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姫神子

「…………っ」


 喉が涙で詰まって声は出ず、すぐにその腕の中に飛び込みたいという衝動は、恐怖が遮った。


 夢じゃ、ないのだろうか。


 何度も何度も、夢に見た。

 母が迎えに来てくれる夢を。


 だから、これも――。


「レリア、いっぱいがんばったわね」


 戸惑っている間に、母のほうからぎゅうっと息苦しいほど強く抱きしめてきた。

 その息苦しさ、その優しくあたたかい声が、染み入るようにじわじわと夢ではないのだと実感させた。


「レナート、ちゃんとレリアを守ってくれたのね。すごい、偉かったわね!」


 次に母は兄を抱き寄せ、頭をわしゃわしゃっと撫で回した。

 喉が、胸が、痙攣するように痛かった。

 兄も震える唇を噛みしめて頷くのが精一杯のようだった。


「よかった……生きてた………。本当に……ふたりとも、生きててくれたのね」


 泣き笑いでぼろぼろとこぼれ落ちる母の涙が呼び水になって、堰をきったように嗚咽がこぼれた。


 むせかえってしまうほど号泣する私を、母は兄とまとめて強く抱きしめた。


「……ごめんね。すぐに迎えに来てあげられなくて、本当にごめんね……」


 母がそう呻いた時、母と私の間で何かがもぞりと動いた。そして、


「うぎゃあぁぁ……!!」


 まるでカラスみたいな泣き声がした。

 ビックリした私と兄が泣くことも忘れて呆然と身を引くと、母の左手には赤子が抱かれていた。


「あぁ、ごめんね」


 母は涙を拭って赤子を抱き直し、顔をのぞき込みながらぽんぽんと背中を叩いてあやす。


「この子はリターニアっていうの。あなたたちの妹よ」


 ……は? 妹?


 ずんっ、と鉛のようなものがお腹に沈んだ気がした。

 この一年半の間、母は、いったい何をしていたのだろう。

 私はこどもだったから、好きな人と一緒にこどもがほしいと願い、神様がその願いを聞き届けるとコウノトリが運んできてくれると信じていた。


 母は、私達が野良猫か鼠みたいに暮らしている間、幸せに笑っていたのだろうか?

 私達を捨てた父と?


 泣きわめいて母の腕の中でそっくりかえる赤子の右肩に、ちらりと焼印が覗き見えた。3本の剣が交差するその紋章は、サイオーンの民なら誰でも知っている王家ワイアットの家紋――。


「ほらリタ、レリア姉様ですよ」


 母は、動けないでいる私の腕を引っ張って赤子を抱かせた。

 けっこう重くて、反射的に腕に力を込めた。


「……レナート、レリア。もし私に何かあったらリタのことをお願いね」


 母の迫力に気圧されてリタをしっかり抱えると、重さとあたたかさが腕にしみた。お腹に沈んでいた黒い固まりが、氷のようにじわりと小さくなったような気がした。


「そして、あなたたち3人はなにがあっても生き延びるのよ」

「母上……何かあったらって……」


 胸にせまってくる黒い靄のようなものが喉に詰まっている私の言葉を、兄が代弁した。


「ごめんなさい。説明する前に、場所を――」


 言いながら警戒するように周囲を見渡した母が、ルナに目を留めると言葉を飲んだ。さらさらと風に揺れる銀色の髪を、息をのんで凝視している。


「――あなたは……ホルコスの、姫神子ひめみこ?」

(……姫神子……?)


 ルナは無邪気な笑みを満面に浮かべ、母に向かって手を差し出した。


「ええ、ラケシス。あなたを迎えにきたの。アグライアの末裔がホルコスに向かっているって精霊達から聞いたから、じっとしていられなくて」


(アグライア?)


「父上には内緒で出てきちゃったし。早く行きましょう? お話聞くの、とっても楽しみなの」


 ルナが、無邪気に母の手を引いた時だった。



――ぱんっ、と何かが弾ける音がした。



 刮目するルナを、呻いた母の肩から吹き出した血飛沫が遮った。


「……愚か者が。おとなしくして従っていればよかったものを」


 風に乗って耳に届いた忌々しく呻く男の声に、わずかに覚えがあった。


「………ち……ちうえ………?」


 頭は理解することを拒んでいたが、兄が細く絞り出すように呟いた。

 兄の視線の先――軍服を纏い銃剣を持っている男は、そう、間違いなく父だった。


「父上……なぜ、母上を―――!!」

「ふ、ふふふふ………」


 血を吐くような兄の呻きを、地の底から響いてきそうな暗い笑い声が遮った。


 思わず笑い声の主を捜し、視線をさまよわせる。

 声の主は、母が覆い被さるように抱きしめている腕の中。


 凍り付いたように動かない頭が状況に追いつかない私はただ凝視した。


 穴があくほどに見つめたが、笑っていたのは間違いなくルナだった。


 けれど、まるで別人だった。

 まるで別人の魂が入ってしまったように、同じ姿同じ声であっても、ついさっき私の八つ当たりを笑顔で許したルナと同じ子だとは思えなかった。


 その笑い声はある意味では、やはり無邪気。

 でも、地獄の底から響いてくるような、そこはかとない暗闇を含んでいた。


「………あなた、悪い人ね?」


 ルナはすぅっと優雅に、父に向かって腕を伸ばす。


「その髪……まさかお前が姫神子か!?」


 銃弾を詰め直した父が、ルナに向かって銃剣の狙いを定めた。


「この私が神の意志を具現化する姫神子と知っていてそんなものを向けるなんて万死に値するわよ」


 妖艶な笑みを添えて歌うように滑らかに綴られた、宣言。


 ばちんっ!!


 薪がはぜたのに似た音と同時に、父に向けられたルナの指先から黄金の大蛇が迸ったように、見えた。




 その後のことは、衝撃のせいなのか、断片的にしか覚えていない。




 黄金の大蛇がバチバチと爆竹のような爆音を轟かせ、うねりながら上空へ消え――次の瞬間、無数の雷が土砂降りの雨のように町中に降り注いだ。




 私はリタを抱きしめたままで、兄は私を庇っていた。




 炎と煤が舞い、あちこちからうめき声と焦げ臭い臭いが立ちこめている中で、何度も「大丈夫」と囁く母の声が聞こえた。




 母は、ルナの頭を抱え込むように抱きしめていた。


 母がルナの額に軽く唇を押し当てたように見えた。

 そして、それを最後に、くたりと動かなくなった。




 ルナはくしゃりと顔を歪めて、母の亡骸に縋って、泣いた。


 呼吸ができなくてむせ込むほどの大号泣だった。


 ごめんなさいと繰り返していた。


 一瞬にして数知れない命を奪っていった悪魔のような少女が、今は、無垢で穢れのない涙を流していた――。




     * * *




 神聖国家ホルコスは雷神の依り代を使命とする神官一族・アトルシャンが興した国である。

 言い伝えによれば、雷神は時として自らの力を託した神子をその一族に遣わすのだという。

 銀色の髪の、雷神の印の痣を持つ、姫を。


 故に、銀髪の姫は《姫神子》などと呼ばれ、アトルシャン一族の中でも特に恐れ敬われているのである。


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