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蜘蛛に絡め取られる

 頭の奥が鈍くずきずきと痛む。両手で抱え込み、身体を丸めながらファランは必死に現状を把握しようとした。


(今、何が起こったの……?)


 視界もひどくぼやけていて焦点が合わない。ファランは先ほど落下したように見えた己の分身の姿を探そうとしたが、そこで何かが上から降ってきた。


(何――いやっ!)


 倒れ込んだファランの上に荒々しくのしかかったそれは、最初に素早く彼女の顔を覆い、視界を封じてしまう。


 真っ黒な中で暴れようとする彼女は、上げようとした両腕が膝のようなもので押さえつけられ、ついで自分の口の中に何かが慌ただしく詰め込まれるのを感じた。おそらく丸められた布のようなものだ。くぐもった悲鳴が喉の奥から漏れるが、さらに強引に袋のような物を頭の上からずっぽりと被せられ、首のあたりで紐がきゅっと締められる感触がする。


(誰!? 何も見えない――何をされたの、息が苦しい!)


 なんとか逃れようと暴れるが、顔面を袋のようなもので包まれた上に腕は上がらず、足をばたつかせてみても腹部の上あたりに腰掛ける体重があればどうにもならない。


(オウド、オウド――どこ、どうして答えてくれないの? どこに行ったの、せめて返事をして、答えて! オウド!)


 一連の蛮行が行われている間、本来こういうときに真っ先に飛んでくるはずの鳥の気配はまったく感じられなかった。

 乱暴者が草木を踏み分け、ファランを押しつける音はしても、鳥の羽ばたきや鳴き声は一切聞こえてこない。心の中で呼びかけても、いつもならすぐに返ってくる合図すらない。

 明らかに危ない状況なのに、鳥がまるで自分の中で眠っている時のように関係が断絶し、反応しない。こんな状況は前代未聞、初めてだ。ファランは自分の身体が冷え切っていくのを感じる。


「……これはちょっと、やり過ぎなんでしょうかねえ」


 真っ黒な視界の中、何ものかがファランの身体をうつぶせに転がし、背中の真ん中のあたりをどうやら踏みつけた。


(男の子!?)


 意外すぎる聞こえてきた声の種類に彼女が戦慄し、くぐもった声を袋の、詰め込まれた布の下で漏らすと、無邪気な少年の声でしゃべる黒づくめの人物は背中を膝で押さえつけたまま手を伸ばし、袋詰めにしたファランの頭をつかんで地面に押しつける。


「ま、いっか。ちょうどいいと思う事にします。伝承がある程度正しかったことは、どうやら証明できました。あなた、さっきの笛の音が聞こえたんですよね? とても不快で、立っていられないものだったでしょう? あの音は普通の人間には聞こえないから何も影響がないはずなんです。ですからそういうことだと判断させていただいてもよいのですよね?」


(この人は――この男の子は、何を言っているの? そもそも本当に男の子なの? 声はそうとしか思えないけど……)


 自分が倒れたのは、そしてオウドに異常が起こっているのは、明らかにこの少年らしき人物のせいだということはわかる。だが、それ以外がまるでわからない。


 ファランがちかちか点滅する暗い視界の中で、一度もがくのをやめると拘束の力も少しだけゆるむ。

 少年らしき謎の人物の手が、ファランの頭から首筋をなぞるように、背中の方まで下りてくる。


「でも、本当にあなたが本物なら、きっとここに確たる証拠があるはず――」


 何か、とても嫌な予感がした。一際大きな悪寒が背すじを駆けていったような。

 ファランは身体をぶるりと震わせた直後、自分の上で何かが動くのを、そしてその直後に耳の近くでシャキンシャキンと鳴る刃物の音を聞いた。

 とっさに身体が硬直し、縮こまる。少年が妙に優しく彼女に向かって呼びかけてきた。


「動かないでくださいね。別に傷つけたいわけじゃないんです。ああでも、あなたが万が一僕の期待する人物でなかった場合は、残念ながら口封じという形になることが予想されますが――まあ、それはそれとして。お互い、痛いこととか、面倒なこととか、嫌でしょう? だから、じっとしてて――ね?」


 ファランが身をすくめているのに気をよくしたのか、拘束の力がさらにゆるむが、背中の方で刃物の音が絶えず、さらに徐々に徐々に身体に冷えが入ってくるのを感じる。背中がぞわっとあわ立ったのはけして感情だけではないだろう。


(――服を、切っているの!?)


 自分がされていることを理解した瞬間、ファランはより一層おぞましさを感じる。

 けれど暴れた拍子にするどい刃物の切っ先が自分を貫くかもと思うと動けない。少年が甘い調子で脅すような言葉をかけてきたこともある。


 刃物の音が消えると、震えたままじっとしているファランの背中を、柔らかで冷たい指の腹が這う。


「ああ、やはり――あなた様こそ探し求めていたお方。僕たちは、間違えていなかった」


 肩甲骨のあたりを何度も執拗になぞりながら――おそらく、そこにある彼女の生まれながら持つ翼の模様に触れつつ、襲撃者は息を荒げ、恍惚に満ちたような声を上げる。

 聞かされている方はますます自分に鳥肌が立つのを感じた。

 しかし、得体の知れない恐怖にすくんでいるのだろうか、身体の方はちっとも動かない。――動いてはいけない、とも強烈な本能で思う。ちょっとしたことで、何をされるかわからないから。


「このようなご無礼をお許しください。ですが、これは我々にとって――いえ、僕個人にとって、とても重要な事でした。間違えるわけにはいかなかった。確実に、これだけは真偽をはっきりさせる必要があった」


 少年ははさみで切り裂いた服の間から露出したファランの真白い背中に手を這わせ、撫で回し、その感触をうっとり堪能しつつ、甘い声で彼女に語りかける。


「ああ……さすがに何もわからない状態だと、理不尽を感じますか? 申し遅れましたが、僕はメイディンと言います。以後お見知りおきくださいませ、獣王の寵姫よ」


 ファランは身体をあおむけにひっくり返される気配を感じる。

 ほぼ反射的に突っ張るように手を前に出すが、それを優しく取る気配がある。本当は今すぐにでも振り払い、顔の覆いを取って走り出してしまいたいが、足が、身体が妙に重くて動かない。それに寒気と奇妙に暗いあたりの気配が収まらない。


 彼女が怯えたまま身体をこわばらせて手を取られていると、おそらくその掌に自分の顔――頬をなすりつけるようにして、少年はささやき続ける。


「おかわいそうに……あなた様はずっと、間違えた歴史の元に虐げられ、存在を否定されてきた。ですが、そんな偽りの時代はもう終わりです。僕の代に、僕が今まさに祭司になったこの代に、ああ! あなた様が蘇られた! この身に余る光栄、奇跡、まさに僥倖――この感動がおわかりいただけますでしょうか?」


 掌を擦る感覚に、とっさに身を引こうとしたファランを何者かは引っ張り、逆に腕の中に収めてしまう。

 どうやら声通り背の低い人物らしく、ファランは見知らぬ小さな誰かに抱きつかれるような形になった。


 それにしても不気味なのは、少年がこれほどファランに、ずっと昔から知っているように親密で優しく、穏やかな声音を、そして時折彼女を敬いさえするかのような言葉をかけておきながら、彼女に一切の自由を与えるつもりもなければ、彼女に問いを許す気配もない――そういう雰囲気を保ち続けている、ということだろうか。


 ファランはまるで、肉食獣の巣穴に引きずり込まれ、今にもとどめを刺される時を待っている小動物の気分である。

 あるいはもっと身動きの取れない――そう、たとえば、蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のよう。


 至近距離で、少年がつぶやき続ける声が聞こえる。


「そうでしょうとも、今はまだ、何もわからず、何も思い出せないはず。ですがご安心ください。準備はこちらですべて整えております。黒闇蜘蛛アルデラが僕たちを導いてくれる。彼はもっとも敬虔な信徒です。ああ、ご不便をおかけしていることについては申し訳ない――僕らは共に、あなたに一生をささげるものですが、なにぶん獣王は凶暴だ。自由にさせておくと何をされるかわかったものではない。あなたが万全の状態になるまではこのままで。獣王が我々に必要以上に干渉できないよう、少々封印を施させていただいております――」


黒闇蜘蛛アルデラ――蜘蛛? 獣器使い? どうしてここに? それに、さっき聞こえた耳をつんざく音も、この顔を覆う布も、わたしとオウドのための対策ってこと? どうしてこの人はそんなことを知っているの? その知識を利用して、一体わたしたちをどうするつもりなの、何が目的なの?)


 ファランは自分の心の中に、粘ついた黒い塊のようなものが溜まっていくのを感じる。

 それは恐怖であり、混乱であり、怒りのようでもあり、憎悪のようなものでもあり――とにかく、混沌とした暗いものだった。これ以上こうしていてはいけないと思う、それははっきりわかっているのに、身体が動かない――ただただ少年の毒のような言葉に耳を澄ませるしかない。じわりじわりとなぶり殺されるような、気持ちの悪い状態。


 彼の声が一際近づいた。まるで睦言かと錯覚するほどに、低く、小さく、そして甘い。


「もう大丈夫です。お迎えに上がりました。我々と共に参りましょう――シラン様」


 少年に、抱きしめられながら優しく別人の名前で呼びかけられた瞬間。


 ファランは自分の頭がぱっくり裂けるのを感じた。

 二つに割れて、裏返って、そこからとめどなく、洪水のように何かの情景があふれ出ていくのを感じた。




 シラン、シラン、シラン――。


 洪水達は一つの名前を呼ぶ。


 違う、わたしはファラン! シランって誰? 知らない人――。

 流れにあらがおうとする彼女の小さな意思は飲まれ、すぐにでも押し流されてしまう。


 シラン――。


 彼女は頭からあふれ出す渦に飲まれる瞬間、光を見た。


 青空の下で羽ばたく、目もくらむほど美しい透明な鳥を――それに向かって両手を広げる、知らないはずの誰かの夢を見た。




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