42.筋肉痛が治るまで
目を覚ますと、見覚えのある天井。
世界は、まだ平和だろうか。
まさかこんな形で帝都に戻ることになるとは。
主人公は自分の物語を開始した。
こっちはいきなり計画終了の危機を迎えた。
何とか阻止したが、ここに来るまでに少し無茶をして計画に狂いが生まれた。
『ダイダロス』
信号増幅による他者からの魔力供給とサポートシステム。
エカテリーナに言って情報部の信号中継器を利用し、おれはマクベスの操作で帝都からギアを走らせた。
マクベスの操り人形になり魔力の限り強制的に走らされた。列車が脱線したオレオール駅近くから山間部を南に超える無茶な走行に30分。
帝都南部のグランリオール駅から北進、1時間。
機乗力0/0であるおれにはギアは操れないと思い知った。
全身が筋肉痛であり、筋肉痛以外の何ものでもない。
あと、かるい脱水症状と発熱でぶっ倒れた。
「眼が覚めたかいグリム君? 安心して。私が付いているからね。希望を捨ててはいけないよ。さぁ起き上がれるかな?」
「無理そうです」
なんか、先生がずっと病室にいて勇気づけてくる。
「過度な運動による筋肉の炎症と発熱だ。つまり、起き上がれるかな? どうかな?」
「なんだかすいません。すぐに退院しますから」
「あ、ホントに? うんうん、医者としては、うん!! 患者の意志は何よりも尊重するべきだと心得ているから、うん!! じゃあ、起き上がれるかな?」
「うーん、うーん……無理です」
「諦めるな!! 君は今日起きてぇ!! ここを出て行くんだろうぅ!!?」
「せ、先生……」
なんて熱心で、魂の籠った励ましなんだ。
先生の期待に、応えねば……!
「うーん、うーん、無理です」
「氷を持ってきましたよ。ああ、先生、無理させたら入院が長引きますよ」
「君、看護師が医師に意見する気かね……?」
「ではお一人で治療なさってください」
「え? うそ、やだ、どこ行くの? ちょっと、冗談だって……!! ねぇ!?……あはっ、行っちゃった!」
「追いかけた方がいいのでは?」
相変らず仲良しだな、ここの先生たち。
普通、こんな軽症でこんな大病院の個室に入院はしないんだろうけど、ルージュ殿下の前で倒れてしまったからな。
ああ、かっこ悪い。
沈んでいると、聞き覚えのある靴音がした。
病室の扉が不躾に音を立てて開く。
ゴールデンレトリーバーのような黄金に輝く髪。
赤色LEDライトのような赤い瞳。
紅いドレスが良く似合っている。少しも華美に見えない。
遠慮なく近づき椅子に座った。
呆れた顔の彼女になんと言おうか考えた。
「スカーレット殿下、髪切りました?」
「一か月ぶりに会って一言目がそれ?」
「とてもよくお似合いです」
「ありがとう」
お姫様っぽく腰まであった髪が肩のあたりで切りそろえられている。リザさんの影響だろうか。
「お前、ルージュお姉さまにお姫様抱っこされたんだって?」
「くぅ!! それが満身創痍の患者に掛ける言葉ですか!?」
「筋肉痛って聞いたけど?」
「全身まるっきり動かないんですよ」
「へぇ~。えい」
「あぁぁ!! あっ!……あぁぁぁあ!!……あぁぁぁぁぁ!」
「フフフ、うるさいわよ、フフフ」
姫の執拗な触診を受け、おれの断末魔の叫びが病室にこだました。
「こんなになるまでギアに乗るなんて……お前は頭はいいのに馬鹿よね」
「そういう姫殿下は人とのスキンシップが幼稚です」
「フフフ、これのこと?」
「あああぁ!!」
「うるさいってば、ふふっ」
悪戯っぽく笑みを浮かべる姫。
「手紙の返事。書かなかった罰」
「いえ、書いたんですけど。届くより先に来てしまっただけで」
嘘だ。なに書けばいいのかわからなくて、ずっと持ってる。
「お前、評判悪いわね。もう辞めたら?」
「若いうちの失敗は買ってでもしとけっていうでしょ?」
「誰の言葉、それ?」
「賢人のお言葉ですよ」
「まぁ、お姉さまに嫌われたわけじゃなさそうだから、大丈夫そうね」
「そう見えます?」
話すことが山ほどできた。
彼女はフェルナンドを盲目的に信頼していた。
いや、フェルナンドにだけ負い目を感じ、それが彼女の鋭い直感と洞察を曇らせていた。
一種の呪い。
だから、フェルナンドへの危機意識の共有はテスタロッサだけにしていた。うっかり地雷を踏み抜いてしまったら全てが無に帰す。
彼女はあっさり殿下に話してしまったようだが……おかげで彼女からルージュがフェルナンドに会って話そうとしていると一大事を報され間に合うことができた。
打ち明けるタイミングが分からなかったが、彼女は自力で気が付いたようだ。
ただ、あの会話は大きなリスクだった。
フェルナンドに何か悟られたと考えた方がいい。
「ねぇ、お姉さまに造ったあのギア、すごいの?」
「ふっふっふ……オールスペック3割増しです」
「えぇ!! ちょっと! 私にも造りなさいよ!!」
お姉ちゃんのものは自分も欲しいって、子供だなぁ。
「いいですよ。もう少し大人になったらね」
「私子供だから手加減わからないかもね」
「いや、ホント! 約束します!!」
「いつ?」
「そうですね……あと1年と5か月ですかね」
「何、その中途半端な期限?」
全ての決着がつくとすれば、約一年五か月。
いや、正確な日数は分からない。それよりも早いかもしれない。
フェルナンドを油断させるため、『ダイダロス』をピーキーに仕上げ、トライアウトで落選させる。
あとは、奴が勝利を確信し、ルージュの前に唯一正面から対峙するあの瞬間、圧倒的ギアのスペックで討ち取る。
それが最初のプランだった。
だが、『ダイダロス』の力を発揮してしまった。
直にバレると想定した方がいい。
何より、おれでもあの長距離を完走できてしまった。この特殊性能はフェルナンドの関心を惹いてしまった可能性が高い。
「ちょっと、お前のその、人と会話している時に別のこと考えてるのやめなさい。むかつくから!」
「あぁぁぁ!! 突かないでぇ!!」
「何かあったんですか!!? はっ、スカーレット皇女殿―――おっとぉ?」
そこへ先生が飛び込んできて、気まずいものを見たように顔を背けた。
位置が悪い。
確かに姫がおれに覆いかぶさっているように見える。
「これは……ああ、お楽しみ中でしたか」
「ち、違うわよ!」
「君、この病室をしばらく面会謝絶に。殿下アオハル中につきフロアも封鎖……では殿下、ご存分に」
「違うって言ってるでしょ、藪医者!!」
よかった。
スカーレットの暴力の矛先が先生に向かった。
ありがとう、先生。先生は藪医者じゃないって、おれはわかってるからね。
「すいません、すぐに治しますので」
「いいわ。こいつにはいい薬だから。しばらく動けない方が頭も冷えるでしょ」
「ひどい」
先生が耳打ちして普通にしゃべってきた。
「グリム君、乙女心だよ。お見舞いに来たいのだよ。お世話したいんだよ、女の子は」
「さっすが、先生~。女たらしなだけありますね~」
「むふふ、任せて~」
何だそうだったのか。
「姫~!!」
「お前たちのその、たまに私が皇女であるのを忘れる癖はなんなの?」
姫のやさしさがありがたい。
それに筋肉痛が無理やり治ることもない。
おれはスカーレットの忠告通り、ゆっくり考えることにした。
「グリム君、死ぬほど痛いけどすぐ治る実験的な施術があるんだけど試してみないかな?」
「結構です」
でもその前に、少し、この平和を味わっても罰は当たるまい。
おれはスカーレットと他愛のない近況報告をし合った。