静かな攻防
先ほどまで賑やかだったぶん、なおさらその静寂を強く感じるのかもしれない。
ぼんやりと見回した部屋の隅、明日着る予定のドレスを着ているトルソーがとまり、慌てて目を背けた。
背けた先に、月明かりに照らされたオリーブの鉢植えがあった。
――王となりこの国を平和に治められますようにと。
その言葉が脳裏に蘇ってくると、思わず頭を抱えてしまう。
その願い、その責任は、なんて重いのだろう。
ホルコスの総人口はおよそ3000。その全員の顔と名前を覚えているくらいの小国とはいえ、重責には違いはない。
勉強はたくさんしてきたし、重臣たちの助言もある。父だって、病床にはあるがまだ十分に助言をくれるだろう。
ひとりで国を統べるわけではない。
それはわかっている。
――けれど。
黒煙と呻き声に溢れる街が脳裏をよぎって、ずきりと痛む胸を両手で押さえる。
十年前の事件の死傷者の数もまた、およそ3000だった。
“ルナ”はほんの一瞬で、この国の全国民を殺傷することができる――そう考えると凍えそうなほどに寒気がして、体を小さく縮めてうずくまった。
(……自身の心すら支配できないのに、多くの民をどうやって治めるの?)
肘掛けに頭を押しつけるようにして、涙を堪えた。
――大丈夫よ。
「………っ!」
心の奥底から暗い声が響いて、悲鳴を上げそうになった。すんでのところで悲鳴を押さえ込んだものの、頭の中にくすくす、くすくすと笑う声が響き続ける。
ルナは時々こうやって声をかけてくる。
不安にしている時、悲しいことがあった時、悩んでいる時。
体の主導権を委ねろと囁きかける。
けれど、絶対にそんなことはできない。
一端ルナが主導権を握ってしまえば、セイラのほうは完全に眠りについて、止める手だてがない。
小さい頃からずっとそうだった。
ふっと意識が飛んだかと思うと、目の前の人が怪我をしている――そんな経験が、何度もある。
その最たるものが、あの十年前の事件だ。
あれ以来、ルナはこうやって囁いてくるだけで一度も出てきていない。
その沈黙が、不気味に思えた。
――王になるのは私に任せて、あなたは寝ていたっていいのよ。
(……ダメ……! あなたは二度と出てこないで!!)
強く握った拳の痛みに意識を集中して声を閉め出し、耳を、頭を強く押さえつけ、ただひたすらに強く念じて心の奥底にルナの声を押し込んだ。
冴え冴えとした月明かりが、音もなく静かに、それを照らしていた。