第139話 ハル・カフィ
『戦闘』の最中、死神はちらと観客席を見た。
自らの力を貸し、魂の回収に遣わせている人間が、無断で闇魔法を使った。それに対する形容しがたい感情を紛らわせるために、である。
どこもかしこも人間、人間。一時の遊戯にどうしてそこまで熱狂するのか、死神は熟考しながら眺めていた。
ふと、その目にある人物を映す。
長身で、きれいな金髪をなびかせる一人の女性。
周囲と同じ、ただの人間。
だが何かが違う。
ほかの人間とは雰囲気が違う。
いや、雰囲気だけではない。生命力も段違いで、まぶしいほど輝きながら、あふれている。
そして、彼の頭の中に何かが飛び込む。
「今日も訓練場に行かないのですか?」
「当たり前だろう、相手にならないからな」
「まぁまぁ、向こうも努力してるんだから」
天界都市の一画、広間にて三人が出会ってから数週間後。彼らは何度もこの場所で会うことになった。その三人とは、シェイラ、ハル、そしてデュオンである。
昼間の広間は、大勢の同志達が訓練や学業に専念するために誰もおらず、自由に鍛錬を積むことができる。シェイラにとっても逃げ隠れるのに都合がよかった。
「というより、貴女も大概でしょうシェイラ。主神候補でありながらこんなところで油を売っているなんて。お付きの人に見つかったら、二度とここにこれなくなりますよ?」
「えーっと、その辺は何とかします……」
苦笑いを浮かべるシェイラ。
彼女は全部で8人いる候補者の一人で、中流階級出身。彼女の評判はそこそこ良いと言われているが、この二人はそれを信じていない。むしろわがままなのでは、とすら思っている始末。
「ところでシェイラは、他の兵の訓練を見たことはあるのですか?」
「授業の一環として、ではありますが、何度か足を運んでいます。皆さん汗水たらして努力されていましたよ」
天界といえど各地に国はあり、それぞれが領土をめぐってにらみを利かせている。ハル達の住む国「ヴァン」は、その中でも文明が発達し、兵力にも十分に力を注いでいる国家である。兵の数は200万人を超え、各々が与えられた使命を果たすべく、日々訓練に励んでいる。
ハルやデュオンもヴァン国軍の一員だが、入隊から数か月で普段の訓練に行かなくなった。当然これは処罰の対象になるのだが、一般兵士どころか一部隊の総戦力に匹敵するほどの力を二人が持っていることが明らかになり、現在はほぼ黙認状態である。
「でも、こうしてあなた方の訓練を見ている方が良い。日頃の疲れを忘れさせてくれるのですから」
「光栄です。な、デュオン」
デュオンは何も言わずにただうなずいた。
彼は天使の中で唯一翼をもっておらず、軍の中でも奇怪な目で見られていた。唯一平等に彼を見たのがハルであり、それ以降行動を共にしている。
「そういえば、次の訓練で模擬戦を行うようですよ。成績によっては、ボーナスとやらがつくことに加えて、階級もあがるみたいですよ」
「そうですか。じゃあ、久々に参加しますか」
「悪いが俺はパスだ。そんなものに興味はない」
「何言ってるの、君も行くんだよデュオン」
「……え」
ある日の昼下がり。施設のグラウンドに整列する兵士たち。
「……結局連れてこられた」
「顔出ししとかないとさ。さすがに怒られるよ」
ハルはデュオンを無理やり連れて、模擬戦に参加した。
他の天使の様子は、やる気に満ちる者、背伸びする者、欠伸をする者など様々。しかしそれでいて彼らは皆、精鋭揃いだった。
「では、説明をする」
すると司令官は、台車に乗った巨大な砂時計を持ってこさせた。
「この砂が全て落ちきるまでの間、定められた相手と戦ってもらう。全て落ちたら、また次の相手と組んで、同じことを繰り返す。君達一人一人には審査する者達がついており、厳正な審査の結果合格した者に、昇級の資格を与えよう」
兵士から歓声が上がる。施設全体を飲み込まんとする勢いだ。
そして、各々が武器を手に取る。一律に付与された細剣はきらびやかな装飾が施されており、目映い光を放っている。
「やっぱり軽い? それ」
ハルは隣に立つデュオンに声をかけた。
「ああ。これなら拳で戦った方がマシだ」
「ハハハ……」
模擬戦は滞りなく行われた。剣と剣が交じり合う中、二人は着実に勝利を重ねていった。
ハルは身のこなしの軽さを活かし、軽快なステップを織り交ぜながら隙をついていく。動きに翻弄されたものはたちまち敗北し、彼の動きを見切った者はほぼいなかったという。
たいしてデュオンは純粋に力押しで攻めるスタイル。荒々しく天使らしくない、という批判はあれど、剣裁きを受けた者達は口を揃えてこう言う。
「速すぎる、防御してもすぐ弾かれる」と。
「おい、あれって次期主神候補者だよな?」
休憩中、誰かが声をあげた。
その指差す方向を皆が注目する。
施設の二階テラスに、八人の選ばれし天使達が揃っていた。
名家の子息令嬢はもちろん、学問で華々しい成果をおさめた者達まで多岐にわたる彼らは今、国軍の視察に来ていたのだ。
その中に、シェイラの姿もあった。
「やはり美しいな。特にあのフレイ様は全てにおいて完璧なお方だ」
「いや、やはりキューレ様でしょう。その美貌と類いまれなる頭脳は誰にも叶うまい」
兵士の中でも派閥があり、誰を次期主神にするかで分かれている。現在はフレイ派が多数派のようだ。
「でも、彼女もふさわしいな」
「シェイラ様? 何かしたのか?」
「知らないとはいわせないぞ、あの方は魔法の研究において右に出るものはいないと言われてるんだ!」
「……! そういえばそうだ。我々の使う魔法を突き詰め、未だ見たことのない新たな方法を確立したとか」
「てかめっちゃ美人じゃん! 彼女の元に仕えたらどれだけ幸せなことか」
シェイラ派も一定数いたようだ。
主神を深く信仰する彼らにとって、誰が次の座につくのかは注目すべきこと。故に派閥も生まれるのである。功績や振る舞いはもちろん、中には好みだけで選ぼうとする単純な天使もいる。
「またこれだ。俺らにはどうすることも出来ないってのに」
そんな彼らの行いは、デュオンをうんざりさせるのに十分だった。
もともと後継者争いに興味がない彼は、誰のもとについても良いと考えている。中立と言えば聞こえはいいが、それは同時に、デュオンの孤立を促進させるものでもあった。
「なぁハル、お前はどうなんだ?」
ため息交じりに聞いてみる。
しかし返事が返ってこない。
「ハル?」
彼を見れば、呆けた顔である一転だけを見つめていた。
「おい!!」
「……! な、何かな?」
「何じゃねぇだろ、なんて顔してるんだ」
「え、どんな顔だった?」
「見とれてたような顔。視線の先はシェイラか」
「うぐッ!」
「なぁ、まさかお前……」
「いやいやいや! そんなことはないよ! 第一住む世界が違うし!」
ここまで捲し立てて言い訳するのは初めてで、デュオンは驚きを隠せなかった。
極めつけには、こんな言葉が返ってきた。周りには常に女性が取り巻き、それを全く気にしない彼から出てくるはずがない言葉が、飛び出した。
「まぁ……綺麗だとは、思ったよ……」
ハル・カフィは、いつのまにか彼女、シェイラ・ブライトに惹かれていたのである。
失われていたはずの、記憶。死神は動揺した。
そしてそれも束の間、『戦闘』終了のブザーが鳴り響いた。
――今のは何だ? いつの記憶だ?
結局答えは出なかった。