君がくれた風
「二人だけの言葉」にて。
主人公の友人視点の話です。
「涼しいね」
友人は言った。
「何言ってんの、超暑いでしょ」
私は言った。
すると、「涼しいの」と友人はもう一度言った。
「暑すぎて、頭おかしくなったんじゃないの?」
じりじりと照りつけ、まるで引っ込む気のない太陽に苛立ちながら、私は言った。
彼女はいつもそうだ。
たとえ暑かろうと寒かろうと、決して「暑い」「寒い」とは言わない。
「涼しい」「暖かい」と言うのだ。
暖かいはともかく、こんな暑い日に「涼しい」はない。
暑がりの私からすれば、到底ありえない言葉だった。
本当に頭がおかしいのではないか、そう思ってしまうくらいには。
なんて、これが彼女の通常運転。
確か、昔憧れた映画の主人公の台詞何だと、前に話していた。
だけど、私が「アイス食べたい」と言った時、彼女が頷いたのを私は見逃さなかった。
……素直に言えばいいのに。
でも、言わないのが彼女。だから、話題を変えた。
「最近彼氏からの返事が遅いんだよね」
咄嗟に口をついて出た言葉だった。私はすぐに後悔した。だから、また話題を変えた。
「そっちは?彼氏できた?」
分かりきった質問だった。
彼女は恋愛に全く興味がない。
それでも聞いてしまう。
恋バナが好きだから。
友達と恋バナがしたいから。
なのに……。
「できてない。ていうか別にいなくていいかな」
これだ。全く理解できない。
恋愛、恋人。一度は憧れないのだろうか。……いや、正直私も思い描いていた恋愛とは違うことばかりだけど……。
そんなことより、彼女だ。
彼女は確かに変わっているけど、美人でスタイルも良い。頭も良くて、元バレーボール部だから運動神経も抜群。モテる要素を全部集めたような人だ。
……そうだ。彼女自身が興味なくても、いるはず。彼女のことを好きだと言う人が。
そう思って私は、本気半分、冗談半分で、案外身近な人に告白されるかもしれない、と彼女に言った。
まさか、本当に告白されるとは。
しかも相手があの、バスケ部のエースだなんて。
全く想像もしていなかった。
――
昨夜。
私はベッドに仰向けになり、顔の上に掲げた携帯を眉間にしわを寄せたまま見つめていた。
……いつ来んの、これ。
……
全然来ない。
もう無理。耐えられない。
そう思って、送った。
別れよう。
待たせる人とは付き合えない。
それだけ送ると、私はそのまま眠りについた。
朝起きると、一件の着信が残っていた。
ベッドの上でその通知をぼんやりと眺めていると、突然携帯が震えた。
思わず目を見開く。
今?
驚きを抱えたまま、私は慌てて通話ボタンを押した。
「はい」
「……もしもし?昨日はごめん。すぐ返せなくて」
いつものことじゃん。そう言いたかったけど、小さく震えた彼の声を聞いていると、その言葉は喉の奥へ引っ込んだ。
「今日話せる?昼休み、そっち行くから」
「……わかった」
「ありがとう」
――
……って、昼休みもうすぐじゃん。
あー、なんで同じクラスじゃないんだろ。
今朝の友人との何気ない会話を思い返しながら、私はため息をついた。
昼食の弁当には一口も手を付けず、私は教室の隅で、一人机に突っ伏した。
私はいわゆる、女子から嫌われる女子だ。
小学生の頃から、色んな人に告白されてきた。それが、友達の好きな人であることが多かった。
そのたびに目の敵にされ、いつしか女子とは距離を置くようになった。
高校生になってからも、それは変わらなかった。
そんな高校一年の春。初めて席替えをした日。
前の席になった一人の女子生徒が、私に声をかけてきた。
「それ、いいね」
「ん?どれ?」
「それ」
そう言って彼女が指さしたのは、私がいつも肌身離さず持っている手持ち扇風機だった。
私は生粋の暑がりで、春でさえこれを持っていないと耐えられなかった。
「私も買おうかな」
「最近暑いもんね」
私がそう言うと、彼女は黙り込んだ。
何でだろうと思っていると、不意におかしなことを口にした。
「涼しいけど、欲しいものは欲しい、かな」
意味わからないことを言う人。それが彼女の第一印象だった。でも、それから話すことが増えて、彼女の言動を面白いと思うようになった。
そして私は、高校生になってから初めての告白をされた。
前はクラスメイトの目が気になって、告白を受け入れることはできなかった。
でも、友達ができた今、そんな必要もない。
恋人が欲しい。映画やドラマのようなドキドキする恋愛をしてみたい。
私は、人生で初めての彼氏ができた。
……だけど。
「ごめん。私たち別れよう」
「え、どうして?」
「……価値観が、合わないなって思ったの」
「どんなところ?」
そういうところ、って言いたかったけど、本当の理由は距離感だった。
毎日「好き」と言い合い、手を繋いだり、抱きしめ合ったり。
なんていうか、そういうのが無理だった。
生理的に。
映画やドラマで見るような恋人同士の距離感は、私には向いていないんだと思った。
憧れていたのは恋人らしいことではなく、恋人という存在だったんだ、と私は気づいた。
そもそも私は、この人のことを好きではないのかもしれないとも思った。
でも、どれだけかっこいい人でも、良い人でも、いつだって別れの理由は、距離感だった。
「私、恋愛向いてないのかも」
友人と帰る道で、私は思わず言った。
「え?」
困惑していた。それもそう。彼女が恋愛に興味が無いのを知っていたから、これまで恋愛に関する相談をしたことは一度もなかった。
「向いてないとかそういうのはよくわかんないけど……」
あー、気遣わせちゃってる。
「誰にだって向き不向きはあるし、いっぱい経験してそう思ったのなら、そうなのかな……」
ごもっとも。
「でもさ、もう一回、今度は今までと違う形で誰かと恋愛したら……何か変わるんじゃない?」
「え?」
「もし同じことが続いてるなら……少しやり方を変えてみるのもありなんじゃないかな。今までとは全然違うタイプの人と付き合うとか……自分から告白してみるとか」
彼女は恋愛をしたことがない。
じゃあ、どうしてここまで具体的な助言ができるのか。
きっと彼女は、自分の経験を恋愛に置き換えているんだ、と私は思った。
部活とか、勉強とか。
そういうところで培った経験を、私にも伝わるように話してくれたんだ。
後ろ向きなことを決して言わない彼女は、そうやって前を向いてきたんだと、その日私は知った。
ただの変な人だと思っていた。でも、その考え方は誰よりも真っ直ぐだった。
私にとって、その助言は本当に大きいものだった。
「好きです。私と付き合ってください」
高校二年生。
私は人生で初めて、告白をした。
……うわ、こんなに緊張するんだ。
みんなすごいな。
私は震える手を抑えようと、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。
「はい。お願いします」
その言葉が聞こえてきた瞬間、飛び上がりそうなくらい嬉しかった。
それでもぐっと堪えて、小さく「ありがとう」と笑った。
「私、友達みたいな恋人になりたいの」
付き合ってすぐ、私は言った。
最近、クラスに恋人が増えてきた。
手を繋いだり抱きついたりするわけでもなく、ただ隣で楽しそうに笑い合っている。
そんな姿を見て、ああいう関係がいいなと思った。
「うん。俺もそっちの方がいい」
彼は低い声でそう言った。
彼は野球部だった。部活で放課後は一緒にいられなかったけど、隣のクラスだから昼休みはほとんど彼のクラスへ行った。
……でも、全然話さないんだよな、この人。
かっこよくて、頭が良くて、運動神経抜群。
こんがり焼けた肌、短い髪、がっしりとした体型、真面目な性格。
好きな箇所を上げると、無限に出てくる。
体育の授業で同じグループになったとき、うちの学校にこんな人がいたんだ、と私は彼に一目惚れをした。今まで付き合った人とはまるで違う、独特な空気感。掴めそうで掴めないその空気感に、私はどうしようもなく惹かれている。
ただ一つ。
……こんなに会話が続かないなんて。クールなところに惹かれたのはあるけど、まさかここまでとは。
……何かないかな。そうだ。
「あのさ、メールってする?」
面と向かっては話さない人でも、メールなら案外話してくれることがある。そう思って、提案した。
「うん」
「じゃあ交換しない?そしたら家に帰ってからも連絡取れるし」
そうして私たちはメールという新しい会話の手段を手に入れた。
これならもっと彼と話せるかも。そう期待していた。
こんばんは。
今日は交換してくれてありがとう!
これからここでもいっぱい話そうね。
送信っと。
……これでいいんだよね。
……
……
え?もしかして違った?
三時間経っても返事が来ない。ここまで返事が遅い人は初めてだった。
……いや、忙しいだけ。もう少し経ったら来るはず。そうだお風呂に入ろう。
お風呂から出て、私はすぐに携帯を手に取った。
返事きてる!
こんばんは。
こちらこそありがとう。
うん。よろしく。
実際に話している時と全く変わらない。それがすごく嬉しくて、声は聞こえないはずなのに、あの低い声が聞こえてくるような、不思議な感覚だった。
次の日も、その次の日も、私はメールを送った。
返事は数時間かかることが多かったけど、彼が忙しいことを知っていたから、あれからは気にしないようにしていた。
付き合って三週間が経つ頃までは。
……遅い。
寝る前に携帯を見るといつも必ず来ていたのに。
その日は全然来なかった。
朝起きると、ようやく返事が来ていた。
だけど次の日は、朝起きても通知は来ていなかった。
昨日の夕方六時に送ったメールが、返ってきたのは次の日の夕方六時を過ぎてからだった。
もう限界だった。面と向かってもあまり話せない。メールでも話せない。
これ、付き合ってる意味ある?
私はメールで別れを告げた。
そしたら、話したいと……。
嫌だ。とても嫌。
会ってしまったら、メールにした意味がない。
あの声を聞いてしまったら、あの顔を見てしまったら、間違いなく私の心は揺らぐ。
そんなこんな考えていると、時刻は昼休みになっていた。
クラスメイトが、私の名前を呼んだ。
あー、行きたくない。
だってあの顔面だよ。反則だよ。
あの顔を目の前にされたら、私もう無理だよ。
もう一度、クラスメイトは私の名前を呼んだ。
……行くしかないか。
私は重い腰を上げた。
教室の扉へ向かうと、そこには高身長で綺麗な顔立ちの彼が立っていた。
その顔を見た瞬間から、私は悟った。
無理だこれ。
そもそも彼から来てくれるのは初めてで、今嬉しい感情が込み上げてきているのだ。無理に決まっている。
「昨日はごめん」
静かな声。
その声を聞いて、少し思考が落ち着いた。
「俺……」
ちょっとまって。
「昨日だけ?」
「え?」
「最近ずっとだよ、返事遅いの」
「……それもごめん」
うん。それでいい。
「俺、女子とメールしたことなくて、なんて返したらいいかわからなくて……」
え?何それ。
「何か一言、スタンプでもなんでもいいの。全然既読つかないし、返ってこないのが一番嫌」
「……ごめん」
「前は返してくれてたじゃん。なんで?」
「……緊張しちゃって」
意味わかんない。
「……誤解させちゃったらごめん」
彼は少し照れくさそうに言った。
「告白してくれた時、嬉しかった。でも、あの時俺、本当に好きじゃなかった」
「は?」
「最近、全然集中できなくて。
勉強も、部活も。
……君のことばっかり考えちゃって」
え?まって。
「いっぱい話してくれるところとか、よく笑うところとか、友達想いなところとか、本当に……」
「まった!」
これ以上は私の身が持たない。
「わかった。わかったから」
繰り返す私に、彼はそっと袋を差し出してきた。
「え、どうしたのこれ」
「今日、付き合って一ヶ月だから」
……覚えててくれたんだ。
中を見ると、そこには私にとって欠かせないものが入っていた。
「この間壊れたって言ってたし、いるかなって思って」
無愛想だし。
何考えてるかわかんないし。
全然話題振ってくれないし。
返事は遅いし。
でも、今、そんな彼のことが、どうしようもなく愛おしく思えた。
「ありがとう……え、これ折りたたみ式!?」
「便利かなって」
「最高だよ!ありがとう!」
私のために一生懸命選んでくれたんだ。
どうしよう。私今、すっごく幸せだ。
……私も後で何か買わないと。
今日が一ヶ月だって、すっかり忘れていた。
いや、元々は彼のせいだ。うん。仕方ない。
それより今は、この幸せを噛み締めよう。
「あ、そういえばこれ友達も欲しがってたんだけど、お揃いにしたいからどこで買ったか教えてくれる?」
「確か……」
その日。
一つの恋が始まるその裏で、終わりかけていた恋にも、やさしい風が吹いていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




