48.5 テスタロッサ II
中央情報局情報部。
入局した際、私の過去は抹消され全くの別人になった。
帝国への忠誠と引き換えに、親の大罪の連帯から解放され、身分と名前を変えられた。
情報部の現場担当は短命だ。
地方、植民地の動向を探るため常にリスクを冒す。
だから出世してルージュ殿下の親衛隊に加わった時は命がつながった思いだった。
しかし、それは早計だった。
私は殿下の命令で皇宮に配属された。
皇室法務局―――皇帝の直轄。ここは実質宰相クラウディア殿下が実権を握っていた。
私は皇族の繊細な駆け引きに巻き込まれた。
毎日が命がけの綱渡りだった。
いえ、今もそれは続いている。
「はいはい、わかりましたよ。こう何度も来れば、さすがにぼくもね。鈍感な振りはできないよね、うん。はい、診察しましたよ、テスタロッサさん! あなたの気持ちをね……! あぁ、皆まで言わなくても大丈夫さ。わかってます! はい、診断します! あなたは―――恋の病です!」
両手を広げ、飛び込んでこいとでもいう男に、思わずビンタしてしまった。
「……えーっと……それは愛ゆえの行動?……じゃなさそうだね」
「先生、医者なら空気ぐらい読めるようになって下さい」
なぜ私がこの低俗な男に会いに来るのか。
彼とこの看護師が【リスト】に載っているからだ。
「だって、こんな美人が毎回ぼくのところを訪ねてくるのは好意があるってことだろ? 違うの!?」
「先生、医者でしょう? 患者さんと付き添いの方、ご家族の方は、先生が好きだから来ているのではないんですよ? 治して欲しいから来てるんですよ?」
「そーかー。それだけじゃないと思うけどねー」
「いや、先生って別にイケメンでも無いですし。医者じゃなければモテてませんよ」
「……っ! ……っ!? ……鏡」
「はい」
「ホントだ! 何で今まで気が付かなかったんだ?」
「いい加減、よろしいですかお二人共」
このふざけた医師は地方貴族の四男で、醜聞が絶えず、帝国医学大学の研究所から追い出された落ちこぼれだ。
40歳手前で未だ役職も無い。
皇宮の医師は誰もこの男を知らない。
私もまだ半信半疑だ。
この男に頼っていいのか。
「単刀直入に聞きます。この患者を治せますか?」
私はカルテを見せた。看護師が広げて見せる。
医者は一目見て、目を逸らした。
「この度はご愁傷様でした」
「先生、不謹慎ですよ」
「治療法はありませんか?」
医師は真面目な顔をして向き直った。
「病巣が複数の臓器にある。薬での治療をする段階ではない。しかし、切除するにもこれだけの手術、半日はかかるだろう。この患者には耐えられない。仮に奇跡がおきて手術が成功したとしても、その後の薬物治療にも副作用があるんです。はっきり言って乗り切れるとは思えませんね」
見解は皇宮医師と同じだ。それもカルテを一瞥しただけで。
「では、せめて直接診察をしていただけませんか?」
「どこに?」
「皇宮です」
「無理です」
「脅した方がいいですか?」
「行きましょう」
このふざけた男に、もしかしたら帝国の命運がかかっているかもしれない。
作戦はこうだ。
グリム君のダイダロスの新たな機能でクラウディア殿下の体力を一時的に回復させる。
病気は改善していないが、時間は稼げる。
メイド、医師、補佐官らと示し合わせ、死を偽装し、移送。
そこで手術を行う。
帝国中央行政は宰相の死を公表するタイミングを計るだろう。騒乱の火種がくすぶる今、各地の態勢が整うまで、その死は隠される。
全て、殿下の遺言があればコントロール可能だ。
問題は手術。
腕のいい外科医がいる。
「なるほど、回復スキル持ちだったのか。この状態で起き上がっていられるなんて相当強力なスキルだ。天に感謝ですね。これなら大丈夫でしょう」
「ふふ、私には天使が付いているのよ」
「それって……ぼくのことですかぁ?」
「先生、この方が誰か分からないんですか?」
「ぼくはこう見えて医大出てるんだよ? ぼくみたいな町医者を呼んでくるってことは、皇族か誰かの愛人ってところだろう。どうだい?」
「クラウディア皇女殿下ですよ」
先生が草食動物のように機敏に飛び出していった。
「今更逃げ場はないぞ。全て知ってしまったからにはもう引き返せない」
「先生、私を置いて一人で逃げないで下さい!」
手術は8時間で終わった。
皇宮医師たちも驚愕するほどの腕前だった。
手術が終わると皇宮医師たちが、この無名の医師に尊敬の念で拍手を送った。
「お疲れさまでした」
「なぜ在野の医師である私なんかをこんな大事に巻き込んだんですか?」
「グリム・フィリオンを覚えていますか?」
「また、あ・い・つかぁ~!!」
「そのあいつです」
やはりグリム君の人材選抜は確かだ。
彼が先生を見てリストに加えた。
それで調べた。
金と女と酒での処分以外に、医療事故の責任を押し付けられていた。
この男は身代わり。
先端医療の実証実験をさせられ、成功すれば成果を奪われ、失敗すれば処罰される。上層部のスケープゴートを続けてきた。
その結果場数を踏み、腕を上げた。
高度な医療の成功事例における参加医師の末席に必ずこの男の名前があった。
つまり、近年の外科的高度医療の源流を辿るとほぼ全てこの男に行き着く。
「では、さらば」
「いえ、どこにいくんです?」
「あっちに」
「殿下は死んだことになってます」
「ま、まさか……」
これで終わりではない。
最後の仕上げが残っている。
「や、止めて! 止めてぇ~!」
「先生、逃げてください!!」
「馬鹿野郎、君が逃げろ!! 来るな、それ以上近づいたら、ああ、止めて~!!」
「先生-!!」
私にはまだ大きな仕事がある。
葬儀の準備だ。亡くなったはずの殿下の遺体を密葬するにも別の遺体がいる。
盛大な行事的葬儀の前に、儀式的な葬儀として神祇官が火葬を執り行う。
先生には身寄りのない遺体の顔を変えてもらった。
「もういいでしょう! お家帰してぇ!!」
「先生、ありがとうございました。先生は立派な医者です」
もちろん、口封じで殺したりはしない。
帝国医療にこの人は必要だ。巻き込んでしまったことは本当に申し訳ないと思った。
「……医師として当然のことをしたまで。次は仕事抜きで会いたいものですね、テスタロッサさん」
「いいですよ、先生」
「いやったぁ!! いよぉっしっ!!」
「ああ、最後! 先生台無しです!」
便利な人だわ。
こうして名も無き女性は帝国を挙げた葬儀でその死を悼まれ、皇族の墓に入ることになる。
密葬から二か月後、その死は公表され火葬された灰を納める葬儀が執り行われた。
それが作戦の完了を意味した。
「新しい身分に新しい名前……まさか、皇女殿下が情報部の後輩になるとは」
植民地の犯罪組織の動きが活発になり、事態は大きく動き始めた。
クラウディア皇女殿下の死が契機となり、各地の情報部員からの連絡が途絶えた。
すでに戦争は始まっている。
私の命がけの綱渡りは続く。