賭場の情景
道中では散々ファランを説得して引き返させようと試みていたナークだが、いざ現場についたらもう腹をくくったらしい。
賭場の入り口には番人二人が鋭くにらみをきかせている。
情けなく嘆きすがりつく態度を一変させ、合い言葉を唱えがてら、ファランのことを紹介する。
「やあやあ親分さん方、今宵も良い月で。こんな晩は浮かれ野郎が増えるから儲かりますかねえ、ふひひ……もー、そんな怖い顔で見ないでくださいっすよぉ。あっ、紹介するね。こいつはおれっちの弟分で、商人見習い中っす。え? その格好は旅の僧侶だって? だからぁ、それを今勧誘中なんすよぉ、こんな若い子が親の言うこと真に受けちゃって人生の華も知らずに仏道なんて、もったいないじゃないっすか! しかもね、やらせてみたら嫌々やるわりになかなか筋はいいんすよ、意外と。けどねー、どうにもこう、度胸が足りなくて、おどおどしっぱなしで。手がかかるんだけど、そこがまた可愛いと言うかぁ――ああすみませんっす、そいつは親分さんには関係ないっすね。だから今日はね、浮き世の遊び方を覚えさせがてら、色々学ばせてやろうと思って連れてきたんすよ。騒ぎは起こさせないっすから、どうか見学させてくださいっす。あーあと、頭巾は勘弁してほしいっす。実はこの子、生まれつき顔に痣があって……まあそれで余計に自信がないというか、この若さで仏門に行かされるところだったってーか。はい、ええ、そうっすぅ、だからちょっとお目こぼししてほしいなーって――」
いかにも最初から用意し何度も練習していた口上のように、わざとらしく揉み手しながら、相手に深入りさせる暇を与えずすらすらと述べ立てていくのだ。
その様、まさに立て板に水を流すごとし。さらにうさんくささは日頃の三割増し。
さすがに口一つで身一つ守り抜き、世を渡っているだけのことはある。思えば彼の本業だった。
見習いだとか(たまに商いの仕方みたいなものを教えてもらっていることもあるので)、手がかかるとか(言うまでもなく、今現在絶賛実演中だ)、ところどころ本音を混ぜているのだろうから、あながち嘘ばかりでない部分も小憎らしい。
ファランは次々と勝手に生えていく設定を、特に動揺することもなく聞き続けている。
頭が痛くなるほど真剣に聞くつもりはないが、内容を把握しておかないと後で設定矛盾がでてしまう。
ついでに、店に入る直前の暗がりで、ナークが不気味な色の塗料をファランの顔に塗りたくった理由にも納得した。
なるほど、ナークの作った設定なら、あり得ないとも言い切れない話なのだ。
生まれつき身体の一部に痣のような模様がある人間というのは一定確率で生まれてくるものだ。もちろん、少し知識があるか見聞が広ければ、肌の色の一部が異なるだけでそれ以外なんら普通の人間と変わらないことがわかる。しかし閉鎖的な田舎の迷信深い場所ともなるとそうはいかない。
間引きの末路は大抵悲惨だが、中には運良く本物の修行僧に弟子入りしたり、流れの商人や芸人の一行に混ぜてもらうことで生き延びる子もいる。
ということで、これなら頭巾を目深に被っていてもそこそこ無理のない言い訳になるし、布を外して顔を確認させろと言われたり、うっかり不慮の事故が起きたりしてしまっても、自然と周囲の興味は目立つ痣の方に引き寄せられることになる。
また実際に痣があるのを確認したら、普通の人間ならそれを衆目にさらさしてしまった無意識の罪悪感か、単純に嫌な物を見た嫌悪感で目をそらす。
本物の痣かどうか、好奇をあからさまにじろじろ確認する人物は、少々後ろ暗い世界でこそむしろ少ない。
ヤクザ物が取り仕切っているに決まっている賭場で騒動を起こしたらまず愉快でない出来事がまっているし、余計な物を見過ぎると言うことは余計な物の標的にもされるということだって皆心得ている。
総じて万が一の時も、ファラン本人の顔立ちの印象は薄れやすくなる、という寸法らしい。
まあごくまれに本物の馬鹿や空気読めない半端物というのもいたりはするが、ナークは荒事担当ではない。彼の想定以上の事が起きたら、潔く専門に丸投げする気なのだろう。
(シドはなまじ力があるからか、こういう方向に頭を回すのは、やる努力もほとんど見せないものね)
ファランはその昔、問答無用で水たまりに突き飛ばされ、全身を泥水だらけにされた事をふと思い出す。
今ならあれが、迫る追っ手を感知したシドなりのカモフラージュ方法だったということもわかっているが、わけもわからないまま押されて汚されて、ファランは思わずわんわん泣き出した。それをあの時のシドは慰めるどころか、あろうことか「うるさい」とでも言うように、泣きじゃくるファランに向かって耳を塞いで見せたのだ。
事情がわかるまで、地味に心の傷になった。
いや、理解した今でも若干根に持っている。
というかシドが自分にしてきたあれこれがおおかたこの類型なので、出るところに出て真面目に争ったら勝てるんじゃないかとすら思えるファランである。
そう、黙って耐えていた昔と一緒ではないのだ。
いつまでも良い子なだけでいたらシドは自分を置いていくばかりではないか。
ファランはむくむくと自分の中で今現在のばかげたお転婆に対する正当性が膨らんでいくのを感じる。
と、見張り番の目が二人分じろりとこっちを向くので、さっとナークの背に隠れ、気弱で兄貴に頼り切りの弟分を演出した。
ナークも合わせるように、「もー、ほんとシャイなんだからー、そんなんじゃこの先一人で生きていけないっすー」なんて声を上げている。
……若干わざとらしすぎるだろうか?
いかにも何かを疑っているまなざしで二人を見比べていた入り口の人相の悪い男達は、息を吐き出して客人に少し待つよう告げる。
片方が顎で示すと、心得たようにもう片方が玄関から伸びる廊下の奥へと姿を消す。体格や格好等からも推測するに、あちらが案内で、残っているこちらが荒事担当なのだろう。
少しすると戻ってきて男達は何かささやきかわしている。
思わずちらりとナークを見上げたファランだが、彼は彼女の手をぎゅっと握り返し、後は落ち着ききっている。
最終的に筋肉質な方が、「入っていいぞ。靴はそこの棚に置いていきな」とぶっきらぼうに二人に向かって顎をしゃくってみせた。
そのときにはもう、ファランの方を見ようともしない。
(厳しいところだと入り口で検分されることもあるけど、よかった)
ファランがひとまずほっとしていると、ナークは靴を脱ぎがてら、さりげない調子を装ってもう一つ尋ねる。
「そういえば、本日は熊さん、こちらにいらっしゃらないんで? いやいや、おれっちあの人と相性悪くて、門番じゃなかったんなら難癖とかもつけられなくて幸いなんすけどぉ」
「奴ァ今日は中で仕切る一人になってるよ。わかると思うが、あの面見てイカサマしようなんざ考える馬鹿がいないからこっちも気が楽だし、あいつ本人も勘が鋭いから怪しい奴は一にらみだ」
ナークは適当に嘆く素振りを見せつつ、奥に誘う案内に従い、ファランを連れて奥へと進む。
不審がられない程度に距離を取った二人は、ひそひそささやきかわし合った。
「だ、そうっすよ。今日は中の当番、しかも賽子振る係任されてるっぽいっすね」
「シドにそんなことできるの?」
「うはあ、ひどい。まあ器用とはとても言えないっすけど、一通りのことはできるってことはファランちゃんも知ってるはずっす。賽子振るぐらいならどうとでも」
「じゃなくて。賭場って、調師がいるはずでしょ? 場が損をしすぎないようにする役。ナークも今言ったじゃない、シドがそこまで器用にあれこれできると思わないんだけど」
「うひい、物知り。どっから知ったのそんなこと」
「シド。だから賭場で稼ごうと思うなって、結構昔に」
「さすがシドさん、根が正直者っすね……。えーとね、じゃー、これはおれっちの推測になるっすけど。シドさんは泳がせの餌な部分もあるんだと思うっすよ。普通はあの顔見たらそんな気なんか起こさないっすけど、中には度胸があってずるがしこい奴もいるっす。そういう奴は、見てくれにだまされずシドさんの腕を見てちょっとオイタするかもしれないっす」
「わざと油断させて叩くってこと?」
「そういうことっすねえ。ひょっとすると、アタリはついてるけど決定的証拠がつかみ切れてない――みたいな奴がいるのかもしれないっす。これはますますきな臭い場面に出くわしちまったっす。もっかい言うけど、おれっちから離れちゃ駄目っすからね」
「うん」
小声でやりとりをしている間に、どうやらいよいよ目的地までたどり着いてしまったらしい。
むさくるしい熱気、くゆる葉巻の煙、酒の臭い。
吹きだまりとはこのことだろう。不健全な空気が男達の影を曇らせている。
ファラン達がやってきた賭場は、大部屋式の場所らしかった。
道場のようなやや広々した空間、寒々しい木の板の床に適当にござと座布団がしかれ、その上に今宵の勝負にふけるならずものたちが、めいめいあぐらをかいたり寝転がったり正座したり、まあ自由にくつろいでいることである。
大部屋の中はおおまかに分けて、畳を囲んでいる組と、小さな座卓を囲んでいる組に別れる。
座卓は四人が上限のようで、四方を囲む男らは何やら駒を使った勝負に静かにふけっているようだった。
こちらは全体を隅っこで遠巻きに眺めている係の者がいるだけで、基本的には参加者間のみで行われるものらしい。
一方、大きな畳の方は様子が違っている。
「入りますよォ」
軽いざわめきを感じてぴょっこりファランがナークの影から首を出すと、はたしてそこに目当ての人物がいた。
細長く三つ置かれた畳のあちら側の端に座り、小さなお椀のようなものを畳上に伏せているのは、どう見たってシドその人だ。
そして、シドの伏せた椀を畳の左右にずらりと並んだ男達が固唾を飲んで見守っており、再びしわがれた声が響くと緊張が増す。
「ありますかヨ、ハイ、ありませんかヨ」
声を出しているのはどうやらシドの横に座っている小猿のような婆だった。
ぼろ布のような衣服を何枚も身体にひっかけている様はいかにも乞食然としている。
ぎょろぎょろ動かす目玉だけが奇妙な生気に満ちていて不気味だ。
すると彼女の言葉に応じるように、男の一人が叫びだし、釣られるように他の男が続く。
「丁!」
「丁!」
「丁方入りましたヨ、ハイ、ありませんかヨ、ハイ」
「半!」
「両方揃いましたヨ、アイ、乗りますかイ、ハイ」
「カタイチ、半!」
「ケイナナ、半!」
「ビンゾロの丁!」
「ハイヨハイヨハイヨー……締め切るネ」
婆と男達は互いに勝手知ったる顔で次々と言葉を交わし合う。
ファランがくいくいと袖を引くと、ナークは彼女と話しやすいように身をかがめた。
「何してるの?」
「丁半遊び。二つ賽子振って足した数が偶数か奇数か当てる、一番シンプルな賭博っす」
「それぐらいはわかるもん。シドは何をしているの? おばあさんは?」
「シドさんは賽振り。婆さんは進行役。ありませんかは賭けてくださいってこと、だけど場の宣言が丁しかなかったんで、さらに対抗が出ないか聞いたっす」
「それで、半も出たから『揃った』」
「そっすそっす。ファランちゃんは理解が早いっすねー」
「カタイチとか、丁と半の前につけてる人達がいる」
「カタイチ半が片方一の目の半、ケイナナ半が足した合計七の半、ビンゾロは一々の丁」
「ここの人達、皆覚えてるの?」
「まあ何度もやってれば、自然と」
そのとき、シドがゆっくりと椀を持ち上げた。ここからだと遠くて見えないが、小猿のような婆が彼の手元をのぞき込み、高らかに宣言する。
「イチ・イチ。ビンゾロの丁!」
今まで固唾を飲んで見守っていた男達が、喝采を上げる組と舌打ちしたり頭を抱える組に分かれる。ファランは様子を見守りながら、思わず釣られて興奮気味にナークにしゃべりかける。
「すごい、あそこの人がぴったり当たったんだ。倍率が上がるんだっけ?」
「そっすよ、しかもビンゾロだから……って、あっ、ヤバッ」
せっせとファランへの実況解説にいそしんでいたナークだが、急に締め上げられたような声を上げた。
ファランも彼の引きつった顔を見てから、反射的に視線の先を追い――そして思わずうっと喉を詰まらせた。
端っこでこそこそしている姿がかえって悪目立ちしたのだろうか。
すっかりこちら二人に気がついた様子のシドが、無言の般若を送ってきていた。