31.5 クラウディア
最初に私は全て否定する。
それが宰相としての私の仕事だ。
この肥大した帝国の統治には一切の甘さが許されない。
皇宮の一室から、私は帝国の全てを把握して指示を出す。
貴族共の陣取り合戦を未然に防ぎ、軍事費を奪い合う将軍たちをいさめ、ギアの製造に各貴族へノルマを課す。
抗えば、首を絞めて、危機感を植え付ける。
言うことを利かせ、成果を出させる。
そうして得た結果を、父上に報告する。
皇帝、ジェラルドリー・デウス・ガイナは自分の寝室から滅多に姿を現さない。
長女の私が一番顔を合わせる機会が多いだろうが、それでも月に一度か二度。
若いころは東部への侵略を精力的に行い、その版図を2割も押し広げた猛者だったが、今や陰鬱な雰囲気を纏う隠居にすぎない。
そんな口数の少ない皇帝が珍しく私に頼みごとをしてきた。
「彼だ……彼を探せ……」
支離滅裂な父上の要求はその分析スキルが原因だ。
嘘か真か、はたまた偶然か必然なのか、父上の見た夢は正夢になる。
予知夢を見る分析スキル。
信じる者は少ない。半分は呪縛だ。
私も半信半疑だった。時折父上の夢に振り回されるが、確率は5割。いわく見たい夢が見られるわけではないらしい。
それでは偶然と変わらない。
しかし、父上が珍しくはっきりとした名前を出した。
どうやら何度も繰り返し彼が夢に出てきたようだ。
「フィリオン家のグリムだ。彼を探し、密かに保護せよ。いるはず……この時代に、まだ若い……」
私はまず否定から入る。どうせそんな人物はいないと。
しかし、私は素直にその指示に従った。
その名を見た記憶があったからだ。
望ましい戦果を挙げたウェールランド基地の機士。
その整備担当の名前がウェール人で家名持ちだったことから覚えていた。
私はテスタロッサに命じ、言われた通り彼に市民権を与えた。
三年後、彼は帝都に来た。
帝国兵学校に合格。差別を受けながらも異彩を放つ。
その技能はフェルナンドに匹敵。
人格面においても、スカーレットと衝突しながら彼女の悪癖を正し、良い方向へ導いたことには感心した。
また彼には分析スキルがあるらしく、テスタロッサはその能力を高く買っていた。
彼と接触して以来、彼女の実績は大幅に向上し、情報部内でも不動の地位に。
ロイエン家の危機に際し、ガーゴイルとの戦闘区域内で使える新たな無線通信システムを構築。
その手腕からルージュに眼をつけられ、国家公認技師の試験で歴代最高得点を獲得。
史上最年少16歳での合格。
十分すぎる成功だ。
これ以上何を望み、どう帝国に貢献すると言うか?
◇
「ダメよ」
「姉上はいつも否定するわよね」
珍しいことにルージュが私を訪ねてきた。
東部方面軍の総帥。
前線に張り付いて離れず、政治に一切興味の無い困った妹だ。
「ウェールランド基地に費やす資金はないわ。すでに予算は決まっているのだから。それとグリムだけど中央管理庁で仕事をしてもらうわよ。貴方の専属なんてもったいないわ。ギアだけを整備させるなんて論外。フェルナンドの下に就かせましょう」
「姉上は厳しい」
フェルナンドは管理庁に籍を置いているけど、ギルバートが率いる北部方面軍の参謀でもある。
ギルバートと覇権を争う彼女にとってはおもしろくないだろうけど、従ってもらう。
帝国の才能を最大効率で運用するのが私の仕事だ。
「何か間違ったこと言ってるかしら?」
「はい。間違っていますね」
珍しい。
この子が私に面と向かって反論するなんて。
何もかも手に入れた子と違い、私にはこの頭脳しかない。
煌めく金髪と健康的な身体。対して私は陰気で地味な黒髪にこの言うことを聞かない弱い身体。
妹に力と容姿では敵わない。
頭脳、舌戦でだけは敗けたことが無かった。いつしか妹は私と言い争うことをしなくなった。
「グリムは中央技術管理庁で収まる器ではありませんよ」
「私が彼を知らないとでも? 能力は把握しているわ。知識と発想力は破格、技師としての腕前は超一流、その分析スキルと闇魔法のレベルの高さは驚異的。おまけに人を見る眼もある」
中央技術管理庁は新たな軍事兵器の実用性を検証し、必要なら改良し、量産させる。
グリムなら適任だ。
「姉上、外へ」
そう言ってルージュが部屋の外へと促す。
「何があるの?」
彼女の手を取り、杖を突いて、扉の外によたよたと歩く。
そこには鈍色に怪しく輝く複雑な構造体があった。
「ルージュ、皇宮内にギアを運び入れるなんて……」
非常識。
そう言いかけた。
確かに、機械的な脚部と腕部があるが、人間的な形をしておらず、椅子に手足が生えたような形をしている。
「これは一体?」
「『ゆりかご』だそうです。グリムから姉上へ贈り物だとか」
ギアの感応機を組み込んで、私の脚の代わりをさせようということか。
「失望したわ。グリム・フィリオン。こんな浅はかな代物で、私を操ろうなどと」
「私もそう思います。これが病弱な姉上に付け込むための、取るに足らないギアの副産物だったのなら」
ルージュに導かれ、私はその強気な言葉に興味をそそられるまま、座った。
「えぇー? きゃああー!!!」
目の前に複数の風景が見えた。
それに、声も。
ゆりかごは私の驚きに合わせて、勝手に後退りしていた。
全く手足を動かしていないにも関わらず、魔力を巡らすだけで動かしたいように動く。
興が乗ってきた。この軽快さは子供の時以来ね。
少し慣れてきたわ。
でも、この複数の風景は? 外……
兵学校、それに駅舎……病院……?
「これは……新しいバイザー機能? でも、どうしてバラバラの風景が……」
「信号増幅装置で独立した複数の視覚装置から視野と音を共有しているとかなんとか」
「なんとかって……キチンと説明なさい、ルージュ!」
「いえ、私もよく分かりません。気になるようでしたら本人に尋ねるのがよろしいかと」
振り返ると、まだ幼さが残る青年が笑うのを堪えて歪な表情をつくっていた。
ぶ、無礼な……ずっとそこで見ていたのね……
「紹介致します姉上。この者が我が専属技師になる予定の、グリム・フィリオンです」
「殿下、ぼく合格したので予定ではなく確定なのでは?」
「スカーレットを納得させてからだ。妹に嫌われたくはないんだ」
「はぁ、でも姫が納得するかな……」
「何をいまさら言う。上手く言え」
「ぼくがですか? 聞いてません! 殴られちゃいますよ!」
「私が言ったら、横暴ではないか。私はクラウ姉とは違うぞ」
「いい加減にしなさい! 何をだらだらと話しているの!」
ゆりかごが地団駄を踏み、フッと二人が浮いた。廊下に掛かっていた絵画が落ちた。
メイドがそっと直し、私を見てスッと部屋に引っ込んだ。
床に亀裂。
ああ、感情に身体が、ゆりかごが反応するわ。
地団駄を踏むってこういう感覚なのね……
「お初にお目に掛かります。クラウディア皇女殿下にご挨拶申し上げます。グリム・フィリオンです」
典型的なウェール人の肌。
日焼けしたような小麦色の肌。
ウェール人が生まれた時に授かる二つの宝玉。金色の眼。
少し猫背で、社交辞令だとわかる下手な笑顔をしている。
いつもなら、ここで否定から入る。
皇族を見て笑うとは。
不躾な贈り物など不快極まりない。
そも、一介のウェール人が訪ねてくるなど無礼だ。
「あ、あぁ……」
言葉が出ない。
これは何?
なぜこうもスムーズに動く?
私は機士ではないのに。
機体の重さは?
なぜこうも軽やかなの?
独立した視覚装置とは何?
今見ている風景はどこのもの?
情報量が多すぎる。
困惑している私を見て、グリムは端的にこれが何なのか一言で説明した。
「『ダイダロス』、新世代ギアです」
これがギア?
確かに既存の機体とはまるで違う。
「正確には『ダイダロス基幹』を搭載したオートマタですが」
「『ダイダロス基幹』?」
ルージュが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
腹立たしい。
しかし、こんなに使えるものを贈られては……
勝ち誇る彼女の顔にさえ、勝手に手が出そうになる。
「隠れて、こんなものを……いいのかしら。私は宰相なのよ。この機体、戦闘用に量産させるわよ」
「我が技師たちに言わせれば、それを造れるのはグリムだけだそうです」
「まだ試作段階でそれしか無いです。もし、要らないのでしたら返してください」
「いいえっ!!!」
つい大きな声が出てしまったわ。
仕方ない。
ウェールランド基地に技研の新支部設立?
そのための設備投資資金?
後は何?
卒業するグウェン・ツヴァイドライを新支部へ。
マクベスを機士に承認。
いえ、一番の目的は新たなギア製造の許可ということね。
これだけの展望を実体験させられてはいくら言葉を並べても、否定する理由にはならないわ。
「いいでしょう。新たなギアを造れるというなら、帝国の利益のため、貴方のウェールランド行きを推奨しましょう」
「ありがとうございます」
あまりこの機体を見せびらかすのは良くないわね。
普段はただの移動に使いましょう。ああ、私を引き入れて、この『ダイダロス基幹』を秘匿とさせようということね。
どうせ、これも新たな設計思想の100分の一も反映させていないのでしょうけど。
この私を使って、静かに研究をしようだなんて。
生意気ね。
「不満を言っても?」
「もちろんです」
「デザインが良くないわね」
苦し紛れにそんなことしか言えなかった。
グリムはその後正式にルージュの専属技師となり、兵学校を去ることになった。
私はその様子を執務室のゆりかごから見学していた。
「ああ……! 一位はやっぱりルージュなのね……あのスタキア人のマクベスも惜しかったわ……スカーレットは、あら、あの子もあんな風に泣くのね……若いっていいわ……」
ほとんど接点のない妹の涙にもらい泣きしそうになる26歳。
グリムには確かに何かを変える力がある。
あのスカーレットでさえ変わった。
ルージュも、それを期待しているのでしょうね。
父上がずっと危惧している帝国の未来。
グリムの造るギアが本当に未来を変えるのかもしれない。