激突 後編
鎖鎌はトリッキーな暗殺武器だが、見た目の凶悪性に反して実用性にはやや欠ける、総合的に戦う武器としてはむしろ弱い方であるとされている。
相手の意表をついたり動揺を誘ったりすることで不意打ちを狙うのが基本戦法であり、正々堂々この武器で挑みかかるのは、多少武の心得があるものからするとよほどの手練れかよほどの馬鹿かと考えるほどだ。
そもそも鎖鎌は、為政者が反乱を防ぐため、農耕具以外のまともな武器を没収した結果、農民達が自衛のためにやむにやまれず人目をはばかるように生まれた――というような経緯を持っている。その後武器の特殊性に目をつけた武闘家によって正統な流派も生まれたらしいが、成り立ちからして正規に使う主要武器ではない。
鎖鎌の弱点としてまず、剣や刀などの一般的な武器に比べ、鎌が殺傷力に欠けることが挙げられる。
刃が短い鎌は、急所に深く打ち込んで太い動脈を裂かない限り、一撃で相手を殺傷するのはほぼ不可能だ。するとよっぽど腕が立つが運が良いかしない限り、何度も何度も相手の間合いに踏み込んで斬りかかる必要がある。
鎌単体だと小刀を片手に挑みかかっているのと大差ないわけで、複数相手や戦場ではまず役に立たない。
もう一つの特徴である鎖も、相手を絡め取って動きを封じることができれば非常に効果的だが、実戦では往々にしてそううまいことはいかないものなのである。おかしな部分に引っかかってしまえばもちろん自分の動きが封じられるし、相手をうまくとらえることができても、仕掛け人が鎖を握っていることを逆に利用されてしまうことだってある。
とは言え、では全く気にすることのない武器ではあるのかと言えば、そんなことはない。
一対一での戦いでは十分大きな脅威にもなり得た。
鎖鎌の最も恐ろしいのは、鎖でも鎌でもなく、鎖の先端にぶら下がっている鉄球ないし分銅部分だ。
刃の斬撃でもなく鎖の絞め技でもなく、投石に近い打撃こそがこの武器の最も効果的な攻撃方法のはずだった。
ゆえにシドは、少年が分銅でなく鎌を投げつけてきたとき、少なからず驚いた。鎖鎌の定石としては、鎌は手元から離さず、分銅を振り回したり投げつけたり絡ませたりすることで相手を翻弄するはずだったからである。
しかし、一見あり得なそうな手を使われて第一に感じたのは、侮りよりも疑念、そしてより一層の警戒だった。
何を考えている?
遠心力を利用して鎖鎌を投げつけてきた少年の一手を、シドは今度は身をかがめて避ける。
頭上をぶんと音を立てながら鎌の刃が凪いでいくのを感じる。
じゃらり、と音が鳴った。少年は素早くつながった鎖を引き、器用に鎌を回収しようとしている。
ずいぶんな離れ業だ。
そう思いながらシドは鎌が戻っていくのを追いかけるように走り込み、相手の耐性が整いきる前に手を突き出そうとした。
「させません!」
シドが走ってきて左拳を――正確には、そこから登る炎で少年を包み込もうとしたのに気がついた瞬間、彼は叫び、彼の手元に黒いもやのようなものが上がる。
少年の手から、指から躍り出たのは闇だった。
それはなめらかに滑り出てあっという間に少年の前に広がり、シドの繰り出した炎からどうやら少年を守る。
死なない程度、どちらかというと驚かしのために立ち上らせた炎は黒いもやに散らされて霧散する。
それはどこか、食い散らかされる獲物と蹂躙する捕食者の関係を思い起こさせる動きだった。
今から離れるのには遅い、もう一度!
シドはさらに踏み込んで少年の身体を捕らえようとしたが、直後本能的な危機感により、ぐんと顔をそらす。顎をかすめる感触。さらに影が迫ってくる前に、シドは左腕を大きくぶんと振った。
固い金属が弾かれ合う音が響き、黒もやが晴れたところで少年が驚きの声を上げる。
「あー、そっかあ。ただの素手で刃物相手にするなんて、さすがに無謀すぎますものね。籠手にもなるのか。便利な獣器だなあ」
シドの左前腕を覆う腕輪、紅炎熊は炎を発生させる武器であると同時に、戦闘時は強力な堅さを発揮し、あらゆる凶刃からシドを守る小さな鎧となる。
しかしシドは無事に相手からの攻撃を防ぎながらも、驚愕で大きく目を見開いていた。
(あの鎌、今一体、どんな軌跡を描いて飛んできやがったって言うんだ!)
先ほど、一撃目の攻撃は、シドの常識とは若干違う使われ方をしていたが、それでも鎖鎌らしい軌道を描いて飛んできた。要するに物理法則に従った動きをしていたのである。
ところが今の一撃は、たとえるならそう、まるで少年の身体から目に見えない長い腕が一本生え、それがシドに向かって刃を振り上げ、返す手で振り下ろそうとした――そんな風に見えたのである。
(そうか、死体を操っていたのと同じ能力。黒闇蜘蛛の能力は死体の操作なんかじゃねえ。見えない糸を飛ばして自由に物を動かすことができるってか)
「でも――かすりましたね!」
素早く自分の認識の修正と次の作戦を立てようとしていたシドだが、少年の言葉にはっとなって顎を押さえる。
急に飛び出した鎖鎌の先端がほんのわずかにかすった顎は小さく切れている。
そこから何かが身体中に広がってこようとするような、おぞましい感覚。
立ち尽くすシドを前に、少年は鎖鎌を持ったまま器用に何かの印を結び、醜悪な微笑みを浮かべる。
「種々の産物我に屈し、我が悪意にて撃滅されよ。邪道天蠱毒――発動!」
朗々と少年が呪文を唱え終わった瞬間、強烈な痛みがシドの身体の内部を走る。
彼は叫び声こそ上げなかったが、顔をゆがめ、身体の色はみるみる青ざめ、汗がどっと全身から噴き出るのを感じる。
「鎖鎌が殺傷性の低い武器であることは重々承知しております。まさかこちらが、そのことに何の対策もしなかったとでも?」
少年は余裕に満ちた態度で、目の前の苦痛に悶える男を見上げる。
――毒。
呪毒!
それでも彼の頭のどこか冷静な部分が、激烈な痛みを伴う原因について素早く分析をする。
シドはあがくように左腕を動かす。
「悪あがきですか? 仕方ないなあ――」
少年は猛毒に苦しむ男が自分にむかって当てずっぽうに攻撃しようとしているのかと判断し、迎撃態勢に入ったが、直後ぽかんと口を開ける。
前方に突き出すようにした手をシドはぐるりと返し、自分の心臓に向かってどっと掌を押しつけたのだ。
動物が唸るような咆吼が上がり、シドの全身が炎に包まれる。
その勢いの激しさに、少年が声を上げてとっさに遠くまで飛んで退避をしたぐらいだった。
炎の勢いから身を庇うように、鎖鎌を持ったままの手を顔の前にかざした彼は、大きく肩で息をしながらも仁王立ちで炎の中から現れた男に目を見張る。
「ハハ。あはは。あはははは――すごいなあ、さすが獣器使い! どういう原理なのかは知りませんが、浄化でもしたのか、それとももともと耐性持ちなのか。何にせよ、この程度じゃ効かないってことですね? まあいいですよ、手は一つじゃないんですから!」
少年の高笑いを、シドは妙にぎらつく視線でもって冷視し、二人は再び動き出す――。
メイディンは多彩な能力でシドの事を翻弄した。
鎌による斬撃と、付随する毒攻撃で。
鎖による動きの封じ技で。
分銅による遠くからの打撃で。
それらは黒闇蜘蛛の能力を組み合わせることによって、定期的に物理法則を、戦闘慣れしたシドの常識を覆す方向から彼に向かって襲いかかってくる。
さらに少年は、呪毒を初めとした様々な妖術を間に挟み、シドを追い詰めていく。
妖術で強化したのか黒闇蜘蛛の加護なのか、見た目に反して彼がシドと渡り合えるほどの怪力を発揮したこともシドを苦戦させた。
何度も何度も、近づいて絡み合い、決定的な瞬間が来そうになる
致命傷こそ負わせなかったものの、初手から全力でシドを殺しにかかっている少年と、結局は少年を殺すことのできないシドとでは一つ一つの行動に差が出てくる。
シドの動きは、やはりどこか精彩に欠けていた。
対して少年は、時を増すごとにその濁った紫色の目に宿る妖しい光を強めていく。
「ほら、ほら、ほら! どうしたんですか、オイタのお仕置きとやらはまだですか!」
戦闘中一度もしゃべらないシドと違って彼の口は流暢で小癪だ。
所々小さなひっかき傷や痣のような怪我を全身の所々に負っているシドは、無言のまま少年を見据える。
「あははは、そんなぼろぼろになってるくせに――本当しつこいんですよねえ。さっさとくたばってくださいよ!」
いらだちまじりに投げつけられた鎖付きの分銅は、避けようともしなかったシドの首のあたりにぐるぐると勢いをつけて絡みつく。
彼はとっさに首が絞まりきらないようになんとか左腕を差し込むことはできたようだが、それは同時に彼の生命線が封じられたことも意味する。
少年が勝ち誇ったように大声を上げた。
「今までちょこまかちょこまか鬱陶しかったですが、もう逃げられませんよ! これで、終わりです!」
「……ああ、そうだな」
鎖でシドの首を締め上げたまま、おそらく何かの妖術をかけるか、黒闇蜘蛛で攻撃をしようとしたのだろう、少年の動きがふと止まる。彼は聞き間違いかと思って首をかしげたが――鎖を首に絡みつけられたままの男は、先ほどまでの一方的に蹂躙され憔悴しきった様子はどこへやら、不気味な笑みを浮かべて少年にぎらつく赤い目を向けていた。
(まさか――僕の油断を誘うために、わざと疲れたふりを)
「終わりだとも――なあ、紅炎熊!」
「アルデ――」
不穏な空気に気がついた少年が先んじて手を打とうとするが、それを遮るように一際はっきりとした声でシドは吠える。
すると、これまた先ほどまでみるみる力を弱らせ、頼りなく消えていくかのようだった紅炎熊が今までで一番赤く燃え上がり――そして炎は鎖を伝い、少年の手元へと瞬きの間に燃え移る。
彼はあっと声を上げて手を離したが、一瞬遅かった。
少年の呪術も、黒闇蜘蛛の少年に対する加護をも、この一瞬の隙に一気に打ち破った炎は彼の手を赤く染め、焼いて臭いを祭儀場にまき散らす。
「手がっ――僕の、手があっ!」
甲高く痛々しい少年の絶叫が響き渡る。
彼の手には本来手を覆う籠手や黒い布が溶けて絡みつき、真白く働いていない女性のように小さく美しかった手は、今やすっかり焼けただれ、醜い水ぶくれで覆われている。
無事なのは、右手親指の黒い指輪――黒闇蜘蛛だけだ。
白々しいほどに元のままの指輪は、未だ少年の身体に張り付き、落ちていこうとしない。
彼が両手の痛みにわめきながら膝をつき、目を床に下ろした瞬間。
駆け寄ってきて、振りかぶった影があった。
少年が振り仰ぐ暇もなく、殴打するような音と、短いうめき声が上がる。
少年は首に手刀を入れられ、そのまま木の床に白目を剥いてうつぶせに倒れ込んだ。
シドは険しい顔で、肩を怒らせながらしばらく彼を見下ろしていたが、蹴り飛ばして仰向けにさせた少年の身体から完全に力が抜けきっているのを確かめると、大きく息を吐き出す。
屋敷全体が大きく揺れたのは、ちょうどその瞬間のことだった。