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凶事の前触れ

「留守中、気をつけるっすよ。人の気配がしても、隠れて出て行かなくていいっすからね。おれっちだった場合、また鈴を鳴らしながら帰ってくるっすから、そうじゃなかったら相手しなくていいっすからね」

「大丈夫だよ、わかってるもん。それにナークったら、毎回出がけに同じ事言ってる」

「だって心配っすー、ファランちゃんみたいな子を一人に……今回はちょっとだけ遠くに行くっすけど、三日後には必ず戻ってくるっすからね! なんならもっと早く帰ってくるっすからね」

「一週間ぐらい遊んできてくれても、わたしは文句言わないよ」

「とんでもないっす、何言ってんの!? 何日も開けなきゃいけないってだけで十分気がかりなのに……」

「はいはい。でもわたしは大丈夫だから。早く行ってきて」

「ううう、やだなあ、置いていきたくないなあ、いっそ今回はもう……」

「ナーク? そろそろ近場だけだと厳しくなってきたし、今回はちゃんと大きな町まで行くって言ったよね?」

「ううう、女性はちっちゃくてもたくましいっすね……んじゃ、行ってくるっす」

「行ってらっしゃい。ナークも気をつけてね」

「はいっすー!」


 背負子しょいこに商売道具をくくりつけて立ち上がったナークは、心配そうに何度もファランの方に振り返るが、彼女が安心させるように微笑み、最終的にいいからさっさと行けの意味を込めて手を振ると、改めて(諦めて?)背負い直し、足早に山を下りていく。


 ナークが山を下りている間、ファランは山小屋で家事をしたり、近くに出かけていって食べ物を採取したり釣りをしたりして過ごす。小屋の裏手にある小さな畑も、近頃は長居を生かして面倒を見ている。

 最近ではさらに、ナークの助けになるかもと、ナークが置いていった布の切れ端で小物を作っていたりもする。


 ナークはいつもは早朝に出かけていって、夕方暗くなりすぎる前に戻ってくる。

 今回はもう少し遠出をするので、一日では帰ってこられない。出かける前に渋り方もひとしおだ。

 ファランは少し寂しくなるような、どこかほっとするような心持ちでナークを見送る。




 シドがいなくなってから、間もなく一月が経とうとしていた。

 あれから音沙汰もない。どこで何をしているのか、さっぱりわからない状態だ。


 ファランはずっと山小屋で生活を続けており、人里には下りていない。

 ナークは最初の方こそ一日中ファランの側でうろついていたが、三日が経過した頃にそろそろ町に下りて商売とついでに自分の買い物を代行でしてきてほしいとファランが言い出すと、押し問答の末に折れてとぼとぼ山を下りていった。

 それから何度か同じような事があって、今ではすっかり彼も連日の通い商売生活に慣れてきている。


 二人は一緒の小屋に寝泊まりはしているが、衝立を間に立てて夜は互いにそこを越えないようにする。

 これはシドと泊まっていた時にもしていたことで、ファランから最初の夜に提案した。ナークは快諾し、今の所それ以上何かを求めてこようとする様子もない。

 自分から言い出さなければ、ナークはそういうことをするつもりはないのだろう。なんだかんだ言いながら世話を焼いてくれるところやそのあたりの距離感は、ファランにとってとてもありがたいものだった。


 それでも毎回出かけて行く前に渋り、なんなら一緒に行こうと言い出すのだけはどうかと思う。おかげでファランも毎回彼を説得する必要がある。


「シドが戻ってくるかもしれないから」


 小屋を動かない理由を口にすると、彼は苦虫を噛み潰したような顔をするが、結局は大人しく引く。シドが出て行った事には、特に責任を感じているのかもしれない。


「一人で本当に大丈夫っすか?」


 と何度も何度も尋ねる彼に、ファランは時折よっぽど自分の影を指さして言おうかと思った。


「ここにもう一人いるから、わたしは一人になれないんだよ。シドが出て行ったのも、そのせいなんだよ」


 けれど結局その言葉を飲み込み、適当な言い訳を並べてナークを納得させる。




 同じ獣器使いでも、シドには話した存在のことを、ナークにはまだ告げていない。

 ひょっとしたら目ざとく耳ざとい――しかも獣器の青水蛇スィーダと仲の良いナークのこと、たまに見せる少々思わせぶりな態度を見るに、ファランの秘密にも薄々勘付いているのかもしれないが、面と向かっては話題に出したことはなかった。


(シドには、あんなにあっさり言えたのに)


 ナークは獣器使いだし、ファランの秘密を打ち明けても嫌な顔をしたり忌避をすることもなければ、言いふらすような真似もしないと思う。

 それでも進んで告げる気になれないのはなぜなのか、ファランにも正確な答えは出せない。




 ナークを見送って振り返ると、ちょうどするりと鳥が彼女の影から躍り出たところだった。

 これから魚籠びくと釣り道具、網などを手に、河原に行こうかと思っていたファランのお供でも努めようというのか。

 彼女は足を止めて、じっと飛んでいくその姿を見つめる。



 鳥。魔の鳥。ファランにだけ見える凶鳥。

 翼をたたんでいる時のシルエットは細長いと思う。小鳥のように首が短くないが、カラスのように無骨な嘴でもない。

 ファランが見た鳥の中で一番形が近いのは鶏の雄だろうか。それをさらに細長く洗練した優美な形に整え、日に透ける七色の絵の具で塗り飾り、大きな翼と尾羽を与えた――そんな、最終的にはまったく鶏から離れた見た目をしている。大きさ自体も鶏より一回り、いや二回りほど大きい。

 直接見たことはないが、絵巻で見せてもらったりシドに話を聞かせてもらったことがある、孔雀クジャクという鳥がひょっとしたら一番似通った姿をしているのかもしれない。

 ただ、孔雀の雄は尾羽だけが派手らしいが、この鳥は広げた翼が何よりも美しかった。また孔雀のようにピンと広がるような尾羽ではなく、尾長鶏のように長くひらひらと後ろに垂れ下がっている。


 その真名を、無皇凰オウド

 常人が運良く目にすると、あまりの神々しさに目が潰れるとも言われている、光り輝く無色の鳥。

 賢人達が唯一獣器に封じることが叶わなかった、伝説の魔獣。


(こうして見ているだけなら、何もしないのなら、何の害もないのに)


 ファランは身支度を調え、小屋の中から必要な物をかき集めてくると、ゆっくり川にむかって歩き出す。

 鳥はやはり彼女を先導するように、少し先を飛んでいっては枝に止まって振り返り、彼女が追いつくとまた飛んでいくことを繰り返す。


(けれど、人は無皇凰オウドを恐れる。その力が人智を超越しているがために)


 無皇凰オウドは他の魔獣に比べると、害がないと言えばない。

 少なくとも人を憎悪したり、人里に積極的に現れて襲ったり、そんなことをする獣ではない。

 獣たちの王とも呼ばれるが、彼が統率をしたり獣たちに何かを呼びかけたりということは実際にはなく、単に他からも一目置かれる存在であるという意味合いで王と呼ばれるらしかった。


 彼は大方の生命に、獣に、そして人に対しても、徹底して無関心だ。

 その辺の木や石ころぐらいにしか思っていないのではないかと感じられるほどに、無皇凰オウドは地上のものに注意を払わない。

 であるからこそ、であるがゆえに、人は彼の気まぐれに巻き込まれ、左右される。


 無皇凰オウドが一つ羽ばたけば都市の建物が飛ぶほどの巨大な竜巻が巻き起こり、一つ鳴き声を上げれば嵐が起こり、また逆に別の時は潤んでいた土地が一瞬で干上がる。彼が人の里に現れるということ、それ自体が問題を引き起こすのだ。


 出現の場所も、時も、一体何をするのかも予測不能。

 それでいて、一度現れたらまず避けられない天災。

 習性も、生態も謎に満ちており、そもそも観測自体が困難。対抗手段はほぼ皆無。


 無皇凰オウドとはそうした存在だった。

 何の悪気もなく、悪意もなく、ただただ一方的に人を蹂躙する。もともと神の一つとしてあがめられていた時もあったようだ。


 それが、賢人達によって魔獣の一つであることが暴かれ、討伐が可能であるとされた。

 ゆえに三百年前からこの鳥を凶鳥と呼ばれ、恐れられ、幾多の人間が脅威を取り去ろうとして挑んできたのだ。


 ファラン本人も、その圧倒的な力について、幼い頃から何度も実際に目にしている。


(でも、わたしにとってのあなたはずっと、幼なじみみたいなものだった。……シドと出会うあの日までは)


 凶鳥の片割れ。その言葉の本当の意味を知ったのは、幼い頃に襲撃を受け、義母が殺されたあの瞬間だ。

 結局、あの男達がどういったものだったのか、今でもはっきりしたことはわかっていない。


 ただ、在ることすらも許されない。自分とは、そうした存在であることだけは、痛いほど理解した。

 幼いとき、気がついたらいつも寄り添うように側にいた、この鳥のせいで。


 ファランの曇る心を思ってか、それともやはりなんとも感じていないのか、鳥は飛び、ほう、と空を揺らす独特の声を上げる。風が巻き起こり、木々が大きく揺れる。


(こんなにずっと一緒にいるのに、考えてみると今でもあなたのことはわからないことだらけ)


 三百年前、無皇凰オウドは賢人達の決死の呪術により、いずれか人のいない場所に飛び去っていったのだとされる。

 それから今に至るまで、どこで何をしていたのか。少なくとも賢人の努力あってか、派手な人死には出していないようだった。


 ファランの記憶には、物心ついたときすでにこの鳥がいた。

 その真名が無皇凰オウドであること、その名を呼べばなんでもしてくれること、鳥が自分から離れられないこと。

 彼女は誰に教えられなくても、生まれたときから知っていた。


(……どうして?)


 ファランが森の途中で立ち止まると、鳥は少し先で様子を見ていたが、やがてどうしたのかと問うように鳴きながら戻ってくる。


「どうして、わたしなの?」


 ファランは今度は疑問を口にした。鳥の、大空を映すような色の目をしっかりと見つめながら問いかけた。


「わたし、お前に頼んだことなんか一度もないわ。一緒にいてとも、わたしのために力を使ってとも、一度も願ったことはないわ。どうしてわたしの背中には生まれたときからお前の片割れの証があるの? どうしてわたしたちは離れられないの? ……どうしてわたしなの、オウド」


 ファランはぎゅっと魚籠びくを持つ手に力が込められるのを感じる。

 彼女が感情を荒ぶらせても、聞いている鳥はひたすら静かな様子だった。


「お前はわたしのことを考えてくれているとでも言うの? シドと離れることがわたしの幸せだとでも言うの? そんなの望んでない。わたしは人を傷つけてほしいなんて思わないのに、お前がいつも、いつも! 勝手をするんじゃないの!」


 手に持っていた物を乱暴に投げ捨てると、がさごそと散る荒い音がした。鳥は驚いたように枝から飛び立つ。


「実の両親も、かかさまも、シドも、わたしから離して満足? わたしはお前と一緒だから、人のいる場所にはいけない――それだけに飽き足らず、好きな人とも引き離さないと気が済まないって言うの!? なんでわたしにつきまとうのよ、わたしはお前のつがいだとでも言うの――お前は魔獣で、わたし人間なのに! わたしの気持ちはどうなるの!」


 膝をつき、顔を覆うファランの周りを、鳥は心配でもするようにおろおろと飛び回っている。


「わたしがオウドを選んだわけじゃない、わたしのせいじゃないのに……」


 ファランは言葉を途切れさせ、泣いた。あふれてくる涙を掌で乱暴にこすりながら、泣き続けた。


 シドは彼女に泣くなと言った。ファランはだから、できるだけこらえるようにした。

 シドがいなくなって一月。一人になってようやく涙の出し方を、こういうときの声の出し方を、えずき方を思いだした気持ちである。


 鳥は彼女に呼びかけるように鳴いている。しかし彼女の泣き声はますます激しくなる一方だ。今までこらえてきたあらゆるものを吐き出すように、嗚咽を上げる――。



 ――と、鳥の鳴き声が急速に変化する。

 穏やかに呼びかけるようだった調子が、警告を発するような鋭い調子に変わっていく。


 ファランは目元を乱暴にぬぐい、手ぬぐいで鼻を押さえながら顔を上げた。


 鳥がファランの前で翼を広げ、嘴を鳴らし始める。

 彼女は息を呑んで木々の向こうを見つめる。


 気がつけば、まだ早朝のすがすがしいはずの空気がどんよりと濁り、朝の日差しが上がりかけていた空が奇妙に暗くなっている。


 ファランは立ち上がり、そっと投げたものを拾い集めようとした。

 ――何が起きているのかはわからないが、とにかくここを離れなければ。そう、動こうとした。


 その瞬間。


 耳をつんざく音が鳴り響き、彼女は自分が悲鳴を上げて倒れ込んだのを、その視界の先で鳥が同じように悲鳴を上げながら落ちるのを、見た。

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