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邂逅1



「困った……」


 空を仰ぐが、ざわめく木々に遮られて夜空が見えない。

 本隊に合流できなかった。

 溜息をついて視線を落とした方位磁石コンパスはくるくる回って全く使いものにならない。仕方なく城に背を向け煙の上がる方向に向かっているはずなのに、いくら進んでも本隊に近づく気配がない。

 こうなるともう、あの男顔負けに気の強そうな短髪女が最後に何か呪いでもかけたんじゃないかと疑いたくなってくる。

 夜の帳は静寂に満ちている。

 鳥も鳴かず動物の気配もしない。

 それがじわりと焦りに変わり、その焦りが愛馬デイケの歩調を早めさせた。

 森の木々の曲がりくねった太い根が入り組んだ、足場の悪さだというのに。

 微塵もそんな苦労は感じさせずにゆっくり並足へと調子を上げた愛馬は、絡まった糸のように入り組んだ根の隙間に足を取られた。転倒もせず、主を落馬もさせなかったが、挫いて腫れあがった左足首を看れば「足は軍馬の命だというのに」と悔やまずにはいられない。

 水音が聞こえたから、そばに沢があるだろうと踏んだがデイケにはこれ以上無理をさせまいと、その場に残し水を探しに出た。沢はすぐに見つけたが切り立ったV字の細い渓流で、今度は水を汲める箇所を探すのに手間取る。ようやく水を汲み帰途につくが、今度は沢沿いに探し歩き沢沿いに戻っているのにデイケを残した場所がわからない。


「神の加護を受けたホルコスの王を殺害しようとした賊は生きて返さないっていうことなのかねぇ……」


 完全に道を失って悔し紛れにぼやいてみるが、返事などあろうはずがない。

 とはいえ、デイケを巻き添えにするわけにはいかないし、このままのたれ死にはごめんだ――と。茂みをかき分けたところで、さらにもうひとつ茂みの向こうにぼぅっと淡い青の光が透けて見えた。

 見たことのない不可思議な光だけれど、優しくて穏やかな光に見えた。

 その光に導かれるように茂みをかき分けたが光は消えていて、代わりに愛馬の足下に小柄な少女がうずくまっていた。普段は俺以外に触れられることを酷く嫌がるデイケが自ら首を寄せ、少女が手を伸ばすとその手にすり寄るように頬をこすりつけている。


「珍しいな、デイケが俺以外に触らせるなんて」


 歩み寄りながら呟くと、デイケは抗議するようにぶるるるると鼻を鳴らし、少女が跳ねるように振り返った。


「あの、勝手に触ってごめんなさい。とてもいい毛並みだったから」


 一瞬、息を詰まらせた。

 振り返った少女が、月光に透けて消えていきそうな風情だったから。

 後宮は選りすぐりの美人揃いだから目は肥えているはずだ。だがそれでも息を飲まずにはいられなかった。透けそうに白い肌で、触れれば雪のように溶けそうな気がするほど儚げな――たとえるなら妖精のような美少女だった。


「……あの、本当にごめんなさい……?」


 水面のような淡い水色の瞳が小動物のようにくるりと見開かれて、不思議そうに顔色をのぞき込んでくる。

 どうやら、怒っていると思われているらしい。


「こんなに立派な子は、滅多にいないから」


 そう言ってデイケを見つめる真摯な視線は、言い訳ではなく本音のようだった。自分で手入れをしている自慢の愛馬を誉められるのは面はゆい。


「馬の善し悪しがわかるようには見えないな」


 少女は皮肉を言われたことに気づかないのか無邪気にくすりと笑った。


「私も自分の馬は自分で世話してるの。ペガサスは気高くて、主と認めた人以外に触られるのを嫌がるから」

「へぇ?」


 面白がって見つめた少女の顔色は見る間に翳り、語気が弱くなる。


「この子も……同じくらい気高い。けれど私を慰めようとしてくれたのね」

「……もしかして、言葉がわかる?」

「いいえ、言葉というほどはっきりは。思念をなんとなく感じるだけ。下級の精霊達の声と同じようなものね」

「精霊の声、ね」


 状況からホルコスの民だろうというのは当然予想の範疇だったが、改めてそれを思い知らされた気がして、つい髪の色を確認してしまう。

 藤のような淡い紫の髪だった。

 銀色ではない。

 街を滅ぼした銀の髪を持つ姫神子には、見えない――。


 ぶるるっと熱い鼻息とともにデイケが甘えるように全身をこすりつけてきて、我に返る。


「……ん? お前、怪我は?」

「あ。あの、勝手なことをしてごめんなさい」


 引きずるほど腫れていた足を普通に動かしていることに気づいて、思わず問いかけると、デイケの代わりに少女が再び深々と頭を下げた。


「いや……ありがとう」


 珍しくするりと素直な礼が出てきたことに自分でも驚いた。普段なら皮肉のひとつやふたつ言わずにはいられないのに。

 ――いや。いや、それは、そういう環境のせいなのだ。まっとうな善意や慈愛などは夢物語の中にしかないと思うような環境の。


「馬の足の怪我は命に関わる」


 口元が緩むのを押さえられずに手で覆い隠すと、少女は静かに可憐な笑みを浮かべた。

 気弱に見える、可憐で楚々としたこの娘が、十年前に罪もないポボスの街や人々を強襲した凶悪な姫神子なんてこと、あるはずがない。

 それが夢物語ではないと教えてくれた心優しいラケシスを殺した姫神子であるはずが、ない。



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