29.主人公
好きだった作品の主人公が会いに来た。
うれしさより困惑が勝る。
警戒、それに恐怖。
おれはフェルナンドという男を知っている。
「すごいな、生活を補助するギアだね」
「ええ、魔力のみで動かせれば、生活の助けになるかと思いまして」
フェルナンドはおれが病室で思いつきを書いた設計図を見て興奮した様子だった。
「そんなもの書いてないで寝てなさいよ」
「確かにそうだよ。でもすごいな、ゆりかごみたいだ。これ、クラウディア姉さんにいいかもしれないな」
「あ、お身体が弱いって」
「よく知ってるね。誰が口を滑らせたのかな?」
「わ、私じゃないです!!」
そう言って妹の頭をなでるフェルナンド。
こうして見ていると普通の兄と妹みたいだ。
「スカーレットがいい方向に変わってくれてうれしいよ。殴るのは感心しないけどね」
「いいえお兄様、こいつはちょっと殴ってでもわからせないと無茶して死にますから」
「ぼくの無茶より、姫様に殴られてが先になるかも」
「なら今度は蹴るわね」
「なら私が無茶をするときも、お願いしようかな」
「な、なにをおっしゃっているんですか、お兄様!」
いつの間にか、おれは心を開いていた。彼に認められるとゾクゾクと心地よい感覚に見舞われる。
おれはここまでかなり多くの変化を生んだ。
『ギア×マジック』の原作とはすでに異なるストーリーに至り、おれが危惧していた未来は来ないんじゃないか?
フェルナンドは良い奴だ。
話せばわかる。スカーレットだって変わった。なら、おれは彼ともやっていける。
そんな気がしていた。
おれたちが設計の話をし始めるとスカーレットは気を遣って退室した。
「君は本当にすごいよグリム君」
「いえ、運が良かったんですよ」
「いや、試験結果もすごかったけれど、スカーレットを変えたことだよ」
そのまっすぐな眼差しに心を射抜かれそうになった。
「あの子の欠陥は他人の思想に染まり過ぎるところだった。自分で思考し、答えを導けない……私にはどうすることもできなかった」
「ぼくは何もしていません。姫殿下ご自身の努力の賜物です」
「実は君に少し嫉妬しているよ」
妹と仲良くしてるのが気になるなんて、シスコンみたいだな。
「人間はギアよりずっと複雑で理解し難い」
「当たり前です」
「……その当たり前のことを理解している者がどれだけいようか。『シェル』を『オーム』に再設計して組み立てなおすみたいに、人間はできていない。だからこそ、人を変えるのは難しい。私にはね」
フェルナンドの顔が急に作り物の笑顔のように見えた。
ほんの一瞬だった。
それだけで自分の楽観的な考えが、甘い妄想だと突きつけられた気がした。
おれがその変化に気が付けたのは、原作を見て知っていたからだろう。
この表情を強烈に覚えている。
無機質で一定。言動と表情が一瞬ちぐはぐになりズレたような違和感。
選択する表情を間違えた。
そんな感じだ。
「グリム君、君も同じじゃないか?」
「何のことですか?」
背中を汗が伝う。
仮初の友誼もつかの間のことだった。
「私は思うんだ。人間を設計した超常の存在がいたとして、なぜこうも欠陥の多い設計にしたんだろうってね」
やめてくれ。
おれに、そこまで心を許すな。
「技術者の眼から見ると、すごく気になるんだ。この欠陥をいかに修繕すればいいのか……でも、人間はギアじゃない。修繕できるとは限らない。そもそも設計が間違っていることが多い。不具合を抱えたまま動き続ける無数のオートマタが常に周囲をうろついている。恐ろしいとは思わないかい?」
確信した。
フェルナンドは原作通り。
相手が誰であれ平等に扱い、聡明な美青年。
穏やかで人当たりが良く、魅力的な微笑みを絶やさない。
皇族の中で異質。
あらゆるものを構造的に分析し、非合理性や矛盾、ゆがみというものが許せない。
機械に対してだけではない。
人も国も、部品の集合体として見ている。
掛け値無しの異常者だ。
「一人で生きるのは寂しいと思ったんじゃないですかね」
「え?」
「超常的存在が人間を不完全に設計したのは、自分が完璧で寂しいから同じ思いをさせたくなくて助け合えるようにしたんだと思います」
フェルナンドは意外そうな顔をした。
思考を巡らし、心底理解できないという困惑の表情。それを取り繕う作りものの笑み。
「素敵な考え方だね。君は、私とは違うんだ」
「あ、いや……」
「変なこと言ってごめんよ。これはコーディの話さ」
「あ! ああ……」
「ああいう実力の無い人物が国の中枢にいるなんて恐ろしいよね」
表向きは人当たりのいい天才皇子。
だが、裏では帝国という巨大なマシンに生まれたノイズやゆがみを取り除かずにはいられない、サイコパス。
その標的は独自の倫理観で選ばれる。彼にとっての悪は例えば、評価と実力が釣り合わない者。
きっかけは、異人のメイドが濡れ衣を着せられ殺されたとき。彼は帝国のゆがみを取り除くという冷徹な野望と、メイドとの約束である異人解放を実現するという使命に憑りつかれた。
彼の道は1つ。皇帝になることでも、異人と帝国民の身分差を無くすことでもなく、異人に帝国を滅ぼさせることだった。
『ギア×マジック』はそんなダークヒーローが、人間的感情を理解しないまま、それでも人間であろうとするヒューマンドラマでもあった。
しかし、彼は最後まで変わることができなかった。
「はぁ……」
「すまない、楽しくてつい長居してしまったようだ。そろそろ、ぼくも失礼するよ。ぜひ、また話そう」
おれは満面の笑みを浮かべ、彼と固い握手を交わした。
「そう言えば、その人はどうなったのでしょう?」
「ん?」
「ぼくに0点を付けた、技研の所長は」
「あぁ、気が付かなくて済まない。安心して。逆恨みされるようなことは無いよ。先端技術を知る者が犯した罪に対し、相応の報いを受けた」
フェルナンドはおれの気持ちに寄り沿い語り掛けるように話した。
彼がすでに死んでいることを。
「そうですか」
あれからまだ一週間と少ししか経っていないのに。
軍の関連施設のトップをこうもあっさり……
フェルナンドが退室した後、しばらくおれは笑みを絶やさずにいた。こういうのも残心というのだろうか。
フェルナンドがあの扉から戻って来るのが怖かった。
扉が開いた。
スカーレットが戻ってきた。
心臓が飛び跳ねたが、安堵に包まれた。
自分を殴るような女を見て平静を保つことになろうとは。
「随分話し込んでいたじゃないの。お兄様に気にいられたわね」
「嬉しそうですね、姫」
「まぁね。フェルナンドお兄様が何だか私のことを受け入れてくれていらしたのが、認めてもらったみたいで、うれしいわ」
「そうですか。よかったですね」
「グリムこそ、どうなのよ? 私が引き合わせたのよ、感謝なさい」
フェルナンドはルージュを殺し帝国を崩壊させた後、それをきっかけとし異常発生したガーゴイルとの大戦で苦境に追い込まれる。彼はそこでようやく、己の過ちを後悔する。正したはずの秩序が、秩序を崩壊させたことに。
解放した属州を再び征服し、新たな帝国を築くことに迷いはなかった。ガーゴイルとの長い戦いに勝利し、彼は責任を果たした。
それまで支えてくれたヒロインである妻がふと呟く。
『今度は自分と向き合う番よ』
妻はフェルナンドが抱える闇に気が付いてしまった。
いや、気付いていたことを打ち明けたということだろう。
彼自身のゆがみを。
その後、暗い部屋から彼が一人だけ出てくる描写がなされ、エンディングを迎えた。
彼の表情はその場にも状況にそぐわない貼り付けられた仮面のような笑みだった。
「ええ、ありがとうございます姫。張り合いがいのある宿敵がいて、うれしいです」
おれは精一杯の強がりを口にした。