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蛇の道くぐって

「えーとじゃあ、ざっくり秘技の説明をするとっすね」

「ざっくり説明なんかしていいのか」


 固く握手をした後、お互い準備を整えるために一度離れ、仕切り直す。

 ナークは片手を人差し指を立てながら上げて、何事かかしこまって話そうとしていた。早くもシドが横合いから口を出したが、無視して続ける。


「これから、水門を作って開くっす。こちら側の入り口と、あちら側の出口。それを作ってつなげるのが、青水蛇スィーダの秘技になるっす」

「なるほどな。水のある場所ならどこにでも行ける――まさにその究極形ってことか」

「そうなんすかね? ただ、扉を開けたらそのまま向こうの世界ーってわけにはいかないと思うっす。えーとね……スィーダ曰く、光が見えるらしいんで、そこまで泳いでいってほしいって」

「……泳ぐ? 泳ぐ必要があるのか?」


 神妙に話を聞いていたシドが首をかしげながらいぶかしげな声を上げた。

 ナークは立てたのとは逆の片手を耳に当てて、音を聞くような仕草をしながら、しれっと答える。


「はいっす、水の中を泳ぐっす。青水蛇スィーダがそう言ってるっす。でも安心してくださいっす、光ってるところ、つまり出口の水門までたどり行けたら、ちゃんと向こう側に出られるらしいっすから!」

「……ってことは、少なくとも強制的に、持っていくすべての装備が濡れるってことか」

「まあ、そうなるっすね」


 シドは少し硬直してから、ふっと目を遠くして息を吐き出し、腕を組む。


「一応様式美として聞いておくがな。泳ぎがへたくそだったり、その光ってる場所とやらが遠かったりで向こうにたどり着けなかった場合、どうなるんだ?」

「そりゃー、水門と水門の間の空間は完全な水場っす。水生生物でなければ、そのまま時間経過タイムリミットで……」

「時間経過で?」

「溺死するんじゃないっすかね」

「…………」

「あ、やっぱり溺死するらしいっす。青水蛇スィーダがそう言ってるっす」


 シドは今や左手で頭を、目頭のあたりを押さえ、力なく首を横に振っている。声からもどんどん覇気が薄れていっていた。


「途中で、やべえと思って引き返したり、とかは」

「おれっちの力だと、ちょっとの間片道開けるのが精一杯らしいっす。ま、つまり一回入ったら、頑張って出口から出ていくしかないってことっすねー。ちなみにおれっちが途中で力尽きた場合――シドさんがあっち側につく前に術が終わっちゃった場合も水門が閉ざされちゃうんで、やっぱりシドさんはなすすべなく閉鎖空間で溺死すると思うっす」


 腕の紅炎熊グエンジュが持ち主を慰めるようにほのかに光った。ナークの声は明るいままだ。


「あーあと、一方的に飛ばしては上げられるっすけど、無事ファランちゃんを連れ戻すときは、頑張って歩いて帰ってきてくださいっすね。まあ、そんなところが注意事項っていうか? でも大丈夫っす、シドさんならできるっつーか、人間やめかけてるあんたならたぶん余裕なことだって、おれっち信じてるっす!」

「ナーク」

「はいっす!」

「おれはさっきお前を大幅に見直しかけたし、ものすごく信頼できるんじゃないかとも思ったが、やっぱり評価を元に戻した方がいいんじゃねえかと今思った。つか、やっぱりお前はお前だったんだな、ある意味安心したぜ」

「ちょっとなんで? なんでここでおれっちの株が下がってるの、おかしくないっすか!?」


 商人の肩をばしんと叩いた後、「ま、最初から話がうますぎるとは思ったんだよな。ここで落ちがあったか」とシドは嘆息しつつも、自分を納得させるように頭を振りつつ呟く。

 ナークの方は叩かれて痛がっているようにうめいていたが、シドが自分の頬をパンパン叩いて気合いを入れ直すのをみると、「お」の形に口を開いて止まる。


「何にしろ、四の五の言ってる段階じゃねえ。行くしかねえ、のか……」

「おっ、やっぱりシドさん、男っすねぇ! おれっちなら絶対にやらないっす憧れるっすけど真似はしないっす!」

「オイ」


 一時見せたかっこうよさを自分で抹消したいとでも言うかのようなナークの態度に呆れるシドだが、ナークがへにゃんとした言葉とは裏腹に顔をきりりと澄ませて川面をのぞき込み、真剣な表情になると自分も姿勢を改める。


「――リョ梛琥ナークの真名を以て命ずる」


 ナークは最初にごくごく小声で自分の真名を呟いた。これだけはさすがにシドにも教えられるものではない。


 真名とは音ではなく字である。人は名である音と、真名である字を誰もが皆持つ。

 親から音を与えられた赤子が三つになると字を賜り、精霊が人の頭にそれを呼びかける。自分の家族にすら易々と明かしてはいけないその本性を、たとえ文字を一度も書いたことがない人間でも、真に望めば指が紡ぐ。


 真名とは魂を縛る祝であり呪である。理に従う者を守るものであり、律するものである。

 ゆえに真名を広く知られている獣器達は理なくして人に逆らうことができないし、人の理の外にあった彼らに無理矢理真名を貼り付けて従わせた彼女のことを後の人は賢人を恐れ、敬ったのである――。


 ともかく、神妙な雰囲気の中、ナークの言葉は、魂を賭ける祝いの、呪いの言葉は続く。


「其は青水蛇スィーダ。我が目にして耳、口にして手足。其は我が命に応えるもの。これは違うことかなわぬ、魂の盟約である」


 ナークの耳飾りから躍り出た水蛇は、彼が前に伸ばした腕をするするととぐろをまいて伝っていき、そこから水辺――川面に向かってゆっくりと下りていく。ナークは自分の身体から完全に青水蛇スィーダが離れた所を見計らって、手を合わせ、不思議な印のようなものを組む。


「雨来たれば祝いとなし、乾き来たれば呪いとなす。天よ、地よ、我らにその力を――秘技、水天宮蛇道隘路、解放!」


 額にいつの間にか脂汗をにじませながら、ナークは唱え終える。

 すると川の水の中でうごめいていた青水蛇スィーダが素早く動き出し、己の尾を噛むようにして長い胴で一つの大きな円を作る。蛇の身体で作られた円の内部では、川の流れが奇妙な方向にねじ曲がったかと思うと、青白い光を放ち、やがてそこだけ鏡のように静かな面となる。


「シドさん、行くっす!」


 ナークの合図の声と共に、シドは川の底を蹴り、大きく息を吸ってから奇妙な光を放つ蛇の縁の中に飛び込む。


 ざぶん、と音が耳に届き、まさしく水の中に飛び込んだ時の感触が身体を包み込む。


 川のような水の流れはない。目を開ければ、周囲はどこともしれない暗い水の中らしいが、確かに前方に入ってきたのと同じような青白く輝く円が見える。

 シドはそちらの方に向かって手足を動かし始めた。水の中を深く潜るようにしてみれば、身体は確かに動く。腕では彼を励ますように紅炎熊グエンジュが熱を放っている。


 冷たく暗い水の中を、どれほど泳いだことだろう。そろそろ息が、と思う頃になって、ようやく光の円が近づく。シドは思い切って、身体に込める力をさらに強めた。息苦しさが増すが、その分ぐんぐんと身体は進んでいく感覚がして――やがて、ざばんと水音がして、急にどこかに放り出される。


 咳き込みながらシドが髪をかきあげて周囲を見回すと、彼は見知らぬ森の中にいるようだった。どこにも通ってきたはずの青い円や蛇の名残は見当たらない。

 ただ、見上げると、御殿のようにどこまで広がっているのかわからないぐらい大きな屋敷と仰々しい門が、どっかり構えられている。どこぞのお貴族様の屋敷だろうか、というほどに豪奢な門構えだ。


 ある程度息を整えてから、シドは無遠慮に正門であるらしいそれをたたき――中の応答も待たず、すぐに突き破る。

 拳を紅炎熊グエンジュの炎ごと当てられてあっという間に吹き飛んだ大門から侵入したシドがずんずんと突き進んでいくと、屋敷の中はやけに静まりかえっている。派手に入ったのに誰も出てくる様子がない。

 いくつか建物が建ち並んでいるが、シドはまっすぐ門から入って正面にある一際大きな屋敷を目指して敷石の上を歩いて行く。

 彼が乱暴に何度か扉を開けて廊下の中を突き進んでいっても、やはり応じる人間はいない――というよりも屋敷内に人の気配が一切ない。不気味な静けさがあたりを支配している。


 言葉もなく屋敷の中を歩き、小さな庭園、中庭のような場所にさしかかった時、シドの足が止まった。

 庭を挟んで向こう側の通路に、小柄な黒ずくめの人物が奥から出てきたのだ。


 仮面が足を止めてこちらを向くのを待ってから、シドはそれに向かって静かに声をかけた。


「お前が、蜘蛛か」


 確信を持って聞けば、幼いが妙に落ち着いている声が返事をする。


「あなたは、熊ですね」


 その瞬間、シドの腕で紅炎熊グエンジュが熱く燃え上がった。

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