拮抗
「姫様、おひとりでどこに行かれるのですか」
ふらりと城を出ようとすると、レリアに厳しく呼び咎められた。
「風に当たってくるだけよ、心配しないで」
セイラは振り返らずに答えた。
しばらく父王についていたけれども、じっとしていることに耐えられそうになかったのだ。
溢れる不安、恐怖、悲嘆、そして――憎悪。
そういう負の感情が、ルナを呼び覚ましてしまうから。
気を、紛らわせなければならない。
レリアは静かに細く長い吐息を吐き出してから、失礼しますと断ってセイラの髪に触れた。髪全体がリボンよりに似た藤色に変化すると、ほのかに口の端を持ち上げた。
「……せめてこのくらいの用心はしてください。どこにサイオーンの手の者がいるかわかりませんから」
じん、と胸が震えた。
「………ありがとう、レリア」
このまま泣きつくことができたらいいのにと心の隅で考えてしまいそうになって、それを振り切るようにセイラは一人で森に入った。
* * *
ばちんっ!
爆音を立て、セイラが寄りかかろうと手を突いた木が爆ぜた。
おかげで弾かれ、腕は宙を掻き、ぺたりと尻餅をついて地面に手を突いた。幸いレリアが降らせた雨に濡れた地面は雷を地中へと逃がしてくれて、弾け飛ぶようなことはない。
ぱたぱたとこぼれ落ちる涙と嗚咽を堪えるためにうずくまり、息を止める。
できることならもう一生息を止めていたいと思うが、どうしてもあらがうことができない。
――辛いのなら、私に代わりなさいよ。
「………い…や…」
痛む喉から掠れた声を絞り出す。
――私なら、あんな人達いくらでも殺してあげる。
「だめ………出て、こない……で………」
そうやって泣いてはよろよろと森の奥に入り込み、また泣くことを、何十回繰り返したのか――もう、わからない。
セイラはずいぶん城から離れた場所で、一頭の馬が月明かりの木漏れ日の下にひっそりと佇んでいるのを見つけた。
サイオーンの軍馬であることは立派な鞍を乗せていることから一目瞭然だった。よく手入れされた艶やかな漆黒の毛並みはなめらかで、さわり心地がよさそう――と、ふいに馬とセイラの方を向いて、目が合った。
そらさずにじっと見つめる目が穏やかで、優しい。
気がつくと、ふらふらと歩み寄って、手を伸ばしていた。
(………っ)
爆ぜゆく木々の姿が脳裏をよぎって、慌てて自分の手を掴み止める。
こんな制御ができない状態で触れるわけにはいかない。
(なんのために、城を出てきたの……)
目を閉じて俯き、両手を腕に抱いて強く自分に言い聞かせていると、すり、と絹のように滑らかで暖かいものが頬に触れた。
はっとして顔を上げると、黒い目がまっすぐに見つめてきていた。
動揺から動けずにいると、黒馬はもう一度ゆっくりと顔をこすりつけてくる。
「…………あなたは……優しいのね………」
気がつくと、縋るようにその首を抱きしめていた。
あたたかさがじんと胸に沁みて、氷が溶けるように涙がじわりと溢れていた。
ぽろぽろと涙がこぼれるごとに、少しずつ、心の闇が晴れていくような気がした。
少しだけ泣いてから、ふとその黒馬の左足が腫れていることにセイラは気づく。
「捻ったのね? ……待ってて、このくらいならすぐに治せるから」
馬の左後方にに座り込むと腫れている箇所に両手を翳し、精霊達に、この優しい馬の傷を治してほしいと願う。
嫌々ながらも願いに応じて集まった精霊達が穏やかな青の燐光を放ち、腫れが完全に引くと同時に光が消え、精霊達はそそくさと去っていった。
髪の色をごまかすためにかけられた光の魔法を維持している精霊も、もう帰りたがっている。
平素ならば呼ばすとも近くにいてくれる精霊達に避けられるというのは悪い兆候でもあるし、寂しくもあった。
一方で具合を確かめるように何度か足踏みをした黒馬は、セイラに強く額をすりつけて髪を食んできた。




