第32話 拳の理由
――――「なあ、テメェはなんのために拳を握るんだ?」
ゼキには一つの持論がある。
――それは、本当に大切なことには細かい理由など存在しない、というものだ。
なんのために拳を握る?
なぜ戦いを求める?
なぜ最強を目指す?
なにがそこまで駆り立てる?
なぜそのような在り方なのだ?
何故、何故、何故――と、ゼキはこれまでの人生で、無数の問いを投げかけられた。
そして、その全てに対しての解答は、たった一言でまとめられる。
――――――知るか。
知ったことではない。
理由? そんなものはない、存在しないのだ。
――本当に大切なことに、理由などない。
ただ本能が、己の魂が、そうしたいと叫ぶだけ。
そういう在り方なのだ、そう生まれついてしまった、ただ、それだけ。
そうなるしかないというだけの話。
ゼキは自身の今の在り方に疑問はない。
満足している。この在り方しかあり得ないと思っている。
あと何度人生をやり直せると言われても、何度だってこの在り方を貫いてやると断言できる。
――しかし。
大切なことに細かい理由などないと考えてはいても、同時にこうも思う。
人は、理由がなくては納得できない。
ただそう在るから、ということに対しても、後付で理由をこじつけたくなってしまう生き物なのだ。
それはゼキにとっては矛盾だった。
理由はいらないと思っているのに、後からそこに理由をつけてしまう。
他者へ己の心象を説明するという、不必要で面倒なことのためにしようと思っていたことではあるが、しかし――理由などいらないとは思っていても、あって邪魔になるものでもないと、そう思う時もある。
ゼキはそれを別に悪いことだとは思わなかった。
むしろそうやって理由をつけていくことで、さらに魂の叫びから生じた渇望を強化していくことが出来るのではないかと考える。
最初の問いに戻ろう。
――――なんのために、拳を握る?
◇
ゼキは幼少期の頃から、手のつけられない獣のような子供だった。
彼女の妹、クレナの振る舞いなどからも分かる通り、真紅園の家は代々続く魔術師の家系で、家の者には品格というものが求められる。
――が、ゼキはどうしてもその『真紅園家らしさ』、『魔術師らしさ』というものが大嫌いだった。
気に入らないやつがいれば殴り飛ばす。
その生き方を曲げる気はなかった。
しかし、それはゼキに喧嘩を売ってきた者だけに限り、決して自分よりも弱い者を傷つけることはしなかった。
弱い者を殴っても意味がない。そんなことをしても満たされない。
殴るなら、自分より強いヤツだ。
そのような在り方故に、ゼキは周囲から疎まれ、蔑まれ、恐れられていた。
徹底的に『魔術師』としての在り方を貫く父親からは、『失敗作』と呼ばれた。
だが、ゼキの母親は、他の者とは異なる接し方をしていた。
とても穏やかで、優しい人。
いつも笑顔で、ゼキのことを心配してくれていた人。
喧嘩で傷をつくると、治療をしながら優しく話を聞いてくれた。
ただ、ゼキがやりすぎて必要以上に相手を傷つけた時などは、烈火の如く叱られた。
父親は大嫌いだったが、母親のことは大好きだった。
――――それなのに。
◇
真紅園家は、現代において《魔術師》が《騎士》と呼ばれる以前より、異能の力を探求し続けてきた《七家》が一つ。
その《七家》の子供――特別な赤の名を与えられているというのに、期待をかけられていたというのに。
――ゼキには、才能がなかった。
当時ゼキは知る由もないことだが、同年代であり同じ《七家》の蒼天院セイハと比べても、魔力量が劣っている。
才能がないくせに、気性だけは荒い。
それ故にゼキの父親は、ゼキに失敗作の烙印を押した。
そして、その責任を母親へ追求した。
こんな使えない子を生んだ母体は、もう必要がないと、そう結論づけた。
翠竜寺ナギの一件からも分かる通り、《七家》の者は時に現代の倫理観ではあり得ないのような考えを持つ。
かくして――ゼキの母親は、一族を追放された。
二度と真紅園家の者とは関われない。それが一族の掟だ。
そんなことを言われて、ゼキが従うはずもなく、だったら自分も『真紅園』などやめてやると言って暴れたが、無駄だった。
その時にはもう既に、母親は姿を消していた。
『……ゼキ。強い子に生んであげられなくて、ごめんね。ダメなお母さんで、ごめんね。
もう二度と会うことではできないけれど、それでも私は、あなたの幸せを一生願っています』
そして、もう二度と母親に会うことはできなかった。
母は、ゼキのためを思って会わなかったのだ。掟を破れば、ゼキにまで危険が及ぶ。そうならないために、彼のことを思って、彼から離れた。
当時ゼキは13歳。
――それ以降、ゼキは真紅園の家を出た。
◇
13の子供だろうと、騎装都市であれば一人で生きていく術もある。
都市内では外とは法律が違う。格闘大会の賞金や、騎士を対象とした実験などで食い扶持を稼ぐ手段はあったし、学生寮に入れば寝床もあった。
《七家》の在り方を憎んでいるというのに、結局自分も《騎士》であることを利用して生きていくのは癪だったが、真紅園の家にいるよりもずっとよかった。
そんな時だった――あの男と、雷轟ソウジと出会ったのは。
その時のゼキは荒れていた。
気に入らない人間にはすぐに喧嘩を売る気性は、幼少期から変わっていないが、それまでにも増して些細当時の彼は危険だった。
それ故に、彼は都市内でちょっとした噂になっていた。
――能力自体は大したことがないのに、とんでもなく強い子供がいる。
ゼキは非合法なことに手を出すつもりはなかったが、そもそも彼が繰り返している喧嘩は、《ガーディアンズ》に見つかれば当然取り締まられる。
その日も喧嘩をしていたはずだ――相手を殴り倒したところで、その男は現れた。
「よう、ガキにしちゃ強いじゃねェかテメェ」
「……あァ? 誰だよアンタ」
ゼキはソウジを見てこう思った――こいつは、この男は、こちらよりも己のが上という確信を持っている。
だから、殴りかかった。
上から目線が、ムカついた。
――そして、完膚なきまでにやられた。
「ッはは……、ガキのわりにゃ強ェな、テメェ」
お互いにボロボロではあるが、ソウジは少しも本気ではなかった。
わざとゼキの攻撃を食らっていたのだ。
その拳に込められた想いを味わうように、あえて拳を受けていた。
それがどうしようもなく腹が立った。
だが同時に――彼との実力差が、あまりにも開いていることもよくわかった。
後から知ったことではあるが、その男は――《護国天竜八部衆》の一人。
彼が本気になれば、ゼキなど一撃で殺されていた。
それでも、ゼキにはそんなことは関係がない。
今すぐに勝てなくても、いずれ必ず倒すと決めていた。
ソウジは最後に、彼にこんな問いを投げかける。
――――「なあ、テメェはなんのために拳を握るんだ?」
その時のゼキは、問いに対する答えを持っていなかった。
「考えてみるといいぜ。テメェどうして拳を握る? わからねェなら、テメェはただの狂犬だ。犬っころにゃ負けてやれねェなァ?」
――それから数年後。
真紅園ゼキ、16歳。
彼は――宿命と相見えた。
◇
セイハとの出会い。
屈辱的な敗北。ソウジの時とは違う。同年代の、あの御大層な正義とやらを語る、こちらを見下した偉そうな男――なにもかもが気に入らなかった。
全存在を、否定された。
全存在を、否定してやりたかった。
父親よりも腹が立つ人間に会うなんて、想像もしたことがなかった。
――――真紅園ゼキの人生において、蒼天院セイハは最も許せない相手だった。
――そして、零堂ヒメナとの出会い。
逆襲を誓い、再びセイハへ挑むゼキ。
セイハとの再戦、そのためにはまず、彼の部下を倒さねばならなかった。
立ちはだかるセイハの部下《四天王》。
最初の《四天王》、零堂ヒメナ。
『アンタじゃオレには勝てねーよ。そんなつまんなそーに戦ってるヤツに負けてやれねー』
ゼキはヒメナに勝利した際、彼女にそう言った。
後から思えば、あまりにも酷い言葉だった。
ヒメナにずっと表情がないのは、過去の凄惨な事件により心が壊れそうになったのを防ぐためだ。
彼女だって、好き好んで無表情でいる訳ではない。
残りの四天王との戦いの中で、少しずつヒメナのことを知っていくゼキ。
いつしか、リベンジ以外の戦う理由ができていた。
ヒメナのために。
だって思ってしまったのだ――――無表情な彼女も、冷たい氷のような美しさがあるが、しかしそれでも。
あの美しい彼女の笑顔が見たいと、願ってしまったのだから。
やがて迎えるセイハとの決戦。
――――その時ゼキは、初めて誰かのために戦った。
ずっと自分のためだけに戦ってきた。
自分が誰かのために戦えるなんて、考えたこともなかった。
だって、彼の守りたかった人は、もういない。
母親には、二度と会えない。
自分はずっと、誰かのためになんて理由では拳を握れないと思っていた。
それがどうしようもなく、嬉しかった。
誰かのために。
ヒメナの笑顔が見たい。
そう思えば、無限に力が湧いてくる気がした。
――――同時に、こうも思った。
――――それは、■■ではないのだろうか。
◇
セイハに一度は勝てた。
だが、昨年の決勝戦――天導星河のもとで己を鍛え直したセイハに、完膚無きまでに負けた。
そしてゼキは、再びソウジのもとへ向かう。
ソウジは問う。
「――――答えは見つかったか?」
ゼキは答える。
「――――見つかったッスよ、これしかねえってヤツが」
◇
《お兄様……っ! お兄様……、しっかりしてくださいっ、目を開けてください、お兄様……っ!》
セイハの《開幕》により、氷水の牢獄へ囚われ、連撃を叩き込まれ、腕を折られて、意識を刈り取られようとしている。
薄れゆく意識の中で、クレナの声が届いていた。
まさに絶体絶命。
いいや、それどころか、どう考えても敗北しているとしか思えない。
ここから逆転する方法などない。
また、負けるのか。
また、敗北を味わうのか。
《………………聞こえてるよ、クレナ》
《お兄様、意識が……っ!》
意識はあった。
だが、それがなんだというのだろう。ここから何ができるというのだろう。
いいや、生きていてくれただけで、それでいい――そうクレナが考えた時だった。
《――――クレナ、使うぞ》
ゼキの言葉に、クレナは息を呑んだ。
◇
《開幕》の使用。
それがクレナにとって、何を意味するのか。
そもそも、なぜゼキはセイハの《開幕》に対し、即座に《開幕》をぶつけなかったのか?
セイバはトキヤの《開幕》に対し、即座に自分の《開幕》を使用していた。
それが《主人公》同士の戦いでの基本だ。
《開幕》なしでは、《開幕》には敵わない。
そんなことはゼキもわかっている。
それには複数の理由がある。
まず、セイハの《開幕》があまりにも特殊だったこと。
使わなかったというより、使う隙がなかったのだ。どういう能力なのかわからない状態で使えば、最悪の場合《開幕》を無駄打ちさせられる。そうなればそこで終わりだ。
セイハの動きを捉えることすら出来ないというのも、ゼキにとっては厄介だった。
次に、ゼキの《開幕》があまりにも特殊なこと。
彼の《開幕》は、武装強化系でも、能力強化系でも、世界創造系でもない。
非常に使い勝手が悪いものなのだ。
使い方を誤れば、何の効果もない場合すらある。
タイミングの見極めが重要。相手の《開幕》の全貌がわからない状態では使えなかった。
最後に――ゼキは《開幕》をまだ安定して発動させることができない。
その理由は、クレナにあった。
ゼキとクレナには、同調率が安定しない時がある。
彼らの相性は悪くはない。
では――なぜか?
◇
ゼキは右手を前方へ向け、魔力を集約。
激烈な爆発を起こし、一気に後方を飛ぶ。
――――背後に組み付いたセイハごと、だ。
「――……ぐッ!?」
――セイハは驚愕する。
まだ意識があったこと。
まだ抵抗する気力があったこと。
まだ呼吸が続いていること。
それに、水中の中であれ程の爆発を引き起こしたこと。
爆発の勢いで、二人はまとめて吹き飛び、セイハが背中から氷の壁へ叩きつけられていた。
だが、離さない。
叩きつけられた一瞬、僅かに締め付けが緩みかけたが、再び締め直す。
逃さない、確実にこれで仕留める。
不安要素があるとすれば《開幕》。
だが、ゼキはまだ使っていない。使えば魔力の高まりでわかるはずだ。
大抵の《開幕》は、使用前と使用後では、魔力が桁違いに変化する。
なぜ彼は《開幕》を使わないのか?
使用する隙がなかった? なにか条件がある?
答えはわからないが、これ以上なにもないのなら――この勝負は、これで終わりだ。
◇
なぜゼキはまだ水中で動けているのか?
意識がある――どころか、顔色の変化が出ていないことは、明らかにおかしい。
もうこちらの《開幕》を発動させてから、5分は経過しているはずだ。
それもただの5分ではない、その間攻撃を加え続けているのだ。
――ありえないことだった。
息止めの世界記録では、20分息を止めることができる者などもいるが、それには専用の訓練が必要だ。
驚異的な肺活量、さらには記録挑戦前には絶食し、代謝を落とすなど。
攻撃を加えられている状態では、酸素を消費する速度も大きく変わるだろう。
やはりどう考えてもありえないはずなのだ。
ゼキが未だに抵抗できるはずがないのに――。
(…………まさか)
セイハは思い至る。
ゼキの魂装者の能力は――《血液操作》。
◇
――人間は肺へ取り入れた空気の中から酸素を取り出し、全身の血液を行き渡らせている。
酸素を必要としているのは、血液なのだ。
ゼキは、体内に酸素を含んだ血液を生成、さらに血中の酸素と二酸化炭素を調整して、水中での活動を可能にしていた。
そう長く続けられることではない、無理に血液を増やせば、彼の体は内部から破裂するだろう。
決して精密性がずば抜けて高い訳ではないゼキが出来る、限界の精密魔力操作でやっと成り立つ荒業。
そして、水中での爆発。
これも血液を利用した。
セイハがスーパーキャビテーションや、ウォータージェット推進など、魚雷を参照したように、ゼキも同じく、魚雷から着想を得た。
なぜ魚雷は水中で爆発するのか? それは、爆薬に酸化剤が含まれているからだ。
ゼキは酸化剤代わりに、高濃度酸素が含まれた血液から抽出した酸素を使った。
セイハが《水》という概念そのものに干渉し、水中から酸素を取り入れているように、ゼキもまた血液から酸素を取り出した。
これもまた高い精密性が要求される術式だったが、どうにかやり遂げた。
――――が、ここまでしたところで、ただ活動できる時間を伸ばし、セイハに僅かなダメージを与えただけ。
拘束は未だ解けていない。
しかし――。
◇
――――使うぞ。
そう言われた時、クレナは一瞬恐怖してしまった。
彼女が恐れていること。
それは、同調率が高まることによって、相手に自分の思考が流れてしまうこと。
ある程度は制御ができる。
だが、高まれば高まるほど、全てが曝け出されてしまう。
なぜそれを恐れるのか。
クレナには、秘密があるから。
クレナの秘密、それは。
――兄であるゼキを、異性として愛していること。
――そして、彼女はゼキが傷つき、壊れていく様を美しい(・・・)を想ってしまうという、壊れた感性を持っているということ。
それを兄に知られたくない。
だから、二人の相性は悪くないというのに、同調率が安定しないのだ。
クレナの中にある恐怖。
それがある限り、《開幕》が確実に発動するとは限らない。
◇
――――真っ白い、空間だった。
そこにぽつんと、クレナが立っている。
同調率が高まったことで、魂と魂が繋がり、時間が引き伸ばされ、二人の意識が共有された精神世界。
「……クレナ、オレが信じられねーか?」
目の前には、ゼキがいた。
最愛の兄が、こちらを見据えている。
「…………違うの、です……全て、わたくしがいけないのです……」
「……」
クレナは泣き崩れてしまう。
自分のせいで、兄に迷惑をかけている。
兄が負けてしまう。
それだけは、許せない。
――――戦う兄が好きだ/傷つく兄が好きだ。
――――戦う兄が好きだ/血を流す兄が好きだ。
――――勝利して、子供のように嬉しそうに笑う兄が好きだ/敗北して、絶望に顔を歪める兄が好きだ。
真紅園クレナは、壊れている。
真紅園ゼキが、戦いに取り憑かれていたように。
真紅園クレナは、『戦いに取り憑かれた兄』に取り憑かれ、異常な愛を注いでいる。
知られたくない/勝って欲しい。
知られたくない/負けないで。
知られたくない/こんな醜い自分を、知られたくない。
「――――なあ、クレナ」
ゼキが静かに、言葉を紡ぐ。
そういえば、どうして彼のことを好きになったのだろう?
◇
クレナとゼキは、腹違いの兄妹だ。
ゼキの父である真紅園紅葉は、ゼキの母親が追放される以前から、別の女性とも子を設けていた。
そこになんの罪悪感もない。倫理観が根底から異なっている。
あの男にとって、子供など所詮は道具。それを生み出す母体もまた、道具だ。
ゼキは父親を憎んでいる。
それを知っているクレナは、自分もまたゼキに憎まれていると思っていた。
ゼキは失敗で、クレナは成功だと、そうあの男も言っていたから。
憎まれていると、そう思っていたのに――――。
ある時、クレナが誘拐されそうになったことがあった。
真紅園の子供である以上、それだけで価値が生じる。
身代金目的でもいい、裏の研究機関に売り飛ばしても良い。とにかく、魂装者であるクレナが一人の時を狙えば、労力以上の報酬が手に入る――そう考えた悪党が、クレナをさらおうとしたのだ。
――――助けたのは、ゼキだった。
「…………どうして、なのですか?」
「あァ?」
「なぜわたくしを助けるのですか……? 貴方は、わたくしが憎くないのですか?」
「……母さんに、言われたんだ」
「……え?」
「男は、女を守るもんだ」
「……それだけで?」
自分はその母親を虐げる男と、別の女から生まれたというのに?
「充分だろ。……それに、お前はオレの妹じゃねえか」
「憎んでいないのですか? わたくしには、お父様の血が流れているというのに」
「オレにも流れてんだよ、ンなもんは。ならオレはあいつが嫌いだから自殺したほうがいいのか?」
そう言って、ゼキは挑発的な笑みを浮かべた。
「それは……そうは、想いませんけど……」
◇
「――――お兄様……、わたくしは…………」
クレナが言葉を紡ぐよりも先に。
「――――知ってたよ、お前、オレのこと好きだろ?」
「な、な、なっ……なにを言い出すのですか……そんな、こと、ありえませんわ……っ」
「馬鹿、同調してる時に流れてくる思考じゃ嘘つけないだろ?」
「……そんなっ! わたくしは確かに制御できていたはずで……っ!」
「ばーか。鎌かけたんだよ。同調してる時にゃ流れてきてねーが、それでも見てりゃわかるぞ?」
「なっ、なぁぁぁ…………っ! お兄様、あなたって人は……ッ!」
「……っはは。お前辛気くせーツラしてねえで、そうやってたほうが可愛いぞ?」
「~~~~っっ! な、なんなんですの? もっと他に言うことはないのですか!? おかしいとか! 気持ち悪いとか! たくさんあるはずでしょう!?」
「――――別にねえけど?」
心の底からそう思っていることが、よくわかった。
「気持ち悪くねえよ、可愛いだろ。まあ、悪いな――オレ、ヒメナが好きなんだ。だから付き合えねー。妹だからとかじゃねえよ。だってオレは真紅園の家なんかどうでもいいしな。お前と付き合うためなら、クソオヤジぶん殴って逃避行ってのもアリだぜ?」
「あ、……あな、あなたは、本当に、一体、な、なにを……っ!?」
次から次へととんでもないことを言い出すゼキに、クレナの思考は混乱していく。
「なあ、クレナ――お前、自分がおかしいと思ってんだろ?」
「……ええ」
「オレは別にそんなこと気にして……」
「……それだけじゃないのです! わたくしは、お兄様が傷つく度に! 血を流す度に! 血に伏せる度に! どうしようもなく愛しく感じてしまうのです! お兄様の血と傷に、どうしようもなく惹かれてしまう! お兄様を通して痛みを感じる度に、どうしようもない快楽を覚える破綻者なのです……っ!」
「――ふぅーん、で?」
一蹴だった。
長年隠し続けていたのに、ずっとバレてしまうのが怖かったのに。
それを、ゼキはなんでもないことのように聞いている。
「……だから、それも含めて知ってたっての。……それ、なんか悪いか? オレも別にぶん殴られて血吐いてる自分が好きだぜ? だって楽しいしな。それの何がいけないんだ? 人と違ったらおかしいか? 人と違うもん好きじゃダメか? ボケ抜かせよ、なんでわざわざ他人に感性全部合わせねーといけねえんだ? 知るかよそんなもん」
「……貴方は、どこまで……」
――どこまで馬鹿なのだ。
――どこまで壊れているのだ。
どこまで。
どこまで。
――――どこまで好きにさせるつもりなのか……。
「気ィ済んだ?」
「……いいのですか、こんなわたくしが妹で。こんなわたくしが魂装者で」
「最高じゃねえか。オレがぶっ壊れてんだ、お前がまともだったら大変だったんじゃねえか?」
「…………ふふ、そうですわね……、まともな人間に、貴方なんかの魂装者は務まりませんわ」
「だろ?」
「……ええ、そうですわね」
――ああ、敵わない。
ずっと一人で悩んで、心の奥底に本音を隠していたのが馬鹿みたいだ。
――――大好きです、お兄様。
けれど兄が愛しているのは、別の女。
それでも構わない。
ねえ、ヒメナさん――――だって貴方は、お兄様の武器にはなれないでしょう?
真紅園クレナには、これで充分。
これだけで、どうしようもなく幸せだ。
「じゃ、行くか」
「……はい、行きましょう」
「見てえんだろ、オレがボロボロになって血ィ吐いてでも、あいつぶん殴るとこ。特等席で見せてやるから、よォ――く見とけよ?」
「――――ええ、しかと見届けますから、ブチかましてくださいませッ!」
そして。
真っ白な世界は砕け散って――――
砕けていく世界で、彼は呟く。
「――――《開幕》――――」
◇
水中で首を絞め上げられ、声を発せずとも。
心の中で、それを叫べば――物語は、起動する。
――――《開幕》――――
――――《赫焉拳華・神須佐能袁命》――――
◇
――――なにか不味い、と即座にセイハは異変を感知した。
ゼキの魔力が桁外れに上昇する。
《開幕》だ。
どんな《開幕》を使うかは不明だが、恐らく彼の気性を考えると攻撃系のはず。
水中でなら、こちらが圧倒的に有利。
絶対に躱せる――。
一度躱せば、もはや逆転の方法はないはずだ。
これを躱せば、勝利――。
そう判断し、拘束を解いて素早く離脱、ゼキから距離を取るが――
◇
(距離を取ったのは正解だぜ、セイハ……だってよ――)
ゼキの《開幕》。
武装強化系でもない。
能力強化系でもない。
世界創造系でもない。
《開幕》には、持続時間がある。
扱いに慣れていなかったアンナの持続時間が短いのは当然として、そうでなくとも、特性に応じて持続時間が変わってくる。
長いものから、世界創造系、武装強化系、能力強化系だ。
トキヤや星刃に比べ、セイハの持続時間は長い。
一度生み出した海牢の世界は、魔力供給を新たに受けずとも存在し続けるからだ。
その気になれば、一日中維持することもできる。
これは他の《開幕》ではありえない特性だ。
アンナのものが数分。トキヤやセイバも、魔力使用量によるが、せいぜい十分持つかどうか。
――――そして、ゼキの《開幕》は。
――術式強化系。
――持続時間、一秒。
――――その効果は。
――――これより放たれる技は。
《開幕》限定拳技。
真紅園流、〝炎華〟が改――――《赫焉拳華》。
ゼキの《開幕》能力。
たった一度に限り――――自身の魂から引き出した魔力全てを集約させた一撃を放つことができる。
◇
――――「なあ、テメェはなんのために拳を握るんだ?」
その答えは。
――――自分のため。戦いが楽しいから。勝つのが嬉しいから。ムカつくヤツをぶん殴った時が、偉そうなやつをぶん殴った時が、最高に気持ちいから。
――――誰かのために。自身の強さを証明し続け、己は失敗作ではないと、母は何も間違っていないのだと、あなたが自分を生んでくれたことを、なによりも感謝していると、どこかにいる母へ伝え続けるため。
――――ヒメナのため。彼女の努力は無駄じゃない。彼女のためになら頑張れる。彼女への愛を証明するため。
――――クレナのため。最高の魂装者だと証明するため。彼女が自分を壊れていると思うのならば、それを肯定し続けるため。
――――これまで戦ってきた全ての敵のため。敬意を表すべき敵達を踏み越えて、ここに立っている。ならば不甲斐ない戦いなど、見せることはできない。
――――理由などない、ただ本能のままに、魂のままにやっているだけ。
どれも真実だ。
大切なことに、理由などいらない。
だが、同時に後付でいくらでも理由はつけられる。
矛盾するが、どちらも真実。
そして何より、これら全てを――――この拳で握りしめるため。
拳を振るいたい本能も、背負ってきた想いも、全てを握るため。
――――そのために、拳を握る。
そもそもなぜ拳なのか――――?
剣でも、槍でも、銃でも、槌でも、弓でも、斧でもない。
男が生まれ落ちたその時から宿した武装。
ゼキにとって、戦いとは魂をぶつけ合う行為だ。
相手に己の魂を一番ダイレクトにぶつけられるのが、拳だから。
拳は、誰しもが持っているというのに、自分の意志で握らなくては武器になり得ない。
拳を武器とするということは――――己の意志で、それを握ったということなのだ。
一言で表そう。
あの時、ゼキはソウジにこう返していた。
「決まってるじゃないッスか――――オレの魂を握りしめて、そいつを相手に叩きつけるためですよ」
ゼキの中にぐちゃぐちゃの衝動――その全ては、彼の魂の叫びから生じる。
それらをまとめて、この手の中に。
◇
――――オレの拳は、砕けねえ。
そして。
――――オレの拳は、全てを砕くッッ!!
ゼキは爆破により下方へ着地し、水中だろうが何時も通りのモーションで拳を振り抜いて――――。
凄まじい水流が巻き起こり、セイハの体がそれによって氷壁に叩きつけられた。
直後、凄まじい衝撃が炸裂して、水中を駆け抜けて、海牢の中全てを撹拌する水流が巻き起こる。
『破ったあああああああああああああああ――――――っっっっっっ!!!!
真紅園選手、なんと蒼天院選手が出現させた巨大な氷をッッ!!!!
凄まじい魔力が込められた!! 何者にも砕けないと思われた氷をッッ!!!!
一撃で粉砕して見せたあああああああああああああああ――――ッッッッッ!!!!』
「っぷはぁー……ッ! ッあァ~~~……苦しかったァ…………息ができるって最高だな……」
ゼキはぶるぶる頭を振りながら水を飛ばして、髪をかきあげる。
絶対に壊れないと思っていた氷をブチ破った。
大穴が空いた氷箱からは、凄まじい勢いで水が噴出して、リングを水浸しにしていく。
――ばしゃん、
――――ばしゃん、
飛沫が上がる。
足音が、二つ。
ゼキのものと、もう一つ。
ゼキが振り返る。
足元が水で満ちたリングの上で。
再び、二人の男が――――再び向かい合った。
「まさかそんな方法で俺の《開幕》を破ってみせるとはな……」
「小難しいのもいろいろ考えたけどよ、たぶんそういうの全部対策してんだろ?」
例えば凄まじい熱量で水蒸気爆発を引き起こす。
その場合は、セイハは自身を《天蓋》で守り、さらに氷箱全体の強度も、瞬間的に魔力を注いで引き上げることができた。
そもそもまず引き起こす隙など与えないはず。仮に試みても、凍らせて温度を下げることもできただろう。
例えば氷を溶かす。時間をかければ可能だが、そんな隙をセイハが許すはずがない。
例えばセイハ自身を倒す――これは一番現実的ではなかった。
水中のセイハは、はっきり言って無敵だ。
だが、セイハへ直接《赫焉拳花》を叩き込むというの策もあった。恐らくそれが成功すれば試合は終わっていたが、セイハが食らってくれるとも思わない。
あの時、咄嗟に距離を取ったのはさすがと言ったところか。
締め上げられた状態での一撃だろうが、《開幕》で引き上げられた威力を当てることができれば、それで倒せたはずだ。
「さァて……これでお互いもう《開幕》はねえな」
「……ああ、そうだな」
「ンじゃもう一回殴り合いといこうや。《開幕》前はオレが勝ってたんだ、っつーことはオレの勝ちじゃねえか?」
「……馬鹿を抜かすな。貴様の負けだ――もう一度よく考えろ、その左手はどういう状態だ?」
「ちょうどいいハンデだろ?」
「その思い上がり、叩き潰してやろう」
ゼキの左手は折れている。
だが、今さらそんなことはどうでもいい。
セイハが駆け出す――同時、ゼキも駆け出した。
セイハが右手を振り上げ。
ゼキもまた右手を振り上げた。
――――ッッガキィッ!! と凄まじい音が響いて、互いの右手と右手、魂装者と魂装者が激突する。
依然として、二人の拳は衰えていない――――だが。
《セイハ様……申し訳、ありません……》
《お兄様……わたくしが、不甲斐ないばかりに……》
二人のガントレットが、砕けていた。
同時に霊体から実体へ戻り、武装化が解けてしまう。
「クレナ、サンキューな。後は任せろ、下がって休んでてくれ」
「ツバキ、よくやってくれた。ここから先は俺に任せてくれ」
魂装者の二人を後方へ下がらせて、男達は再び歩みだした。
「「――――ここから先は、男の喧嘩/闘争だ」」
さあ、本当の戦いを始めよう。
所詮これまでの戦いなど――――これより始まるそれに比べれば、ただの前座だ。




