第116話 夕暮れ時の訪問者
山階紗玖良は、友人の気分が優れないことに気付いていた。
幼少期人見知りであった彼女は、遠くから同年代の子供達を見続けてきた。感情の起伏が激しかったころもあってか、些細なことで喜怒哀楽がころころと変わる。それを見るのが楽しかった。
今回も同じように、彼女は麗奈の機微な感情の動きを察知した。三年生の春のことである。したのはいいのだが、なんと声をかけようか、わからないでいた。
「伏宮さん、やっぱり元気がありませんわね」
展開されたステージの横で、紗玖良はそうつぶやいた。
講演会の日の放課後、予定通り『戦闘』練習を始めた生徒達。そのステージの一角で練習していたチーム松方は、今個人対戦という形式で練習を行っていた。
「わかるのですか?」
「ええ。感情が揺れていますの」
「すごいな……。僕にはなにもわからなくて。これではリーダー失格ですね」
「いえいえ、感情なんて普段はわからないものなんです。私だけかもしれません、気付いているのは」
ブザーが鳴った。麗奈と葵陽が出てくる。
「相っ変わらず強いなぁ。もう一押しさせてくれないっていうか」
「お疲れ様ですわ。はい、タオルと水筒」
「ありがと」
葵陽は受け取ると同時にふたを開け、ぐいっと飲む。地主の娘とはとても思えないふるまいだが、彼女にとってはこれが普通なのだ。
「次、松方君と山階さんだね」
「ええ、行きましょう」
再びブザーが鳴る。試合開始の合図だ。
剣対杖の戦いは両者とも互角であった。『戦闘』での盾はレベル1程度の魔法なら防ぐことができる。攻防一体を基本とする片手剣においては心強い武器だ。対する杖も魔法の種類が豊富なため、多種多様な戦術を組み立てることができる。一番柔軟に対応できる武器だ。
「私ちょっとトイレ」
葵陽は近くの校舎に入っていく。一瞥した麗奈はステージに向き直り、ぼうっと眺めていた。
「Good evening, Ms. Fushimiya.」
そこに声をかけてきた人がいた。黄金色に輝く長い髪が風に揺れ、周囲に溶け込まない独特の雰囲気を醸し出している。背は高く、貫禄あるたたずまいだ。
「あなたは、あのとき私から弓を借りた……」
「Yes! よく覚えてますね!」
その女性は改めてお辞儀をした。
「アリシア・ベルイットです。中等部の英語の先生をやってます。気さくに『アリス』と呼んでください!」
名前とその風貌からも、彼女が海外出身だということは明らかだ。だがその割には日本語が流暢で、普通に話していても違和感がなかった。
「これが『戦闘』ですか? いつ見ても燃えますね! Oh! そこだ、GOGO!」
「は、はあ……」
麗奈は終始ぽかんとしていた。ここまでテンションの高い先生は、かつて通っていた中学校にはいなかった。
「先生! ちょっと来てください!」
遠くから女教師を呼ぶ声がする。中等部の子だろうと麗奈は思った。
「OK! I'm coming! all right, Ms. Fushimiya.」
応答した後彼女は急に近づき、耳元でささやいた。
「今は深く考えなくていですよ、いつか向き合うときは来ますが、それまでに貴女は立派に成長しますから」
「え、あの……」
「See you again!」
アリスは自身を呼ぶ声のほうへと去っていった。麗奈は突然のことに混乱していた。
自分は今何を言われた? もしかして、周りに自身のことがばれているのか? それが本当なら……。
「今の中等部の先生だったけど、知り合い? 話しかけてたみたいだし」
そんなことに意識を向けていたためか、声の主、葵陽がいつの間にか帰っていたことに気付かなかった。麗奈は笑顔を向け、
「うん。中学の時に、ね」
「そっか。しっかしあの先生、大人の女性って感じがするよなあ」
「立ち振る舞いの時点で一線を画しているよね。あんな風になれたらなって、私も思うよ」
「だよな」
『戦闘』が終わるまでの間、二人はその話で盛り上がっていた。夢中になって終わったことに気付かず、後からやってきた武瑠達にもその話をして盛り上がったことは言うまでもない。
「あら、貴方からかけてくるなんて珍しいわね、Yuji」
『三年経って日本語ペラペラのくせに、今だに英語を話すやつに言われたくねえよ。手短に話す』
「What's up?」
「そっちの様子はどうだ?」
「……変わらずよ。音沙汰なし」
『そっか』
1分弱の短い通話が切れた。黄金色の髪の美女は夜空を見上げる。
――タイムリミットが近い。この肉体も、いつまでもつかしらね……。