38.5 ルージュ Ⅱ
私の心は揺れていた。
滅多にないことだ。
こうと決めたことを曲げたことが無い。
だが、揺らいでいる。
《殿下? 聞いておられましたか?》
「聞いていたさ」
全て聞いていた。
エカテリーナに仕掛けた盗聴器を通じ、グリムの言動の全て、把握していた。
どうやら私は魔性の女みたいね。
《一体どうやったら、生まれる前の人間まで誑し込めるのでしょうね》
「私は少し恐ろしい。自分の求心力のすごさが」
《あれを聞いて、随分と前向きでいらっしゃいますね。私は大分気味が悪かったですが》
「確かに私は完璧だわ。けれど、あそこまでの愛を向けられたことは無かった」
《あれを愛と呼ぶのは、どうなのでしょうね》
私は子供の頃から、抜きんでていた。
誰かに劣ることは無く、心配されることも無かった。
常に強者であり、上に立つ存在だった。
そんな私を本気で心配している。
愛情を感じた。
ただし、かなりの狂愛だけれど。
「テスタロッサ、お前は愛を知らないだろう」
《愛より実を取る主義なだけです。それより気になるのは、グリムが本気で殿下に危険が及ぶと想定して動いていることです》
あの異常な警戒と、準備、それに私を救うという明確な意志。
やはり父上と同じ、未来を知るタイプの分析スキルなのか。
「帝都でのグリムの評判はどう?」
《ひどいものですよ。エカテリーナは情報工作はピカ一ですから。グリム君を認めたくなかった連中がここぞとばかりに批判し、根も葉もない噂を拡散しています》
「へぇ。そんなに?」
《スカーレット殿下がとても心配しておられます》
グリムがスカーレットに心配をかけてまで、私の株を上げようとしている。
皇族が属州民に歩み寄りを見せているとアピールする。反皇室の意識を削ぎ、大義を奪う作戦のように見える。
だが、グリムが重視しているのは自分の噂、評判の方ではないだろうか。
エカテリーナの嫌がらせは思いのほか効果的だった。
それで利用することにしたようにも見える。
あたかも、グリム・フィリオンという技師は何の成果も上げていないと印象付けるかのように。
悪い噂は良い噂を塗りつぶす。
「『ハイ・グロウ』については? どこまで知られている?」
《名前は立派だが、何の実績も無い。かえって悪目立ちしています。実際のところはどうなのですか?》
『ハイ・グロウ』。
あれは見事だ。
私を知り尽くしていなければ、生み出し得ない。
私を成長させる機体。
「あれの操作方法を新たに『多元重奏技巧』と名付けた。機体のアクションにかける操作コマンドが倍求められる。常時『超絶技巧』を繰り出すようなものだ」
《それは……課題の多い機体ですね》
「その代わり、パワーは『カスタムグロウ』の3割増し」
《すごいですね》
「ああ、だから困る」
グリムは優秀過ぎる。だから切れない。
私への狂愛は別にしても、グリムのやっていることは陰謀罪に問われかねない綱渡りだ。
市民グループに接触し、参謀を脅し、内部に取り込もうと画策している。おまけにいろいろと管理庁に報告をしない。エカテリーナでなくとも、調査対象にされかねない。
それでも、失うには惜しい。その行動の真意を知りたいと思わせる引力のようなものが奴にはある。
《グリム君がこれを予期してのことではないと明言していますが、反皇室を掲げる貴族連中の動きが活発になってきています。すでに流血沙汰にもなっているようです。狙いはギアの中核情報でしょう》
「そう。新型の開発を隠していることも含めて考えれば、グリムはギアの根幹技術の流出を確信しているようだな。でも、製造管理権を持つ貴族を相手に、弱小貴族がどうこうできるとは思えん」
貴族間の力の強さは歴然としている。
そこにはガーゴイルとの戦いの歴史に裏付けされた格付けと各家が担う責任の重さがある。
ガーゴイルと戦うために、最初人間は生身だった。魔法で対抗した。
物量で押し切る原始的な戦法。それが戦闘単位を大きくしやがて、国家の規模拡大につながった。
その後、人間はその叡智を集合させ、ガーゴイルから工業的知識を得て兵器に応用した。
生身で武器を担いで戦った。
それが一気に変わったのは『駆動装甲機』―――ギアが誕生してからだ。
ギアにまつわる工業技術と、製造過程で必要になる魔法技術を持ち合わせた者たちが成り上がり、今の勢力図を形作った。淘汰されたのは工業技術を持たない家、機士の才能に恵まれなかった者、ギアと関係のない魔法の大家。
いずれも時代に置いて行かれた負け犬たちだ。
《殿下、そろそろ直接問い質してみては? 殿下が尋ねれば彼は誤魔化し切れないでしょう》
「……簡単に言う」
答えははっきりするかもしれない。けど、私はどちらかを失う。
グリムが警戒しているのはフェルナンドで間違いない。
新型ギアや『ハイ・グロウ』の設計を中央技術管理庁に報告せず先延ばしにしているのは、そこからの流出を恐れているから。そして、管理庁にはフェルナンドも所属している。
グリムの動きの確かさは証明されている。
実力だけでなく、先を見据えて行動している。
だが、フェルナンドが反旗を翻すなど考えられない。
子供の頃、慕っていたメイドに殺されかけたというのに、彼女の故郷を含む異人コミュニティへの支援を募っている。
優しい子だ。家族の中でもあれだけ心の綺麗なのはフェルだけだ。
どちらかを信じれば、どちらかに裏切られることになる。
私は揺れている。決めかねている。
どちらを信じればいい。
どちらを切り捨てる?
違う。一度よく話そう。
それからでも遅くはない。
《フェルは……今、どうしてる?》
「錯綜する情報と製造ラインの防衛、運搬の警備などで慌ただしいですね。かなりお疲れの様子です」
《そうか……》
首謀者がフェルなら、そうはならないはず。
ギアの情報流出で立場が危うくなるのは管理庁に席を置いているフェル。わざわざ自分の立場を悪くすることを聡いあの子がするわけが……
「私は帝都に戻る」
《殿下……まさか》
「弟と話すだけだ」
話せば、この迷いも消える。
私は自分に言い聞かせた。