67.5 アイゼンフロスト
グリム・フィリオンについて知ったのはあ奴が新聞に載った時。
『国家公認技師史上最年少合格』とあった。
ルージュ殿下の専属技師に選ばれ、要職に就くと知り、私は思った。「これも衰退していく帝国の定めか」と。
長い平和の期間。
我々が命がけで紡いできた技術、知恵、建物や鉄道、ギア……それらの遺産はただ便利に使い潰され、進歩も無い。
人々は誇りや大義ではなく、実利だけを追い求めるようになった。
挙句の果てが、動力炉の小型化、より安全で扱いやすいギアの開発という流れ。
まるでファッションだ。
ガーゴイルとの戦闘は戦闘単位を増やすだけリスクが伴う。奴らは機械を吸収し増える。
機士の弱体化を促す、ギアの操作性重視の流れ。なぜわざわざガーゴイルのエサを増やすのだ?
歴史に学ばぬ愚か者たちが帝国を衰退させていく様には、呆れてしまった。
それでも、帝国は一応の体裁を保っていた。
クラウディア皇女殿下の采配は見事というしかない。
癖のある兄弟たちを手懐け、七大家をまとめ、スキルの病に落ちた皇帝の代わりを果たしていた。
だからこそ、決定的な危機が訪れた。
クラウディア皇女殿下が亡くなられた。
私は、寒々とした葬儀に参列し、その死を嘆くばかりであった。
帝国のために病をおして尽くした彼女の意志は誰にも引き継がれない。
あのヘラーに代わりは務まらん。
私は『聖域』を閉じることにした。
彼女の支えになるべく、蓄えてきた生涯の成果も、愚かな者たちに渡れば、帝国を焼き尽くすだけだ。
私はすでに帝国に失望していたのだ。
そんな折、引退した私の下に手紙が届いた。
レイナ嬢からだった。気骨のある娘だったが、何やらあのウェール人の下で働いているらしい。
手紙の内容はトライアウトを見学に来いというものだった。
なぜ、引退した私なのか。すでに鉄道関連企業は息子たちに引き継ぎ、私にあるのは爵位と聖域の秘密のみ。
興味を惹かれた私は手紙の招待を受け、トライアウトを見学することにした。
私はグリム・フィリオンを誤解していたと気が付いた。
その設計思想を私は理解できた。
量産化による扱いやすさなど微塵も考えておらん。
あ奴は、ルージュ皇女殿下ですら持て余すほどのギアをつくり、さらにその先を求めていた。
グリムはギアの本質をよく理解していた。
ギアは人の想像を超える存在であり、畏怖の対象であり、選ばれし者にのみ与えられる栄誉の鎧なのだ。
トライアウト後。
夜会の席で話し合い、アイデアが尽きず、そのほとんどがなぜかできそうな気がした。
若者の向こう見ずながら圧倒的な熱量を、久しぶりに感じた気がした。
「……鉄の友の会というのはどうでしょう? 口約束の互助組織、いや、ただ思いつきを話し合う、同好の集まり」
「いいな。入れてもらえるか?」
「もう入ってますよ」
私は、最後にこの小僧を盛り立てることにした。
クラウディア皇女殿下も、それを望むであろう。
◇
あ奴の仕事には列車が必要だった。
私は自身が擁する最高の列車『グレート・ガイナ・エンパイア号』を提供した。
「うわぁ、かっこいい!……分解してもいいですか?」
「ダメに決まっておろうが」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ改造するだけなんで」
遠慮を知らんあ奴は、ダイダロス基幹とクレードルを設置した。
その手際の良さ、技術の高さに唖然とし、怒ることもできなかったが。
このグリムと旅をし、わかったことが三つある。
グリムは何かを隠している。
中央政府すら信用しておらん。その割に、口が軽く、特許もののアイデアを食事中にうかつに話す。
隠している内容と、そうでないものの線引きがわからなかった。
それも、段々と見当がついていった。
「つまりだ。あいつ、バレてもいいってことだけ話してるんじゃないですかね?」
マークスの読みには合点がいった。
「うむ、彼奴め、この程度ならバレても問題ないという話はペラペラしおるのだな」
カール王の言うこの程度、とは『ヘカトンケイル』の基礎設計のことだ。
革新的換装システムですら、あ奴にとっては児戯なのであろう。
「たとえバレたとしても、己がいなければ造れやしないと思っておるのだろうな、あ奴は」
恐ろしいことに、実際そうだろう。
グリムの発想と、設計の確かさは分かっていたが、時折、無茶な部分がある。
専用の工作機器が必要になる精密かつ、複雑怪奇な設計。
それを、グリムは己の技術力で突破してしまう。まさに神業だ。
我々の想像する完成スピードを遥かに凌駕する速さで、想像を形にしていく。
分かったことの二つ目は、この旅の目的。
あ奴は確かに、各地の工場を視察し、その類まれな洞察力を駆使し、パーツの精度を上げていった。
ダイダロス基幹の受信範囲の確認も怠らない。
我々の思いつきを現実にしながら、革新的な兵装を生み出した。
だがそれらは真の目的のついでなのではないかと思えた。
各地を巡る際、グリムは「整備しよか?」などと人畜無害な顔で親切を装い、現地のギアに触れていた。
最初はただの挨拶、あ奴なりの社交なのかと思ったが、たまには断られる。
するとマクベスを使い、こっそりと忍び込んでおったではないか。
何をしているのか気になった。
「アイゼン侯、おたくの眠っているギア、整備しますよ」
「いや、ゆっくり休め、グリムよ」
「いや整備しますって。タダですよ」
「ギアは使っておらん。休め」
案の定、あ奴はロイデンの屋敷にあるギアをいじっていた。
「信号増幅装置か?」
通信設備に手を加えたようだが、分からなかった。
正常に動く。
旅の途中聞いたが、信号増幅装置による無線通信はそもそもグリムが発案したもの。
気付かれずに何かを仕込むなど訳はないだろう。
問題は何故、何を、だ。
よって、三つ目。
あ奴は誰かに命じられ、各地を巡り、何かに備えていると思われる。
それもルージュ皇女殿下以外の者ではないか。
殿下は無双の武人だが、このような策略を巡らすタイプではない。
思い当たるグリムに近しい人物。
それはレイナ嬢だ。パルジャーノン家の立て直しの手腕は見事だった。
私に手紙を寄こした張本人だ。
『聖域』での一週間。
あ奴の発明が私の研究を無駄ではなかったと証明した後。
「レイナ嬢」
「アイゼン侯、いかがいたしましたか?」
「グリムとめぐり合わせてくれたこと、礼を言う」
「……はっ、私が、でございますか?」
「……ん? トライアウトへの招待のことだ」
「いえ、とんでもないことでございます。私ごとき若輩の一官吏が、アイゼン侯をお招きするなど」
レイナ嬢は優秀だ。パルジャーノン家きっての才媛。
彼女のような名家出身の法務官を地方行政にねじ込めるのは、クラウディア皇女殿下において他にはいない。ゆえに後継者だと思っていた。
違うならば私に手紙を出した主は何者なのか?
それはおそらく、アズラマスダを脅した者であり、グリムを影で操っている者だ。
政治戦略的な能力に長け、先回りと根回しでもって人を制し、時に意のままに動かせる者。
「七大家を脅す手紙は、私にもあるのかな?」
「脅すものかどうかは存じませんが、侯より開示を要求された場合に渡すよう預かった手紙ならございます」
「それは誰だ?」
「それは……手紙をご覧くださいとしか」
「そうか」
レイナ嬢より手紙を受け取った。
白い封筒に、紋の無い蜜ろうで封がしてある。
開くとそこにはただ、日付と場所のみが記されていた。
この日、この場所は記憶している。
運輸庁長官の任を外れた私が、宰相になられたばかりのクラウディア殿下と議論を交わした日だ。
私は病弱な少女には無理だと諭し、彼女は譲らなかった。
命よりも国を想うその誇りと矜持に感銘を受け、結局私が根負けし、陰ながらお支えすると申し出たのだ。
心臓が跳ね上がった。
汗が噴き出した。
「アイゼン侯? 大丈夫ですか?」
「ああ、大事無い……」
私は全て悟った。
クラウディア皇女殿下は御存命だ。
しかも、お隠れのままグリムの背後にいるということは、国家の一大事が差し迫っていることを意味する。
私が思っているよりも深刻で、殿下は協力を求めておられる。
「陰ながら、お支え致します、殿下……」
◇
ロイデンでの仕事を終え、シュトッツガルドを発つ日。
「閣下、行かれるのですか?」
「手の掛かる小僧の面倒を見る必要があるのでな」
旅は続く。
「カナン、グリムはお前に何か言っておったか?」
「あ、いや、その……」
あの天然の人たらしめ。
私の部下まで誑し込むとは。
どうやら、この『聖域』の人間たちは、グリムに認められたようだ。
「その、設計図を預かりまして……」
「良い。何にせよ、造れと言われたものは造れ、金は私が出す」
「はっ……御心のままに」
グリムに降りかかる雑事を引き受ける。
それが私の役目。