
「――――砕けねえんだよッ、魂を握った拳は、絶対にッ!」
殴り飛ばした――折れているはずの左手で。
ふらつくセイハ。
さらにそこへ――
骨が砕けた――――それでもなお、決して握るのをやめなかった右拳が叩き込まれた。
そして――――――セイハが、《頂点》が、リングに沈んだ。
長い長い静寂。
静寂の中で。
ゼキは、にやりと笑ってから――右の拳を突き上げた。
――瞬間、世界は沸騰した。
耳をつんざく大歓声が会場を包んだ。
『決まったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!!!!
壮絶な殴り合いの果てに!!!!
男と男の、全てをぶつけた戦いの果てに!!!!!!
ついに決着ゥウウウウウウウウウ――――――っっっっっ!!!!
二回戦、第三試合!!!!
勝者は、真紅園ゼキ選手だあああああああああああああ――――――ッッッッッ!』
「――お兄様っ!」
「――セイハ様っ!」
駆け寄るクレナとツバキ。
だが、ゼキが右手を突き出して、二人を制した。
ゼキがセイハへ歩み寄る。
「……なにをッ!」
ツバキが叫んだ。
勝負はついた。だというのにどういうつもりなのだ。
まさか、まだ気がすまないというのだろうか。
だが、ツバキの想像は的外れだった。
「オレが拳で気に入ってんのは……自分の意志で握れるってとこだ。自分の意志で握れるっつーことは……自分の意志で開くこともできるっつーことだ。……だから」
ゼキがセイハへ歩み寄ると、彼へ開いた右手を差し出した。
「最高の喧嘩だったぜ、セイハ――――もうちょっとだけ、立てるか?」
「……殴り足りないか?」
「バーカ。それもあるけど、そうじゃねえよ」
寝転んだままセイハが笑い、ゼキの右手を掴んだ。
そして――――あれだけ互いを傷つけた右手と右手が触れ合った。
蒼天院セイハに対してはそうではないが――ゼキの基本的な考えとしては、『タイマン張ったらダチ』だ。
拳と拳。魂と魂をぶつけ合えば、幾億の言葉を交わすよりもずっと深く分かり合える。
だからこそ、ゼキは拳を、喧嘩を愛している。
ゼキが誰かを殴るのは――相手を否定したい場合もあるが、相手を深く知りたいという場合もあるのだ。
戦いが終われば、戦いの最中の憎しみは全て捨てる。
いちいち過去のことは言い続けるような陰湿さは性に合わない。
セイハを立ち上がらせるゼキ。
互いが互いを肩で支え合った状態。
そして、ゼキが叫んだ。
「桃瀬さぁ――――――――――んっっっっっ! マイク貸して――――――――っっっっっっっ!」
『え……!? ちょ、ゼキくんなに……!?
ああ、失礼しましたっ!
なにやら真紅園選手、伝えたいことがあるそうです!!
ちょっと誰かマイク届けてあげて!!』
戸惑う実況の桃瀬。
スタッフが慌ててマイクを持ってゼキに駆け寄り、彼にマイクを渡した。
「いいか、よく聞けよテメェらああああああああああああああああ――――――ッッッ!」
突然勢いよく叫びだすゼキ。
そして。
すぅぅぅ…………と大きく息を吸って、ゼキはさらに叫んだ。
「この街には――――――オレ達がいるッッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、セイハの目頭が熱くなった。
「この街でナメた真似するっつーことは、オレとセイハに喧嘩売るっつーことだ。そこんとこよォ――く考えろよ。わかったか、悪党どもッ! 震えて眠れやッッ! カッハハハハッ!」
気持ちよく叫んで、気持ちよく大笑いし始めるゼキ。
隣でセイハが苦い顔をしていた。一秒前に目頭が熱くなったことを取り消したい。
セイハの街を守るという正義と、ゼキの意地。
どちらが強いか――その答えは、試合の結果を見た通りだ。
だが、どちらが正しいかなど、決められるはずがない。
そして、ゼキは正しさや強さはさておき――セイハが負けたことで、彼を見くびる者が出てくるのが許せなかった。
セイハという《頂点》が崩れ、今の平和が壊れてしまう――そんなことは許さない。
セイハがゼキに負けたところで、セイハの強さは変わらない。
――――そして、もう一つ。
「オレはこの街を、この大会を汚すヤツは絶対に許さねえ――――覚悟しとけや?」
今度はカメラを睨みつけて――その向こう側で、この試合を見ているであろう相手を意識して、ゼキは言った。
これは宣戦布告。
この大会に潜んだ悪党、大会を利用しようとしている者。
――――赫世アグニへの、宣戦布告だ。
――――セイハを倒しちまったんだ。代わりにオレが悪党をぶっとばさねーとなァ……。上がってこいや、赫世アグニ。三回戦でブッとばしてやる。
ゼキの行動の意味を全て理解したセイハは、呆れたように笑った。
「……まったく……敵わない訳だ」
負けた後のフォローまでされてしまうとは、立つ瀬がない。
「――――ゼキ」
セイハはゼキを呼んだ。
彼はスタッフにマイクを返すと、こちらを歩んでくる。
セイハは、指先で自身の頬を示す。
それだけで、伝わった。
同時に二人が駆け出し――
同時に再び、拳を放ち――
互いの顔面を、拳が捉える。
立っていたのは――――
「……ああ、まったく敵わないな」
セイハは満足そうに笑って、倒れたまま騎装都市の青空を仰いだ。
「――――しゃァッ! 完全勝利ッ!」
ゼキは満足そうに笑って、再び右の拳を高く高く掲げた。
◇
――――迅雷の逆襲譚 第4章
――――蒼銀の英雄譚/真紅の決闘譚
――――これにて、決着。




