31.レース
郊外に設けられた兵学校の訓練場。
そこには長距離のレース用コースが設置されている。
スタートラインに立つのはギアを纏うマクベスとスカーレット。
そして大歓声に答え、手を振って応えるのは金髪の美女。
第二皇女ルージュ。
完全無欠の美貌もさることながら、その立ち居振る舞いは皇女というより王者。一挙手一投足がカッコいい。
「キャアア!!」
その姿を見た結構な数の訓練生が失神した。
男より女の方が多い。
なぜ三人がレースをするに至ったのか。
きっかけは、おれが兵学校を辞めウェールランドに帰ることになることを告げたこと。
◇
「どういうことよ!」
殴られるのは予想していた。
顔面をガードしたら、胸に逆水平を食らった。
「姫様、グリムが専属なのは学校内での話。国家公認技師は専属になる機士を選ぶ。彼を正式に専属にできる者は正式な機士のみです」
冷静に言ってないで止めてよリザさん。
マウントを取られて殴られた。
殺される。
「……誰よ? ロイエン卿? それともフリードマン?」
「私だ」
ルージュは唐突に皇室ラウンジに現れた。
さすがは卒業生。ここまで誰にも気づかれず一人、二階からこちらを見下ろしていた。
「……お姉さま、なぜ?」
さすがのスカーレットも彼女を前には緊張するようだ。声が上ずっていた。
「優秀な技師が私の専属になりたいという。実力があるから承認した。それだけよ」
「そんな、急に言われても……みんな置いていくの? グウェンとマクベスは?」
「私は技研に就職したんですが、新設されるウェールランド支部へ配属が決まってます。自由に研究できるんだそうで楽しみです!」
偶然ではない。
ちょっと根回しをした。宰相閣下に贈り物をして。
「おれはグリム君についていくことにしました。機士として」
ロイエン卿、ルージュ皇女、リザさん、テスタロッサの配下の機士2名、5人が推挙し、マクベスは肩書がバイトから正式に機士となった。
機士課程を修了して無いノンキャリア。専用機は軍から支給されない三等機士だ。
仕事はおれの護衛。
「そう、私だけのけ者ってことね」
彼女はまだ訓練課程の二年目だ。
どれだけ優秀でも、皇族が訓練を投げ出し一兵卒で戦場に出るのは許されない。隊を率いる機士長か機士正になることが義務だ。
「姫……ぼくは」
「止せ、グリム。慰めは無用だ。スカーレット、お前はもう自分で考え進めるはず。グリムはきっかけに過ぎない。この友人関係を馴れ合いにするなよ」
「……はい」
スカーレットはおれの胸倉から手を放した。
そして、マウントを解いて上からどいた。
「しかし、姉としては妹から男を奪うのは如何なる理由があろうとも気持ちのいいものではない」
殴られて吹っ飛ばされて引き倒されたおれをまだ男と言ってくれるなんて。
うれしくて涙が出てきた。鼻血も。
「そこで、フェアに勝負といこうではないか。ギアで、レースをしよう」
「お姉さま……レースの最高記録が更新されたのは御存知かしら?」
「お前が勝ったらグリムはここに残り卒業後は正式にお前の専属になる。ただし、機体の整備はグリム以外が行う。グリムの力に己が相応しいか、確かめるといい」
そうしてレースが決まった。
◇
三機のギアが勾配を駆けあがり、スピードに乗る。
サブ動力炉で発生した爆発的熱エネルギーが各種アクチュレータを介し、ジャンプ機構を機能させる。
一歩ごとに鋼鉄の塊がグンと加速する。
加速するごとに負荷が全身を襲う。
皆突如始まった一大イベントに、思い思いの観戦ポイントに訓練生が集う。
有志が教練施設の屋上や、塔の上から光学レンズを使って観測し、有線放送で情報を伝えた。
《スカーレット機が前に出た》
おれたちはその観測場所の中でもコースの全体を見渡せる演習管理塔を陣取った。
「グリム、どう見る?」
コースは平坦ではない。岩だらけで足を取られる。
そんな中、加速することはクラッシュの危険を伴う。
岩を回避する、または岩を粉砕するほどの突破力で機体を進めるには極限の集中力、即座の感応、莫大な魔力が必要となる。
またその状態を維持するには並の精神力と体力では持たない。
「ぼくよりも機士であるリザさんのご意見を聞きたいものです」
「これはお前を巡っての争いだ」
基本的接触禁止のレースでは同一規格のギアを使いこなしている機士の技量差はこの不安定な足場へのアプローチの仕方に大きく表れる。
ストレートはトップスピードを維持が望ましい。
ここでは魔力量で秀でているスカーレットが前に出るのは順当だ。
しかし、レースの難しさはコーナー。
最も複雑で複数の操作を求められる。
「……ぼくに言わせれば、機体を機士に合わせずにレースをしても、実力は測れません。要は運次第だ」
「グリム、ギア廻しに運は関係ない。そして、結果を左右するのは機士の技能と直感だ」
リザさんの言葉の意味を理解したのは最初のコーナーを通過したときだった。
加速した状態でただ曲がろうとすれば転がってしまう。
減速しながらフットブレーキを効かす。
足裏のアンカーボルトが地面を掴み急減速。
効果を高めるため、装甲のダウンフォースエッジを展開。
その後即座にエッジを仕舞い、再びジャンプ機構でダッシュする。
これがドリフトターンと呼ばれる超絶技巧だ。
綺麗に曲がり切ったスカーレット。
《後方二機、ルージュ機、マクベス機が競り出した!? 一瞬です!! コーナー内側から抜き去りました!!》
「まさかコーナーで加速……片脚ドリフト加速か」
「減速ではなく加速。ルージュ殿下はスカーレット殿下が踏み固めた道筋にアンカーボルトを沿わせてレールにした。マクベスは殿下の技を見て真似をしたな」
即興でそんなことを……!?
スケートのように地面へアンカーボルトの刃を沿わせ、レールのように見立て、もう片方の脚で加速しながら曲がる。
常にできる技ではなく、環境や状況次第でしかできない神業だ。ギアが踏み固めた轍があのスピードで見えたというのか?
「レースの中にも実戦に近い感覚が培われる瞬間はある」
「競り合いですか」
「そうだ。そこには機体の性能や機士の能力だけでは測れない戦いが生まれる。駆け引き、プレッシャーの管理、戦略……ものを言うのは経験。リスクとリターンを天秤にかけ、より大きな結果を選択し、それを技能と直感で成立させる」
スカーレットはマクベスとしか競ってこなかった。
だからこういう気迫あふれる実戦的競い合いに慣れていない。
「……マクベスは、あれは何だろう?」
「お前が連れてきたんだろう、あの天才は」
「そうでした」
酷なのは、同じ状況下でもマクベスはルージュにくらいついて行っていることだ。
「残酷だが、仕方ない。問題は姫様がこの結果をどう受け止めるか。二人の才覚を前に、諦めるか」
コーナーを曲がる度に前方の二機とスカーレットの差は開いていった。
「ここまでのようね」
「はい、ですが、姫様もがんばりました」
ゴールした機体が整備ドックに戻ってきた。
一位はルージュ。
さすがは帝国一の機士だ。
「この私に張り付いて来るとは……噂に違わぬ機乗力だな」
「はぁ、はぁ……ギア廻しがこんなにきついなんて」
二位はマクベス。僅差だった。
さすがの彼も疲れている。
いや、あの走りで疲れている程度なのが異常だ。
全速力で突っ走ったギアの中は灼熱。冷水をぶっかけて冷やす。蒸気がずっと出ている。
遅れてスカーレット機が到着した。
「完敗だわ」
悔しさをにじませながらも、スカーレットの顔はすっきりとしていた。
「追いつけないと分かった時、グリムが整備した機体ならと考えたのよ。自分の未熟を思い知ったわ」
その責任はおれにもある。
『最適』が彼女の足かせになっていることに気がつけなかった。
「グリム、待ってなさい。いつか実力でお前のギアに相応しい機士になるわ」
「左脚でのターン。完璧でしたね。相当努力したのがわかります」
「ふん、こんなもの努力の内に入らないわ」
彼女の眼に涙が溜まり、頬を伝って流れた。
「スカーレット、皇族が弱みを見せられる友人は貴重だぞ」
「はい……」
ルージュが視線をおれに移した。
「グリム、お前には人を変える力がある。次は何を変えるのか、私に見せてみろ」
「はい」
おれはルージュの専属技師となった。