再会
ポボスは、軍事国家サイオーンの国境沿いにある町だった。
国境沿いとは言っても、隣接する神聖国家ホルコスの領土は古来より神の領域と言われ、竜やペガサスや妖精達が棲むという太古の森と連山だけ。しかもその森に一度入った者は二度と戻れず、森を侵そうとすればたちまち災いが降りかかると言われていた。
現に父は幾度か森を切り開こうとしたが、突然病が流行ったり、原因不明の火事が起きたりして祟りを恐れたポボス住民の嘆願により頓挫していた。
そんなふうに人の立ち入りを拒む閉ざされた国ホルコスは、当然というべきか諸外国との国交を完全に絶ち、その国を見て生きて帰った者はひとりもいないと言われ、「死者の国」だとか「幻の国」だとかの異名を持ち、いまやその国名を記載しない地図があるほどだった。
故に、人々のほとんどはポボスをこの大陸の最東端の町として認識している。
けれどその妖精のような少女は、両手を胸の前で合わせて無邪気な笑顔を浮かべ、呆然としている私と兄に「今、ホルコスからこの町に到着したところだったの」と告げた。
「申し遅れました。私はセイラ、ルナと呼ぶ人も多いけれど」
少女はそう言って、ペコリと人形のようにお行儀よく頭を下げた。
竜やペガサスや妖精が棲むというおとぎ話の国から来たというなら、この子も妖精かなにかなんじゃないだろうかと疑いながら、レリアは少女を見つめていた。
「……ルナ……?」
セイラよりルナのほうが似合っている気がして、私はまずその名を口にしてしまった。少女は優しく降り注ぐ月光のようにふんわりと笑って頷いた。
月の女神の名は、いっそ月の女神その人じゃないかと思うほどに少女に似合っていた。
兄もまた口の中で「ルナ」と小さく呼んでみる。
少女は耳聡くそれに反応して、「はい」と返事をし、私にしたのと同じように笑って頷いた。
目が合った兄は耳まで赤く染めて慌てて俯くと、石のように固まった。
そんな兄の様子を見るとどうにも落ち着かず、兄がどこかに行ってしまいそうな不安に駆られて、私はこっそりと兄の服の裾を掴んだ。
「ねぇ、あなたたちの名前は?」
一瞬、言葉に詰まった。
少女はにこりとほほえんで答えを待っている。
「……レリア」
ほかにどう答えていいのかわからず、呻くように短く名乗り、固まったままの兄をつつく。
「レナートです」
兄は地面の上を視線を泳がせながら早口に答える。
「レナート、と、レリア、ね」
確認するためなのに、少女の可憐な声で名前を呼ばれるとむずむずと面映ゆくて、顔が熱くなった。
多分、兄も同じなのだろう、身じろぎしたのが伝わってきた。
「ねぇ、もし時間があったら、案内してほしいのだけど」
「案内……?」
この町に案内するような場所なんかないけれど、と不思議に思っていると、ふいにルナは私の肩の上あたりになにかがあるかのように視線を止めた。
つられて私も肩の上やその周辺を見回してみたけれど、どこにもなにもなかった。
「……あら? ごめんなさい。一緒じゃないのね」
そうしているうちにふわりと風がルナの頬を撫でて彼女は夢見がちな目を細めた。
「でも大丈夫、もうすぐ彼女もここに来るって」
「来るって、何が?」
思わず聞くと、ルナは微笑んだ。
「私、あなたたちのお母様を迎えにきたの」
「え……―――?」
衝撃的な言葉に、兄と一緒に、ぽかんと口を開けてしまった。
母様と知り合いなの?
母様がここに来るの?
迎えって、どこに連れていくの?
聞くのももどかしくて、一度に全部の答えがほしいくらいに焦れているのに、喉が詰まって声が出なかった。
ふ、とルナは再び風に導かれるように町の外に視線を向けた。
その視線の先には、舞い上がる土煙の中を駆けてくる馬の影があった。
最初は砂粒のようだったが、疾駆する馬は見る見るうちに近づき、大きさを増していく。
馬の手綱を握っている人はフードを深く被っているけれど、背格好からかろうじて女性だと視認した時、期待に胸が膨らんだ。
胸が張り裂けるんじゃないかと思うほどに、痛いほどに。
時々後ろを振り返りながらも馬を疾駆させていた騎手が私達に気づき、さらに速度を上げた。
近くで馬を止めて下馬した時、フードが脱げて光を弾いてきらきらと輝く黄金の髪がこぼれ落ちた。
「レナート、レリア……! よかった、無事だったのね!!」
右手を大きく広げ、涙をいっぱいに溜めた母が、笑った。
笑って、私たちの名前を呼んだ。