第30話 ■■■■■■
試合開始直後、両者は全力で互いの拳をぶつけ合う。激突の余波でリングが砕ける一合は互角。
セイハは最硬防御技《天蓋》を展開――ゼキは、正面からそれを殴り、砕き割った。
その隙に氷騎士を出現させるセイハ。それに対しゼキは激怒。
遠距離攻撃が卑怯だ、などとはゼキは絶対に言わない。己の尽くせる手を尽くすのは、当然のことだから。
彼の逆鱗に触れたのは、自身を甘く見られたからだ。
あの技は『様子見』に使うもの。そんなものは、今更自分達の戦いに必要なはずがないと、ゼキはそう考えている。
「……なんていう一撃だ」
ジンヤは《天蓋》をたった一発で破壊したゼキの拳の威力に驚く。
あれが真紅園ゼキ。ジンヤもかつて為す術無くやられた相手だ。そして、次に戦う黒宮トキヤが倒したいと願う相手。
「――面白い」
アグニは二人の戦いを見つめながら、僅かに目を見開いた。
「相変わらずバケモンだな……」
あれだ、あの拳だ――トキヤは去年の戦いを思い出す。あの全てを砕く一撃に、自分は沈められたのだ。
◇
ゼキへ向けて駆け出したセイハが、激烈な勢いで拳を繰り出す。
大気を引き裂きながら、凄まじい威力が伴う右が迫る。
ゼキは左手で迫る右拳を外へ弾きつつ、自身の右を素早くセイハの顔面へ叩き込む。
――が、止まらない。
セイハは顔面に拳を叩き込まれながらも動き続け、弾かれた右を素早く戻してゼキの左手を取りにかかる。
「――ッ、」
掴まれる前に、迫る右手を再び弾くゼキ。しかしそこへ気を取られすぎた。
空いたゼキの左脇腹へ、セイハの右足が減り込んだ。
「がぁッ、ぐゥ……ッ!」
『良いのが入った――ッ! 真紅園選手の顔が苦痛に歪むッ!』
『真紅園選手、らしくなく慎重だね』
『慎重……でしょうか? 普通に打ち合っているように見えますが』
星河の言葉に、桃瀬が首を傾げた。
『真紅園選手は昨年の決勝で、セイハ――……蒼天院選手の、投げ技、極め技、締め技に徹底的に苦しめられた。敗因はそこだったからね。蒼天院選手はオールラウンダー、対して真紅園選手はピュアストライカーだ。打撃なら譲らないだろうが、それ以外の土俵に引きずり込まれるのをかなり警戒しているように見える』
ゼキはセイハに掴まれるのを警戒し、そこへ意識を集中させた――それを狙ったセイハの蹴りが入った。今のはそういう流れだったと、星河は言っているのだ。
『蒼天院選手はまだ打撃以外を使っていないが、使おうとはしている。警戒させるだけで効果を発揮している訳だ。強力な武器は、それを仄めかせるだけで効果を発揮する。基本ではあるが、強固だね。そこを攻略できないのなら、真紅園選手に勝ち目はないだろう』
『なるほど! 見た目以上に、真紅園選手は劣勢ということでしょうか?』
『さて、それはどうかな……どうなんだい、ソウジ?』
『それァ当然――見てのお楽しみですかねェ』
ソウジが不敵に笑う。それで星河にとっては充分だった。
何かある。そんなことは弟子であるセイハも当然わかっているだろう。
今は解説の立場だ。何も助言をするつもりはない。だが――信じている、ゆえに言葉は必要なかった。
その後も二人の激しい打ち合いは続く。
優勢はセイハ。なぜならば、ゼキはセイハに掴まれるのを警戒し、どうしても消極的にならざる得ないのが一つ。が、それよりも打撃の『接触時間』を減らさねばならないのが大きい。
本来であれば、拳を深く減り込ませるように打つところを、掴まれるのを避けるために素早く引かなければならないのだ。
今のゼキは、全ての打撃がジャブ気味になっている。
対してセイハは、容赦なく全力を打撃を浴びせてくる。ガードの上からでも、セイハの拳は効く。着実に削られているのは、ゼキの方だ。
このままでは腕が使い物にならなくなる。
腕や脚にダメージが蓄積すれば、攻撃にも支障が出る。
ゼキは早急に現状を打開する必要があるのだが――
――――そして、決定的な瞬間が訪れた。
セイハがゼキの右手を掴んだ。
このまま投げるか、崩して寝技に持ち込むか――いずれにせよ打撃以外の戦いならば、ゼキに勝ち目はない。
「よもやこのまま終わらないだろうな?」
「ンなわけねェだろうが」
――――ゼキの脳裏に過るのは、昨年の試合。
◇
ゼキは、一度はセイハに勝った。
だが、初対面の時に圧倒的な格の差を見せつけられ敗北したのに対し、こちらが掴んだ勝利は、ぎりぎりの辛勝。
数の上では一勝一敗でも、対等には程遠い。
そして、対等などで済ませていいはずがない。勝たねばならないのだ、完膚なきまでに。
絶対に勝つ、一度目よりも圧倒的に――そう決意して臨んだというのに。
しかし――セイハはそれ以上に凄絶な覚悟で臨んでいた。
ゼキが敗北し、その身の全てを悔しさで焼かれ、それからただセイハにリベンジを果たすためだけに生きていたように。
セイハもまた同じように――いや、ともすればそれ以上に、ゼキへのリベンジに、己の全てを賭していた。
磨き上げた技の前に、ゼキの拳は届かなかった。
その時ゼキは、研ぎ澄まされた武の力を知った。
拳を受け流される。もしくは躱される。容易く動きを捉えられ、投げ飛ばされてリングに叩きつけられる。
小枝を折るように、人体を破壊されていく。
ゼキはそれまで、ただ本能のままに拳を振るっていた。
気持ちよく相手を倒せれば、それでいい。
あの時の戦い――セイハとゼキの間には、人と獣程の大きな差が存在していた。
だが、今は違う。
二度目の敗北――それは、一度目よりもさらに深い絶望と悔しさになって、ゼキの心を焼き尽くした。
そんな時、ゼキは彼と再会した。
――――「なあ、テメェはなんのために拳を握るんだ?」
雷轟ソウジ。
かつて一度、ゼキは彼と出会っていた。その時も彼からは大切なことを学んだが、今度はさらにたくさんのことを学ぶことになる。
――「どうしても勝ちてェか?」
――「当たり前じゃないスか……」
――「テメェが拳を握る理由、見つかったか?」
――――オレが……、オレが拳を握るのは…………。
◇
掴まれた右手。このまま行けば、昨年の焼き直し。また体中を的確に、研ぎ澄まされた人体破壊術により、人形にでもするかのように解体される。
当然、同じ轍を踏むつもりなど毛頭ない。
「――……ッ!」
セイハは掴んでいる部位から魔力を感じた。
なにか不味い、即座にそう察して手を離した瞬間――
セイハが掴んでいた箇所から、血液を硬化させて生み出したトゲが伸びている。
「避けたか。察しの悪いノロマなら真っ赤なサボテンにしてやろうと思ったのによ」
「……なるほど、掴ませない気か」
「そういうこった」
血のトゲ。
単純だが厄介だ、あれでは掴みようがない。
ゼキは拳の中に血液を忍ばせ、セイハに掴まれた直後、血液を操作し、トゲを生み出す。
概念属性《血液》。
ゼキの魂装者、クレナの能力だ。
基本属性である《水》に近いが、《血液》は《硬化》の概念を宿している。それにより、拳に纏わせて打撃を強化することや、今しがたやってみせたように、様々な形状の武器へ変化させるといった使い方もできる。
「さあ――殴り合おうや」
これで接触は封じた。
こうなっては投・極・締全てが封じられているように思えるが――
「――俺が素直に貴様に従うとでも?」
掴んでいた。
セイハが、ゼキの右手を掴んでいる。
ならば当然、血のトゲによりセイハの手は串刺しになる――はずだった。
「これで逃れられないな」
ゼキの右手が、凍っている。
こうしてしまえば、血のトゲを出現させることも出来ず、さらに逃れることもできない。
観客達が息を呑む。
打撃勝負以外になれば、ゼキは圧倒的不利。
血のトゲという秘策は潰された。
ここまでかに見えたが、しかし――
「誰が逃げるかよッ!」
刹那――ゼキの左拳が、セイハの顔面を捉えた。
ゼキは自ら凍らされた右手でセイハの左手を掴み返し、彼を手前へ引き寄せ、左手で殴りつけた。
ゼキの手を凍らせるという一工程。
その一工程の、ほんの一瞬の隙。
それだけあれば、充分だった。
血のトゲは不発でも、そのたった一瞬を作り出しただけで、充分役割は果たしている。
――――目の前で一瞬稼げれば、拳など打ち放題だ。
ゼキはひたすらに左拳を高速で放ち続けた。
「ぐっ、うゥゥ……ッッッ!!」
セイハの呻き声が響く。
『ラッシュラッシュラッシュ――――――ッッッ!
真紅園選手、蒼天院選手を滅多打ちィィッ!!
至近距離での格闘と魔術を組み合わせた攻防を制したのは、真紅園選手だァ――ッ!』
「がッ……ごッ……く……、《天蓋》……ッ!」
殴り続けられながらも、どうにか魔力を練りあげ術式を構築。
ゼキの拳が止まる。
充分な魔力強化なしでは、高密度魔力の氷壁を砕くことはできない。
ゼキが充分に拳の威力を強化すれば、《天蓋》は破壊できる――が、その強化までの時間を稼ぐことは出来た。
セイハは後方へ下がる。が、この男がただ下がるだけで終わるはずがない。
直後、次の策を打っていた。
ゼキの周囲が――大量の氷壁で囲まれている。
一つ一つに膨大な魔力が込められている訳ではない。
これは防壁ではない。
ならばその用途は?
セイハは跳躍を繰り返し、空中に大量に展開された氷壁から氷壁へ飛び移っていく。
高速三次元機動――そして、ゼキがセイハを追いきれなくなった隙を狙い、彼に飛びかかる。
狙いは右腕。
変則飛びつき腕ひしぎ十字固め――零堂ヒメナが、龍上キララへ仕掛けた技だ。
そして、セイハはヒメナと同じミスはしない。
周囲を取り囲むように出現した氷壁は、キララがやって見せたように、相手諸共にリングアウトすることによって、強制的に技を解除させるという策への対処もできている。
逃れることは出来ない、一度技をかけられれば、逃げ場はない――!
その時、ゼキは静かに、こう呟いた。
「…………見てるかよ、ヒメナ」
◇
――その瞬間を、彼女は見ていた。
◇
ゼキは足元を爆破させ、高速跳躍。
「――――お前の努力、やっぱり無駄なんかじゃなかったぜ」
前方の氷壁へと着地、それによってセイハを躱した。そしてさらに跳躍。空中で後方へ一回転し、セイハの背後を取った。
躱されたことに気づいたセイハが振り返るも――もう遅い。
氷壁を利用した高速三次元機動格闘術。
それへの対策も、ヒメナと一緒に行っていた。
零堂ヒメナは、ゼキに勝ちたかった。
だから、セイハの技術を模倣し、強くなろうとした。
彼女は敗北した。
――それでも、彼女の努力は何一つ無駄などではなかった。
振り返ったセイハへ、ゼキの拳を思い切り叩き込まれた。
セイハの体が吹き飛んで、氷壁を数枚砕いてなおも猛進し、リングへと叩きつけられた。
『蒼天院選手、ダウン――――――ッッッ!!!!!!
序盤、押されていた真紅園選手が、最初のダウンを奪いましたァァァァ!!!!』
◇
「ゼキさん……ッ! 流石です……ッッ!! 流石……ッ、私が惚れた男です……ッッ!」
その一撃を見たヒメナは、瞳を潤ませ、拳を握り、観客席で咆哮した。
◇
蒼天院セイハが、天を仰いでいた。
仰向けに倒れている――あの最強が。あの、《頂点》が。こんな光景を見たのは、この場にいる大半の人間にとって初めてのことだった。
前回大会、セイハはただの一度もダウンを奪われずに優勝した。
決勝でも、何度も何度も立ち上がってくるゼキに対し、セイハは一度として倒されることはなかった。
その彼が、倒された。
敗北するかもしれない――どれだけ僅かでも、その可能性が浮かんでしまうだけで、大半の観客にとってはあまりにも衝撃なのだ。
蒼天院セイハとは、『絶対』であったのだから。
どよめきが広がっていく。
不安の込められた声が囁かれる。
「セイハ様、立ってくれ……ッ!!」
客席のどこかで、一人の少年が叫んだ。
彼は不良に絡まれているところを、セイハに助けられたことがある。
それから、彼に憧れ、少しずつ己を鍛え、いつか《ガーディアンズ》に入ってセイハの元で戦うのが夢だ。
「……がんばってえええっ、セイハ様ぁああああっっっ!」
客席のどこかで、一人の女の子が叫んだ。
いつか、セイハは彼女のことを助け出した。
炎に染まり、今にも崩れ落ちそうな建物を凍てつかせ、炎の中に飛び込んで。
ここで死んでしまうのかと、怖くて怖くて仕方なくて、全てを諦めていた彼女を、救ったのだ。
それから彼女にとって、セイハはヒーローだ。
彼の試合をいつだって応援してきた。
自分を助けてくれた彼が、今日も誰かのために戦っている。
それだけで、勇気が湧いてくる。
彼を思うだけで、自分も強くなれた気がした。
客席のどこかで――。
客席のどこかで――。
客席のどこかで――。
一人、また一人――誰かが立ち上がり、叫ぶ。
蒼天院セイハは、この街において誰よりも誰かを救い、守ってきたヒーローだ。
――――だから。
――――だから。
だからこそ、蒼天院セイハは何度だって立ち上がる――――!
不安など与えてはいけない。
敗北の可能性を過ぎらせた時点で、己は未熟だ。
圧倒的な勝利でなければいけなかった。
人々の願いに、答え続けなければならない。
悪にとっての、脅威になり続けなければならない
蒼天院セイハという最強が頂点に君臨することで、どれだけの悪を抑え込めているか、どれだけの人々が安心しているか。
――――その重みを、セイハは片時も忘れたことはない。
負けられない。
だから。
「――――《開幕》――――」
真紅園ゼキをいい気にさせるのは、ここまでだ。
これより先の物語、それは――
「――――《大紅蓮海牢・綿津見神》――――」
セイハの物語は、とてもありふれた――しかし、だからこそ誰もがそれを願い求めるモノ。
彼の物語は――。
◇
迅雷の逆襲譚
第一章 迅雷の逆襲譚
第二章 疾風の友情譚
第三章 漆黒の狂愛譚
――――そして。
これより幕開ける物語は。
第四章 蒼銀の英雄譚
◇
さあ、物語の始まりだ。
蒼天院セイハの英雄譚が、ここに幕を開ける。
◇
第30話 ■■■■■■
第30話 蒼銀の英雄譚




