会談
黒い闇に沈んでいた森が、赤々とした円を描くように燃えていた。
地上から見れば空を焦がさんとするような炎が、あたりを昼間のように明るく照らし、むっとする熱気を放っている。
「将軍、一騎の馬が空を舞ってこちらに向かっています!」
報告を受けた将軍は、鷹揚に空を見上げた。
まだ煙に侵されていない群青に銀砂を撒いたような美しい夜空にほんのりと浮かぶ白い馬の影が目に留まる。
「………やはりきたか」
みるみるうちに近づいてくる白い馬の影に、将軍は目を細めて呟いた。
「打ち落としますか?」
「いや」
将軍はゆるく首を振ると、声を張って命じた。
「放火をやめ、姫君をもてなす用意をせよ!」
サイオーンの旗を掲げた一軍の中心に、直径が5メートルほどの円状の空間があけられていた。
その中心にふわりと音もなく優雅に降り立った純白のペガサスの背から、ひらりと風のように軽やかに銀色の髪の少女が降りた。
ペガサスは別れを惜しむように主人にすり寄るが、少女は手綱を離すと軽く背を叩く。夜空へ消えていくペガサスを見送った少女を、槍のような銃剣を持った男たちが遠巻きに取り囲んだ。
「私はホルコス王女、セイラ・アトルシャン。使者として会談を申し入れます。指揮官はどちらに?」
全方位取り囲まれ銃剣を向けられているというのに、冬の空気のように凛とした声音は腹が据わり落ち着き払っている。
セイラがくるりと一周あたりを見回すが、数々の冷たい銃口もそれを向けている兵士たちも沈黙を守り、指揮官に伝令に動く気配もない。
「指揮官に繋いでください」
一歩。足を踏み出すと、足を向けられた方の兵士は一歩後退したものの、狙い定められた銃口がはすべて追いかけてくる。
銀の髪を揺らし、大きく二歩目を踏み出す。
先にいる兵士の隊列が少しだけ乱れ、引き金にかかる指に緊迫感が走る。
「話を――」
もう一度言葉を継ごうとした時、後退していた兵士の一人が引き金を引こうとする気配がした。セイラは優雅にその兵士に向かい手を突き出し、強い目で銃口を睨み、口の中で一言だけなにかを呟く。――途端、兵士の持っていた銃口にパチパチと黄金の火花が散り、溶鉱炉に入れたかのように赤く不気味な燐光を放ち、どろりと溶け落ちた。
姫が突き出していた腕を払うと、その動きに応じて指先が示した先にある銃剣が次々と同じように溶け落ちていく。
ひっ!?という短い悲鳴とともにまだなにもされていない銃剣をも手放す者、魂を抜かれたようにぽかんとして動けない者――様々だが、いずれも時間が止まったかのようにセイラを恐怖を含んだ目で見た。
「金属は雷を引き寄せやすいので、私の前では持たないほうが賢明ですよ」
ほのかに悲しそうな笑みを浮かべる姿に、思わず銃剣を手放した者がさらに何人かいた。
「臆するな。馬鹿者どもが」
浮き足立つ気配を諫める低く重厚な声が響き、一頭の馬に乗ったままの男が人垣を割って進み出てきた。
「この部隊を指揮しているのはこの私、ガス・オネイロス。姫君がこんな場所になんのご用か?」
口元に笑みを浮かべていても、馬上からセイラを見下ろす目はひどく冷たい。
(……オネイロス)
胸の内でそっと反芻する。
厳しい目元がレリアによく似ているとぼんやり考えてしまった。
けれど、今は後回しにしなければと脇に押しやる。そもそもポボスを始めとして隣接するサイオーン領の主であり、将軍でもあるのだから、この襲撃に当たって彼が指揮を執るのは自然な成り行きだろう。
「領主であるあなたならばここが既にホルコス領内とご存じでしょう。なぜこのようなことをなさるのですか」
「なぜ、とあなたが聞きますか?」
嘲るように見下され、心の隅からざわざわと波が立つような寒気が体中に広がる。
「10年前、我がポボスを強襲したあなたが?」
鋭い氷の刃が胸を貫くようだった。じんと痺れる感覚がして、次いで火傷に似た痛みが広がっていく。
「彼らはあなたに家族を奪われたり怪我を負わされた恨みを持つ者ばかりだというのに」
指し示された先、そこにいる人々の顔を、思わず確かめてしまう。
あの時の被害者の顔のほとんどを、セイラは知らないというのに。知った顔があるのではないかと凝視せずにはいられなかった。
言われてみれば確かに、彼らは訓練された兵士というには覇気が足りないように思えた。新兵かとも思われたが、まさか――。
「私たちの目的はあなただ。あなたがおとなしくその首を差し出すのなら、兵を引く用意はある」
その言葉はずしんっと心に重くのしかかった。
「―――本当に?」
震える声を押さえ込んで思わず問うた瞬間、「ダメ」と心の中で声がした。
でも、問わずにはいられなかった。ガス将軍は鷹揚に頷く。
――ダメ!!
さらに強い声が頭を割りそうだった。
――国を、民を、誰が国を守るの!?
でも。
でも……このままでいいわけがない。
ホルコスでは、姫神子が雷神の力を以てしたことはすべて神の意志とみなされる。
だからあれは雷神の神託なのだと、セイラは一切の責めを負っていない。あれだけの命を奪っておいて誰にも咎められないなんて、間違っている。
セイラはずっと、そう思ってきたのだから。
息を飲み、ふらりと幽霊のように一歩足を踏み出す。
「――姫様、その男を信じてはなりません!!」
鋭い声が降ってきて、ごうっという風切り音とともに巨大な竜が飛来する。
グワァォウと低い唸り声をまき散らしながら砲台を宿り木代わりに止まると、その背中に少女の姿が見えた。
「そのケダモノに、あなたの言葉など通じません!!」
よほど急いできたのだろう、鞍も手綱もつけない野生と変わらない状態の飛竜の背にしがみつくように乗っているのは、レリアだった。




