69.5 ラオジール
パーティーの後、姪を執務室に呼びつけた。
閑散とした部屋だが、椅子ぐらいはある。
目に入れても痛くない可愛い姪っ子だが、私は心を鬼にしなければならない。
「すまないな、レイナ。変な勘繰りをして恥をかかせた」
「いえ」
「私は数字だけ追って来た人間だ。どうも、その辺の機微に疎くてね」
私は仕事人間で、家庭を持たなかった。
パルジャーノン家では兄弟や父と対立して、半ば追い出されるようにして中央行政官となった。
仕事は監察。役人や御用商人、中央銀行員の横領や裏金を調査し、犯罪者を摘発すること。
家のことなど忘れたころに、レイナが頼ってきた。
姪にはどこか私と似たところがあり、数字の見方を教え、仕事を紹介するなどの世話を焼いた。親のような気分を味わえた。
レイナには早く身を固めて欲しい。
グリム・フィリオンは理想的だ。才気があり、後ろ盾が多い。そして、貴族ではなく名誉市民だ。政治が要らない。婚約の時間を短縮できる。
「それで、お話というのは?」
「ああ……あのグリム・フィリオンのことだ。随分と信頼しているな」
「ですから、そういう関係ではありませんよ」
「これから先は分からないだろう。何が不満だ? 将来有望だし、人格も申し分ない」
調べさせたところ、彼は一度ロイエン家で縁談を断っている。
ロイエン家のアリステラ嬢と言えば、有名な社交界の華。
立身出世にもつながる話だったはず。
慎ましいではないか。
実際に会って話してみてその人柄は好ましいものだと確信した。
無礼を働いたジルの言動を許した。
器が大きい。
17歳とは思えない落ち着きぶりだ。
「数字だけを追って来たが、養ったものもある。それは人を見る眼だ。彼ならばお前を任せられる」
「叔父様!?」
「いいから、身を固めろ。さもなくば、この家に戻って縁談をだな」
「叔父様……変です」
語気を強め、振り返ると姪は不審そうに私を見つめた。
「何か隠しているんですか? 部屋が片付き過ぎています」
「……要らないものを処分したんだよ」
「まるで身辺整理ですね」
さすが、姪っ子だ。
鋭いな。
「とにかく、お前ももう21歳だ。パルジャーノン家として、貢献するならば良し。その気がないのなら、潔く家名を捨てなさい」
「……叔父様、まさか死ぬおつもりですか?」
レイナは核心を突いてきた。
赤の他人ならば、シラを切れるのだが。
聡いこの子に、この部屋を見せたのは失敗だったか。
「私はやや急ぎ過ぎた」
「改革のことですか?」
「私は門外漢だ。ギアのことはよく分からない、だが、この家に残った唯一の本物は、この工業都市が造るパーツだ。パーツを造る人だ。私はそれ以外を切り捨てた……」
「ですが、正当な家の当主になられた叔父様に逆らおうなど、一体だれが? まさか、お爺様たちが?」
私はレイナの父と祖父二人とその支持者たちが持つ資産を差し押さえた。負債を明らかにし、資産はその返済に充てた。
急所を突いた。
資金を絶てば、力はない。そのはずだった。
「金はどこからか、援助されている形跡がある。金を得て、やることは一つだ」
力を失っても、かつて甘い汁を啜っていた者たちは復権を望む。機士たちも、あちらにつくだろう。
おそらく近いうちクーデターが起きる。孤立無援の私には一たまりも無い。
「援助って誰が? 不正を正した叔父様に対立しようだなんて」
「それより、レイナ。お前は自分のことを考えなさい。ここに残り、家を守るか。それともキッパリと縁を切り、無関心を貫くかだ」
選択の余地は無い。
家に残れば、死が待っているだけだ。
賢いレイナになら分かるはず。
パルジャーノン家の資産、その中にはお前も含まれているのだ。
「叔父様は本当にわかっていませんよ」
「ん?」
「家名を捨てて平民になれば、グリムさんと丁度良いとお考えなのでしょうが、あの人はそんな信用できる人ではありません」
「随分と熱く、彼を語っていたように見えたぞ?」
「エンジニアとしては最高です。彼にものを造らせておけば万事うまくいきますから。ですが、上司として、男としては全く信用してません」
本当に分からない。
ウェール人であることを気にしている様子はないが、それ以外に、不満があるというのか。
「ああ見えて、かなり図々しくて太々しい方です」
「謙虚そうに見えるがな」
「ポーズだけです。譲れないところはルージュ殿下が相手でも譲らないですから」
「それは、畏れ多いことだ……」
皇族に意思を貫くとは、大した胆力だと感心してしまうが。
「レイナ、なら、あのマクベスという青年でもいい。スタキア人で機士など前代未聞。相当な実力者だろう」
「彼はハーネット家のリザ様と恋仲です」
「ならば、マークス殿の妾でも、私の元同僚でもいい。とにかく、近くお前は後ろ盾を無くし、報復の対象になりかねんのだ。その前に、家名を捨て、形だけでも身を寄せる相手をつくるのだ」
現在、パルジャーノン家の所有する工場は、中央政府の管理下で、汎用フレームの製造を担っている。
破綻することは無いだろう。
後は、形だけ、当主が入れ替わる。
パルジャーノン家の資産は保たれる。
「そんな話を聞いてしまったら、私は叔父様を生かすために動くしかありません」
「レイナ……背後に誰がいるかもわからんのだぞ?」
「まずは、こういう時頼りになる人に相談させてください」
「誰だ?」
「同僚のマリアさんです」
駄目だ。
地方行政官の末端に、出来ることなどない。
それでもレイナは、通信装置を使い連絡を取りに部屋を出た。
すると、すぐに戻ってきた。
「どうした? 諦めがついたか?」
「叔父様、クーデターが起きるなら、今です」
「……なに?」
ここには今、アイゼン侯、カール公王、ハイホルン社の御曹司マークス氏がいるのだぞ?
「同僚がそう言っていたのか?」
「はい。『お三方がいる状況こそ、リスクが高いと思い備えるべき』とのことでした」
「……まさか」
「はい、おそらく、背後にいるのはギルバート皇子です」
寒気がした。
まだまだ先の話と油断していたが、甘かった。
確かに、あの方なら自分の権力を見せつけるためにやりかねない。
傀儡を求めるギルバート皇子にとって、我々は邪魔か。
「ですが、大丈夫だそうです」
「何? ギルバート皇子の手が迫っているかもしれぬのだろう!?」
レイナたちだけでも一刻も早く逃がさねば……
「叔父様、大丈夫です」
「なぜだ?」
「グリムさんが、大丈夫だと」
「ああ……ん?」
上司として信用ならんのではないのか?
「それで? どう逃げると?」
「いえ、迎え撃つそうです」
レイナは、「だから安心して良い」とでも言いたげに、落ち着いた様子だった。
私は混乱した。誰でもそうだろう。
理知的な姪が、おかしなことを言い始めたのだ。
「レイナ、もう一度聞くが、グリム・フィリオンという男は信用ならないんだったな?」
「……? ええ、全く、困った人ですので」
「だが、グリム・フィリオンが『大丈夫』と言っただけで、ギルバート軍を迎え撃てると信じるのか?」
レイナは、私の危惧を悟ったのだろう。
ハッとして様子で口を開いた。
だがそれは弁解の言葉ではなかった。
「グリムさんは、ギルバート軍の機士がどう動くのか知っているそうです」
「……どういう意味だ?」
「『必勝パターン』の『ハメ技』があると……」
「……ど、どういう意味だ?」
「『グリム語』を理解できるのは、結果を見てからなので」
レイナは私に似て、数字を信じ、人を見る眼もあると思っていた。
だが、根拠のない無茶をする人物に、全幅の信頼を寄せている。
途中式が無く、一切証明されていない走り書きの公式を、正しいと言っているようなものだ。
私はグリム・フィリオンという男がわからなくなった。
彼は姪の判断を鈍らせる、危険人物なのか。
はたまた、不可能を可能にする天才なのか。