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出逢い

 普段から歩き慣れていないから、疲れてしまって途中から兄に負ぶわれた。

 ポボスの町外れで打ち捨てられた空き家にようやくたどり着いた時には、さすがに兄ももうくたくただったと思う。お腹も空いていたし、とても眠れる気分じゃないと思っていたのに、不思議なもので、兄に寄り添って座り込むとそれだけで泥のような眠りに落ちた。


 翌朝、まず髪を売った。

 母から受け継いだ自慢の髪だった。

 朝日を浴びてとろけるように輝くハニーブロンドで毎日丁寧に櫛で梳きいい香りのする香油をつけていた自分の髪が、男の子のように短く刈り上げられている姿を鏡で見てしまった時は悔しくて涙が出そうになった。けれど、兄がごめんと小さな声で謝ったから、絶対に泣いちゃダメだと堪えた。

 髪を売ったお金で堅いパンを買って食べ、それから人が使った後のみすぼらしい服を買い、着ていたドレスや身につけていたものすべてを売った。


 それは、今までの生活との決別だった。

 理不尽な父の仕打ちが悔しくてきつく目を瞑ったら、涙が一粒目尻に浮かんだ。

 兄が、繋いだ手をぎゅっと強く握ってくれて、なんとか自分を奮い立たせた。

 兄だけが、私に残されたすべてだった。


 それから兄は仕事を探した。

 けれどただでさえ子供である上に、兄は武術と軍務、治世に関わる勉強、私は貴婦人の達振る舞いやお洒落を学ぶのが仕事という暮らしをしてきた私達にまともな仕事などなかった。炭坑の町で生まれ育った子供達に比べ私は貧弱過ぎ、優雅な立ち振る舞いもお洒落も全く無駄なものだった。むしろ邪魔だった。治安が悪いポボスの街では、男の子の格好をしたほうが都合がいいくらいだった。

 結局、煙突掃除や靴磨きで日銭を稼いで食いつなぎ、最初にたどり着いた町外れの空き屋に野良猫のように住み着き、1年と半年が経った頃だった。



 家から町に向かっていると目抜き通りの入り口に佇んでいる少女が目に付いた。

 年は私よりひとつふたつ少なそうに見えるその少女がきょろきょろと町中を見回すたびに、珍しい銀色の髪のツインテールと、髪を飾る空色のリボンがひらひらと揺れる。上質な絹織りの白いワンピースに繊細なレースのショールを羽織っている。

 その、透けるように白い肌。折れそうなほど華奢な手足。よく手入れされて光を弾いて輝く鏡のような銀色の髪。

 全体的に色素が薄いせいか、夢か陽炎かと一瞬疑ってしまうような風情だった。

 見るからに良家のお嬢様なのに、従者のひとりもつけていない。それが様になっているのも不思議で、なおさら現実味がないように感じたのかもしれない。


「……妖精みたいな子だな」


 兄が、陶然とした声で呟いた。

 その声を聞いた瞬間、全身が真っ黒に塗りつぶされたような気がした。

 涙をこらえ、ふるえる拳を握り、唇を噛んだ。


(私、だって――)


 私だって、シルクのような艶やかな髪をどんなふうに結おうか、何色のドレスを着て、どんな色のリボン、どんな髪飾り、どんなネックレスやイヤリングを合わせようかとそんなことに頭を悩ませ、毎日好きなだけ豪華な食事をしてティータイムには優雅に紅茶とお菓子を食べて、蝶よ花よとかわいがられていた。兄だって、軍人の鑑のような父に厳しく銃剣の扱いやら馬術やら鍛えられていたけれど、同じように裕福な暮らしをしていた。


――あのくらいの頃までは!


 無意識に、以前は母譲りの自慢の髪があった場所に手が伸びていた。

 けれど少年のように短く刈り上げたバサバサの髪が指に触れ、胸の中に黒い霧のようなものがぐるぐると渦を巻きながら重く沈んでいく。

 あの生活は、今はもう夢だったのかもしれないとすら思う。

 いくら洗っても落ちない煤や汚れが染み着いたボロの服を着て、その日一食が精一杯で……。

 こんな薄汚れたネズミみたいな生活が嫌で、ありもしない過去を思い描いたのではないか――。


「レリア?」


 兄が心配そうに肩に触れた瞬間、胸の中に渦巻いていた醜い感情が、弾けた。


 気がついたときには、その少女を後ろから力一杯突き飛ばしていた。


 少女は小さな悲鳴を上げて見事に顔面から地面に伏し、真っ白なワンピースは煤混じりの土にまみれる。


 思い通りに無様に転んだ少女を見られたのになぜだか余計に胸が軋んで、ぐるぐると渦巻く黒い感情に引きずられるように、目眩がしたような気がした。


「レリア!」


 兄が腕を引き、鋭く諫められ、我に返ると同時に身が竦んだ。


「…………ぁ、」


 なにか言わなきゃと思ったのに、喉がひくひくと痙攣して動かない。

 頭も痺れたようにうまくまわらなくて、なにを言えばいいのかわからなかった。手も足もふるえて、息もできないほど怖かった。


「妹が、申し訳ありません!」


 動けない私の代わり額をこすりつけるようにしてひれ伏す兄を、ただ息をのんで見つめた。


「罰なら私が代わりに受けます!!」


 兄が言った途端、さぁっと血の引く音が聞こえたような気がした。

 はっはっはと短く息を吸う音、どくどくと早鐘のような鼓動がやたらと頭に響く。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう!?)


 呼吸しているはずなのに、息苦しかった。


(兄様がいなくなったら、私……)


「……あの、顔を上げてください。私こそ、よそ見をしていて気づかなかったものだから」


 天上の鈴を転がすような澄み渡った綺麗な声、そして思いがけず大人びた話し方に、はっと息を呑んだ。


 立ち上がった少女は顔の泥だけは払ったが、ワンピースについた汚れを払うよりも先に、ほほえみを浮かべて兄に手を差し伸べていた。


「急ぎの用でもあったのでしょう?」


 ぱちりと大きいアクアマリンのような淡い水色の瞳と目が合うと、兄は耳まで赤く染めたまま金縛りに遭ったように動けなくなった。


「いえ……あの、あの、すみません。お召し物が……」


 数秒後に金縛りから解放された兄は、赤面したまま地面を見つめて再度詫びた。


「服はいつか汚れるものよ。洗えば落ちるかもしれないし、気にしないで?」


 あまりにも無垢な笑顔を向けられ、思わず感嘆の息をゆっくり長々と吐いていた。


 息苦しさから解放され、あぁ、苦しかったのは、吸ってばかりで吐いていなかったからだと頭の片隅でぼんやり思った。


 そして、いつのまにか黒い気持ちが煙のように消えていることに気づいた。


 ただ、この子は本当に妖精なんじゃないかと漠然と思っていた。




 これが、兄も私も一瞬にして心を奪われた姫様との出会いだった。



 念のため申し添えますと、妖精の湖はこの作品には関係ありません。ただ私が銀髪好きなだけです。

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