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理由

「おい、そこのアホ熊、プー太郎!」


 頭を冷やしていたシドは、聞こえるはずのない声に思わず、瞑想のために閉じていた目を開ける。

 普通の人間の何倍かの速さで夜の山の中を移動してきたのだ。ナークが気がついて追ってきたとしても、とても追いつける速度、距離ではないはず。ところがナークの声が今、空耳でなく現実のものとして聞こえる。これはおかしい。


 音源を探してシドが目だけを動かすと、滝壺の小さな湖に異変が生じていた。

 シドが立っている場所から少し離れた水の中に、いつの間にか青い大蛇の頭がにょっきりと生えている。

 目が合うと、蛇はかっぱりと口を開いて、割れた舌先を素早く揺らした。


「ようやく見つけたっす、手こずらせやがって――つーかこの短時間で遠くまで行きすぎ、あんた本当に人間かよ! しかも頭冷やすって滝修行かよ物理的にかよ、おかげでとても探しやすかったけれども!」


 そしてナークの声は、間違いなくこの間抜けに口を開いている蛇から聞こえてきている。


 なぜここに大蛇が。

 しかもなんか表情が気持ち悪い。

 そして微妙に薄く透けているのもキモい。

 さらにナークの声が中から聞こえる。

 というかたぶん、この蛇がナークの声をしゃべっている。


 常識的に考えて、いろんな意味であり得ないし、ぎょっとする光景に違いなかった。


 しばらく腕を組んだまま、怖い顔の無言で蛇とにらめっこをしていたシドだが、そのうち力を抜くように大きく息を吐き出した。


「一体何かと思ったらそういうことか、驚かせんな。青水蛇スィーダはその名の通り水の獣器。水を渡って遠い場所の相手に会いに行く、そんな使い方もできるんだな」

「今の沈黙はあんた驚いてたんすか!? 威嚇されてんだと思ってたっす、にらみ殺されるかと思ったっす、本当表情がわかりにくいっす!」


 表情がわかりにくいのは現状お互い様だと、シドは蛇の顔を思わず半眼で見てしまう。すると青水蛇スィーダは何を思ったのか、シドに向かって舌を出してわざとらしくちろちろちろと見せびらかした後、妙に丁寧な動作できちんと引っ込めた。そして真顔に、無言になる。

 絶妙に、イラッとさせられた。

 と、再びナークの声が聞こえる。


「あと、おれっちは青水蛇スィーダの身体の一部を借りているというか、ちょっと分けてもらってる感じっす。シドさんの姿と声は青水蛇スィーダを通して聞こえてくるっすし、おれっちの言葉を届けることはできるっすが、逆に言うとそれ以上大したことはできないっす。物渡したりとかは無理っす」


 蛇の顔は終始動物特有の真顔だが、ナークの声は普段通り表情豊かに発せられている。

 二つのミスマッチな情報が重なって、非常にシュールな光景だった。


「なるほどね、伝言か。それでもこっちの見た目の情報も手に入るとは、ずいぶん便利な能力じゃねーか……待てよ」


 青水蛇スィーダを通して会話できる仕組みを簡単に説明したナークに、シドは納得したようにうなずきかけてからふと表情を固くする。


「さてはお前、今まで妙に遭遇するタイミングが良かったり、行ってもいない場所のことを実際見てきたように話していたのは――」

「あ、そうっす、正解っす。水のあるところなら青水蛇スィーダはどこにでも潜っていけるし、おれっちはスィーダの目と耳を借りて遠くの場所の情報を手に入れることができる。ということで、商人業だけでなく、情報屋としてもやっていけ――あっ! ちょっと、これ他の人にはあんま言わないでくださいっすね! シドさんは同業のよしみってことで今特別に話してるっすけど!」

「言わねーよ、こっちのいらん情報ばらまかれたら面倒だからな」

「さっすがシドさん、わかってるぅ」


 シドはこっそり、逆に言えば水の少ない状況を作ることで青水蛇スィーダをかわすことができるかもしれない、と頭に思い浮かべているが、わざわざ指摘しても面白くない予感がするので、可能性を頭の隅にとどめておく程度にすることにした。

 こういうときは、表情の読まれにくい顔が少しは役に立つ。何食わぬ顔をしていればナークは特に気がついた様子を見せない。


「それで、その便利な技の対価に、たまに自分の身体を青水蛇スィーダに貸してるってか? 危ないことする奴だな」

「ほっとけっす。自分だっていざとなったら憑依させるくせに」

「あのな。そこは全然違うから訂正しとくが……」

「ちょっとどこ行くっすか、話は終わってないっすよ」

「服着るだけだよ、うっせえな。つか邪魔だ、どけ」


 頭を振って滝から出ようとすると、青水蛇スィーダは場所をあけるように一度どくが、陸に向かっていく彼の後ろについてすいーと泳ぎ、上がって古傷だらけの身体をぬぐい、服を着込んでいる様子をじっと見つめてくる。


「んだよ、俺に文句でもあんのか」

「気色悪いこと言わないでくれないっすか!? あんたが隙を見て逃げ出さないか見張ってるっす、小汚いおっさんの身体になんざ何の興味もありませんからぁ!」

「ああそうかい、そりゃ良かったな……」


 シドはある程度適当に水気を手ぬぐいで飛ばすと、水に入ったときもつけっぱなしだった紅炎熊グエンジュに力を込める。

 すると、熱で残りの水が飛んでいったようで、あっという間に乾いていく様子を見ているナークが「シドさんの獣器も結構便利っすねー」なんてのんきなつぶやきを上げた。


「で、あのな。紅炎熊グエンジュが俺になんか言ったりしたりってなるのは、俺がやらかした時だけだ。普段はなんも言わねえ、大人しいもんだ。お前の獣器ほど性格悪くねえんだよ、うちの奴は」

「ちょっとぉ、うちの子自慢ついでに人ンちの子けなすのやめてくれません!? そりゃ確かに青水蛇スィーダは微妙に……いや割とめんどくさい奴っすよ、何考えてんのか全然わかんないし、つーか蛇だし。でも、少なくとも悪い奴じゃないっす。人間みたいに悪意で嘘をつかないし。結局、獣器の使い方、関わり方は人それぞれっす」

「そうかよ。んじゃもうなんも言わねえよ」

「つーか、いい加減話をそらすのはやめるっす。そんなこと言いに、わざわざ青水蛇スィーダ使ったわけじゃないっす。ファランちゃんのことっす、ごまかそうったってそうは行かないっすからね」


 ナークが長い前置きを経てようやく本題まで戻ってくると、シドは明らかに嫌そうな顔になった。


 着替えも終わると、近くの手頃な大岩にどっかりと腰掛け、水の中に浮かぶ青水蛇スィーダの首に向かって身体とへそを向け、腕を組んで顔はそっぽを向く。


 話をしたいんだかしたくないんだか、いまいちわからない態度である。


「あいつ、どうしてる」


 しかし、ナークがジト目でねめつけていると、最初に出てきた言葉は意外にも彼女を案ずるものだった。


 それを一言目に言えるぐらいなら、とうしてこんな状況が発生しているのか、これがわからない。


 ナークは思わず自分の目が遠くなるのを感じるが、シド相手なので今度は簡単にはめげない。満足な答えが得られるまで、しつこく食い下がっていく気満々である。シドには見えていないが、腕まくりしてやる気を出した。


「落ち着いたもんすよ。つか落ち着きすぎ。シドさん、もしかしたら帰ってこないかもーって、そうしたらこれからどうしようーって……ちょっと、念のために確認しておくっすけど、まさかとは思うっすけど、本当にこのまま帰ってこないなんてことはないっすよね」


 ナークが嫌な予感を覚えてふと口にした質問に、シドは無言のまま目をそらした。


 それはもうわかりやすく、くいっと顔を横に曲げた。


「オイコラオッサン。いい年こいて情けねーにも程があっぞ」


 ナークが内心青筋を立てながらあおると、ぎょろりと迫力のある目がこっちを向く。

 が、一応本人にも自覚はあるのか、いつもよりは若干目力が弱い。


 さて、脛に傷の自覚があるなら好都合、そこを攻めない手はないのだが、どうやって切り込んでいこうかとナークは考える。

 とりあえず初手として、まずは大事な事を一つ思い出してもらおうと話し始めた。


「つーか保護者のくせして危ない男と一つ屋根の下で二人っきりにさせるとか、普通に危機管理足りなさすぎて引くんすけど」

「……アア? 聞こえなかったな、誰が危ない男だって?」

「そりゃ、もちろんおれっ」

「あり得ねえから心配してねえ、寝言は寝てから言えよ」

「なんなんすか、あんたのそのおれっちに対する謎の信頼感は!」


 シドはそれはもう自信満々に、しかも食い気味に答えた。

 早速期待と違うリアクションを取られて、出鼻をくじかれるナークである。


 畜生ここの二人はそろいもそろって、ファランはまあ許せるとして、シドは自分をなんだと思っているんだ、ちょっと戦闘力がないからって舐めすぎているんじゃないか。これも日頃の行いって奴なのか。それなら微妙に反論できない、結構心あたりがある。


 怒ったり泣いたりで忙しい彼に、熊男は腕をくんだまましれっとした顔を向ける。


「だってお前、綺麗な女が好きなんだろ?」

「え。ああ、はいっす。そりゃ、もちろん」

「そんで、熟女が好みだろ?」

「おいタンマ。おれっちのストライクゾーンは安定してる腰と尻なんであって、別に熟女に限ってないっす、誤解を招く表現はやめるっす」

「まあどっちにしろ、ファランは対象外じゃねーか」


 沈黙が訪れた。

 シドは相変わらず、何がわかっていないのかわからないとでも言いたげな不思議そうな顔でナークもとい伝言係の青水蛇スィーダを見つめている。

 もちろんナークが黙っているのはシドの言動に絶句しているからだ。

 ついでに心の中でファランに向かって「ファランちゃん、割と本気でこの男はやめた方がいいっす、マジなんもわかってねえ奴っすコイツ!」と絶叫しているが誰にも届かない。


 が、憤慨も一週回れば冷静に変わる。ナークの妙に冷え切った頭は一つのアイディアを浮かばせる。彼は唇を舐めてから、静かに落ち着いて返した。


「なるほど、ファランちゃんは子どもだからそこそこお人好しのおれっちはそういう目で見ないし、普通に守るだろうと」

「……まあ一部語弊はあるが、似たようなこったな。お前とファランがくっつく心配はしてねえから安心しろよ」

「なるほどなるほどー、ファランちゃんはまだお子様っすもんねー、だったらシドさんが逃げる必要もないっすよねー」


 途端に、うっとシドが喉を押さえて詰まらせたようなジェスチャーをする。

 これこそ有効打と見たナークは、細い目の奥を鋭くぎらりと光らせ、今までのお返しとばかりに回る舌を存分にふるって一気にたたみかけた。


「ええまあ、その辺のあれこれも本当は全力で文句つけたいっすけど、いったん置いておくっす。大事なのは子ども相手にシドさんは尻尾巻いて逃げたことっすよね」

「いや、それは」

「違うっすよね。子どもだと思ってたら大人になって迫られたからビビって逃げたっすよね。驚きの腰抜けっぷりっすよね」

「ばっ――ちげーよ、逃げたわけじゃねえ」

「ほう? じゃなんすか、言ってみるっす」

「……戦略的撤退だ」

「はい出たー! やっぱり逃げてるじゃないっすか、なっさけねーや!」

「うるせえよ! そんな、だってよ、あんなん言われるなんて思わねーだろーが普通、一番意味分かんねえのは俺だよ!」

「それこそ知らねーよ、使えない熊なんかもうもげて腐っちまえ!」

「ああ!?」


 最初の方こそ痛い部分をつつかれていかにも苦そうな酸っぱそうな顔をしていたシドだが、そのうちナークにあれこれ言われるあたりなどに納得できない部分でも出てきたのだろうか、逆ギレ気味に言い返すようになり、最終的に見るも無惨な男二人の怒鳴り合いになる。


 シドもナーク本人も息を荒げ肩を怒らせているが、間に挟まれている青水蛇スィーダだけがとても退屈そうだ。


 蛇の真顔を見ているうちにシドの方も落ち着いてきたのか、大げさに深呼吸してから改めて唸るように言葉をはき出す。


「とにかく、今はお互い、一度距離を取らないと駄目だ。俺もアイツも駄目になっちまう」

「しゃらくせえ、かっこつけてんじゃねえっす。ガキ相手なら優しく出来るけど育ったらどうしていいかわかんないってか? アホじゃねーのかあんた。女の子はいつか女になる生き物っす、いざそのときが来たらビビったとかマジアホすぎて幻滅っす」

「ちげーよ、それだけじゃねえんだよ――」

「じゃあなんだってんだ――」


 シドが急に顔を上げた。ナークは途端に自分の勢いが削がれるのを感じる。


 ファランの話題を持ち出されると、罪悪感たっぷりにしどろもどろしていただけの男が、まるで怒りのような、嘆きのような、困惑のような――そんな複雑に、いろいろな感情が混じった、それでもこうせざるを得ないと強い決意を刻む瞳の輝きをみせているのだ。



 少し一人にさせて。ちょっと落ち着いてゆっくり、考え事がしたいから

(あなたには、口出ししてほしくない)



 ちげーよ、それだけじゃねえんだよ。

(お前に一体、俺たちの何がわかるって言うんだ)



 シドの拒絶と、ファランの拒絶。言葉にはされていないけど確かにある二人分の想いが、ナークの前に立ちふさがり、それが彼の言葉を押しとどめる原因となる。


 ナークはその彼らの関係にこそ、本当は言い返したかったはずだった。なるべく深入りはすまいと思いながらも、どこかでずっと踏み込んでみたいと思っていたような場所だった。

 けれど――喉の、もうすぐ出てきそうな場所で突っかかってしまって、一言も反論が浮かんでこない。


 シドが大岩から立ち上がり、荷物をまとめ始めても、言葉もなく青水蛇スィーダごしに見守ることしか出来ない。


「一応、そんなに長くなる前に、一度話をつけに戻るつもりだ。だが……今回は、約束はできない」


 シドは旅装を整え、荷袋をかつぎながらナークに向かって宣言する。


「どうして、こうなっちゃうんすか」


 ナークは言葉を探し、ようやくそれだけ口にすることが出来た。

 シドは背を向けたまま立ち止まり、少し考えるように空を見つめ、一言一言かみしめるように答えた。


「俺がいることで抑止力になってると思ってたんだが、違ってた。もしかすると、昔はそうだったのかもしれねえが、もう変わっちまったんだ。今の俺は、あいつの火だねになっちまう。俺といると、あいつは人を傷つける可能性が出てきちまった」


 シドはできたばかりの、真新しい頬の傷痕をなぞる。妙に優しい手つきで、そっと。


「させねえ。ファランに人殺しは、絶対にさせねえ。あいつは綺麗なまんま、真っ白でお日様の下で笑ってる、そういうのが似合うんだ。……汚れてんのは、俺一人で十分だろ」


 それは、ナークに言い聞かせていると言うより、独り言に近いつぶやきだった。

 けれどその言葉には固い固い、ちょっとやそっとの他人の意見では変わりようがない、確固たる意思がこめられていた。


 そのまま、用は済んだとばかりに薄暗い森の奥に立ち去っていく熊を、蛇は瞬きもせずに消えるまで見送る。

 声もなく、見送ることしか彼にはできなかった。




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