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新学期 1

 四月。新学期の初日がやってきた。今日から千紗は中学三年生、弟の伸行は小学校六年生になる。

 空は明るく晴れ上がり、春らしい爽やかな日になった。千紗の母は、すでに朝食を終え、仕事に行く支度をしている。そのわきを通り、弟の伸行が、オーブントースターから、温かなロールパンを二つ取り出して、食卓に運んでいった。


 朝食用の真っ白な皿に、行儀良くパンを並べてから、さて、どのジャムをぬろうかなどと考えていると、

「お姉ちゃん、起こさなくていいと思う?」

と、母。

「いいに決まってるじゃん」

憮然として答える伸行に、

「でも、このままだと、遅刻するわ」

と、心配そうだ。

「だって、自分で決めたルールだぜ。守れなくてどうするのさ」

伸行の辛らつな言葉に、母は小さくため息をついた。それを聞いて、伸行は忌々しげにつぶやいた。

「まったく姉ちゃんは」


 『朝は、各自、自力で起きる』というルールは、千紗が言い出したことだ。伸行は、去年の夏、自分の姉が、それはそれは偉そうに、

「少なくとも、朝くらい自分で起きようよ。お母さんの手を借りずにさ。な、伸行、お前のことだよ、お前の。わかってっか」

と言いながら、自分の頭を小突いたことを、怒りとともに良く覚えている。


 大体、もともと寝起きの良い伸行と違って、毎朝、何度も母親に起こされた上に、遅刻すれすれに家を飛び出しているのは、千紗の方だ。だから、伸行は腹の中で、

「け、しっかりしなけりゃいけないのは、てめえの方だろうが」

と毒づいたが、姉の暴力が怖いので、賢くも口に出しては言わなかった。


 ま、あれだけ立派に大見得を切ったのだから、新学期初日から大遅刻でもしてもらおうと、ロールパンを片手に、イチゴジャムのビンへ手を伸ばした時、奥の部屋から、どすんばたんという不穏な音が聞こえてきた。いつものが始まったな、と、伸行が思う間もなく、なにやらわけの分からない言葉をわめきながら、千紗が部屋から転がり出てきた。


 千紗は、忙しく制服のワイシャツのボタンを留めながら、伸行が、どういう寝相で眠るとあんな頭になるのかと、毎度感心せずにはいられない、ヤマアラシのようなヘアスタイルのまま、食卓に突進し、あろうことか、伸行の手からロールパンをむしり取ると、大口を開けて一気に頬張った。そして、驚きのあまり、怒ることも忘れて固まっている弟を睨みつけながら、盛大に口を動かして咀嚼すると、そのまま胸を叩きながら、洗面所に駆け込んだ。


 ガシャガシャ、バチャバチャ、と、人間の、それも中学生の女が身支度をしているとは、到底思えないような音を立てて、洗顔などを済ませると、伸行に、一言のお礼も詫びの言葉もなく(ま、そんなことをするような姉ではないと、分かってはいたが)、玄関から「行ってきます」と、怒鳴るようにいうと、どたばた音を立てながら、あっという間に学校に行ってしまった。


 嵐のような千紗の出発の後、急に訪れた静寂の中で、はっと我に返った母が、伸行に尋ねた。

「ねぇ、良く見えなかったんだけど、お姉ちゃん、ワイシャツのボタン、ちゃんと全部とめていたかしら」

「知るか、そんなもん」

吐き捨てるようにつぶやくと、伸行は、渋い顔で、もう一つのロールパンに、がぶりと大きくかぶりついた。


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