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ナークの絶叫

 ナークは旅人である。

 旅のついでに、食べていくために商売をしているという感覚が一番近い。


 一所に落ち着かず、あちらこちらをフラフラさまよっては適当な物を仕入れ、適当に売りさばいて生計を立てている。なので人に名乗るときは、旅の商人と自分の在り方を短く簡素にまとめて紹介することが多い。


 一応メインとして扱っている品目としては、ちょっと都市部まで足を伸ばせば手に入るような日用品だったり(流通が不便な場所に住んでいるような人々の所に持って行って売りつけるのだ)、他ではとても手に入らなそうな希少品だったり(こっちは好事家や生活に余裕のある都市部の人間に売りつける)、そう言った種類のものだ。

 物々交換の仲介人となって手数料をせしめる典型的な商人業的稼ぎ方だが、手先が器用なのでたまに自分で細工物を作って売っている事もある。ただ職人芸の方は飽きっぽいもので、どうにもそこまで長続きしない。一発の芸のために毎日血反吐を吐くような練習を重ねなければいけない芸人芸の方も同じ理由でできない。


 そんな半ば趣味のような手すさびの時に必要な金物以外は、ファッションのアクセサリーでもない限り持ちたがらない。

 彼は争いごとを拒否する。一つには、単純に自分が喧嘩等に弱いので損をする確率が高いから。もう一つは、痛いことをするのもされるもの嫌いだから。喧嘩をふっかけられたらまず逆らわず、適当に取られてまずくなさそうなものを差し出して引っ込んでもらう主義だ。獣器という強力な武器を手に入れてもそのスタンスは一向にぶれない。


 ナークとはそんな感じのよくわからない、フワフワと水に浮かぶ浮き輪のような男だった。


 とは言え彼にも、これだけは自分もしっかりしている、割と譲れなかったりすると言い張れるものがある。

 彼は綺麗な物、もうちょっと言うと綺麗な人間が好きだった。それはもうわかりやすく、客に女性がいると寄っていて、美人だと本人が意識する前にとっさに値引きしているぐらい好きだった(その分野郎からはきっちり取り立てるのでなんとかやりくりできている)。


 綺麗なお姉さんと遊ぶためなら自分の飯の一つや二つ余裕で抜くし、お姉さんに自分をちょっといい男だと認識してもらうためならおしゃれにだって精を出す。

 なお努力の数々については女性陣からもそれなりに好評価をいただいているので、自分のセンスも悪いものではないという自負もある。



 そのナークが、最初に彼ら――シドとファランと出会ったのは、確か街道の茶店だった。

 団子を食べながら、あともう一つ頼むか、ここで我慢してこの先の宿場のお姉さんと決戦するために備えるか迷っているナークが、ふと入ってきた客になにげなく目をやると、一人はいかにも山賊みたいな熊男で、もう一人は男に手を握られて必死にとてとて歩いている可愛らしい男の子だったというわけだ。


 ナークは男の顔を見た瞬間、自分の口から団子の串がぽろっと落ちたのを感じた。「あ、こいつ噂のあれだ」と一目見てわかったからである。


 シドという男は単体でも結構な有名人で、その悪名たるや、ナークも会う前からかなりよく耳にしていた。

 どんなに劣悪な戦場に送り込まれても、所属している部隊が壊滅しても、本人だけは毎回生還する悪運の強さ。「不死身の熊」だの「赤い死神」だの「笑う悪魔」だの、それはもう大体酷い二つ名で呼ばれている、遭遇したくない人間ナンバーワン。

 顔の傷と、目立つ腕輪が見た目の特徴。文字通り腕一本、高い戦闘力を引き出す片手の獣器だけを頼りに、どこにも所属せずふらふらさまよう流れの傭兵。

 獣器を使うために、ヒトを殺すために生まれてきたような男だ、と聞かされて、そんな恐ろしい生き物がこの世にはいるのか、自分と同じ人間なのかと震え上がったものだ。実際会うまでは、どんなにか恐ろしい見た目をしているのかと悪魔のような姿を想像していた。


 実際に見てみると、確かにどう見てもカタギじゃないし強面ではあるが、思っていたより普通の男じゃないか、というのがナークのシドに対する第一印象だった。

 この男は殺人鬼ではなく仕事人だ。だったらそこまで恐れることはない。

 素早く分析を済ませた怖い物知らずな商人だが、死神様の面をさあ拝んだぞと思ったら、仏頂面で子どもの手を握ってたんだから、二度見どころじゃなく何度も何度も己を疑って目をこすったものである。


 しかもこの連れ子の方がよっぽど重要で、粗末なナリで最初こそだまされそうになったが、よくよく見たらそれはまあ、可愛い可愛い女の子だったのだ。


 女の子とわかると、とたんにナークの美人センサーにぴんときた。

 この子は将来、誰よりも綺麗なお姉さんになる。

 これはもう是非予約せねば男がすたる、と。


 そしてナークは、流れるように自分の残りの団子をファランに進呈し、これまた流れるように自然にシドにどつかれていたのである。




 それから大体五年。今では立派な腐れ縁となった。

 そのまま満足していれば良かったのを、妙なスケベ心なんか出したからこんなことになってしまったのだろうか。慣れないお節介なんか焼くから余計な結果を招いたのだろうか。


 アタマ ヒヤシテクル。

 シバラク カエラナイ。

 ファラン タノム。


 自分に残された紙に書いてあるよれよれの汚らしい筆跡にさっと目を通して内容を理解すると、(自称)さすらいの行商人ナークは手を震わせ、紙をびりびりと破きながら絶叫した。


「信じられねーっす、あの野郎ォォォ――! いい年こいて何やってんだよこのオッサン、マジありえねーっつーの!」


 大声に驚いたように近くの木々から小鳥が飛び立っていくが、それどころではない。

 彼はうめきながら何度も頭をかきむしる。


 いや、落ち着け。そうしたところで何も好転しないではないか。考えろ、打開の策を。

 ……え。どう打開しろと。ここから。考えられうる限り最悪のどんぞこになってしまっているんですがそれは。

 ぐるぐると回る思考回路は大した解決策を導き出してくれず、ますますナークは奇声を発してしまう。




 そもそも、だ。

 確かに今回の件、ナークが余計な事を言ったのが発端だ。これはもう後悔しようが動かせない。

 特に、賭場にファランを連れて行って思わぬ大騒動に巻き込んでしまったこと、彼としても猛烈に痛烈に反省している。


 しかし。しかしだな。

 何がどうしたらこうなる。

 ナークの視点で事故――いや事件後起こった事を整理するとこうだ。


 まず、シドにこってり絞られ、「テメエ落とし前つける覚悟あるんだろうな」と言われて「ハイ、すみませんでした」と答えた。これはまあいい。


 次に、シドがファランと話をつけてくると言って、宿に向かっていった。

 ……ここで、何かが起きたのだろう。


 ナークは万が一二人が深刻な口論を始めた場合に(主にファランをかばうために)助けに入る必要があるかもしれないと適当に様子をうかがいながらその辺をふらついていたのだが、突如宿屋の戸が弾けた。

 かと思ったら、なんだかとても穏やかじゃない物音が聞こえてきた。


 慌てて走って行って現場をのぞき込んでみると、壊れた戸口から、倒れ込んだファランをシドが抱きかかえて揺すっているのが見えたわけだ。それも誰にやられたんだか、綺麗にぱっくり裂けた傷を頬に作った状態で。


「ど、どうしたっすか!?」


 と声をかけてしまったのが運の尽きだったのか。

 ああでも、他にどうすれば良かったのだろう。


 気がつけばシドと共にまるで夜逃げのごとくさっさと荷物をまとめ、今までの宿代と戸の弁償代を支払い(ちなみにさりげなくナークも折半させられたが、前述の通りすねに傷がある身なので泣く泣く従った)、夜の宿場町を飛び出して、何日か起きないファランを背負って歩き続けて、どこかよくわからない山奥の小屋にたどり着いていたのだった。


 シドは詳しい事情は説明したがらず、ナークが何か聞くととにかく、「ここじゃ目立ちすぎる。もっと人の居ない場所へ」とだけ繰り返した。

 連れてこられた山小屋は、たぶん彼の隠れ家のような場所だったのだろう。小ぶりな井戸と、歩けば近くに川もあるところで、周辺に人里の気配もないが、とりあえず水場の心配は特にしなくてよさそうだ。小屋の横には薪がいくらか積み上げてあったし、わびしいなりに思い出したときに利用されているような気配があった。


 とにかくここまでは、シドが新しく顔に作った傷と言い、その後の一連の尋常でない様子と言い、有無を言わせない調子があったので大人しくしたがってきた。

 しかしそれも、落ち着いたら詳しいことを聞かせてくれるのだろう、そのときまでの辛抱だ、とりあえずファランが目覚めるまでの我慢だ、という、ある種の信頼に基づく行動である。


 ああ、今になって冷静に順を追って思い出してみれば、十分兆しはあったではないか。そういえば、なんか思いつめた顔したり、変なため息を何度も吐いたり、ファランが動く度にびくついたりと、シドらしからぬ行動をしていたではないか。

 返す返すも、昨晩いびきを書いてぐーすかしていた自分が情けなく、ナークは憤懣やるかたない思いで一杯である。




 今朝、小屋で目を覚ましたナークは飛び起き様、シドの荷物がそっくりごっそり消えているのを発見し、次いで自分の荷物の上になんだか汚らしい紙切れが置いてあるのを見つけた。

 そしてその紙切れに書いてあった内容――どう見ても家出を告げる文章――に激怒し、苦悩し、嘆き、叫び、現在に至っている。


「つか青水蛇スィーダ! お前も獣器なら紅炎熊グエンジュの気配が遠ざかってくことぐらい感知してたはずっす、どーして教えてくれなかったっすか!」


 一通りこの程度の小汚い書き置きを残して出て行ったシドに対する怒りを爆発させた後、自分の耳飾り兼困ったときの相棒を引っぺがして抗議するが、気まぐれな獣器は我関せずと言った様子らしく、微動だにしない。


「あーもー、その頼れるんだか頼れないんだかわからない距離感やめるっす、たまにそうやっておれっちを裏切るっすから、いまいち信じ切ることが出来ない――」

「ナーク」


 ぎゃあぎゃあ騒いで小屋の前を行ったり来たり往復していたナークだが、突如小屋の入り口から聞こえてきた静かな声にかたまる。振り返るとき、首がギギギと嫌な音を立てた。


「ファッ――!?」


 ナークのささやかな抵抗むなしく、昨日の夜までひたすら眠り続けるだけだったファランが目覚めていた。静かな、静かすぎる深紫色の目でナークを見つめている。

 彼は今までのどんな修羅場に遭遇していた時よりも、冷や汗が服の中にわき出すのを感じた。


「ファファファファ、ファランちゃ、そ、その、よ、よかったっす! ずっと寝てて、その、あの、だから起きないかと思って、おれっち、あーうんえっと――」

「シド、出て行ったのね」


 なんとかこの場をごまかして取りなそうとしたナークだったが、ファランが地面に散った紙切れのかけらのあたりに視線をすっと下げながらすべてを悟った様子でつぶやくのを聞いて、ついに息が止まった。ついでに心臓も一瞬止まりかけたし、汗は滝のようにますますどっと噴き出てきた。


 変な音を上げてしゃべれなくなってしまったナークを余所に、ファランは小屋からふらふらとした足取りでさまよい出ると、どこかに向かって歩き出した。

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