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獣の縁

 シドは元々傭兵職の人間だった。

 思えば昔から彼の周りでは人がよく死ぬ。そして彼だけは生き残る。疫病神の典型だ。

 結構お似合いの職業だったと本人は思っている。


 きっかけは、まだ十にも満たない頃。

 故郷の村が野党に襲われて滅んだ。

 貧しく小規模で奪う物なんてないようにシドには思えたが、どうやら彼らはより住み心地のいい場所にアジトを移したかったようだった。

 そのとき、シドは幸運にも――本当は不幸にもと言うべきかもしれないが――強力な力を得た。

 村人は野党に全滅させられた。どうやら殺したがりの馬鹿が一人混ざっていたらしく、おかげで年頃の娘や母親達もさっさといなくなったのは良かったように思う。

 そしてその野党を、シドは得たばかりの力で全滅させた。身体の中に浮かぶ衝動のままに、故郷ごとすべてを破壊し尽くした。


 そういうわけで、彼だけが生き残った。

 そういう力だったのだ。彼の手にした物は。


 あの時、赤く染まった両手をじっと見ながら、今までのように、暦を数えながら田畑を耕して、天候の様子をうかがって、収穫に一喜一憂して、徴収で大体カツカツになって、それでも翌年も同じように生きていく――そんなささやかで普通の暮らし方は、もうできないのだと悟った。


 不謹慎だが、瞼を閉じれば三十年ほど過ぎた今でも鮮明に蘇る、あの赤は綺麗だったと思う。

 血は駄目だ。あれは粘ついていて、やがて黒くなる。

 炎。ちらりちらりと揺れ、巻き上がり、あっという間に包み込んで、かと思うといつの間にかなくなっている。誰よりも美しく苛烈な死に神の姿をしている赤。

 願わくば、同じように、燃え上がって、舞い上がって、そのまま消えてしまいたいと思う。


 ところがそういった生き方を続けて、ある日あっさり逝ってしまうことを目指してたのに、未練ができてしまったので死ぬに死ねなくなった。命を、しかも人の命を奪う仕事をしていることにも、居心地の悪さを覚えるようになった。

 そこで現状、護衛職というなんとも言えない宙ぶらりんの身分についている。


 この未練の名前をファランと言う。

 最初は無口だがシドの後を一生懸命追いかけてきては見よう見まねで真似をする可愛い子供だったのが、育ってきてから口は出すわ手は出すわ、まあ保護者と被保護者の関係を疑いたくなるような小憎たらしい女に育ちつつあるもんだと彼はことあるごとに愚痴っている。


 そして愚痴の中に本人も無意識な嬉しい調子が隠しきれていないとからかっては、シドの話し相手を務めている若い男はどつかれている。


「シドさーん、なーにもー、殴ることないじゃないっすかぁ」

「るせえ」


 シドは茶髪に茶色の目、さえない服装(近頃は定期的にファランに矯正されつつあるが)のがっしりした体躯の男だ。

 対する若者の方はもう少し薄くて明るい髪色、目の色も緑色。全体的にひょろ長く痩せていて、細すぎる目が愛嬌を出しているような胡散臭い雰囲気を醸しているような、総合的に言うと浮いた雰囲気のある男だった。

 実際、飄々として口調も軽い。服の色も水色や白を基調とした涼しげなもので、最近は寒い季節に入りつつあるからと、ところどころを止める小道具だけが暖色、アクセントのようになっている。


「ファランちゃんに手が出せないからって、すぐおれっち代わりにするんだからもー、こう何度もパンパンパンパンされたら、頭の中がすっからかんになっちまうっすー」


 シドにひっぱたかれた頭をさすりながら、細い目の中から何かを訴えかけてきている。これでもシドと違って一応商人職だったので、頭が使えなくなったら確かに困ることも多かろう。


 ちなみにシドの評価では、この若者は知り合いの中で一番人をイラッとさせることに長けている人物だった。しゃべり方に加えて、しゃべる内容が大体余計な事しか言わない。シドだけでなく他の人物も定期的に気分を逆なられているが、相手が本当に爆発しそうになるとすっと引っ込む辺りが真実たちの悪い輩だと思う。

 この男の舌回りは、今は洗濯に行っているらしいファランが戻ってくると特にひどくて、やれ綺麗になったの美人になったの、うるさいことしか言わない。ちなみに昔はおどおどシドの後ろに隠れているだけだったファランだが、最近は「はいはい」程度に受け流し、人を黙らせる笑顔を一度浮かべたらふいと相手もせずにどこかに行ってしまっている。

 どうやら自分が並ならぬ美人だという点についてはそれなりの自負があるらしく、特に否定することもない。謙遜してもかえって嫌味だと心得ているのだろう。そして自分の微笑みに結構力があることも既に心得ている。

 シドはまったく教えてないので、どこでそういうあしらい方を覚えてきたんだと空を仰ぐばかりである。


「知るか。つか何度殴っても変わんねーんだから、元々すっからかんの頭だろうが」


 ちなみに今は場所の都合上、シドが仰いでいるのは天井である。

 人が少ない飯屋の目立たない所に位置取り、なんとなく周囲に目をやりながらぐうたらしている。

 飯屋はシド達が泊まっている宿屋の一階だ。一応これも護衛職の一貫、面倒な客が来たらシドが相手をすることになっている。代わりに多少宿代をまけてもらっているのだ。こちらは副業のようなもの、本業は夜が始まるのは夕方から夜、この近くの賭場の番人が今のシドの主な稼ぎである。次に隊商か何かの護衛につくまでは、ここらで適当に掛け持ちをするつもりだった。何度か利用しているためそれなりにお互い顔見知りだし。

 なお、ファランがうるさく言うまでもなく、シド本人はたしなんだり遊んだり以上に賭け事はしない。元々自分の頭の良さや器用さに自信があるわけでもなし。それにああいう場には、必ず場が損をしないように見張っていて調整する係がいる。客が大勝ちしたとして、そのまま逃げさせてもらえるはずもないのだ。


 ということでシドにはかろうじてこの場でぼーっとしている理由があるのだが、同じ机を囲んでだべっている若者の方は、本当はその背負っている怪しげな箱の中の色々な物を売りさばいてくる時間のはずである。

 なのに奴ときたら、「昨日ちょっと賭場でもうけたから、今日ぐらいは休んで問題ないっすー」とのんきな声を上げた。

 もちろんシドは一発殴った。

 殴っても殴っても会えば寄ってきて話しかけ続けるので、この男も大概頭がおかしい。


 そんな男を構い続けている自分も自分か。


 ちゃっかり店から団子とお茶すら頼んで楽しんでいる男を横目ににらみ、さりげなく自分もちゃっかりご相伴にあずかりながらシドはうなるように話しかける。


「大体な。なんでテメエがこの宿泊まってんだよ、よりによって隣の部屋にいるんだよ」

「そこはホラ、そろそろこの宿場に来るシーズンかなーって。シドさん同様おれっちも半常連さんってところっすし。それに野暮なこと言うなあ。獣同士の仲じゃあないっすか」


 男が顔を揺らすと、ちらりと片耳のイヤリングが揺れた。青銅のような色合いは鈍い光を放つ。

 シドがあからさまに顔をしかめると、若者は団子の串を持っていない方の手をぶんぶん顔の前で振った。


「あ、勘違いしないでくださいっすー。おれっちシドさんにはあんま興味ないっす、ファランちゃんの顔が見ブホッ」


 会話の途中で気に入らなくなったシドは相手の顔面に拳を軽めにたたき込む。

 寸前になんとか団子を避難させた男は赤くなった鼻をさすりながら文句を言っているが、シドは気にしない。


「っのスケベ野郎が。テメエなんぞが粉かけてもなびかねえよ、あいつだって頭回るからな」

「もーまたそうやってすぐに力に訴えるー。自分が怪力の加護持ちってこと忘れてないっすか? この調子でどつかれ続けてたら、いつか頭がパーンするっすー」

「オゥ安心しろ、力加減誤るほどこいつも俺もまだおかしくなってないからよ」

「余計な気を回す必要なんかないのにー」


 シドが自分の左腕の赤い腕輪を叩きながら歯をむき出すと、若者はどこか呆れたように息を吐き、少しだけ、ほんの少しだけ真面目な顔になる。


「おれっちそりゃ、ワンチャンあったら答えるぐらいにはファランちゃんのこと好きっすけど、高嶺の花だってことは理解してるっす。この世で一番おっかねえ保護者はくっついてるし? 別にどうこうするつもりなんかないんすよ。本当、ただ見てたいだけだし、見てるだけで対価はじゅーぶん。綺麗な物を見ると心が落ち着くっす、それだけっす。無風流物のシドさんにはわからないでしょうけどねー」


 若者の視線がちらっとシドの服や全体を流れ、とくに明らかに気を遣ってない寝癖の立った頭などで止まる。シドはこの件に関しては拳を出さなかった。彼にとってはどうでもいい種類の話題だからだろう。


「あと、純粋に知人として心配になるっす。事情が事情っすから、あんたたち二人は」

「お前なあ。まさかとは思うが、毎年俺たちが生きてるか確認してるってーか?」

「シドさんは特に、いつどこでどう死んだっておかしくないっすからねー。まああんたの場合は完全自己責任だと思うっすけど、残されるファランちゃんが可哀想っす」

「ハン、舐められたもんだ」


 シドは自分の分の茶を一気に飲み、荒々しくどかりと置く。

 若者が割れたら弁償ー、とかつぶやいているが気にしない。

 彼の茶色い瞳は、ほのかに暗い色を帯びるが、それでいて研ぎ澄まされたようなしっかりした印象を与える。


「あいつが大丈夫になるまでは、それを俺が保証できるようになるまでは、置いていくつもりなんざねえよ。拾ったときに覚悟は決めた」


 その言葉には、単に一所に置いてきぼりにしないという意味だけでなく、生死を孕んだ重みが確かにあった。

 若者はまじまじとシドの顔を、それこそ穴が空くほど眺め、あんぐりぽっかり口を開ける。

 そして、そこから立ち直ると机に突っ伏して頭をかきむしりだした。


「かーっ、なんだかんだ両想いなのにどーしてこう何も進展がないっすかー!? おれっちムズムズすっるすー、年々会う度にムズムズが強くなっていくっすー、この二人見てると、もー!」

「そんなんじゃねーっつの、バーカ」

「あいたっ」

「ファランは父親がいないから、俺をそう見てるだけだ。離れればすぐにでもわかるさ、他にいい男は山ほどいる」

「うぬぬぬぬぬ……」

「大体年を考えろ年を。俺の好みはあんなガキじゃねーんだよ、後腐れない大人の女が一番楽だ」

「うーわさりげないゲス発言を聞いちゃった気分……」


 若者は何かまだ言いたいらしいが、シドの少しきつめの拳を頭に落とされたばかりなのがきいているのか、奇怪な音を口から漏らすだけだ。

 シドはそれ以上言ってこないことを悟ると、肩をすくめ、周辺に人がいないのをちらりと見渡して確認してから声を落とす。


「それとお前よ。いい加減その同族びいきも大概にしとけ。ぬくもりを求めて群れるのも獣だが、血を求めて死ぬまで争うのも獣だ。いつか殺されるぞ、俺と違って戦闘職でもないんだしよ、余計な事に頭突っ込むのはほどほどにしとけ」


 若者は笑った。カカカと聞こえるおかしな音を漏らして笑った。

 彼は口を笑顔の形にゆがめ、彼の薄い瞳がゆっくりと開かれる。


「さてもさても。それも我らの本能、我らが本望ゆえ」


 そこに現れたのは、相変わらずの糸目ながらも鋭く細い瞳孔だ。およそ人のものではなく、は虫類のそれに似ている。

 ちりん、と若者の青銅色の耳飾りが揺れ、シドの腕輪がほのかに熱を持った。

 口調は一層役者じみているのがいかにもわざとらしい。


「人間に狩られるより、獣に喰われた方がよっぽどいい。野蛮人は道理がない。我らを見よ、このおぞましく醜悪な屍を見よ。貴様らの葬儀は行うが、我らの供養はこの程度よ、この無様さよ。ああ憎い、憎らしい」


 店の戸は閉まっている。客は彼らの他におらず、店員も奥に引っ込んでしまっている。隅っこの明かりも暗い場所に男二人、そこにするりとどこから舞い込んだのか風が吹く。


「それは、獣器よ。お前らの言葉か?」


 シドはじっと若者を見つめた。若者の中の鋭い刃と対峙した。


「そんなに憎いなら、今すぐにでも殺せば良いだろうに。案外その墓穴、心地がいいんじゃねえか? お前らの事情なんて俺には一生わかんねえけどよ」


 言葉の返答はなく、若者はシドの言葉に意味深に微笑んでから再び目を閉じる。

 細すぎる眼光が見えなくなると、妙な気配は消え失せ、腕輪の変調もすっかり元通りになっていた。

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