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理由は特にない

 川辺に青水蛇スィーダを垂らしていたナークが、閉じていた目を開けると、するりするりと蛇は耳飾りに帰っていく。

 横で何やら物を集めて作業をしていたシドは、仕事が終わった気配を感じて自分の手を止めた。


「どうだ」

「ふふん、さすがおれっちー。場所が特定できたっすよ」

「どこだ」

「ここから大体三十里――ってところっすかね。ずいぶん辺鄙な場所に潜り込んでくれたっす。まあ、いかにもそれっぽいっちゃそれっぽいけど」

「……三十里ってえと、大人が歩いて三日ってところか? 普通なら不可能な場所だな」


 既に大分傾いている日を見上げながら、シドは渋い声を出す。

 襲撃を受けたのは早朝。通常ならばとても半日で少年が少女を連れて移動できる距離ではない。

 獣器の力か、と彼は小さく吐き捨てる。


「蜘蛛は黒闇蜘蛛アルデラ――闇の字をあてられた奴、か。能力の汎用性が高そうだが、それを使いこなせるような奴が相手ってことかよ」


 相手の獣器使いが少年だと聞いているためか、シドの表情はさらに暗い。


 獣器は使い手に人智を越えた力を与えるが、力を引き出せば引き出すほど使い手が危険にさらされる道具でもある。身の丈を越えた力を発揮しようとして子器に食われた、ならず者達の記憶はまだ記憶に新しい。獣器はけして子どもの玩具になるような可愛らしいものではない。


 ――ただし、獣器はただの道具ではない。命と意思を持つそれは、使い手を散々翻弄し傷つけもするが、まれに自分の身を削ってまで助けることがある。シドはそれを、身を以てよく知っている。

 そうだったとしても、とても喜ぶことなんてできない、むしろその場合がなおさら最悪だとシドは思っていた。


 紅炎熊グエンジュを恨んだことはないし、獣器使いになったことにも後悔はない。この獣器がなければシドはとっくの昔にどこかでのたれ死んでいるし、獣器がなければできないようなこともたくさんしてきた。足を向けて寝られないと言った方がいいぐらい恩がある。

 けれど、彼女は獣、人間ではない。そしてたとえ人間の形をしていようと、幼少期を獣に育てられたものもまた、所詮獣だ。

 幼い頃から獣器と密接な関係を続けた人間が、その後人間社会に歓迎されるはずもない。

 自分個人のことをこれ以上とやかく言うつもりはないが、人にすすめられるような生き様ではないとシドは考えていた。


 顔をこわばらせたまま腕を組んだシドに向かって、ナークがぽんと手を打った。


「あ。シドさん、もしかしたらあいつ、獣器使いなだけじゃなくて、妖術師かもしれないっす。ほら、さっき調べてきた死体に――ほとんどあんたが燃やしちゃったからあれっすけど――なんか昔そういう人達が使う模様みたいのがついてた人がいたっす。前に別の付き合いで見たことあるっす」


 シドは最初興味深そうに耳を傾けていたが、途中から自分がもうちょっと穏便なやり方をできなかったのかと責められている調子が入ると、ふんとふてぶてしく鼻を鳴らす。


「燃やさねえと、あいつらどこまでも追ってくるんだから仕方ねえだろ」

「やー、わかるっすよー? でもねー、一体ぐらい、参考のために確保しとくとかー」

「生きてる人間なら考えたけどな。……うるせえ、紅炎熊グエンジュと俺に繊細で器用な心がけとやらを望むな。努力はするが、大抵期待には応えられねえ」

「でっすよねー……」


 知ってたけど一言言わずにはいられなかった、という感じのナークからぷいと目を背けたシドは、広げていた道具達を手早くたたみ、脚の紐をしっかり結び直しながら話しかける。


「距離と、方角はわかるんだな? 地図を書けとは言わねえから、向きを教えろ。獣器同士はある程度近づけば互いに感知し合う、なんとなくでも向きがわかってりゃ、最後はそれでわかるだろ」

「……あの、やっぱり走って行くつもりで?」

「仕方ねえだろ、俺の獣器には地脈を潜るみたいな芸当できねえんだ。……いや、ひょっとして。応用すれば空ぐらいは飛べるか?」

「うわあ。あんた、正気で言ってんのか」

「ファランには代えられない。どうだ、紅炎熊グエンジュ。お前、できるか」


 シドがあっさりびっしりナークに答えてから腕に呼びかけると、数拍置いてから返答があったようだ。彼は満足そうにぽんぽんと相棒を叩いてねぎらう。


「そう来ると思ったぜ。さすが、俺の相棒だ」

「マジかよ……」


 ナークは突っ込みが追いつかなくなったのか、空を仰いで目頭を押さえていたが、シドがいよいよそのまま荷物を背負って試しに飛ぶか、とでも言うような格好をしようとすると、仰々しく息を吐き出し、押しとどめる。


「シドさん、やっぱりその案はやめだ」

「あんだと?」

「どうやってやるのかはわからないっすけど――いやなんとなく想像がつかないわけではないっすけど――そんなやり方で三十里も移動したら、ものすごく消耗するのは目に見えてるっす。急いだ方がいいのはおれっちも同意するが、だからってそのやり方は、ナイ。移動に労力コストかけすぎっす」


 いつの間にか自分の荷物から取り出したらしい算盤をはじきながら、彼はシドに反論の余地を与えず、すらすらすらりと述べ立てる。


「だって、行ってそのまんま解決ー、ってわけにはいかないっす。十中八九、九割九分、着いた後あんたは蜘蛛と戦わなきゃいけない。なのにこのやり方じゃ、移動中にこっちの資源リソースが削れすぎて、その上こっちの手の内が相手に見えちまうっす。出遅れちまってる以上、後手に回るのはある程度仕方ないが、積極的に不利になりにいく事はないっすよ」

「だったらどうしろってんだ、走って行くか?」

「あのね。だから、言ってるっしょ。おれっちも協力するっすって」


 じゃあどうしろと、といかにもいらだちの表情を募らせるシドに、ナークはとびきりうさんくさい笑顔を向けて見せた。彼の指は、自分の耳元を差している。

 シドはいぶかしげに眉をひそめる。


「お前の話じゃ、青水蛇スィーダでできるのは水を伝って遠くの様子を見に行ったり、言葉を伝えることだけ、物を渡らせるとかあっちに干渉するのは無理だって話だったじゃねーか」

「そりゃー基本情報、普通に使ったらの話っすよ」

「――まさか」


 可能性に思い当たったシドが信じられない物を見る目で商人を見ると、彼は満足そうに微笑みを深め、とんと自分の胸を叩く。


「秘技を解放すれば、おれっちでも人一人を移動させることぐらい、できないこともない。幸い、ここには川もある。まーやったことないんで必ず保証するとは言えませんが、青水蛇スィーダも大きく反対してないし、たぶんなんとかなるんじゃないかなと」

「お前、自分が何言ってるのかわかってんのか。今日はもう十分力を使ったはずだ、その上で秘技を使うだと?」


 ナークはいまいち読み切れない怪しい微笑を浮かべたままだ。シドの方は渋面がどんどん濃くなり、もはや般若のような有様である。


 獣器には魔獣が封じられ、人は獣器を手にすることで彼らの人智を越えた力を利用することができる。

 使い手の練度が高まり、獣器の扱いに精通するようになると、人は数百年前に封じられたその真の力すら手にすることができるようになるのだという。


 それこそが、秘技。

 危険な場に駆り出される事の多い獣器使いにとって最後の切り札であり、奥の手だ。

 だからこそ、まず誰かにその存在や性質を詳しく明かす事はないし、自分がよほど追い詰められでもしなければ使わない――そもそも使いたくてもおいそれと使えるものではない。秘技は使い手と獣器に大きな負担を強い、消耗させる。時には以後の一生に負債が出るほどに。


 シドがナークの正気を疑っているのは、そうしたわけだった。


「なんで、そんな」

「個人の人情的には、あの見るからに危ない奴にファランちゃんが捕まってるって状態が気にくわないっす。もひとつは獣の勘的に、ここでちょっと無理してでも止めとかないと、もっとヤバイことになる気がするってかね。その辺はシドさんも感じてるんじゃないっすか」

「ナーク」


 一時驚愕に目と口が開かれ、信じられない物をみるような顔をしていたシドだったが、今度はやけに静かな顔だ。ナークも釣られるように、少し真面目な顔になる。


「なんすか」

「貸しがすぎるんじゃねーのか。んなに大盤振る舞いされても、こっちに返す当てがない」

「んー……」


 ナークは仮にも商人だ。利益と労力を計算し、公正な取引を望む、そういう人間のはずだ。それが自分が大幅に損をしてでも手を尽くしてくれるというのなら、シドからすればありがたみよりも先に不審が芽生えて当然である。

 それが言っている本人にもある程度自覚されているのだろうか、ナークは苦笑して、少し思案するような返事をしてから、頬をひっかいている。


「じゃあ、これはどっすか? 今までの付き合いでおれっち的には十分返してもらってるってことで」

「納得できねえな。そんな大層な恩を売った記憶はねえよ」

「そこはほら、何度か荒事も片付けていただきましたし」

「都度清算してるだろ、ツケにはなってねえはずだ」

「……獣器使い同士のご縁ってことには」

「相手だってそうだろ、なんでこっちにそんなに肩入れする」

「それはなんというか……人徳?」

「死神呼ばわりされてる奴にそんなもんがあるとは驚きだな」


 順に提案した言葉をことごとくばしばし否定され、ナークは苦笑いを深める。


「じゃー、おれっち、これからちょっと独り言つぶやくっす。適当に聞き流していただけると嬉しいっす」


 彼は川のほとりまでふらふら歩いて行くと、そこでしゃがみこみ、川面をのぞきこんでうずくまったまま、小さな声で切り出した。


「獣器使いにはまともな出自の人間が少ないって話、聞いたことあるっすか? 元が魔獣っすからね、普通の人間とはあんまり感性が合わないって言うのもまあ、道理っしょ。おれっちが人並み以上に獣器使いに惹かれるのは、彼らがいやらしい嘘つきじゃないからっす。だからシドさんも彼らにとても近いって言うか……んー、うまく言えないや。でもとにかく、機会があったらつきまとうぐらいに、元からあんたのことは結構気に入ってたってのは、本当だよ。だからホント、獣同士のご縁ってのが一番なんすけどね」


 その辺の石ころを拾って無造作に川に投げる。器用者のなせる技か、石は一度水面を弾いてからゆるやかに流れる川の中に沈んでいく。


「あとはまあ、シドさんだけじゃなくって、ファランちゃんも関わってる事っすから、一肌脱いじゃおっかな、なんて。あの子、片割れなんでしょ?」


 さらりとファランの秘密を口にされ、腰に手を当てナークの横に立って一緒に川を見つめていたシドは横目に商人をうかがう。


「……気づいていやがったか」

「あ、この一月でファランちゃんがおれっちに話したとかじゃないっすよ、安心するっす。最初に会った時からね、ずっと不思議に思ってたんだ。死神呼ばわりされるようなあんたが、なんでわざわざ子ども拾って連れ歩いてんのかとか、あの子に無性に引き寄せられる感覚ってなんなんだろうとか、時々ファランちゃんの周りで起こる不思議な事ってなんなんだろうとか……青水蛇スィーダは黙秘を貫いたっすけど、まあ違ってたら違うってちゃんと否定するだろうから、ほぼほぼそうなのかなって。今回、奴の襲撃を受けたことで色々合点がいったっす」


 ナークは立ち上がるとシドに向き直った。傾く夕日に照らされて、薄い色合いの髪がほのかに赤く染まっている。


「あんたは情けないところもあるっすし、文句がないわけじゃないっす。けど、少なくともファランちゃんのことをこの世で一番よく知ってるのはあんただし、一番考えてるのはあんたのはずっす。いきなり出てきたぽっと出のやたら怪しい男の子よりはまだ、安心して任せられるってもんっす」

「ナーク」

「……あはは、情けねえや。しゃべるのが本業なのに、本当にしゃべりたいことほどうまく出てこないもんっす。シドさん、あのね。おれっちを信用してくださいっす。おれっちは商人っすけど、それだけじゃない――ほら、一応ギリギリ、人間の端くれっすから。理屈だけじゃないっす。理解できないほど理不尽な事だって、たまにはするっす」


 獣器好きな偏屈な商人の、細い目をじっと見据えていたシドは、そのままゆっくりと切り出す。


「……借りは覚えておく」

「じゃあ、帰ってきたら、うまいもんでもおごってくださいっす。なんなら綺麗なおねーさん紹介してくれるんでもいいんすよ?」

「ナーク」

「はいっす」

「すまねえ。恩に着る」


 シドは一度ぐっと唇をかみしめてからくっきり言い放ち、右手を差し出した。ナークは少し驚いたような顔になってから、くしゃりと破顔する。


「こういうときは、ありがとうって言うんすよ。シドさんらしいけどさ」



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