32.大胆かつ繊細
もうすぐ、おれはウェールランドに帰る。
切迫した状況、必要に迫られた時、人は大胆になる。
「姫様」
「……嫌よ」
「お願いします」
おれは彼女との信頼を、いや、絆を感じている。そうでなければ絶対に言わない事を言った。
「姫様、脱いでください」
「だからちょっと待ちなさいよ。時間を頂戴」
「今がいいんです。今じゃなきゃダメなんです」
「なんで、私なのよ……」
「姫様しかいないからです」
彼女は頬を染めて留め具に手を掛け、躊躇し、逡巡してを繰り返した。
「嫌、やっぱりだめ! 無理、あり得ないわ!」
「え、でもぉ~」
おれは引き下がらない。
男を見せるべし。
「私じゃなくてもいいでしょ!! マクベスだっているじゃない!」
その言葉に横で見ていたマクベスが挙手して答えた。
「おれの高感応プロテクトスーツを管理庁に持っていったんですが、どうやらグリム君が作ったようには再現できないようでして」
彼のは試作品で、いろいろ詰め込みすぎたのだ。
だから姫のを貸して欲しいのである。
「ほら、姫様がマクベス君の試したら気持ち悪いって吐いたでしょ。普及版というか、それは抑えめに作ったので」
「吐いたとか普通に言わないで。忘れているのかもしれないけれど、私、このガイナ帝国の第三皇女なのよ?」
それはもちろん分かっているのだが、ウェールランドに帰る前に中央管理庁にスーツとバイザーを持っていき、発表する。それが仕事だから。
「ちゃんと戻ってきますからダイジョブ!」
「お前、何を言っているのかわかっているの?」
「ですから、そのスーツをすぐに脱いで渡して下さいと……」
スカーレットが眉をひそめ、やや口ごもりながら叫んだ。
「わ、私……その、今ギア乗ってきたところなのよ?」
だから、なんやねん。
グウェンの方を見る。彼女も「はぁん?」と首を傾げている。
「グリム。デリカシーという言葉を知っているか?」
そういう一般常識のレベルの話か?
これでもきちんとした教育をメアリー先生から叩き込まれた。
「あはは、リザさん。いやいや! ぼくは何もみんなの前で着替えろとは言ってませんよ。いやですよ、姫様。そんな勘違いを―――」
「汗かいてるのよ!! わかるでしょ!!」
わかる。人間だもの。
「いや、姫様。今更別に気にしなくても。この一年ずっと姫様の汗のにおいを嗅いで作業していますし」
あれ? もしやおれってデリカシー無いのでは?
この一年、同居人がアレだったから思い至らなかった。
姫は勝気に見えて、結構繊細だからね。女の子は気にするか。そういえば。
もう一度グウェンを見る。
「皇族特有の感覚ですね。普通女の子はそこまで気にしません」
もう止せ。お前の嘘は聞き飽きた。
よーしフォローしておかねば。
「そもそも臭くないというか、むしろ青春の汗というものは―――」
右ストレートが飛んできた。
わかる。
この一年、彼女の右ストレートは何度も食らってきた。
顔面をガードする。
ここで、姫はフックの軌道で右ストレートをフェイントに切り替え、逆水平の構えを生む。
その技はすでに学習済みですよ。
しっかりと胸元までガードを固めて―――
「きゃー!」
ミドルキックが無防備な脇腹に入った。
痛くて悲鳴を上げてしまった。
床を転げまわる。
「きゃぁ、グリム君~しっかり! 衛生兵ー!!」
駆け寄るグウェン。
「グリム君、わざとやってるのかい?」
腕を組んで見下ろすマクベス。
誰がわざと蹴られるか。
ドックで遠巻きにこちらを見ていたみんなが知ってしまった。彼女の恐ろしい一面を。
「皇族とウェール人がじゃれ合ってる」
「スカーレット姫ってこういう感じなのか」
「話聞いてくれない人だと思ってたぜ」
「というか、あんな態度取ってもいいのか?」
「良くないだろ。だから蹴られたんだろ」
「でも、手加減してるし」
「お、おれも蹴られたい……!」
また『悪逆皇女』と誤解されてしまうと思ったが。
杞憂だったか。
「姫、変態がいます。お気をつけて」
「お前が言うな」
最近、スカーレットの元には人が集まるようになってきた。
あのレースの後、兵学校内での専属技師を募り、おれは軍事工学課の訓練生に引き継ぎをしたのだが―――
『要は慣れです』
姫の特性とそれに対する適切な整備の方向性を示したつもりだったがうまく伝わらなかった。
『かいつまんで言うと、慣れなんです』
『お前、それで説明した気なのかしら?』
彼女が間を取り持ったことで、接点の無かった学生の間で彼女の悪評とイメージが刷新されていったようだ。ギアに大事なのは作り手と乗り手の対話、コミュニケーションだ。
その辺、彼女は意識して頑張っている。
その効果だろう。こうして結構な数の機士課程の訓練生もギアの扱いを学びに来ている。
「ふん、着替えてくるわ! 待ってなさい!!」
「はい、どうせしばらく動けなくなりましたので」
同世代の友たちもできたようで、何よりだ。
おれもあの輪に入っていられたらよかったな。
メイドさんたちが大急ぎで洗った高感応プロテクトスーツを持って、おれとマクベスとグウェンの三人は馬車を走らせ、列車に飛び乗った。
◇
「要は慣れです」
予定時刻を二時間遅刻したが、特に怒られることも無く発表会は滞りなく終わった。
「わかった。君の設計とその製造の腕に疑いの余地は無い」
「ありがとうございます」
よかった。これでお役御免です。
三人で輪になって踊りかけた。
「ただ、問題が一つある」
管理庁のお偉いさんが深刻な顔をしている。
まさか、まだ何か……?
「これほどの高感度で感応機とリンクさせるには、神がかり的な製造技術が求められる。この装備の製造に求められる技術が高過ぎる」
「バイザーに状況分析を表示させるにも、機士の視覚に反応する独立制御感応機と表示するミラーグラスの技術という全く新しい装置が必要だ」
「ギアの部品はその分野ごとに名家が筆頭となり製造の管理責任を負う」
「この二つを管理製造するとなると貴族の全体の力関係に影響が及ぶ」
「根回しにも時間がかかる」
本来ならば、これを事業としておれが中心となり製造の管理を進めていく。そうしたいらしい。
しかし、おれには興味がない。なぜならばこれを普及させるならばかなりスペックを落とすことになり、その製造におれは必要ないからだ。そもそも量産計画云々はまた別の専門分野であり、おれにはわからない。
「量産はお任せします。完璧を求めるならぼくの元に寄こしてください」
「ウェールランドにかね?」
「そうです。ウェールランドです。いいところですよ」
「はぁ……そうか……」
欲しいならばおれの元に来てオーダーメイドするしかない。
ダメとは言えない。特に、上からの決定には逆らえない。それがお役所の難しいところだ。
「ウェールランド基地への派遣、このタイミングでの応用技術研究所の新支部設立、それに掛かる多額の設備投資費、そこに投入される軍の膨大な機密予算……君は一体誰の後ろ盾で動いている?」
「ぼくはただ、ルージュ皇女殿下の専属となっただけです」
「……そうか。いや、あの方お一人でここまでは……」
筋は通した。
おれはスーツとバイザーの人になった。
グウェンは信号増幅機の人。
マクベスはおれの護衛。
世間は疑わないだろう。
おれたちが何を製造しているのかを。
「あ、そうだった。そのプロテクトスーツはスカーレット皇女殿下の私物なので、まだ検分するようでしたら直接殿下に返却お願いします」
「殿下の私物……だと?」
触ってた管理官たちが、一斉に距離を取った。
「まさか、これを着たわけではあるまいな?」
「え? さっきまで着てましたけど。ああ、殿下が気にしているので、あまり深く詮索しないでいただけると……」
「なぜ今言うんだ!!」
スーツはすぐ突き返された。
「おじさんたちが触ったこれ、洗ってお返しするべきかな?」
「別に大丈夫じゃないですかね」
「……」
学んだおれは洗ってお返しした。