第29話 「テメェで来い」
『相変わらずいい拳してやがる』
『――貴様もな』
祝砲の如く、拳撃音が夏空に響いた。
たった一度、拳をぶつけ合っただけで衝撃が広がり、リングが破壊される。
最初の一撃。二人はなんの打ち合わせもなく、真っ直ぐに己の魂を握る拳を繰り出していた。
再会の挨拶。
再戦の挨拶。
二人はずっと会っていなかった訳ではない。だが、戦場ではこれが一年ぶりだ。
その久闊を叙すように、拳を重ねた。それで、それだけで伝わる。これまでどれだけ鍛錬を積んできたか。どんな想いで拳を握っているのか。無限の言葉よりもなお雄弁に、この一合が全てを語る。
最初の激突――結果は、互角。
ぶつかり合った衝撃により、互いの体が僅かに仰け反り、後方へ一歩。
ゼキは即座に再び踏み込んで、右拳を真っ直ぐに放つ。
対してセイハは、一歩後方へ留まったまま、右手を開いて前方へかざして――
「――――《天蓋》」
ゼキの拳が迫る刹那、その拳をクリアブルーの壁が防いだ。
拳は氷で出来た半透明に壁に阻まれ停止する。氷壁には、傷一つついていない。
これまでも見せていた、超高密度の魔力を練り込んだ氷の壁。雪白フユヒメも使っていた、シンプルながらも、それ故に遊びのない強力な防御技。
翼なき人の身では天を超えることは不可能――そのような意味の込められた、絶対防御障壁。
「まだあの上があったのか……ッ!」
観客席のジンヤは、戦慄と共に声を漏らした。
ジンヤは《迅雷/撃発一閃》を以てしても、セイハの氷壁を砕くことはできなかった。
あの時よりも高い威力の攻撃を繰り出すことができるようになった。
それでも、蒼天院セイハにもまだ『先』があった。
《天蓋》。
込められた魔力量が桁外れだ。
果たして自分は砕けるだろうか、あの壁を。
しかし、砕けずともそれだけで絶望する必要はないはずだ。砕けないのなら、氷壁を躱して攻撃を加えればいいだけの話なのだから。
そうジンヤが考えた瞬間だった――――
「真紅園流――――〝炎華〟ァアアッッ!!」
刃堂ジンヤの考えなど女々しいと断ずるかのように、真紅園ゼキは氷壁を正面から殴り砕いた。
血液を硬化させて作り上げた右肘から伸びる角。そこから爆炎を噴射させ加速。
リングを砕く激烈な踏み込みの勢いを減衰させることなく拳に伝え、炸裂させる。
八極拳における爆発的な破壊力を持った突きと、自身の術式を組み合わせた技。
最硬の壁には、最強の拳を。
矛盾を許さぬ拳が、道を開いた。
しかし――セイハは恐怖も絶望も、驚きもない。
眉一つ動かさず、次の術式を発動させていた。
「《氷創》――《氷鎧騎士》」
この程度は計算通り。
最硬防御の壁すら、セイハにとっては所詮使える手札の一つ。
たったそれだけで、突破できる膂力を持たない騎士ならば永劫に完封できる技を、セイハはただの囮に使っていた。
氷壁で稼いだ時間で、次の術式を発動させている。
氷で出来た騎士達が、ゼキへ襲いかかる。
「セイハァ……テメェは…………ッッッ!!!
ふ、ざ、け、て、んじゃ…………ねえええええええぞコラァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!」
咆哮――直後、爆発。
ゼキは地面を踏みつけ、同時に足元で爆発を起こして、迫っていた三体の騎士を後方へ吹き飛ばす。
氷騎士が仰け反っているところへ、一番右端の騎士へ右のハイキック、そのまま蹴飛ばして別の氷騎士へとぶつけ、まとめて破壊する。
砕け散っていく氷騎士の頭部を掴み取り、それをセイハへと投げつける。
「くッッッッだらねえことしてんじゃねェぞボケがッ!! こんな木偶の坊でオレを倒せるなんて思ってねえだろうなァァァッッッ!? テメェで来い、テメェで! オレァ、テメェをぶん殴るためにここに立ってんだッ! 前座はいらねェ、全力で来いや、ビビってんのか、アァッ!?」
セイハは投げつけられた氷騎士の頭部を殴り砕く。
氷の破片が鮮やかに夏の陽射しを反射させて輝いた。
ゼキの叫びを受けて、セイハはしばし彼を見つめ――そして。
「……ふ、ふっははははは……ッ! ああ、そうだな……そうだったよ。俺と貴様の間に、小手調べなど必要なかったなッッ!」
セイハからすれば、ただ何時も通りに戦っていただけなのだ。
まずは遠距離から攻めて相手の手札を引き出し、様子見。
相手の技を暴いて観察しつつ、同時に相手の魔力と体力を削る定石中の定石。
それをして責められる謂れなど、どこにも存在しない――が、しかし。
――彼にだけは、別だろう。
セイハだって、無意識にそれを理解していたはずだ。
だから最初の一撃、ゼキに合わせて拳を放ち、拳をぶつけ合ったあれは、いつものセイハの定石から外れていた。
「いいだろう。貴様が俺が拳を振るうに値するかどうかなど、今更問うまでもない」
セイハは右手を握り、駆け出した。
この男は――この正義を握る絶対の拳で沈めなければならない。
そんなことは、わかりきっているのだから。




