2 ☆2
よーく目を凝らすと、庭で笑顔の柔らかい青年が手を振っていた。オレンジ色のふんわりした髪になかなかがっしりした体つきをしている。なかなか誠実そうな妖精だ、と思った。
隠れているつもりなのか、少し離れた茂みの奥から小さな妖精が何人かこっちを見上げている。5歳くらい?。
なんだか愛らしい妖精さんの卵に微笑みつつ手を振り返し、ポンっとほうきを仕舞うと、そのまま浮遊魔方陣でシャルロットは手入れされた庭に舞い降りた。以前にはなかった果樹や野菜の畑がみえる。
「はじめまして、シャルロット・ブーケです」
「お目にかかれて光栄です、ベルナーと申します。お住まいだった頃からかなり変わっているので驚かれたでしょう?」
庭だけでなく、屋敷もかなり増築が進んでいて、迷ってしまいそうになるほど大きくなっていた。隣には教室なのか大きな黒板のようなボードのある別棟がある。
お茶の用意ができていますので、と案内され、屋敷に入ると見慣れた廊下を歩いた。
「とても居心地の良いお屋敷なので、なるべく手を加えないようにとは思っているんですよ。私もこの学園の卒業生の一人ですから。
ただ、最近は親の希望でこの学園に通いたいという妖精も増えているので」
隣町に、アカデミー受験のための塾もあるのですが、詰め込み型の勉強に脱落してしまう子もいる。
「私は、そういうことよりまず自分で考えて行動できる妖精になってもらいたいと思っています」
だから寮制にして生活することの難しさを学んでもらう。
そうなると当然部屋がたくさんいるわけで……
ベルナーは「勝手に改築してすみません」と苦笑した。
「気にしないで。もうここは私の手元を離れているんだから」
それに、家も大切にされているのがよく分かる。
喜んで使ってくれる人に住んでもらったほうが、この家も幸せだろう。
ふっと視線を横に流すと、ぴょこと小さな妖精さんがこちらを覗いている。
小さく手を振ると、ぱあああっと嬉しそうな顔をして手を振り返してくれた。目の下にほくろがある元気そうな男の子。すぐに横から目のくりっとした茶色の髪の女の子が襟をひっつかんでひっぱっていく。
「すみません。言い聞かせたんですけど、みんなブーケ様に前々から憧れを持ってまして……」
可愛いですねと口に出すと、ベルナーはすまなそうに頭の後ろをかいた。
「どうぞこちらへお入りください」
ベルナーに通された部屋はこじんまりした書斎だった。渋いグリーンの小さなじゅうたんに、しっかりとした樫の本棚。すわり心地のよさそうな椅子と机が置かれたそこは、昔シャルロットの父親が応接室としても使っていたところだった。
外には良くのびた大きな樹が生い茂っていて、木漏れ日がとても気持ちいい。
「あの子はきっと良き学園長だったのね」
実はとても優しいのに、眉間にしわを寄せて、言葉が足りずに上手く感情を伝えられなくて誤解されてしまっていた昔の助手の顔がふっと浮かんだ。風邪をひいて喉を腫らしたとき、蜂蜜入りの温めたミルクをもってきてくれたことを思い出す。
長い間一緒にいたけれど、思い出すのは最初の頃の姿だ。
案の定、ベルナーは「あの……子……ですか」と、驚きを隠せないようだったが、なんのことはない。私の方が年上なのだから。
確かに、学園長室の壁に飾られているナイスミドルなおじさんの姿を見れば、どう見ても娘くらいの年齢にしか見えない彼女の口から聞くと不思議な気持ちになるのは仕方ないだろう。
「私は今、学園長代理をさせていただいています。
本来であれば、成績優秀な私の同期が学園長になるはずだったのですが、どうしてもあきらめられない夢があると飛び出していってしまって」
ちょうど良い頃合いを見計らい、慣れた手つきで紅茶を淹れながら、動揺を綺麗に押し隠してベルナーは机から箱を取り出した。青年の手にすっぽり収まっていたそれを、そっとシャルロットは手のひらの上にのせて受け取る。
外から見ると何の変哲もないただの小さな箱。しかし、よく目を凝らしてみると細かい細工がしてあって……とても可愛らしい妖精の女の子の彫り物が施されていた。
小さなとんがり帽子をかぶって、ほうきを持っている……少しピンクっぽく見えるのは、これが桜の木で出来ているからなのだろうけれど、もしかして、これって……
「ブーケ様をイメージして学長が箱を組み立てて、奥さんがその彫り物をされたのだそうです」
かすかに温かみを感じるのはきっと心を込めて作られたからだろう。
悪意を退ける魔法や幸せな夢が見られる小さな魔法が幾重にもかけられていた。ひたすらに、この箱の所有者が幸せであるよう、心休まるようにと願いをかけてくれたのが伝わってくる。
別れを多く経験してきた身だけれど、何度経験しても大好きな人との別れはつらかった。しかし、不器用だったあの子が、優しい奥さんに恵まれて幸せだったことは、この箱に込められた魔力の質でよく分かる。
奥さんにお礼を言いたい、そう申し出ると、今は疲れがたまって病院で休養しているが、しばらくしたら村の方の塾にいるはずだからと教えられた。
――今度邪魔でなければ会いに行こう。
そう心に決めて、シャルロットは箱をそっと開けてみる。ふんわりと空気を含むように張られた布の中心に、小さな手紙がはさまっているのが目に入った。
けれども開けようとした瞬間、違和感を感じて窓の外を見れば!
折れそうな木の枝にしがみついて窓に張り付いている妖精が!
「あ!危ないっ!」
慌てて叫ぶ声と、茶色のふわふわの髪の毛の妖精と黒髪のきりっとした目の妖精が気づかれたことにびっくりしたのか、足を滑らせる。
「「あ」」と小さく叫ぶ声2つと、
「ファミィ!シック!????」
窓に駆け寄るベルナーの声が重なり、
「「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!」」
それはもうありったけの力を込めた悲鳴が響きわたる。
ぎゃーーー!ってこっちのほうだ!と慌てるベルナーの横から、シャルロットが窓を勢い良く開けて身を乗り出し、黒髪の妖精の手を掴み茶色の髪の妖精を浮遊魔法で浮き上がらせた。
「し……心臓が飛び出るかと思ったよおおぅ」
「ふええぇ」
まだガクガクと震える二人を、ベルナーの助けを借りて部屋の中に入れる。
「だめだろう?。浮遊呪文も使えないのに木に登ったりしたら。
おまけに人の話を盗み聞きするのもよくないな」
口調は優しいけれどもしっかり注意する姿は、さすがに学園長代理だ。二人はすぐに「ごめんなさい」と謝った。黒髪の妖精のほうは「俺は止めに来たのに……」とその後うなだれたのだが。
「あれっ。ワンドは落っこちなかったの?」
茶色の髪の妖精がけろっとして窓の外を見ると、ひょっこり短く刈りそろえた赤髪の妖精が、逆さづりのまま木をよじよじと下りて来て・・・茂みの奥から「しっ!気がつかれちゃうでしょ」と別の声も聞こえてくる。
「……ワンド、ツンドラお前たちまで」
ベルナーが呆れながら手招きすると、木の上に残っていた2人も渋々窓から部屋に入ってきた。
「大変ですねぇ」
元気いっぱいの妖精さんがそろっているみたいで。
シャルロットが思わずニコッと笑うと、学園長代理と盗み聞きで現行犯逮捕された4人の妖精さんは皆頬をポッと染めてしまった。