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白昼夢

いつの間に

転んでしまったのだろうか。

膝小僧を擦りむいていた。


隣に、つばの広い帽子をかぶった女性。

真っ直ぐ前を向いて立っている。


私を見て、ハンカチを取り出すと

傷をおさえてくれた。


「ごめんなさい。汚れてしまった。」


「いいの、血は水で落ちる。」

「簡単よ。」


つばに隠れて、顔は見えない。


「何処へ行くの?」

私たちは同時に質問をした。


「人に逢いに。」


そしてふたりで答えを言った。


タイルの床に、空気の壁。

真っ白に塗られたカトラリー。


ゆるやかな白昼夢。


心を取り戻すためにみる

明るい時間の夢。


その時、風が吹いて

建物から押し出された。


私は風を追いかける。


目が醒めると、

スプーンを片手に持って

甘くないヨーグルトを食べていた。


彼女にまた、逢えるだろうか。



信号のところで、見失ってしまった。

赤信号でも、かまわず進めばよかった。


わたしったらこんな時に

生真面目なんだから。


青に変わって、足を速めたけれど

どこへ行けばいいのか。


彼女のことで、知らないことは山程あった。

たとえば家族のこと。

小さな頃、どんな女の子だったのか。


時間をかけて、知りたかった。

少しずつ、家を建てるように。


急いて距離を縮めるよりも

その方が正確で、信じられる。


言葉の間を浮遊する

彼女の心の声を聴いた。


それらは、

水面にぱらぱらと撒かれた石の上を

ひとつずつ渡っていくようだ。


そこには彼女しかいない。


さびしいけれど、軽やかで

荷物がないぶん、遠くまで行ける。


彼女の世界に憧れた。


私は、独りになる手前でとまって

そこでじっとしている。


そろそろ私も踏み出す時だ。


これまでの時間はドームの様に

私を包んで、守ってくれている。


彼女と出逢って、

そんなことを思うようになった。



景都が好きそうな場所を

思いつくだけ巡って歩いた。


長い時間、足を動かしていた。


けれど、見つからなかった。

遠くに行ってしまったのだろうか。


途方にくれていると、

道の向こうにいる女性が立ち止まって

じっと私を見ているのに気づいた。


「瑠璃…さん?」


口がそう動いたようで、頷くと

彼女はやっぱり!と道を横切ってきた。


「景都から、写真見せてもらっていたの。

ふたりで公園に行ったときのだったかしら。」


うつくしい人だった。

魂が、清らかに脈を打っている。


「私、常盤美砂子といいます。

景都の所属している劇団の。」


名前の響きだけ、景都がみつかった。

足の力が抜けて、その場に座り込んでしまう。


彼女は驚いて笑い、私の手をとった。


柔らかい指先が触れて、すこしだけ涙がでた。



「落ちついた?」


近くだから、上がっておいでよ、

その言葉に甘えて、わたしは彼女の家にいた。


景都から彼女の話をよく聞いていたせいか

親しみやすく、安心できたのだ。


「今、お茶淹れるわね。」


レザー・ベージュのソファに

身体が沈んでいく。


彼女と、もう一人の女性の写真が

たくさん飾られている。


ひとつに調和して、絵のようなふたり。


「彼女は劇団の監督で、私の恋人なの。」


あ、言っちゃった。と

彼女は照れて目をつぶった。


「でもね、彼女といると本当に幸せだから

道ゆく人皆に言いふらしたいくらいよ。」


幸せな気持ちがうつってくる。

温かいハーブティーで、心もほぐれていく。


宙に浮いた気持ちが、胸のなかにやっと収まった。


「景都、ここに来ませんでしたか?」

片方の目から、涙がぽろっと出た。


「来てないけれど。何かあったの?」

彼女はそれを見逃さずに言った。


私は、しずかに語り始めた。

景都と初めて会ったときのこと

彼女が背を向けて去った時のこと。


最後に見た景都は、表情が分からない。

なびく髪だけ、残響のように

瞼のなかで、動いていた。


美砂子さんは言った。

「寂しかったのね。」

「言えないから、黙って逃げたりして。」


可愛い子。

そう呟くと、キッチンへ消えていった。


「もう、行きます。」


カップの中のグリーンを見つめて言った。


「行かせないわ。」

彼女はキッチンから顔を出した。


「景都を傷つけた罰よ。もう少し私とお喋りするの。」


いいえ、と言えなかった理由を

探す必要はないだろう。


瞳は鋭いピンの様に

私を留めて、離れられない。



「もしもし、牧?」


愛しい人の声がして、

私の全身は耳になる。


「今家に、景都のルームメイトが来ているの。」


彼女は声を落としていた。


「景都がいなくなったそうよ。

一人で探しているみたい、彼女とても疲れているの。

空回りになってしまいそうで、引き止めてる。」


自分を抑えられないことがあったのだろうか。

あの子は頑固でアンバランスで、誰かさんによく似ている。


「ねえ、思い出さない?」


私はふっと笑った。

昔を懐かしむなんて、私も随分変わったものだ。


「あの時私を見つけてくれたのは、あなただったわね。」


過去を振り返るのは、今の自分を殺すことだ、

そう考えていた頃もあった。


「私何と無くわかるの、彼女がどこにいるか。」

「だってあの子には、それしかないのだもの。」


見知った少女の横顔。

戯曲を書くことでしか、

生きていると感じられなかった。


「ええ、同じことを考えていたわ。」


彼女からもらった傘を、忘れてしまって

引き返していたから丁度いい。


「愛してる。」


彼女の肌も心も、傍に感じている。

恋とは、本当に不思議なものだ。


「わたしも、愛しているわ。」


電話を切って、真暗になる前の空を眺めた。

あの子も今頃、泣いているだろうか。



私達は向かいあって、暫く沈黙していた。


「景都、劇団ではどういう感じなんですか?」


美砂子さんの知っている景都を、

わたしも知りたくなったのだ。


「・・自我の強さと同じくらい臆病で、実は怖がり。」

「特に、人に対してそうだわ。」


「だから、独りの世界で踊るのかしら・・。」


彼女の舞う姿には

快い孤独があって、心地よかった。

そう言うと、彼女は微笑んで言った。


「あなたと彼女、似ているものね。」

「周りに対しての線の引き方が。

 独立していたいのね。」


テーブルを挟んで向かい合う景都の姿。

思い出したことがあった。


「心の性別、私にはあると思います。」

「わたし、自分が女である事実から

 心を離すことができないから。」


口が勝手にしゃべり続けた。


「性別の上に、心が植えられたのかしら。」

「私は女の心で生きてきて、そして・・。」


空白に言葉を繋いだのは彼女だ。


「愛を、見つけたのね。」


「相手は女性でしょう。」


驚いて、目を逸らせた。

彼女はすまなそうに言った。


「ごめんなさい、率直すぎたかしら。

 わかっちゃうのね、こういうことって。」


だから牧とのことも、自然に話してしまったのね。

独り言のように、彼女は言った。


「愛は、人にものを考えさせる。」


「どうして自分は女に生まれたのか。

 そして何故女性を愛するのか。」


「わたしにとってそれは自然なことだけれど

 世界は、色々なトリックで問いてくる。」


身体だって、女は男にはまるもの。

彼女はそう呟いて、カーテンを閉めた。


「けれど、拒絶しないで。

 女の心で、女性を愛することが

 あなたの命の、姿なら。」


きっとあなたの片割れは

何処かで待ってくれている。


言葉が、陽炎のように

ゆらめいていた。


熟れた果物に、刃物が入って

真実は紛れもなくそこにある。


血のついたハンカチの入った鞄で

あの人が行った場所。


扉の向こうにあるものは。




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