可愛い子にはサービス過剰
(遅いなあ、シド)
一日はあっという間に過ぎ、今はもう夜も更けて深夜と言って良い時間帯になっている。
ファランは酒場での給仕を終えた後、女将の好意に甘えて店内の椅子の一つに腰掛け、机に両手で頬杖を突き、足をぷらぷらと揺らしている。彼女が給仕を始めるのと入れ違うように出て行ったシドの帰りを待っているのだ。
「遅いっすねえ、シドさん」
一瞬自分の心の声が外に出ていたのかと肩をはねさせたが、口調や声で隣人のつぶやきだとすぐ気がつく。
傍らにはいつの間にか細目の男――ナークが腰を下ろしていて、これもまた店の好意に甘えたらしい饅頭を二人分間に置いていた。人と話していないと落ち着かないのか、と言うような男だ。昼間はここでシドに絡み、午後辺りにすこしだけ辺りをふらついて申し訳程度の商売をこなし、夜になったらねぐらに戻ってきて、居合わせたファランをこれ幸いとばかりに構い倒しているのだった。
ナークは色白で線が細い。全体的に色素が薄いのは、通りすがりの異国の芸人が父親だから……らしい。変ななまりじみたしゃべり方なのは、母親がその父を懐かしんで幼い彼に父の言葉を覚えさせようとした名残もあるんだとか。おかげで生まれ故郷の村で大層悪目立ちし、母が病で死んだら体のいい厄介払いを受ける事になったが、むしろこちらから出て行く機会をうかがっていたのでせいせいしている。などと本人は嘘か本当かわからない適当な口調で言う。
父親から芸の才能は受け継がなかったらしく、今は旅の商人を名乗って各地をふらついているが、そのついでに情報屋まがいのこともしている。シドと度々絡むのはその縁だ。
もう一つ、シドと、そしてファランと同様の、一所に落ち着きにくい事情というものも持っているのだけれど。
横目にうかがうと彼の耳元で、少し異彩を放っている耳飾りが揺れる。
会うとことあるごとに絡んでくる彼のことを、ファランは適当にあしらったりはするものの、そこまで嫌いというでもない。彼は好意を隠そうともしないが、ファランの顔色をうかがい、彼女が明らかに不機嫌になるとそれ以上話題を掘り下げることをやめる。
それにうさんくさい顔でうさんくさいしゃべり方ではあるが、話す内容自体は結構正直だったりする。
ナークはこれでもかなり良心的な商人、交渉のために情報を出し惜しみすることならいくらでもあるが、つまらない嘘はつかないのだ。
「というかー、この顔で詐欺的な商売をしようとしても、すぐにバレちゃうじゃないっすかー? なんせ初印象が怪しげだから、足がつくのはあっという間だと思うっす。ああいう稼ぎ方はもっと普通のナリしてて、印象を残しにくい奴の方が向いてるっす」
いつか苦笑まじりに語っていたのだっけ。
シドは会話を楽しむタイプの性格をしていないので、ナークと話すことは純粋に楽しい。色々な所を回っているので話題にも事欠かない。
良いお友達関係、とファランは総合的にナークとのことを評価していた。
白い饅頭を一つ口の中に放り込み、餡の甘味に目を細めて(もともと糸目なので違いがほとんどわからないが)、もしゃもしゃ咀嚼しながら彼は退屈そうなファランに語りかけ続ける。
「まあ、ろーへ先に寝へろほは言われへるっふよね?」
「うん」
「帰っへふうまれ待ふっふは?」
「うん」
「あほほの賭場は、管理人が適当に終わらへるはら読めないっふ。長引いはら夜明けほはになるはもひれないっふよ?」
「帰ってくるまで待つの」
「即答っふか」
「……ていうか、早く飲み込んだら?」
「はいっふー」
実際シドを待つこの時間は多少退屈なので、暇つぶしのようにファランは答える。
ナークは一つ目の饅頭を早くも飲み込み、二つ目の饅頭に手を伸ばしながら、今度は口に入れる前に話かける。
「ファランちゃんは今いくつっすかー?」
「十四」
「うはあ、もうそんなになってたっすー! どっすかー、大人になった記念に、おれっちと一つしっぽり、なーんて、うひひひひ! いやちょっと真面目な事言うとね、ファランちゃん相手ならおれっち頑張るっすよ、超サービスするっすよ。手取り足取り、それはもうめくるめく乙女の快感を覚えるまで何度も――」
「ナークはその気になれないから駄目。というか、無理? お友達としてなら結構好きよ」
「カーッ、これ以上ないほど脈なしのお言葉、ありがとうございますっすー!」
ファランは猥談方向に話が悪化する前にさっさと断ち切った。
口説くのが気軽ならフラれるのも気軽な男ナークである。心なしか、バッサリ切られているのに嬉しそうですらある。
こういうときしつこく同じ話題で攻めてこないで、さっさと他に移ってくれるのは、彼を好ましいと思う理由の一つだ。ほとぼりが冷めたら何度でも同じくチャレンジする姿勢には、思わずため息を吐いてしまうが。
「ってことはー……あー、シドさんももう少しで四十男っすねえ」
「シドは三十七。まだ四十になってないもん」
「大体四十っす」
「なってないもん!」
「あはあ、はいはい、了解っす。シドさんはまだ若いっす、うひひ」
自分はシドに年を云々と言っておいて、人に言われるとむっとして言い返すファランである。
「でもねえ、昔から老け顔のおっさんだったすけど、これからは実年齢も伴ってくるってことっすね、にひひ、そう思うと無性に笑いが止まらねえや……おっとこれは内緒にしててくださいっす、また頭がぽかぽかになっちゃうっす」
「自業自得でしょ、もう」
「おれっち正直者っすからー」
男はファランに注意されたせいか、それとも単純にさっきのが話しにくかったからか、今度は饅頭を小さくちぎってから会話の合間にさっさと飲み込む方法に変えたらしい。おかげで会話が幾分かスムーズだ。ファランも真似をする。シド相手だと算盤はじいて後で請求したり文句を言ったりするナークだが、ファラン相手だとどうぞどうぞといくらでも饅頭を進呈する。
「大人びたとは思ってたっすけどそうっすかー。故郷だとお嫁に行ってておかしくない、つかむしろ行ってないとおかしい年齢っすねー」
何が言いたいの、とでも言うようにファランがぷくりと頬を膨らませてにらむと、ナークは苦笑のように表情を曲げた。
「いや、あんま余所様のことっすから口出しはしないっすけど。お二人はこの先どうするつもりっすか?」
「どうするって?」
「ファランちゃんはこれからもシドさんにくっついていくつもりっすか?」
「わたしがシドの足手まといって言いたいのね」
彼女が目を細めると、ナークは困ったように首をかしげる。少し迷うように表情を動かしてから、彼は落ち着いた声音で静かに言った。
「シドさんは一応護衛職になってるっすけど、殺しの道から逃れられない人っす。紅炎熊はかなり好戦的な獣器っすし、シドさん本人も血の味を覚えちまってるっす」
「……そのぐらい、わかってる」
「ファランちゃんは、シドさんに足を洗ってほしいっすか? 一緒にいたいってことは、望む結果はそういうことになるっすよね。つかそれしかないっす。ファランちゃんもシドさん同様戦うとかなら夫婦で同じ仕事、ってのもありなんでしょうが、シドさんがそれを許すはずがないし、ファランちゃん本人だってするべきじゃないってことはわかってると思うっす」
食べかけの饅頭を手にしたままファランが黙ったまま、遠くで揺れる照明にぼんやり目をやると、優しい声音で通りすがりの商人は続ける。
「シドさんは子ども好きっす。子どもの頃なら、それを理由にいくらでもかばってやれるっす、甘やかしてやれるっす、面倒だって見てやれるっす。でもファランちゃんはもうそろそろ女の年頃だ。シドさんが荒事を続けて、ファランちゃんがそれをできないってんなら、今まで通りってわけにいかない。おれっちね、お友達として心配なんですよ、お二人のことが。お互い、本当はどうしたいっすか。そろそろ一度答えを出さないといけない頃合いっす」
「……そうね」
ナークはファランの横顔を眺めていたが、頭を掻き、「甘いもの食べてるときにする話じゃなかったっすね」と小声でつぶやく。
「シドはわたしのこと、邪魔だと思っているのかな」
しかし彼のつぶやきに重なるように、もう一つ小声が上がる。
ナークは聞き逃しかと首をかしげながらファランを見た。
「わたしに、本当は早く離れてほしかったのかな……ずっと」
彼に問いかけているのか、それとも自分に問いかけているのか。
ファランの漏らした言葉に、商人は何度か口を開いたり閉じたりを繰り返していたが、やがてゆっくりと頭を左右に振る。
「それも、おれっちが言ったらだめなことだ、たぶん。お二人で話し合うことっす」
彼は席を立ち上がった。饅頭もなくなり、茶も飲み終わっている。
立ち上がり様、ファランの視界に回り込んで、彼女の目を見ながら元通りの飄々とした声で言った。
「けどねー、少しだけ人生の先輩を気取って、おれっちからえらそうに助言してみるっす。どんな結果になろうと、若い時は自分のことだけ考えてやりたいことをやるっすよ、ファランちゃん。年取ると、そういうことはだんだんできなくなっていくっすから」
「……ん」
素直に彼女がうなずくと、彼はぽんぽんと優しく頭を叩き、子ども扱いするなとでも言いたげな瞳に安堵の笑みを向ける。
「さー、お店ももう閉まってるし、おれっちたちも寝るっすよ。文句は寝て起きて言えば良いっす、明日は待っていればまた来るんだし」
空になった食器の片付けをしようとするナークの裾を、しかしつとつかむものがある。ファランの細腕だ。
ん? とナークが振り返ると、彼女はうつむいている。
「どうしたっすか?」
思わず不安になって声をかける若者だったが、顔を上げた少女の目がきらきらと輝いているのを確認するとうっと喉が詰まったような声を上げた。
「ナーク」
「は、はいっす。なんかとてつもなく嫌な予感がするっすが、なんでしょ」
「やりたいことは、やるべきだよね」
「う、うんそうっすね。おれっちそう言ったっすね」
「じゃあわたし、これからシドのこと見に行く。気になって仕方がないんだもん」
「あーそうっすかーなるほどー……って、えええええ!?」
ファランはとびきりの笑顔でにっこり笑ってみせた。
一方ナークは今にも顎が外れそうなほどで、みるみる顔色が青ざめていく。
「いやいやいやいやまずいっすって、それ絶対まずいっすって」
「シドが怒るから? 邪魔はしないわ、ちょっと様子を見に行くだけ。危なくなったらいつも通り隠れるか逃げるから」
「賭場なんてガラ悪い所に行ったらファランちゃん絶対絡まれるっす、面倒なことになるっす」
「男の格好して、顔隠していくもの。というかこの格好の方が珍しいぐらいなんだから、わたし」
「えーと確かにね、そしたら関係者以外には妙に小綺麗な男の子がいるなぐらいに思われるかもしれないっすけど、やばいって、絶対シドさん怒るって。主に余計な事したおれっちのことを」
「一緒についてきてくれるでしょ、ナーク? 私のことこのまま放っておくなんてしないよね?」
じっとファランの紫色の瞳がナークを見つめる。
彼はそれまであーだのうーだの言っていたが、ぴたりと黙り込むと、肩を落として息を吐き出した。
「……基本、見てるだけ、おれっちから絶対離れないこと、話を合わせること、ちゃんと言うこと聞くこと、危なくなったらすぐ逃げること。で、最後に怒られるときは二人一緒で。そんな感じでいいっすか」
商談では引かないが、ファラン相手だとどうも立場が弱くなるらしかった。根負けした商人の手を握ってぶんぶんとファランは振る。
「ありがとうナーク、大好き!」
「だーもーやっぱりお節介なんかするもんじゃないっす、事なかれが一番っす! ……でもこのじゃじゃ馬ほっといて大惨事起きる方が怖いっすから……まあそん時はそん時でうまくやるんでしょうけど、同じヒヤヒヤなら目に映る範囲でやっていただけた方がまだ心臓にいいってもんっす……ハア」
「着替えてくるから早く片付けといてよね」
「はいはい仰せのままに。もうなるようになれってんだ」
少女は上機嫌に跳ねながら、自分の服が置いてある二階の部屋へと駆け上がっていった。
後ろ姿を見送って、ナークは息を吐き出しながら自分の青銅色の耳飾りにふと手をやる。
「いい女に育ったと褒めるべきなのか、手強いじゃじゃ馬に育ったと嘆くべきなのか……」
ちりん、と答えるように耳飾りが揺れて、ほのかに涼やかな音を上げた。