襲撃
「きゃあぁぁ……っ!?」
城が瓦解しそうなほどの揺れに姫様達は揃って悲鳴を上げ、バランスを崩した。
さっと視線を走らせ、幸いこの揺れで倒れてきそうな調度品の類が近くにないことを確認する。
次いでまずレリアの腕を引いて捕まらせると部屋の隅までころころと転がっていきそうなリタを左脇に抱え、右腕を遠慮がちに主君の腰に回し、重心を低くして揺れに耐えた。
地震などの自然災害ならば、姫様が知り得ないことなどあり得ない。
それがなかったということは、これは――人為的なもの。
ならば、視界や退路を塞ぐことも命に関わってくる。
膝が笑っているような気がする揺れに耐えながら、絶えずあたりを警戒をする。
「…………っ!」
助けを求めるように胸の中で小さくなっている姫様は猫のようにやわらかくて、力加減を間違うと壊れてしまいそうな気がしてひやりとする。
華奢な姫様の小鳥のような早鐘の心音が聞こえるようで、一瞬気を取られる。
だがすぐに、鼻を指す腐卵臭が漂って気を引き締める。
(この臭いは、硝煙……!)
やはりという思いとともにこの臭いに慣れていた頃の苦い記憶が蘇り、思わず腕に力が籠もる。
「……あの、レナート。もう、大丈夫ですから」
頬を朱に染めて困惑気味に見上げられている。揺れが完全に収まっていることを感じ、慌てて詫びて手を放す。
「失礼しました」
「いいえ、ありがとう……助かりました」
姫様は落ち着かなさそうに視線を泳がせながら、自分の体を抱きしめる。
「――姫様っ!!」
揺れが収まり始めた頃から西側の窓に駆けつけていたレリアの鋭い声が、居心地の悪い空気を切り裂いた。
全員が窓際に駆けつけて各が外を睨む。
黒々とした森の一角が、炎と黒煙を上げていた。自然発火の火事でないことは、硝煙の臭いでも明らかだ。
レリアは床に水鏡を作って遠見の魔法を発動させようとしたが、それよりも早く姫様の髪を風が撫で、彼女は口元を覆った。
「……姫様?」
風の精霊の報告に怯えているように見え、気遣わしげにレリアが肩に手を置く。ゆるゆると目を合わせた姫様は、弱々しい声で精霊の言葉を告げる。
「サイオーンの軍旗を掲げた一軍が森に火を放ち、進軍中――」
再度、どぉんっという爆音と衝撃が姫様の言葉を遮った。
レリアが姫を支えて壁際に寄って守りを整え、二度目の衝撃をやり過ごす。
「風達が何か伝えようとしてたのは、このこと………?」
容赦なく三度目の爆音が響き、城が揺れた。
「……結界が……機能していない……」
怯えた表情で囁いた直後、姫様は目を瞑ってきゅっと唇を噛み、細い拳を握った。
一呼吸だけそうしていた後、すっくと立ち上がった姫様は先ほどまでの怯えを完全に払拭し、凛とした表情を私に向けた。
「レナート、被害状況の確認を。それと、王の指示があるまでは住民の避難を始めとする私の全指示権をあなたに一任します。レリア、急いで私のペガサスの用意を。リタ――」
「姫様!」
次々に指示を出す姫様の意図するところを察したレリアは諫めたが、姫様は耳を貸さずにリタの前に膝をついて目を合わせていた。
「……リタ、お願い。お父様の様子を見に行って、避難を手伝ってあげてくれる?」
「うんっ!!」
リタは緊張しつつも力強く頷き、駆けだした。
「レナート、レリア!」
「………はい!」
姫様の変容に戸惑い、リタのようにすぐには指示に従えなかった私とレリアは刺さるような声音に呑まれ、苦々しく返事を絞り出してから駆けだした。
* * *
手早く乗馬服に着替えると、城の屋上にある厩に駆け込んだ。
既に私の愛馬・デイケは鞍が乗せられ、興奮気味に足を踏みならしている。レリアは引き続き自分用のペガサスを引き出そうかというところだった。
「レリア、あなたはレナートの手伝いに行って」
鐙に足をかけると同時にひらりと飛び乗り、手綱を引いて愛馬の鼻先を外へ向けながらレリアの背中に命じる。
「単騎で行かれるおつもりですか! あなたは護衛をなんだと思っていらっしゃるんです!!」
遠慮のなく肩をいからせて振り返ったレリアに、ふっと口元が緩んでしまう。
「一人の方が気が楽だわ」
レリアは背筋に氷を押し当てられたような顔をして、言葉に詰まった。
「……大丈夫よ」
言いながら、胸の中にひんやりとした闇がとろとろと流れ込んでくる感覚がする。同時に眠りに落ちるときのように意識がゆっくりと遠のく。
「私は……神の力を持つ姫神子―――」
自分の声がわずかに低く響き、意志に反して口元に濃い笑みを浮かべるのを、自覚する。うなじが、熱を持ち始める……。
「――……っ!」
ブルルルルゥゥ、とデイケが身震いをして、はっと夢から醒めたように慌てて手綱を握り直した。
「……ごめんなさい、ありがとう……」
カクンと馬の首に寄りかかり、熱を持つうなじを冷えた手で押さえる。
額から伝わる愛馬の体温、早い鼓動、荒い鼻息。そういうものに、しばし寄り添う。そうしていると、荒波の立っていた心がひっそりと凪いでいく。
どんな時も、このぬくもりを決して忘れてはいけない。
「………セ…イラ……様………?」
レリアが凍りついている喉をなんとか震わせて私を呼ぶ。疑わしげな目と、呼び声に、平静を取り戻していく。
ゆっくりと一呼吸してから、弱々しいながらもなんとか笑みをつくった。
「……………ごめんなさい、私のことは大丈夫よ。あとのことは頼みます」
あとのこと。
その意図を勘ぐってレリアが竦んだ隙に、鐙で愛馬の腹を叩く。
純白のペガサスは主の命令に忠実に従い、星空を覆い尽くす煙が漂う夜空へと勇敢に躍り出した。




