次章.55
トライアウトは興味深かった。
グリム君は明らかに何か隠している。
それに、『ダイダロス基幹』を隠さなくなった。
おもしろい。
彼は果たして気付いているのかな?
『ダイダロス基幹』の弱点に。
『ダイダロス基幹』は『クレードル』とギアをつなげる。
信号増幅機を介しても無限には送受信はできない。
障害物や大気中の魔力にぶつかり、その信号強度は減衰していく。
必ず、一定の距離で『中継拠点』が必要だ。
中継拠点を破壊すれば、『ダイダロス』搭載機はただの燃費の悪い木偶の坊と化すだろう。
帝国が『ダイダロス基幹』に依存すればするほど、その力が拡大すればするほど、穴は大きくなる。
ギアの製造から導入と実戦。
その過渡期。そこで帝国の軍事力は著しく弱体化する。
私の見積もりでは、最適は一年後。
「あと一年。楽しみだ」
夜会での彼の立ち回り方を見ながら私は一人呟いた。
上の階からでは会話は聞き取れないが、設計図のやり取りをしている。情報流出があったばかりなのに不用心だな。君の書いたメモ一つがどれほど価値を持つのか自覚が無いのか。ルージュ姉さんも初日には注意していたが、今日はいない。
しかしこれも戦略なのか、うまく南西部の重鎮たちを食い付かせている。それに東部ウェールランド方面は古巣だ。
帝国全体にその根を広げていく。
どうやら、自分の技術に絶対の自信があるようだ。
それが過信だとも知らずに。
「おや」
そこで思いがけない光景を目にした。
スカーレット。
無力な自分を卑下して、夜会に顔を出している。
何も変わらないというのに。
興味深いのはスカーレットとグリムの関係性だ。
グリムはスカーレットを護り、スカーレットはグリムを守った。
それに何かのやり取りをしていたのだ。
「手紙?」
スカーレットが手紙を受け取ってから後を追っていく人物がいた。
自然とその姿を目で追う。
「誰だ、あのメイドは?」
見覚えが無い。
皇宮のメイドは貴族学校を好成績で卒業した名家名門の子女から選ばれる。そう簡単に入れ替わらない。
スカーレットの専属メイドは全員顔を知っている。
外部の手伝いなら、専属メイドに隠れてスカーレットを追わないだろう。
「子ネズミよ。君もスカーレットが気になるのかな」
その女はスカーレットの部屋まで行き、スカーレットが出てくるのをやり過ごした。
スカーレットのドレスが変わっていた。あれに手紙を隠してはいないだろう。ドレープの完璧な曲線に影響する。ハンドバックも持っていない。
手紙は今、部屋の中だ。
女は手慣れた様子で部屋の鍵を開けようと試みている。
「無駄だよ。そのカギを開けるにはコツがあるんだ」
「あ、その……」
逃げようとする子ネズミを『加重』で引き留めた。
床に跪く女。
「うぅ」
「誰かな。皇宮内を知っているね。でもこんな大胆なことをしておいて、鍵開けは素人。情報部ではない。メイドの制服は早々手に入らないだろう。盗んだね。ここまでリスクを負うなんて失うものが少ない。倫理観も欠けている。どこの貴族にいくらで雇われたのかな、記者さん?」
怯えて震える子ネズミ。
生理的反応は雄弁だ。正直で良い子だな。
「機密文章を盗んで誰に渡す気だった?」
「き、機密? なんのこと?」
「さっきのグリム支部長とスカーレットのやり取りを見ていただろう? 追ってきたのはあの文章が目当てだろう?」
「そんな……違うわ。ただ、証拠が欲しかったのよ。大衆には知る権利があるんだから!」
「ん?」
大衆?
「知らないの? あの二人は付き合っているのよ」
おっと。
この記者は何を言っているんだろうか。
眼の奥を見る。
本気か?
「グリム君はウェール人だ。いくらスカーレットが愚かでも、それはないだろう」
「身分なんて関係ないのよ、あの二人には。見ればわかるでしょ?」
そういうものか。
二人で連れ添っていたのは友人関係、機士と専属技師、主従の関係ではなく、恋仲だったから?
その可能性は確かにある。
スカーレットはグリム君の動向を私に報告していない。
てっきり、グリム君はルージュ姉さんに心酔していると思っていたが。
「そうに決まってるわ。皇女がウェール人を恋人にしているなんてスキャンダルだもの。二人でデートしているのも見たわ」
「それは本当かな?」
「本当よ。カメラが壊れて、証拠が撮れなかった。でも、今度は」
女は笑みを浮かべる。
スカーレットの弱みを掴めば、私にも得がある。
そう言いたいようだ。
違う。知りたいのはグリム君の思惑だ。
何を隠しているのか。
でも確かに、手紙の中身を見れば彼のことが分かるかもしれない。
彼が濁した、マクベス専用機、そしてルージュ姉さんにまだ作っていない、ダイダロス基幹搭載機について……
ちょうどいい。道具なら都合がつく。
この記者にやらせてみてもおもしろい。
「兄として、妹の恋路は気になるからね」
「うふふ、そうこなくちゃ」
流れに任せようとした。
『違う。お遊びはやめろ。お前は誰を観察していて手紙に気が付いた?』
頭の中で声がした。
首筋にゾクリと嫌なものを感じた。
そうだ。観察していたのはグリム君だ。
グリム君のことを見ていたのは私だけのはずがない。
「私なら財布とか、小物入れ、本の間なんかにしまっておく。部屋の鍵さえ開けば―――」
妙だね。
このレベルの低俗なゴシップ記者が皇宮に潜り込めるかな?
グリム君はしゃべる軍事機密だ。
その身柄を狙う者、身辺を探る者、命を狙う者もいる。
姉さんがその対策をしていないわけがない。
「やっぱり欲を出すのは良くないね」
「え?」
ドアの前で問答を続けていると、人が近づいてきた。
見回りの兵士ではない。
「そこで何をしているんだ?」
現れたのはルージュ姉さんと配下の者たち。
それに後ろにいるのはテスタロッサか。
やはり、この記者を泳がせて見張っていたな。
「賊がいてね。捕まえたんだ」
『加重』でごろんと転がる記者。
私がこの記者を使って手紙を盗ませていたらアウトだったわけか。
釣られるところだった。
グリム君のこととなるとどうもムキになってしまうようだ。新鮮な感覚。これはライバル心という奴かな。
「彼女は、グリム支部長からスカーレットへの手紙が気になっていたようだ」
「そうですか」
「恋文だそうだよ。確かめても?」
「……フェルナンド、妹の色恋に干渉するのはどうかと思うぞ」
「ふふ、そうだね。冗談さ」
そうだ。
妹のことなら愚かな妹に直接尋ねればいい。
◇
部屋に呼ばれたスカーレットは我々を見て困惑していた。
「お兄様? お姉さま?」
「ダンスは楽しかったかい?」
「スカーレット、実はね」
何か盗まれたかもしれない。
そういうとスカーレットは扉を開けて、慌てて手紙を探した。
ルージュ姉さんの反応を見る。
慌てた様子はない。
スカーレットを確認するとすでに手紙を手にしていた。
「ん?」
金庫や鍵付きの衣装室ではなく寝室に吊るしてある制服のジャケットに仕舞っていた。機密文書ではないのか?
「大丈夫です。ありましたので」
「それは……なんだい?」
「え?」
スカーレットの反応を見る。
顔が紅潮している。
まさか本当に恋文だったのか。
「お兄様にお見せするようなものでは……」
「そうか。何も盗まれていないのならいいんだ」
確かに、グリム君がスカーレットに軍事機密を渡す意味はないか。
本当に良かった。
スカーレットへの恋文なら、機密文章よりも価値がある。
「スカーレット、なにとは言わないけど、私は応援しているよ」
「な、なんですか!!?」
本当に応援している。
心から。
二人がそういう関係だとわかっただけで大きな収穫だった。
これで、グリム君の隠し玉はいくらでも探ることができる。
お返しだ。
今度はスカーレットを使ってグリム君を釣ろう。
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