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賭場荒らし

 大きな音の響いた方に、誰もがとっさに顔を向けた。


 音源は畳の端、シドの近く。

 彼のかたわらにひょこりと座っていた不気味な老婆が、歩くときに使うのだろうか、傍らに置いていたらしい木の棒を手に取り、しこたま床に打ち付けたのがさっきの原因らしかった。

 乞食のような老婆は怪しく笑いながら、杖なのか棒なのかを何度も打って、抑揚をつけるように何事かしゃべっている。


「頃合いだヨォ、エエエ、頃合いだヨォ、ようやく尻尾さ捕まえたゾォ、やっちまいなヨォォ……」

「本当にこっちに請求来ねえンだろうな、後で払えって言われても無理だからな」

「主様は嘘つかないヨォォ、ヒョォォォォ……」

「そうかい。んじゃ見届け人は終わるまで、邪魔になんねえどっかに引っ込んでな、巻き込まれにきた奴は面倒みねえからよ!」


 シドは老婆に向かって何事か確認のように語りかけ、得られた言葉に満足したのか、まるで威嚇のような笑みを顔に浮かべると、素早く手元の木の椀をつかみ、振りかぶった。


 直後、びゅんと賭場の空を切って飛ぶ物があり、そして再び今度は鈍く打たれる音が鳴る。


「ウッ――」


 鈍く悲鳴を上げ、ゆらり、とファランの手をつかんでいた男の頭が揺れた。

 頭にシドが投げた木の椀が見事命中したのだ。

 一体どれほどの力を込めて投げたのか、男の頭からは早くもだらだらと血が流れ、がっくり膝をついたかと思うと顔を覆ってうめいている。


 彼女は隙を見逃さず、素早く身体をひねって男から逃れる。頭部への一撃は重たかったのか、今度は難なくすり抜けることができた。


「ファランちゃん、こっち――!」


 荒事の気配にたちまち怒号に包まれかける賭場を見回し、ナークが走りながら手招いているのをみると一目散に駆け寄る。

 ナークの邪魔をしていた男は、いつの間にか畳の上に躍り出てシドに向かっていっていたようだった。


「荒らしだ、賭場荒らしだ!」


 誰かが叫ぶとわっと男達が一斉に立ち上がり、我先に出口めがけて殺到する。

 ナークは混乱の中に巻き込まれないようにファランを引っ張って、部屋の隅に避難した。

 ひょろ長い身体にかばわれながらもファランが必死に部屋の様子をうかがうと、走り去っていく男達の中で違う動きをする奇妙な男が――シドに向かってあの平凡な男がつかみかかっていくのが見えた。


「ちっとばかり見た目が怖いからって、なんとも思わねえぞ――俺たちァ、獣器使いなんだからな!」


 平凡男のその言葉に応えるかのように、異彩を放っていた黄色の襟巻きがしゅるりと勝手に動き、シドに向かって絡みつく。

 ファランは思わず悲鳴を上げそうになったが、なんとかこらえた。

 シドは眉根を寄せているが、至って落ち着き払っている。苦しそうな顔すらしていない。


 なら、まだ大丈夫だ。自分の甲高い声なんかで、戦いの邪魔をしてはいけない。こういうとき、ファランにできるのは、シドから遠すぎず離れすぎない場所で、なるべく存在しないように息を潜めて、終わるまで見届けること、それだけなのだから。


 彼女が唇をかみしめている事に気がついたのか、ナークがよしよしと抱きしめるように包みながら頭を叩いてくる。彼はシドに戦力として加勢するつもりはなさそうだが、ともすればパニックになってしまいそうな場所で冷静な味方が近くにいるのはなんとも心強いものだった。


「相棒、いつまで寝てやがる! そんな程度の傷怖くねえだろうが!」


 すると、特攻した平凡顔に呼びかけられ、ファランの手をつかんだ男の方が頭から血を流したまま立ち上がる。

 いや――むしろ彼の頭の黄色い生地は、その血を吸っているかのようだった。じわりと赤く染まっては、ますます黄色の鮮度を増していく。男の目がぎらついていることもあってとても不気味だ。


「獣器使いが二人――っすか?」


 ナークがいぶかしげにつぶやき、ファランもまた身体をこわばらせたまま不審で眉を寄せる。

 この場で一番落ち着いている、というか冷めた顔をしているのはやはりシドで、ぎりぎりと自分の首元を絞める黄色い布を軽く片手でつかみながら、平凡顔の男のにやけ面をじっと見据える。


「なるほどね。最近賭場に、妙な荒稼ぎをする連中が出ると聞いたが、蓋開けてみたらろくでもねえつまらねえ、俺ァがっかりだ。半グレが不良品つかまされて調子に乗っちまったってそれだけかよ」

「何を――俺たちの獣器は、双狐反ソコーバ! 二人で一つの獣器、変幻自在の布! この布は自分で動かせる鞭みたいなもんだ、打ってよし、絞めてよし、裂いてよぉぉぉし……」


 興奮気味に己らの装備の素晴らしさを語ろうとした男だが、ふとその語気が弱まる。

 ――ようやく、自分が相手にしているものを知ったのだろうか。


 男達が慌ただしく出て行った賭場に残されたのは、シド、二人の黄色の布を持つ男、それから外野として老婆とナークとファラン。老婆はシドの側の壁際まで下がってニヤニヤ下品な笑みを浮かべており、ファランとナークは出口の脇にひっそりと二人で気配を殺しながら慎重に戦いの行方を見守っている。


「獣器? 二つで一つねえ、聞いたことねえな、そんな奴ら。それに狐なんだとしても名前が違う。黄変狐キエノコだろうよ、本物はな。双狐反ソコーバ? 二つで一つ? それを二人で分けただと? ハッ、いかにも半グレにふさわしいじゃねえか」

「て、てめえ……」

「いい機会だから教えてやろうか、偽物さんよ。たまにいるんだ、お前らみたいにまがいものの獣器もどきを手に入れて、図に乗る勘違い野郎が。参考までに教えといてやるとな、実はあんまり知られてねえが、獣器には親と子がいる。言うまでもねえが、こっちの業界では子は獣器には勘定されない。賢人ルゥリィが封じたのは親だけだ、子は後世のつまらねえ奴らが残党狩りで作ったおまけにすぎねえ……」


 普段はどちらかというと無愛想で寡黙なぐらいのシドが、妙に流暢に言葉をつむいでいく。戦闘になると逆に口数が増えて陽気にすらなるのだ。まるで、彼の相棒(・・)の性質を反映するかのように。

 シドは黄色の布に未だ絡みつかれたまま、左手を静かに突き出した。あの、赤い腕輪をしている方の手。それがみるみるうちに燃え上がり、彼のなんてことはない髪を、目を炎の色に変えていく。


「本物って奴を教えてやるよ。なあ、紅炎熊グエンジュ?」

「馬鹿な馬鹿な馬鹿なァッ、こんなところになぜ獣器使いが――アアアアアアアアアア!」


 肉の焼き焦げる音。男の絶叫。ファランが感じたのはそれだけだった。「みちゃだめっす!」と言いながらナークが彼女の顔を自分の胸に埋めさせるようにして抱きしめてきたからだ。幸いにも彼女は男が火だるまに上がる場面は見ずに済んだ。


「この程度で絞める? 笑わせるんじゃねえよ、くすぐられてんのかと思ったじゃねーか」


 シドは歯をむき出すようにしてうなり、赤く染まった目を爛々と輝かせながら男の首を左手でつかみ上げる。

 すると男だけがシドの腕から上がる紅蓮の炎に包まれて熱い熱いと叫び、逃れようと暴れ出す。シドも同じ炎に包まれているはずだし、むしろ発火源ですらあるはずなのだが、へっちゃらな顔だ。


 男は先ほどまでの余裕で上から舐めきったような態度はどこへやら、必死な形相でなんとか悪魔の手から離れようともがく。しかし、驚くべき怪力でつかまえられていて、まったく逃れようがない。

 黄色い布地もすぐに炎にまかれ、ばたりばたりと苦しそうにうごめいた。男の方はあっという間に恐ろしい断末魔を上げて黙り込んでしまったが、布はまだ動いている。絡みついていたシドから今度は逃れようとでもするように身をよじり、床に落ちてじたばたと這う。

 ところが床の方も不思議なことにいつまで経っても焦げる様子すら見せず、ただ男と生地のみが炎を上げてゆらめいている。


「わかったかよ。ここまでできて、本物だ」


 やがて抵抗を諦めたのか完全に力尽きたのか、シドがつぶやくのとほぼ同時、ぱたりと布が落ちるとそれ以上動かなくなる。

 同時にシドがつかみ上げていた男を離すと、鈍く床に落ちる音がした。

 男の顔から上は火傷でひどい有様なようだが、一応息はまだあるらしい。意識を失ったまま、ひいひいと音を漏らす。


 ファランはナークの身体から首を伸ばし、素早く周囲をうかがって声を上げた。


「シド、まだ終わってない! ()が残ってる!」


 するとシドはファランの言葉に促されるように顔を上げる。

 畳の方にいた平凡男が相棒と呼びかけた男――ファランをつかみあげ、シドに木椀でノックアウトされた方とも言える――が、異常を起こしていた。

 男の頭を覆っていた黄色の布は、明らかに当初以上に布かさを増し、今や男の頭どころか全身をぐるぐると覆って一枚の布人間にしてしまっている。

 相方のピンチにどうも静かだと思ったら、自分の装備品に襲われてそれどころではなかったらしい。

 少しの間は布を引きはがそうとする動きも見えたが、やがて「グギャッ」という変な声を上げるとがくりと腕が垂れ下がり、代わりに頭だけがぐるりとあり得ない角度に回転してシドの方をにらむ。


「……なるほどね。双、といってもおまえの方が兄なのか。弟がやられたから役立たずの宿主を喰って自分が動くってぇか?」


 シドが燃え上がる腕を振りながら笑って問いかけ、挑発するように左腕で手招きした。


「来いよ。子狐がじゃれかかろうが、なんも怖くねえ。オイタのお灸を据えてやる」


 布男はそれを認めると咆吼し、惨憺たる有様の賭場に響き渡る。

 彼はもはや異形の物にすっかり取り込まれてしまったらしい。人が上げた物とは思えない、まさに狐の鳴き声そのものが空気を、物を、人の鼓膜をぶるりと揺らした。

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