表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

純黒に沈む

作者: Yoi

 それは、とても暑い夏に突然迷い込んだ、非日常的な出来事だった。


 その日はとても暑く、照りつける日差しは、肌を突き刺し、焼き焦がすようだった。


 空を見上げれば、青々とした空に、太陽の光を遮るには、あまりにも頼りない薄雲が漂っていた。


 正午を過ぎた町に人影はなく、夏の不気味な静けさを纏った景色の中、逆光に沈んで黒く染まった電柱が、妙に目についた。


 左手に持ったコンビニ袋に、先ほど購入したアイスが入っているが、おそらく溶け始めているだろう。


 そんななんでもない日常が一変したのは、ボロ臭いアパートに辿り着き、郵便ポストを覗いた時だった。


 いつもの広告や、おそらく重要である郵便物に紛れ、見慣れない茶色い無地の封筒が入っていた。

 不思議に思い手に取ってみても、差出人の名前はおろか、宛名すら書かれていなかった。


 何かの悪戯か詐欺か、とにかく心当たりはなかったが、僕はそれを部屋に持ち帰り、中身を開けて、確かめてみることにした。



 拝啓

 初めまして。突然のお手紙に、きっと驚かれたことでしょう。

 どうか安心してください。私があなたを知ることはありませんし、あなたが私を知ることもありません。

 ただ、胸の奥で巡り続けるこのどうしようもない気持ちを、誰かに聞いて欲しくて手紙を書いています。

 これから綴る言葉は、映画や小説の一節のような、そんなささやかな物語だと思っていただいて構いません。

 どうかただの戯言として、軽く読み流していただけたら幸いです。



 それはとても暑い夏に突然迷い込んだ、非日常的な出来事だった。


 その日はとても暑く、窓から差し込む日差しは、冷房の効いていない教室にいる僕たちを、蒸しているようだった。


 座っているだけでも脇に汗が滲み、ふと窓から見上げた空は青く、山の向こうに大きな積乱雲が聳え立ち、夏を鮮やかに彩っていた。


 窓辺に視線を移したせいで、空いている石川の席が目に入った。

 彼が学校に来なくなってから、一週間が経つ。


 石川は、入学式の時に仲良くなった、最初の友達だった。

 見た目は男の割にふわふわしていて、頼りなく見えがちだったが、優しく穏やかな性格に、僕は不思議と惹かれていった。


 登下校は家が近かったため、一緒にすることが多く、放課後は日が暮れるまで互いの家でよく遊んだ。

 彼の両親は共働きで、小学生の妹の世話をしないといけなかったため、遅くまで遊ぶことはなかったが、彼の作った晩御飯を、彼の妹のみかちゃんと一緒に、三人で食べることはよくあった。


 つい一週間前までは、そんな日が続いていたのに、急に連絡が取れなくなったと思ったら、学校にも来なくなってしまった。


 一体どうしてしまったんだろう。


 午後の授業が終わり、その日も一人で帰路に着いた。


 夕陽が僕の顔を寂しく照らす。


 何かあったとしても、僕に相談できないくらいの事なのだろうか。

 それでも少しくらいは、頼ってくれてもいいんじゃないか。


 俯きながら、いろんな考えが頭の中を駆け巡る。

 そうして歩いているうちに、石川の家が近づいてきた。


 どうせ行ったって、誰も出てきやしない。

 そう思って前を通り過ぎようとした時、二階の部屋の明かりが、ぱっとついた。


「あっ」思わず声が漏れ出した。


 頭よりも先に体が動くとは、こういう事なのだろう。

 気づけば、僕は石川の家のインターホンを鳴らしていた。


 ゆっくりと扉が開く。


 そして覗いた石川の顔に、僕は驚いた。

 驚いたというよりは、彼だとは気づかなかった。


 以前よりも痩せた顔に、目の下にできた大きな隈、そして、あの穏やかさは一体どこにいったのか、僕を見る彼の表情は、別人のように変わり果てていた。


「……久しぶり。元気してたか?」何か話さなければと思い、とりあえず言葉を発した。


 僕を見つめたまま、彼はしばらく言葉を話さなかった。

 その黒い瞳に耐えきれず、目を逸らそうとした時、彼はゆっくりと口を開いた。


「妹が、自殺したんだ」


 時が止まった。

 いや、僕の思考が停止した。


 彼が何を言ったのか、分からなかった。


「妹は、いじめに遭ってたんだ」


「みかちゃんが……?」信じられなかった。


 僕は戸惑いながらも、頭の中を整理しようと必死になった。


 そして俯いた先に見えた、彼が右手に持っていた物に目を疑った。


「それは……?」恐る恐る尋ねた。


 彼の右手にあったのは、ハンマーやナイフなど、サスペンスドラマに出てくるような、物騒な凶器ばかりだった。


「ああ、殺しに行くんだよ」冷たく凍りつくような声色で、彼は淡々と言葉を発した。


「ダメだよ……」震える手を強く握った。


「なんで?」


「殺しちゃダメだ!」勇気を出して、正義の言葉を口に出す。


「妹は殺されたのに?」


「っ……」僕は言葉に詰まった。


 なんて言い返せばいいか分からなかった。


「なあ、どうしようもない奴らなんて山ほどいるよ。人が傷ついているのに気づかない奴。自分が人を追い詰めていることに気づかない奴。そんな憎い奴らがいる世界、僕は生きたいとも、死にたいとも思わない。ただただ殺してやりたい。今はもう、それだけなんだ」


 そう言って、彼は家に戻った。


 玄関先に取り残された僕には、彼の最後の言葉と、怒りの中に紛れた少し寂しげな彼の声色、そして、夕日の中に響く蝉の鳴き声だけが残った。


 

 私は彼を止めたかったのでしょうか。止めることができたのでしょうか。けれど、彼の言葉が間違っていたとは、どうしても思えないのです。

 明日、私の友達は、犯罪者になるかもしれません。取り返しのつかない大罪を犯すかもしれません。それでも私は、彼を悪人だとは思いたくないのです。

 復讐は復讐を生むだけでしょうか。

 黒に塗れた歯車を、彼が止めようとしたところで、彼の心は、何に救われるのでしょうか。

 それが良人だと謳われる世界に、私たちは生きているのでしょうか。

 敬具



 彼に、自分に、世界に問うたその言葉は、届くべき人の元へは届かず、僕の手元の舞い降りた。


 何か、夢でも見たような、そんな気分だった。


 カーテンを開け、日が沈みかけた夜の景色を眺める。

 空はまだ薄暗く、遠くの街では電灯や車のライトがぽつぽつと輝いていた。


 ビルや家々は日の光を失い、鮮やかな色を徐々に闇へと沈めていく。


 光が差さなければ、全ては黒色だ。


 間違いや正しさは人の価値観であり、意思や決断は、人の本能であると僕は思う。

 それが美しさなのか、はたまた醜さなのか。


 少なくとも僕はこの手紙を、大事に取っておきたいと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ