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力の意義2


 大広間にはほぼ全国民が集まっているが、それでも時々すすり泣く声やぼそぼそと暗い囁き声のほかはとても静かだった。

 誰もが、不安と戦っているように見えた。

 入り口側の壁にもたれるように座り込み、眠るリタを大事に抱えているレナートがいた。とても憔悴しているように見えたが、セイラが姿を現すといつものとおりにぴしりとした動きですぐさま立ち上がり、リタを抱いたままで駆け寄ってきた。


「姫様……力不足、申し訳ありませんでした」


 開口一番、彼は可能な限り深く頭を垂れた。


「いいえ、あなたは十分に働いてくれました」


 セイラは緩く頭を振ってそれに応える。

 彼は忠実に命令を遂行していた。全国民を速やかに一番安全なこの広間に避難させ、可能な限りの不安や不満をなだめるよう気を回してくれていたのだから。


「いえ、強襲に臨んでおきながら王の警護を疎かにするなど……」


 彼が抱えているリタの頬に涙の筋が見え、ぐっと胸にせまるものがあった。その涙の筋に指を伸ばすと、リタはうっすらと目を開けた。


「姫様……ご…めん……なさい……。守れ…なくて……」


 再びぽろぽろとこぼれる涙に、セイラは私が泣いているわけにはいかないのだと、改めて気を引き締める。リタはまだ幼いのに、あの惨状を作り出した暗殺者に一人果敢に挑んだのだ。


「リタはよく頑張ってくれたわ」


 心からの言葉だったが、リタは首を振って泣き続ける。


「リタのおかげでお父様はまだご存命なのよ」


 レナートから引き受けて抱え込むと、背中をさすってあげる。わずかなすすり泣きが、寝息へと代わっていく。

 そう。リタもレナートも、レリアも。みんながそれぞれによく働いてくれた。だからこそ、被害はまだこの程度で収まっている。

 レナートが再びリタを引き取ると、そのぶん身が引き締まる思いがして背筋を伸ばす。


「……すべては私が命じたことです。王の暗殺を想定しなかった私に非があります」


 神の加護を受けたホルコスが侵略を受けるなどという事態はもう何百年も昔のことで、だから、セイラは想定できなかった。


「いいえ、私たちが想定し進言してしかるべきだったのです」


 今度はレリアが唇を噛み、ふるえる拳を握って俯いた。肩にもたせかせて片手にリタを抱き直したレナートがその背中をゆっくりとさする。


「――今は、過ぎたことを悔いるよりも前を向きましょう。まず、現状の報告をお願いします」



 気を取り直したセイラは一通りの報告を受けた。

 城は中腹に大砲で大穴が開けられてはいるが、すぐさま瓦解するほどの損傷ではない。

 風の精霊達の報告ではサイオーン軍は会談の場所から大きな動きはみせず、王の暗殺をはかったような隠密行動をしている者はひとりだけのようだ。


「現時点で確認できる限りでは死者4名、重傷者7名、軽傷者が15名。あとは、樵のコリーが一週間ほど前に森に行ったきり行方不明―――……姫様、大丈夫ですか?」


 報告を聞くセイラの顔色が今にも倒れそうなほど蒼白だったため、レナートは報告書を読み上げるのを中断して問いかけた。


「……大丈夫です」


 死傷者の報告に、危篤状態の父王が脳裏に閃いたが、それを振り払うために頭を振り、気丈に口元を引き締めてレナートを見上げる。


「………続けてください」


 彼は真偽を確かめようとしばしセイラを見つめていたが、やがて静かに報告書に視線を落とした。


「彼は姫様の戴冠に以前から不安をこぼしていたそうです。おそらくは彼がサイオーンに情報を漏らしたのでしょう」


 ずきりと胸が痛んだ。

 コリーは半年ほど前にきたばかりの壮年の男だ。

 ホルコスは森にかけられた結界に守られていて通常はたどり着くことができず《神の領域》、《不可侵の地》などと言われている。だが実際には稀に迷い込んでくる人間がいるのだ。

 レナート達兄妹のように迫害を受ける者、自国に墓がある者――そういう、およそ他に行き場のない人ばかりが。彼らは神に入国を認められた者としてホルコスに住むことを許される。

 ホルコスは生きて帰った者はいない死者の国などとも言われるが、それは入国した後に帰りたいと思う人間がこれまでいなかっただけの話だ。


「彼を捕らえようにも、おそらくサイオーンにいるでしょうから処罰は難しいかもしれませんが」

「いえ、私自身が不安だったのですから、彼一人に非があるとは言えません」


 ならば、そんな境遇にあってもここにいたくない、この国にいるのが危険だと思わせてしまった自分が悪いのではないだろうかと、セイラは唇を噛んだ。


「今はいない人の断罪より、今後のことを考えなければなりません」


 セイラは一度深く息を吐き、それから再び、広間に集まっている人々に向かって口を開いた。


「サイオーンの将軍との会談に臨んできました。――軍を退く条件は私の首だそうです」


 ざわりと広間の空気が揺れた。


「のめる条件ではありません! 王の暗殺を企てていたのですから、姫様の首を差し出しこの国を守る盾がなくなれば、いったんは退いてもいつかこの地を踏みにじりに来るでしょう」


 レリアが苛立ちを押さえきれない震え声で進言し、セイラは薄笑いを浮かべる。


 ホルコスは長らく神に守られた不可侵の地だったため、軍事力というものに乏しく、サイオーン軍に対抗できるものといえば神子の力しかない。だが逆に雷神の力ならばあの一軍を蹴散して撤退させる――おそらくは殲滅することすら、たやすい。

 だがしかし、それを持っているのは“ルナ”だ。セイラには雷の精霊達を使役することはできても、雷神の力は使えない。

 セイラが気を許せばルナは喜んであの人々を殺しにいく。しかし十年に及んで閉じこめられたルナが抱く狂喜がサイオーン軍だけで留まるかといえば、そんな保証はない。ともすれば自国ホルコスにすら危害を加える――……。


 今は動く気配はないようだが、再び少数で隠密に入り込まれる危険性がある。この大広間に民を集め、あらゆる出入り口を封鎖し、見張りをたてる。それが今できるすべてだった。

 神子の力で押し返すか、あるいは降伏するか……。


 セイラの迷いと同じように、民の意見も割れ、あちこちで口論が始まる。

 恐怖が後押しするのか、神子の守護を求める声が徐々に優勢になっていく。


「……一晩だけ、時間をください。明日朝には決断します。ひとまずは、警戒を厳に」


 堪えきれずに硬い表情でセイラはそう言い残し、足早に広間を後にした。レリアは無言でそっとそれにつきそった。




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