異世界と私。
おねぇさんは、語ります。
ゆきのドームは真っ白で、冷たい。
冷たいのに、寒くないとはこれいかに、と思いながらも、私は彼女の言葉をゆるりとまつ。
そうして、ひと呼吸がすんだ後、彼女は朗々と、歌うような美しい鳴き声で話し出した。
それは透き通った薄い氷を、すーっと丁寧になぞるような、そんな声だった。
ーーーーーーーーーー
世界は、その神によって創られた。
神は、火を巻き上げてどろどろにした塊で皿を形作り、水で冷やし、大地と海を創った。
生命の一つもなかった世界に、神は緑の種を撒き、緑は空を纏い、そこに意思あるものが生まれた。
意思あるものは海から大地に住み初め、やがて空を飛んだ。
神は、その意思有る者達を祝福して、暖かい光の恵みをもたらす太陽と、安らぎを与える月を与えた。
神は創った世界を見渡した。
意思有る者達はどれも完全とは言い難かったが、その神は不完全であることこそが美しいのだと、そう思っていたと言う。
しかし、神とは全なるもの。
神の管理する世界はあまりに完璧で、不完全な意思有る者達ですら、誰一人不満を抱くこともなく、幸せに暮らしたという。
それでは美しくない、とそう思った神は、考えた。
その末に、神は妖精の姉妹達を創った。
妖精たちは役割を持ち、それぞれの力を際限なく産み出し、世界を支えた。
妖精は、完全な存在ではない。
その不完全な存在に世界を管理させることで、世界の不完全な美しさを創り出そうとしたのだ。
神は、その妖精の姉妹たちに世界の行く末を任せた。
しかし、妖精たちは、思ったよりもままならぬ存在として産まれていた。
不完全を意識するがあまりに、幼く、自分勝手が過ぎたのだ。
姉妹であるにもかかわらず、好き嫌いが過ぎて世界に力が偏り、意思有る者達が大勢死んだ。
これでは行けないと、神は次に妖精を補助し、監視するものを創った。
それがドラゴンだ。
ドラゴン達は不完全ながらもその役割をこなし、世界は一応の安定を見せた。
こうして、この世界は不完全でありながらも、美しいものとなり、神は、ゆるりと天上にて、この世界の行く末を見守っておるだという。
それが、この世のあらましよ。
ーーーーーーーーー
「…へぇー」
思ったよりも興味のない声が出てしまったのは仕方のないことだろう。
…おねぇさん、ごめん、聞きたいのそこじゃない…。
でも、ま、どんな世界で、妖精がどんなやつか、っていうのはわかったから良しとしよう。
私は、知りたいことを尋ねるために顔を上げて彼女を見た。
「そうなんですね…。皿ってことはこの世界、平面なんですねぇ。世界の端とかどうなってるんです?」
「世界の端は海が流れ落ち、更に下の器に受け止められて、世界の中央よりまた上に吹き出しておるでな。
この間海のドラゴンが下の海を泳いでみたいと言うておちていったが、あそこは圏外らしい。ドラ伝が通じんでなどうなったのかわからぬままだ。」
「そ…そうですか…。」
それ、相当危ないんじゃ…てか、誰か止めて上げなくてよかったんですか、それ…。
そう思いながら、私は思い切って話題を変える。
「あ、そうです、ニクスについては何かご存知だったりします?」
若干不自然だけれど、許して欲しい。コミュ障なんだ。
でも、本当に知りたいのは実はそこだったりする。
元の世界に変えるためには、多分、ニクスのことを知らなければならないと思う。
ニクスに協力してるという、存在についても。
「ふむ、そうさな。
自分の住む大陸の妖精について知るのは良いことさな。
応、分かった。教えよう。」
お、良かった。
なんとか聞けそうだ、と私は胸をなでおろす。
「では、この大陸の妖精、ニクスについてだが...。
ニクスは雪の妖精で、姉妹達の末の妹のようだ。
性格は他の妖精の例に漏れず気まぐれで...そしてどの妖精よりも嫉妬深い。
ニクスはどの姉妹にも相手にされず、孤独な妖精だ。
特に一つ上の姉である月の妖精、 ルナとは特に仲が悪くての。
ルナの特性は常夜であるが故、日の光が届かず、ニクスは常冬であるが故、大陸を凍らせてしまうが故、双方なかなか花が咲かなんだ。
ルナは独善的な太陽の妖精、サンの力により月に光を宿し、ようやっと花を咲かせた。
一方、ニクスには手を差し伸べる妖精はおらなんだ。
二クスの特性は常冬。
冬は花達を死に追いやる危険な季節であるが故に嫌われたのだ。
誰にも相手にされなかった、ニクスの地は長らく不毛のものとなっておった。
しかし、つい500年前に、急に花があらわれた。
それが魔王、レン。
魔王は世界を震撼させ、海の中に暮らしていた私をこの雪原に住まわせ、ニクスの地に変化をもたらした。
その50年後、再び二クスの地に花が現れた。
それは天より遣わされたとされる、勇者、モモ。
人間の間では、勇者モモは熱の国カロルと、光の国ルクスのドラゴン、トルニトルスの馬鹿者の援助の元、仲間と共にニクスに住む魔王レンとこの私に挑み、打ち勝った。
その後、その自らの力を示すために、勇者は魔王城に住んだ、とされている。
…と、言うのは表向きでな。
実際の所は魔王蓮司と勇者桃香は同郷であったらしく、桃香は蓮司の罪を許し、匿い、この地にて元の世界へと帰る方法を共に探す為に魔王城に隠れ住んだのよ。
そう、その魔王城こそが今のニクス王城であり、今の王家の髪が黒いのは、祖が蓮司と桃香という異世界の人間の血が始まりであるせいだ。」
「はへぇ…」
なげェ。
頼むから纏めて三行で頼む。
…とは言わず、私は思わず気のぬけた炭酸の様な気持ちで声を上げる。
何ともなしに、この話は伝説に分類されるのだろうと、何処かで私は考える。
そっか、まぁ、そのレンさんとモモさんも、同郷でしかもひとつ屋根の下に住んでいれば愛し合いもするか、と簡単に片付け、爆発してしまえばいいと思うよ、と結論づけた。
(そこじゃない気もしたけど、まぁ、良いだろう。)
ともあれ、その人達が、北海道の人間なんだろう、と言うのは何となく予想が付いた。
「それから、ずっと、色々な人々が現れた。
この世界の人間とは魔力が違うでな、すぐにわかる。」
「魔力が違う?多いとかですか?」
私がそう言うと、彼女は横に首を振る。
からから、と氷柱のぶつかる音が鳴った。綺麗な音。
「否。いや、多い事には変わりないが。
異世界より呼ばれた人間は力を生み出す妖精の、強い加護を得ている故制限なく魔力を生み出す。
そも、この世界の人間...いや、動物たちには必ず魔力がある。」
私は内心、お、っと思った。
高橋さんは魔法を“イメージを具現化する”と説明していたが、それでは余りに漠然としていて腑に落ちない。
もっと詳しい情報があれば、もっと魔法を応用できる筈なのだ。
一を聞いて十を知るのは天才だけで、本来人間など、二十を聞いて漸く七くらいにたどり着き、二十を覚えるには後三回はそれを反芻しなければならないという生き物だ。
私は特に頭が悪い。
二十を聞いたところで三も理解できれば良いところ。
だから、私は他の人が二十聞くところを、三十、四十聞いて漸く一人前の知識に追いつくのだ。
その為にも、情報は多いに越したことはない。
私は息を呑んで話の行く末を聞き入った。
「これは、人間達で言えばこれを魔法と名付ける前より“呪い”などと呼んでいた物にあたる。
...しかし、本来はその性格や性質を、魔力による属性や特性などで具体的に表すことで、異なる性質の異性を探し、種の多様性を広げるために、無意識に異性へのアプローチをするためのものだ。」
へ?と、私は思わず声をあげた。
イセイニあっぷろち?
なにそれ、爆発するの?ニトログリセンなの?と私が目を丸くすると、彼女は私が理解できていないのがわかったらしい。
言葉をさらに重ねてくれた。
「簡単に言うと、より良いつがいを探しやすくする物なのだが...。
ううむ、まぁ、それはさて置き、それを鍛え応用することにより妖精に働きかけ、氷や炎を操るのだ。」
あぁ、なんとまぁ。
私はポカンとした。
しかし、理解できなかったわけではない。
それが確実であるかどうかを問うため、私は彼女を見上げた。
「えーっと、魔力の性質の違う人と結婚することで、色んなパターンの人が生まれるので、環境に対応できる可能性を増やして、その種族が絶滅しないようにする働きをしてる、って事ですよね?」
「ほほう、理解していたか。賢いの。」
いや、賢いんではなく、単純に似たような話をいくつか知っていただけだ。
より優れた異性を探す手段というのは動物にとっては割と良くある話で、それが孔雀の羽だったり、ホーホケキョだったり、求愛のダンスだったりするわけだけれど...
人間にも実は似たようなモノがあるのだという。
具体的に言うとある種の抵抗力とか、免疫力とかが違う人と子供作ると、その両方の可能性を受け継いだ子供は生き残る可能性が広がるとかそういうものだ。
パパが臭い。という年頃の娘は、つまりは遺伝子が近いかららしい。
いや、テレビ知識だからホントかどうかはさっぱりだが。
...詰まる話が魔力って...。
「...全生物共通の、異性を誘うためのホルモン...。」
「?」
こう聞くと、なんとなく現実的だ...。
こう、魔力!ってきくと凄い神秘的なのに...異性を誘うためのホルモンておま...
そう、私が悶々としていると、また氷柱がぶつかる音を立てて、おねぇさんは小首を傾げていた。
「あ、いえなんでもないです。」
「おまえは本当にようわからんことを話すのう。」
そう言って、おねぇさんは少し腕を組むような素振り(多分)をして、すぐに気を取直して続けてくれた。
「そう、故に魔力とは本来はその人そのものを表すものだ。
この世界の人間が使う魔法とは、魔力を持って様々な妖精と同調し、世界に変化をもたらす。
しかし、その妖精たちには好みがあり、相性が悪いと力を借りる事が出来ない。
例えば、大人しいものや、思慮深いもの、または慈悲深いものや加護欲の強いものと言ったものは概ね海の妖精ステラマリスと相性が良い。
だが逆に激しい性格を好む...例えば熱の妖精カロルや光の妖精ルクスとは相性が悪い。
つまり、大人しく、加護欲の強いものは水の魔法を得意とするが、炎や雷は苦手だ。」
「へー」
つまり、割と妖精次第な訳だ。
というか、まさかホルモンで妖精誘うのか?そういうものなのか?そんなに俗的でいいのか魔法。
しっかし、だとすると、“イメージを具現化する”っていうのはなんの妖精なんだろう?
それとも何?もしかして高橋さんって妖精にモテモテなの?リア充なの?爆発するの?
そう思考が迷走して居ると、おねぇさんは首を振った。
…なんと、高橋さんはリア充ではないらしい(迷走中)
「...しかし、別の世界から来た、お前達はまた違う。」
「...へ?」
なる程、確かに私もリア充ではない。
…じゃない、そろそろ帰らないと理解できなくなりそうなので思考を一旦ぶった切る。
「...妖精達は、その魔力により、世界を作っていると言って過言ではない。
我々ドラゴンはその生み出されたものを整えているに過ぎぬ。
世界を作ることができるのは、妖精だけだ。
しかし、その妖精と同じように魔力が湧き出るとあれば...」
「...世界を、作れる?」
「応。正に、そのとおりである。
その力と望みがあり、それが性質に合ったものであれば物質すら生み出せよう。...そう。
例えるならば、あの魔王城...。
魔王、レンが、魔力によって築き上げ、勇者モモが魔力によって改装した。
アレが良い例であろう。
他にも、レンは魔物を作り、世に放ち、世界の生態系に大きな変化を与えた。
無尽蔵な魔力とは、相性が良ければそのようなことも出来るのだ。
しかし、中には上手く物を作りだすことが出来ず、自らの身体を作り変えた挙句、命を燃やし尽くした者もいた。
太陽の獣と呼ばれるこの世界の信仰の対象になった獅子の娘も、元は人間だったと聞く。
まさに、この世界に来たばかりの異世のもの達は正体の決まらぬ妖精のようなものだ。
…いや、この世界に馴染むに連れて、その魂は徐々に妖精に近くなる。
我はそれを個人的に“精霊化”とよんでいる。
精霊化した人間は、死した後もこの世界を巡り、生まれ変われば特別な人間となる事もあるし、また、太陽の獣の様に何かに宿って全てを見守る様な存在になることも有る。
…馴染み方によっては、レンの様に死することもせずにとどまりもするがな。」
何と言うことだ。
精霊化しちゃうとこの世界で死んでも大変な思いをするらしい。
おばあちゃんが言っていたけれど、人間は死んだ後の方が大変らしい、と言うのは事実だった、ということか!
…なんか違う気もする。
「まぁ、精霊化を拒んだが故に、元の世界に帰ったものもおったらしいがの。」
「なんと!」
精霊化しないようにすると、帰れるらしいですよ!!高橋さん!!
「か、帰れたんですか!」
「う、うむ、そのものはこの世界に馴染む前にこの世界を去った...らしいぞ?
ニクスが大層悔しがっておったからの、よう覚えておる。
狐が近すぎるがどうの、とか、くれる気が有るのならもう少し離れて見ていろ、だのと喚いておったかの。
我には良うわからぬことではあったが。」
きつね。
その言葉には聞き覚えが有る。
そうだ、今日の夢。
アレが、きっとニクスだったのだろう。
そして、彼女は言ったのだ。
“貴方のしたいことがわからない”と。
したいことがわからない、等と言われても私は困ってしまうのだけれど、逆に言えば…そう、わかったら“彼女はどうするつもりだったのか?”
「あの、」
「何ぞ?」
私は彼女を見上げた。
彼女は相変わらず綺麗で、ころころと細やかな氷柱を鳴らしている。
「精霊化した人間は、大きな力を使って居ましたか?」
「応。そうさな、言われてみればそうだ。
大きな力を使うたびに妖精のような匂いがするようになった気がするな。…それがどうかしたのか?」
「あー…いえ、やっぱりそうかと思って。」
なるほどな、と思う。
だから、彼女は召喚した人間に力を与えて、それを使わせるのだ。
私はドラゴンにはなっているけど、精霊化するほどまでには魔力を使っては居ない。
せいぜいさっき、姿を変えた程度だ。
どれくらいが精霊化に繋がるのかはわからないけれど、物を作り出したり、ガンガン魔法を使ったりしなければ大丈夫なのだろう。
なにせ、私は既に一度、身体を作り変えているのだから。
それですら、精霊化には届かないとすれば、…恐らくチェンジくらいなら大丈夫…だと思いたい。
(多分。乱用しなければいけると思う。)
それに、もう一ついいことが聞けた。
狐の事だ。
「…それと、狐に似た、もしくは狐に関する妖精、神様はこの世界には居ますか?」
「???いや、妖精は妖精だが…狐、ふぅむ…狐の形を模した魔物ならおるがのう…。」
そうですか、ありがとうございます。と私はお礼を言う。
そして私は、少しの希望と、やはり難しいのでは、と言う思いが駆け巡る。
狐。
これは先の伝説にも、妖精の話にも出てこなかったものだ。
それなのに、事、ニクスの口からはそれがしばしば飛び出す。
つまり、協力者の通称は狐で間違いはない。
そして、狐はおそらくは私の世界の存在だ。
何故なら、そうでなければ不自然であるから。
神様や神話にそういった手順が必要か、と言われればそれもまた、甚だ疑問ではあるけれど、それでも“花”であるなら、可能性は少なくはないはずだ。
(狐は、種類にもよるけれど確か豊穣に関わる瑞獣の類がいたはずだ。理由はわからないけれど、多分。)
ならば、狐に似た存在が…ニクス曰く私の側にいるはずだ。
それを見つけて、返して欲しいと頼めば、もしかしたら、万に一つは可能性はある。
しかし、これには問題も有る。
狐は、基本的には非常に狡猾な存在として描かれることが多い。
例えば同じ化ける生き物でも、猫は割と化けるのは程々、と言った感じで、逆に狸は化ける生き物の中でもとても化ける能力が高いらしい。
しかし、狸は化かす能力が高いとはいえ、少し間の抜けた所が有る故、バレてしまう事も多い。
しかして狐は、狸程は術は長けていなくても、その狡猾さで人を巧みに騙すのだという。
つまり、彼らの正体を、見抜けなくてはアウトなのだ。
(高橋さんと、話をしよう。…それしか無い。)
私はそう思いながら、彼女に、改めて礼をした。
「…本当にありがとうございます!
沢山勉強になりました!お陰でなんとかなりそうです!」
「ふむ、役に立てたならば幸いよ。
また、いつでも訪ねるが良い。我はこの雪原におるでな。
我が名は、グラツィアス。氷のドラゴンだ。
そなたが名は…いや、尋ねずにおこう。元の世界に、帰られるとよいの。」
「…!」
彼女…グラツィアスさんは、静かに微笑んだ。
その優しさに、私は温かくなって、泣きそうになる。
「…ありがとう、ございます。」
私は、その優しさに応えるだけの語呂を持っていなくて、たった一言しか返せなかった。
それでも、どうにかこの心を伝えたくて、私は丁寧に頭を下げた。
この首の長さで、礼がしにくいと思ったのは初めてだった。
初めて、首の重さを感じながら、頭をゆっくりと上げた。
そうして見上げた彼女は、純粋な氷の様な冷たさではなく、微生物達を内包した、命ある氷のドラゴンなのだと、私は思った。
それに、意味なんて無いけれど…それでも、そんな気がしたのだ。




