109.5 ギルバート
陽光を反射し、燦然と輝く『白銀』を見上げ、おれは湧き上がる感情を抑えられず、絶叫した。
「うおぉぉぉ!! よぉしっ!! いよぉぉし!! ぬぅうう……おれ様が皇帝だぁぁ――っ、はっはっは!!!」
『その程度か? 皇帝には程遠い』
耳元でまた誰かがささやく。
声がまとわりつく。
「うるさい!! 黙れぇ!!」
『お前はいつ目覚めるのだ? 妹に敗けるぞ』
「おれ様に纏わりつくな!!」
声をかき消そうと、おれはすぐに『白銀』に乗り込んだ。
その声はいつしか常に聞こえるようになっていた。
最初は、皇宮で聞こえていた周囲の声だった。
『ギルバート殿下は聡明でございますね』
妹が生まれた。
クラウディアは身体が弱かった。
護ってやろう。そう思った。
だが、成長するにつれ大人と難しい話をしていた。比べられるといつも恥をかいていた。
おれは、賢いと言われなくなった。
『殿下には武の才能がございます』
12歳の時、幼いルージュに剣で敗れた。
なぜ勝てないのか分からなかった。
才能とは、これだと理解させられた。
周囲がおれに嘘をついて、ご機嫌を取っていただけだと気が付いた。
あれから、おれを見る周囲の目が変わった。
父上もクラウディアも、おれが次期皇帝に相応しくないと、そういう眼をおれに向けていた。
だからおれは機士を目指した。
軍で最高の機士になり、評価を変えるために。
しかし、軍には在野の天才がゴロゴロといた。
「――かはっ……はぁはぁ」
限界で機体から這い出ると、おれは全身疲労で膝を着いた。
玉の汗が地面を濡らす。
「兄さん、大丈夫ですか?」
フェルナンド、いつもおれの心配ばかりだ。
「何分乗っていた?」
「約2分です」
全く扱いきれていない。
だが、不思議と怒りが湧かない。
むしろ、機体の放つ蒸気を美しく感じる。
空が青い。
風が心地よい。
「機体に問題でも?」
フェルナンドの言葉を重く感じなくなった。
「機体に触るな。このままやらせろ」
「……そうですか」
『白銀』に繰り返し乗った。
その度に、声の質が変わった。
『――抜け駆け? あの子にはおれが眼をつけたんだぜ?』
マーヴェリック。あいつとは女を取り合って、ケンカをした。
結局、二人ともフラれたが。
そのあとの飲み比べが人生で一番楽しかった。
「はぁ、はぁ、2分30秒か……」
声は薄れていった。
機体を操る間、自分を振り返る時間が増えた。
『――あらあら、しつこい方ですね』
女は当時北部エースだったフィオナという機士だった。
勝ったら、おれのものになれと再び勝負を挑んだ。
『弱い男性はお断りなのです』
おれは焦った。
マーヴェリックもフィオナに挑んでいた。
何度も何度も。
『ダメダメです。二人ともダメダメ君です』
おれの実力は頭打ちで、半ばあきらめていた。
そんなときマーヴェリックが勝った。
だが、あいつは別の女と三股をしていた。
雨の中、殴り合いのケンカになった。
おれはフィオナに最後の戦いを挑んだ。
彼女の機動の冴えが無かった。きっと雨のせいだと思った。
『私は没落貴族の出身です。機士以外に取り得はありません』
おれはフィオナと結婚した。
周囲には反対されたが、マーヴェリックが一番喜んでいた。
『女遊びできないなんて、かわいそうですねぇ~』
妻と友人がいて、軍はおれの居場所になった。
だが幸せは一瞬だった。
『殿下、私は機士を引退したのに、あなたはいつになったら皇帝になるの?』
「――そうだ、フィオナ」
最後に妻の顔を見たのはいつだ?
意識が覚醒した。
機体を這い出た。
「……ぐおぉぉぉ!! はぁ、はぁ……3分50秒……」
せき込み、地面に倒れた。
全身がだるい。身体から湯気が立ち昇る。
「おれは、器じゃない」
皇帝にはなれない。
最初から分かっていた。
それを突き付けられることから逃げてきた。
なれると自分にも他人にも嘘を付いて生きてきた。
嘘の上に築いてきたもの全てがまがい物だ。
『いつになったら皇帝になるの!? 私は機士を諦めたのに……!!』
後ろめたいから、妻の顔が見られない。
そんな動機で皇帝になれるはずないのに。
『まだ やれるだろう お前の限界は そこではない』
別の声がおれを責める妻の声を遮った。
「誰だ?」
朦朧したおれには『白銀』の声に聞こえた。
本当にウィヴィラの神だとすら思った。
「天の声か」
機体を纏い動かす。
「ぐぉぉおおお!!」
いける。
おれはこいつを廻せる。
『そうだ お前は 機士だ 私を 乗りこなせ』
おれは涙を流していた。
機体はおれをただ機士としてしか見ていない。
皇帝に相応しいかどうか、おれの人格、評判、功績、立場、未来も過去も一切を無視し、ただひたすらにおれの機士としての能力だけを見ている。
そして、おれの実力のその先を求めている。
その先があると、思っている。
『ひるむな 進め 私を 信じろ』
おれは機体の声なき声に耳を傾けた。
機体がおれに要求する機体廻しは、おれを試している。
内部フレームは完全にフィットしている。
癖のあるマニュアル操作を受け入れるトランスミッション。
おれのピーキーで不安定な供給魔力を即時反映する動作機関。
そして、おれがギリギリ耐えられる反動と衝撃。
ふと、奴の顔が浮かんだ。
あの腹の立つ余裕たっぷりのとぼけた愛想笑い。
「……4分30秒……」
腹が立つ。少し、妻に似ているのが余計に……
『いつになったら皇帝になるの!? 私は機士を諦めたのに……!!』
そうだ。
フィオナはあんなことは言わない。
誰も言っていない?
いや、言ったと思わされていた……
誰に?
記憶を辿る。
おれはいつからおかしかった?
おれは『白銀』ではなく、『サイクロプス』に乗った。
「うああ!! くそっ!!」
違和感があり、すぐに降りた。
「まさか……まさか……!!」
『サイクロプス』を解体した。
誰にも言わず、図面を確認しながら、なれない作業をした。
パーツを照合していき、ついに見つけた。
「これだ……!!」
証拠だ。魔力を流すとガーゴイルの魔力と似た反応を流す信号送信器。
だが、これを誰が仕掛けたか。
いや、あいつが気づかないわけがない。
あいつか。あいつが仕掛けたのか。
信じられなかった。
だから会議で一芝居うち、確かめた。
そして確信した。
おれは道化だ。
フェルナンドの操る人形だった。
おれの精神はフェルナンドの思うままにコントロールされていた。
あいつの言葉で不安になり、『白銀』の力で皇帝になるしかないと思わされた。
だから逆のことをした。
機士としてルージュに戦いを挑んだ。
己自身に引導を渡すために。
◇
妹は初めから天才だった。
おれにとっては脅威であり続けた。
今は、彼女の強さが誇らしい。
ルージュの『クラスター』の機動はおれの予測を大きく超えていた。
機体スペックに頼らない滑らかなシフトが機体に、剣に、速さと力を与える。
さらに強くなっている。
「ぐぉ!!」
驚愕したのは、それでもおれが戦いを継続していることだ。
「あのウェール人……なんてものを!」
機体スペックが高い。高すぎる。
機体反応が早すぎる。
切り返しの瞬発力が高すぎる。
肉体がミンチになりそうな、0-100モーションの繰り返し。
なんて機士に優しくない技師だ。馬鹿野郎め!
メイスが地面を穿つ。
なんて威力。こんなものが当たれば、ギアだろうと即死だぞ。
しかし妹はひるまず突っ込んでくる。
機体に衝撃。
いくら機体スペックが高かろうと、おれの反応が追い付いていない。
何をされたか、一瞬遅れで把握する。
ルージュ機の特殊対装甲剣が『白銀』の装甲に弾かれている。
「うおおおお!!」
とっさに、『氷結』を使った。
機体内のランプが青く点滅した。
「――何ぃぃ!?」
とっさに放った威力とは思えない威力となり、辺り一面を凍らせた。
「ダイダロス基幹のサポート!? オートだと!?」
氷の壁を破り、機体が飛び出してきた。
「上!?」
躱して反撃。
頭ではわかっていても、こんな攻撃は喰らったことが無い。
身体が付いていかない。
まともに受けた。
機体が吹っ飛んだ。
痛みはない。
「……負けたか」
機体は動かなくなっていた。
「5分か……はぁ、はははは!」
この最高のギアを5分乗り続けた。
いい気分だった。
機体を降りると妹はおれを心配するそぶりも無く、勝ち誇った顔で待っていた。
「ルージュ、褒美だ。この機体をくれてやる」
「ん? いらんが?」
「そう言うな。この兄からの贈り物だ」
「いや、いらんが?」
「素直に受け取れ、可愛げのない奴だな」
「兄上のおさがりなど、気持ちが悪い」
「いいだろう、第二ラウンドだ! 掛かって来いよぉ!!」
ふとルージュの視線がおれから逸れた。
振り返ると、フィオナがいた。
「ダメダメですね。ギルバート。ダメダメ君です」
「ダメって……お前ぐらいはおれに優しくしろ」
おれの人生はまがい物ばかりではないと、彼女の笑顔が物語っていた。




