第100話 あるべき姿
午前10時30分。警報のサイレンがこだまする国立競技場。火事のものでもなければ地震のものでもない異様な音に、場内が騒然とする。
「ご来場の皆様に、お知らせ致します。先ほど都内にて特別警報が発令されました。よって、係員の指示のもと、近くの神宮第二野球場に避難するよう、ご協力をお願いします。繰り返します……」
「慌てないで、さぁこちらに」
アナウンスに続き、場内すべての観客、選手を係員が誘導。複数の出入り口を活用し、効率良く避難させる。誰もが危機感を抱いており、その目も震えていた。
「陽軍、陰軍はまだか!!」
「あと十分ほどで到着します!」
運営委員会も対応に追われていた。誘導に駆り出される者、政府と連絡を取る者。そして、この男のように議員の応対をする者。
「だか、この競技場自体も避難場所のはず。なぜとなりの球場に移動しなければならない?」
「それが、魔法陣の展開位置に問題がありまして……」
「この感じ……!」
「ああ、おそらく天使だ。それもかなりの数」
移動の最中、美姫と秀一がいち早く察する。
魔術師は多くの生命力を持ち五感も人並み以上に優れているため、他の生命力を感じとることができる。
「て、天使!? あんときの奴か!?」
大輔が尋ねると、秀一が、
「いや、奴はあの時倒されたはず。そしてこの異様な生命力は、奴よりもっと位の高い天使だ」
「うへぇ。どんだけいんだよ天使」
近くにいた綾乃がそんなことを言った。
天使。それは人間達の生活する世界とは全く異なる、天界に住まう者達の総称である。優れた頭脳をもち、集団戦を得意とする。
「でもたくさんいるって、やっぱり変だよ」
「花坂の言うとおりだ。集団戦を得意とする奴らが二十も三十もやってくるのは変だ。多すぎる。もしかしたら、襲撃とは別の目的があるのかもしれない」
「どっちにしろ、戦わなくちゃいけないよ。でも戦えるのって……」
「そう、俺、花坂姉弟、それから竜胆……立川と剣崎。六人の魔術師だけだ」
「そ、そういや翔陽は!?」
大輔が声をあらげる。
「そういえば移動するときからいなかったよ!」
「……別のゲートにいると、信じるしかないか」
『やはりいない、か』
魔法陣が競技場上空に現れ、次々と地上に降りる天使達。秀一の予想どおり、三十ほどの大軍を引き連れていた。
先頭には白装束に三対六枚の翼を持つ天使。かなり位が高い。
『ここに多くいると踏んでいましたが、先を読まれましたね。全く人間は……』
『い、いえ! ご覧下さい! 誰か立っています!』
天使達が競技場を見下ろすと、確かに誰か立っていた。黒髪の少年、背中には大剣を携えていた。
「やっぱりここか。運営委員の様子がおかしかったから、残ってて正解だな」
『あ、アイツ黒魔術師です!!』
下級天使達がたじろぐ。
「でも、本当の狙いはあっちにいる人々じゃない。そうだろ、上級天使『コア』?」
名指しでそう呼ばれた三対六枚の翼を持つ天使は、口をつぐんだ。
『……黒魔術師。今貴殿と戦うつもりはない。引いてくれ』
「そういうわけにもいかない。今ここで止めないと、向こうの人に被害が及ぶ」
互いが互いを刺激しないよう、注意して会話する。周囲の天使達も、彼らか醸し出す雰囲気を敏感に感じ取っていた。
『……なるほど。貴殿らを差別し排除しようとした人間を守るのか』
――ここで足止めを喰らうわけにはいかない。早く打開策を……!
「全員がそういう考え方を持つわけじゃない。少なくとも同じ学校の皆は分かってくれるはずさ」
――という幻想を言ってみたはいいものの、気休めにもならないな。さすがにこの人数を相手できない。鎌野達を呼ぶか? いや、今いけば確実に隙を見せることに……。
言葉を交わすも動こうとしない。いよいよ一触即発の様相を呈している。
両者とも頭の回転は早く、相手の攻撃を上手く利用し、反撃を仕掛けることを得意とする。故に、「先に動いた方が負け」なのだ。
このにらみ合いが、ついに五分経とうとしていた。
ここで均衡が崩れる。
動き出したのはなんと、翔陽であった。
「ぐっ、っっぁぁああ!!」
言葉にならない断末魔をあげ、膝から崩れ落ちる。
――こんな時に目覚めるか、タイミングが悪すぎる……!
激しい頭痛が翔陽を襲う。そしてついに、黒魔術師が動きを止めた。
これには、いかなる状況をも想定してきた天使達も動揺した。慌てて武器を構える。
『一体何がどうなって……? 待てよ、この生命力……おい、あれを用意しろ』
コアの指示通り、中級天使が魔法陣を展開。大きな棺が現れた。
『私の予想が正しければ、ここにアレがやってくるはず』
すると少年の身体から、青白く丸いものがふわふわと現れ、棺に吸い込まれていく。
しばらくして、ギギギ……と棺の蓋が開き、中から白装束の人物が姿を見せる。しばらく浮遊した後、背中の翼をバッと広げる。
『……お目覚めかい、「フトゥレ」?』
『……夢を見ていた。私が人間界で暮らしていたという、悪夢を』
『悪夢なら目覚めて正解だな。さて、行くか』